『衆院選に見る、ムサシ不正選挙疑惑』2013/01/16 14:10

『衆院選に見る、ムサシ不正選挙疑惑』


前々回のブログで、自民党総裁線における、ムサシによる投票改ざんは、1982年の中曽根政権からではないか?と書いた。
『自民党総裁選から考える、ムサシと不正選挙疑惑 』
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/01/14/6691164


では、国政選挙では、どうだろう?



1946年(昭和21年) 日本国憲法公布。
武蔵商事株式会社設立。(12月5日)
1962年(昭和37年) 商号を武蔵株式会社に変更。
1965年(昭和40年) 選挙計数機の開発に着手。
自治省選挙部、東京都選管ならびに3選管連合会を含めた開発プロジェクト設置。
1966年(昭和41年) 計数機使用に伴う開票システムの改革ならびに関係法令の運用の検討に入る。
1967年(昭和42年) 母体の紙幣計数機にて試行開始。
1968年(昭和43年) 選挙用モデル機完成、試行開始。
関係法令の運用は施行令72条により、2回別々に計数することに決定。
1970年(昭和45年) 選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」発売、 自治省選挙部にて命名いただく。
新しい開票の標準システムとレイアウト完成、従来の点検台方式を直列(川の流れ)方式とする。
1971年(昭和46年) 執行経費に算入する。
「武蔵EL2型」の全国導入はじまる。
1972年(昭和47年) 地方交付税交付金に算入する。
ボーティングマシンの研究・開発に着手。
アメリカ、ヨーロッパ選挙事情視察および外国の選挙制度の研究をはじめる。


ムサシの歴史によれば、 選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」発売は1970年、全国導入は1971年である。


その前後の衆院選を比較してみよう。



第32回衆議院議員総選挙
投票日 1969年12月27日
内閣 第2次佐藤内閣
解散日 1969年12月2日
改選数 486人
選挙制度 中選挙区制

投票率

当日有権者数 69,260,424名

党派別勢力図
党派 得票数 得票率 議席
候補者 当選者 議席率
自由民主党 22,381,570 47.63% 328 288 59.3%
日本社会党 10,074,100 21.44% 183 90 18.5%
公明党 5,124,666 10.91% 76 47 9.7%
民社党 3,636,590 7.74% 68 31 6.4%
日本共産党 3,199,031 6.81% 123 14 2.9%
諸派 81,373 0.17% 37 0 0.0%
無所属 2,492,560 5.30% 130 16 3.3%
総計 46,989,892 100.0% 945 486 100.0%
棄権・無効 22,270,532
出所:石川真澄『戦後政治史 新版』岩波新書

自民党派閥別当選者数
派閥名 議席数
木曜研究会(佐藤栄作派) 59
宏池会(前尾繁三郎派) 43
政策懇談会(三木武夫派) 39
新政同志会(中曽根康弘派) 35
紀尾井会(福田赳夫派) 31
交友クラブ(川島正次郎派) 20
水曜会(石井光次郎派) 13
春秋会(園田直派) 13
船田中派 12
村上勇派 10
愛正会(藤山愛一郎派) 6
二日会(石田博英派) 5
旧松村謙三系 3
無派閥 11


第33回衆議院議員総選挙
投票日 1972年12月10日
内閣 第1次田中角榮内閣
解散日 1972年11月13日
改選数 491人
選挙制度 中選挙区制

投票率

71.76%(無効票を除いた実質的投票率71.07%)
当日有権者数:73,769,636名
投票者数:52,935,313名
党派別獲得議席

党派別勢力図
党派 得票数 得票率 議席
候補 当選 議席率
自由民主党 24,563,199 46.85 339 271 55.2
日本社会党 11,478,742 21.90 161 118 24.0
日本共産党 5,496,827 10.49 122 38 7.7
公明党 4,436,755 8.46 59 29 5.9
民社党 3,660,953 6.98 65 19 3.9
諸派 143,019 0.27 15 2 0.4
無所属 2,645,582 5.05 134 14 2.9
合計 52,425,582 100.0 895 491 100.0
自民党の派閥別議席数
派閥名 議席
八日会(福田赳夫派) 55
七日会(田中角栄派) 49
宏池会(大平正芳派) 45
新政同志会(中曽根康弘派) 38
政策懇談会(三木武夫派) 36
交友クラブ(椎名悦三郎派) 18
水田三喜男派 13
水曜会(石井光次郎派) 9
船田中派 9
愛正会(藤山愛一郎派) 2
無派閥 8
出典:石川真澄著『戦後政治史新版』(岩波新書)
諸派の2議席は、沖縄社会大衆党の安里積千代と沖縄人民党の瀬長亀次郎。のちに安里は民社党に、瀬長は共産党に移籍した。



以上のように、与党である自民党は議席数を減らし、野党である社会党や共産党が、逆に議席数を大幅に増やしている。


ということは、ムサシの選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」による不正は無いのだろうか??


疑問に思い、もう一つ前の衆院選を調べてみた。


というのも、 1968年(昭和43年) 選挙用モデル機完成、試行開始。とあるのだ。

1969年の選挙から使われた可能性もあるからだ。

そうすると、面白いことが分った。



第31回衆議院議員総選挙
投票日 1967年1月29日
内閣 第1次佐藤内閣
解散日 1966年12月27日
解散名 黒い霧解散
改選数 486人
選挙制度 中選挙区制


投票率

自治省集計 - 前回比+2.85%

73.99%(男:74.75%、女:73.28%)(衆議院議員総選挙の男女別投票率の推移)
選挙当日の有権者数:62,992,796名
投票者数:46,606,040名

党派別獲得議席


党派別勢力図
党派 得票数 得票率 議席
候補 議席 議席率
自由民主党 22,447,838 48.80% 342 277 57.0%
日本社会党 12,826,103 27.88% 209 140 28.8%
公明党 2,472,371 5.38% 32 25 6.2%
民社党 3,404,463 7.40% 60 30 6.2%
日本共産党 2,190,563 4.76% 123 5 1.0%
諸派 101,244 0.22% 16 0 0.0%
無所属 2,553,988 5.55% 135 9 1.9%
総計 45,996,573 100.00% 917 486 100.00%
棄権・無効 16,996,223
出所:石川真澄『戦後政治史 新版』(岩波新書)巻末<データ>

国会議員選挙の結果。
自民党派閥別當選者数
派閥名 議席数
木曜研究会(佐藤栄作派) 51
宏池会(前尾繁三郎派) 41
政策懇談会(三木武夫派) 36
新政同志会(中曽根康弘派) 25
紀尾井会(福田赳夫派) 24
愛正会(藤山愛一郎派) 17
交友クラブ(川島正次郎派) 16
船田中派 15
水曜会(石井光次郎派) 14
春秋会(森清派) 10
村上勇派 10
石田博英系 6
松村謙三系 4
無派閥 16
党派別女性当選者数


これと1969年の衆院選を比べてみよう。

67 自由民主党 22,447,838 48.80% 342 277 57.0%
69 自由民主党 22,381,570 47.63% 328 288 59.3%

67 日本社会党 12,826,103 27.88% 209 140 28.8%
69 日本社会党 10,074,100 21.44% 183 90 18.5%

67 公明党 2,472,371 5.38% 32 25 6.2%
69 公明党 5,124,666 10.91% 76 47 9.7%

67 民社党 3,404,463 7.40% 60 30 6.2%
69 民社党 3,636,590 7.74% 68 31 6.4%

67 日本共産党 2,190,563 4.76% 123 5 1.0%
69 日本共産党 3,199,031 6.81% 123 14 2.9%


社会党が50議席も大幅に減らしていることが分る。
2,752,003票減である。

逆に、公明党は、2,652,295票も得票を延ばしている。


つまり、社会党の票数が、公明党に振り分けられていることが分るはずだ。


ムサシの選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」による初仕事は、社会党の票数を、公明党に振り分けることだったようだ。


そして、wikipediaには、こんなことが書いてある。

社会党・共産党は日米安保条約の自動更新阻止を掲げ、70年安保を争点にしようとした。安保闘争では全共闘や新左翼などの学生運動が展開され、機動隊と衝突した。

しかし選挙結果は、自民党の大勝と、社会党の一人負けであった。自民党は追加公認を含めると、300議席の大台に乗せた(前回比+20)。一方、社会党は90議席(前回比‐51)で再統一以降では初めて100議席を割り込み、特に首都圏など都市部で壊滅的な惨敗を喫した。前回国会に初進出した公明党は急激に議席を伸ばし(前回比+22)、共産党も第24回総選挙以来、20年ぶりに議席を2桁に乗せた。佐藤榮作政権は続投を決め、1970年の安保条約自動更新も何事もなく行われた。

自民党の得票数は横ばいだったが、社会党の得票数減がそのまま自民党を押し上げた形になった。社会党の敗北は、学生運動やプラハの春抑圧などに嫌気が差した支持者が棄権に回ったためといわれている。一方、共産党は新左翼と敵対していたことが選挙にはプラスになったといわれている。

従来、社会党は都市部で強かったが、この選挙で受けた打撃は二度と回復できなかった。代わって、公明党・共産党が進出し、民社党も含めた、都市部での野党の多党化傾向が顕著になった。自民党では、当時幹事長だった田中角栄が後の「田中軍団」を形成する事になる子飼いの新人議員を大量に当選させ、後の政局の主導権を握る上で大きな役割を果たすことになる。

政見放送の開始

今回の総選挙では、テレビにおける政見放送が初めて行われた。これは第61回通常国会(1968年12月27日~69年8月5日)で成立した改正公職選挙法の第150条に基づいて実施されたものである。政見放送はテレビで4回、ラジオでは2回を放送し、NHKと民放でそれぞれ半分ずつを受け持った(ただし電力消費が大きい関東と近畿、中京地域ではテレビが2回、ラジオが4回となった)[1]。
wikipedia

で、自衛隊のムサシ
この頃、70年安保改訂に向けて、安保条約の延長に賛成する世論づくりのためのプロパガンダ活動を組織し、自民党から資金を調達しようとする。しかし、台湾派だった阿尾博政は、中国派の田中角栄幹事長と鋭く対立して、ある会議で田中角栄を暗殺すると口走り、公安調査庁の監視下に置かれる。

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663722

ムサシ
この頃、70年安保改訂に向けて、安保条約の延長に賛成する世論づくりのためのプロパガンダ活動を組織

(株)ムサシが、日米安保条約の自動更新阻止を掲げる社会党の票を公明党に振り分ける


従来、社会党は都市部で強かったが、この選挙で受けた打撃は二度と回復できなかった。

自民党では、当時幹事長だった田中角栄が後の「田中軍団」を形成する事になる子飼いの新人議員を大量に当選させ、後の政局の主導権を握る上で大きな役割を果たすことになる。

そのまんまですね。


以上、証明終わりなのだが、面白いのは共産党の票の伸びなんですよね。

ムサシの選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」が衆院選に導入されてから、共産党の票が異常に伸びているのです。


第31回衆議院議員総選挙 投票日 1967年1月29日
日本共産党 2,190,563 4.76% 123 5 1.0%

第32回衆議院議員総選挙 投票日 1969年12月27日
日本共産党 3,199,031 6.81% 123 14 2.9%

第33回衆議院議員総選挙 投票日 1972年12月10日
日本共産党 5,496,827 10.49 122 38 7.7


これについて本澤二郎の「日本の風景」(1252)では、


「今回は余りにも大がかりな不正選挙の可能性が高い。どうして日本共産党の機関紙は取り上げないのか」と事情通に問い詰めると、なんと意外な返事が返ってきた。「赤旗は知っているが、書けない」というのだ。「どうしてだろう」という疑問に、共産党として是非とも答えてもらいたい。
 今回、共産党は各選挙区に候補を擁立した。そのうち、供託金没収は何人だったろうか。これをチェックすると、内情が判明するかもしれない、と事情通は示唆した。奥が深い。

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52017506.html


というわけで、これを鵜呑みにするわけではないが、「赤旗は知っているが、書けない」には、この、ムサシの選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」が衆院選に導入されてから、共産党の票が異常に伸びている事実が、おそらく関係しているのではないかと思う。



ちなみに、1972年12月10日の第33回衆議院議員総選挙 で日本共産党は、5,496,827 票を獲得し、38 議席を得たが、丁度この頃、日中が国交正常化を果たした。
そして東西冷戦は事実上終了したと、米軍の学校では教えている。


そのあたりを含め、さらに、ムサシの真実に迫りたい。

いやあ、しかし調べてみると驚愕の事実が続々登場しますね。。

『自民党総裁選から考える、ムサシと不正選挙疑惑 』
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/01/14/6691164