不正選挙疑惑を追う グローリーと3112013/03/19 14:27



日本の選挙システムを『株式会社ムサシ』と共に牛耳る企業『グローリー』の背景

不正選挙疑惑を追う 『グローリー』ってどんな会社??
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/03/17/6748906

不正選挙疑惑を追う。グローリー、カーライル、マッキンゼー
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/03/18/6749903


のつづき。


恒例の地元政治家行きましょうか。

所在地 本社・本社工場
〒670-8567 兵庫県姫路市下手野1-3-1


兵庫県11区


松本 剛明(まつもと たけあき、1959年4月25日 ‐)は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(5期)、民主党政策調査会長代行、青山会幹事長(初代)。
外務大臣(第145代)、外務副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、民主党政策調査会長(第8代)、衆議院議院運営委員長(第70代)等を歴任した。
高祖父は初代内閣総理大臣の伊藤博文。父は防衛庁長官や衆議院議員を務めた松本十郎。在アメリカ合衆国特命全権大使や外務審議官を務めた藤崎一郎は従兄。



東京都出身。武蔵高等学校、東京大学法学部卒業。1982年、日本興業銀行に入行。1989年8月、父・松本十郎が第1次海部内閣で防衛庁長官に就任したのに伴い、興銀を退職し秘書官を務める。

1996年、第41回衆議院議員総選挙に兵庫県第11区から無所属で出馬したが、得票数3位で落選。2000年、民主党公認で再度兵庫11区から出馬、自由民主党の戸井田徹を破り、初当選を果たした。
2003年、第43回衆議院議員総選挙で再び戸井田を破り、再選。同年、菅直人民主党代表が「組閣」した民主党次の内閣(NC)において、NC防衛庁長官に就任。翌2004年、新代表の岡田克也による次の内閣では、前原誠司NC防衛庁長官の下、NC防衛庁副長官を務める。民主党内では外交・安全保障の政策通で知られた。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では兵庫11区で戸井田に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選。この総選挙で民主党は惨敗を喫し、岡田克也代表は辞任。岡田の辞任に伴う民主党代表選挙では前原誠司を支持し、前原執行部では政策調査会長に抜擢された。あわせて、前原新代表による次の内閣ではNC内閣官房長官(規制改革担当)に就任。同年、総選挙公示前に事前運動を行った疑いで、兵庫県の松本の地元事務所が家宅捜索を受け、秘書らが警察の事情聴取を受けた。2006年4月、偽メール問題で前原代表が辞任。後任の小沢一郎代表の下でも政調会長に留任した。2007年8月の党役員人事により、政調会長を退任(後任は直嶋正行)。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では兵庫11区で4選。同年9月、衆議院議院運営委員長に就任した。なお各委員会の常任委員長を決定する際、鈴木宗男を外務委員長に起用する人事を内定していた民主党が、常任委員長人事を一括して議決するよう動議を出した際は、これを認める考えを示した。しかし、横路孝弘衆議院議長が外務委員長人事のみを分離して議決する提案を、鈴木の外務委員長就任に反対する自民党やみんなの党に対して示したため、最終的に外務委員長人事案のみ分離した上で議決された。
2010年9月、菅第1次改造内閣で前原誠司外務大臣の下、副大臣に任命された。同年10月、樽床伸二を中心に結成された議員グループ「青山会」の幹事長に就任。
2011年1月、菅第2次改造内閣で外務副大臣に再任。同年3月、在日韓国人から献金を受けていた問題で辞任した前原誠司の後任の外務大臣に昇格した[1]。同年9月、野田内閣発足により外務大臣を退任。党に戻り国会対策委員長代理に就任したが、直後の第178回国会の会期延長をめぐって他の国対幹部2人と共に辞表を提出し[2]、党内に混乱をもたらしたとして輿石東幹事長より1ヶ月間の謹慎処分を課された[3][4]。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、兵庫県第11区で5選を果たした。同年、民主党政策調査会長代行に就任。


日米同盟
民主党内では外交・安全保障の政策通で知られる。日米同盟を外交の基軸に据え、同盟の深化を積極的に主張する親米派の1人。その上で、イランへの対応等で日米間で異なる考えが存在することも日米両国の国益には反しないとし、主体的かつ多角的な日米間のアプローチを提唱する。
集団的自衛権
集団的自衛権の解釈を変更し、集団的自衛権の行使の容認を主張している[6][7]。
核兵器
日本の核保有については、北朝鮮の核保有の正当化に繋がるため、議論そのものも含めて反対する立場を取る。

浅尾慶一郎(現みんなの党)・大塚耕平・細野豪志・古川元久・松井孝治らと共に「1000万人移民受け入れ構想」を共同提案した。 

所属団体・議員連盟

海事振興連盟(副会長)


初代内閣総理大臣の伊藤博文公爵は高祖父にあたる(松本の母・悦子は伊藤の次女・朝子の孫)。父は防衛庁長官を務めた元衆議院議員の松本十郎。外交官の藤﨑一郎(駐米大使)は従兄。
高祖父 初代内閣総理大臣の伊藤博文
曽祖父 西源四郎(外交官、元駐ルーマニア公使、伊藤博文の子・朝子の夫)
祖父 藤井啓之助(外交官、元駐チェコスロヴァキア公使、伊藤博文の孫・清子の夫)
父 松本十郎(元防衛庁長官・衆議院議員)
妹 令子 国税庁関東信越国税不服審判所長・元財務省大臣官房参事官寺内肇の妻
おじ
田付景一(外交官、元駐デンマーク大使)
藤﨑万里(外交官、元最高裁判所裁判官・駐オランダ大使)
鶴見清彦(外交官、元ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使)
従兄 藤﨑一郎(外交官、元在アメリカ合衆国特命全権大使)


wikipedia



これまた、極めつけの人物が出てきましたね。。


311直前の前原外務大臣 焼き肉屋のおばちゃんから献金で辞任で、横滑りで外務大臣になった松本剛明です。


以下年表

2月28日〜3月10日 米韓合同演習

3月4日 鉱業法の1950年以来65年ぶり改正案が審議入り。(資源探査や科学探査で勝手に海底を掘削出来ないように許可制にする改正案。外国の探査船にも規制出来る内容)

東日本ハウスなど震災関連銘柄が、大幅な値動き。

3月5日 米国の無人スペースシャトル 第二号が打ち上げ 空軍が管理し、用途は不明

3月6日 前原外務大臣 焼き肉屋のおばちゃんから献金で辞任

3月8日 ちきゅう号 八戸港到着

3月9日 宮城県沖M7.2の地震発生
(震源は1999年に米国の深海掘削船ジョイデスレゾリューションが掘削して地震観測用の設備を設置した周辺海域)

外務副大臣だった松本 剛明が外務大臣に就任
(父の松本十郎は、ヴェトナム戦争当時 1967−68年の大蔵省印刷局長で、第一次海部内閣の防衛庁長官 自民党清和会)



311地震の真実が見えてくる年表
http://ccplus.exblog.jp/14718384/



海事振興連盟(副会長)とありますが、たしか山□組が理事の団体でしたよね。
あ、違いました。それは一般社団法人 日本港運協会 でした。



で、父親の

松本 十郎(まつもと じゅうろう、1918年5月22日 - 2011年11月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党の衆議院議員。第1次海部内閣の防衛庁長官を務めた。
息子は衆議院議員の松本剛明。妻の悦子は伊藤博文初代内閣総理大臣の曾孫。

経歴

兵庫県姫路市に松本勇治・末子夫妻の二男として生まれた。
龍野中学、三高を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省し、1965年神戸税関長、1966年銀行局検査部長、1967年大蔵省印刷局長を歴任する。
大蔵省退官後、1969年の第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。以後、当選6回。自民党では、福田赳夫 - 安倍晋太郎派(清和会)に所属する。1974年に総理府総務副長官、1979年に外務政務次官、ほかに自民党建設部会長などを歴任する。1989年、第1次海部内閣の防衛庁長官として入閣。安倍の死後、清和会が三塚博派と加藤六月グループに分裂した際には、加藤グループ(政眞会)に参加し、同グループ副会長を務めた。1993年、第40回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退した。2000年、勲一等瑞宝章受章。財務省官僚の寺内肇は娘婿。
2011年11月21日、呼吸不全のため東京都内の病院で死亡[1]。93歳没。没日付で正七位から従三位に進階[2]。
親族

妻:悦子(藤井啓之助元チェコ公使の四女、西源四郎元ルーマニア公使の孫、伊藤博文初代内閣総理大臣の曾孫)

松本剛明(民主党所属衆議院議員)
玲子(財務省大臣官房参事官の寺内肇の妻)


脚注

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^ 松本十郎さん死去 元衆院議員、元防衛庁長官 神戸新聞 2011年11月21日閲覧
^ 官報第5702号、2011年12月16日閲覧

wikipedia


1965年神戸税関長、1966年銀行局検査部長、1967年大蔵省印刷局長を歴任する。

興味深過ぎなのですが、大蔵省印刷局(現在の財務省印刷局)は、地図を見れば一目瞭然ですが、財務省から離れていて、米国大使館の隣にあるわけです。



松本剛明の従兄が、この人。



藤﨑 一郎(ふじさき いちろう、1947年7月10日 - )は、日本の外交官。藤崎 一郎(ふじさき いちろう)と表記されることもある。
外務省北米局局長、外務省外務審議官(経済担当)、アメリカ合衆国駐箚特命全権大使などを歴任した。

来歴

生い立ち
鹿児島県生まれ、神奈川県育ち。父は外交官でオランダ駐箚特命全権大使や最高裁判所裁判官などを務めた藤﨑萬里。内閣総理大臣を務めた伊藤博文の玄孫にあたり、一族には政治家、外交官が多い。
慶應義塾大学経済学部在学中に外交官試験に合格したため、卒業を待たずそのまま外務省に入省した。
外交官として


藤﨑がアメリカ合衆国駐箚特命全権大使に任命された背景として、行政改革の一環から、従来の事務次官 → アメリカ合衆国駐箚特命全権大使への自動昇格が見送られたことがあげられる。
2009年12月21日、普天間移設問題に関してアメリカ合衆国国務長官のヒラリー・クリントンと国務省で15分間の緊急会談を行った。大雪のためアメリカ連邦政府機関は臨時の休日となる中で朝に急きょ決まって午後に会談に呼び出されたとして、メディアから異例と報じられた[1]。なお、藤﨑は「朝にクリントン国務長官から来て欲しいと連絡があった」と語っているが、国務次官補(広報担当)のクローリーは翌22日の記者会見で「呼び出したのではなく藤崎大使の方から訪れた」と述べ、藤﨑の主張を否定した[2][3][4]。
人物

1996年に藤﨑が在アメリカ合衆国日本大使館で公使を務めていた際、盲導犬の候補犬を育てるパピーウォーカー[5]を一家で引き受けた。藤﨑一家が育てたスキッパーという名前の犬は盲導犬の適性がないと判断され、麻薬捜査犬としてイタリアのミラノで危険な任務を務めていた。そしてスキッパーが2005年にジュネーブ在勤中の藤﨑一郎夫妻とミラノで再会したところ、藤﨑夫妻のことを記憶していたことに夫妻が感激し、イタリア警察に依頼してスキッパーを引き取った後、アメリカ合衆国駐箚特命全権大使としてワシントンへ転勤した際にアメリカ合衆国駐箚大使公邸で夫妻とスキッパーが一緒に住んでいるという話を『ワシントンポスト』が報じて話題になったという[6]。



略歴

1947年 鹿児島県生まれ
1960年 父が総領事となったシアトルに滞在(~1962年)
1963年 慶應義塾普通部卒業
1966年 慶應義塾高等学校卒業
1968年 慶應義塾大学経済学部在学中に外交官試験合格
1969年 外務省入省
1970年 英語研修(米国ブラウン大学、スタンフォード大学)
1972年 在インドネシア大使館三等書記官
OECD代表部一等書記官(パリ)
大蔵省主計局主計官補佐
1984年 情報調査局安全保障政策室長
1985年 情報調査局分析課長
1986年 経済局国際エネルギー課長
1987年 在連合王国大使館参事官兼ロンドン総領事
1990年 大臣官房参事官
1991年 大臣官房在外公館課長
1992年 大臣官房会計課長
1994年 アジア局外務参事官
1995年 在アメリカ合衆国日本大使館公使(政務担当)
1999年 北米局長
2002年 外務審議官(経済担当)
2005年 ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使
2008年 在アメリカ合衆国特命全権大使
2012年11月30日 辞任[7]


家族・親族

高祖父 初代内閣総理大臣の伊藤博文
曽祖父 外交官の西源四郎(元駐ルーマニア公使、伊藤博文の子・朝子の夫)
祖父 外交官の藤井啓之助(元駐チェコスロヴァキア公使、伊藤博文の孫・清子の夫)
父 外交官の藤﨑万里(元最高裁判所裁判官、元駐オランダ大使)
妻 元大蔵官僚・柏木雄介(元財務官、元東京銀行頭取)の子
義兄 外交官の高橋雅二(元財団法人交流協会理事長、元駐南アフリカ大使、元法務省入国管理局長、藤﨑万里・娘婿)
おじ
外交官の田付景一(元駐デンマーク大使、元外務大臣官房長 、外交官の田付七太(元駐ブラジル大使)の子)
外交官の鶴見清彦(元ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使、元外務審議官)
政治家の松本十郎(元防衛庁長官)
いとこ
政治家の松本剛明(外務大臣)


wikipedia
OECD代表部一等書記官(パリ)
大蔵省主計局主計官補佐
1984年 情報調査局安全保障政策室長
1985年 情報調査局分析課長
1986年 経済局国際エネルギー課長
1987年 在連合王国大使館参事官兼ロンドン総領事


で、2008年 在アメリカ合衆国特命全権大使
2012年11月30日 辞任[7]


これ、普通の経歴では無いですよね。


こういう人の従兄弟が、311の直前の3.09の地震の時に、偶然横滑りで外務大臣になり。


原発爆発により、米軍再占領。

こうなったわけですか。


ちなみに、伊藤博文といえば1000円札ですが、その伊藤博文のひ孫が、大蔵省印刷局長と結婚して松本剛明が生まれているのだから、面白い話です。


そして紙幣の印刷や管理という部分で、グローリーとの見事なまでのつながりが見えてきました。



で、選挙をムサシと共に仕切っている『グローリー』の地元政治家が、その松本剛明で、民主党がボロ負けしたにも関わらず、兵庫県11区で圧勝。

そりゃ、『グローリー』の地元政治家ですからね。

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