これは悪辣 アベッチの「広島平和記念式典」の原稿 「業火」で焼かれるとありますが、「業火」は本来「仏教で、悪業の報いで地獄に落ちた人を焼く火」2014/08/21 18:18

長崎平和式典の原稿がコピーだったことが、いろいろ批難されているようだがCIA 3K新聞では、こんな記事


とにかく安倍首相を引きずり下ろしたい人たち
2014.8.17 12:00 (1/6ページ)[安倍首相]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140817/plc14081712000001-n1.htm


で、実際に長崎平和式典でのスピーチ自体は、昨年のコピペとはいえ、そんなに劣悪な原稿とは思えない。
もちろん嘘ばっかり書いてあるという見方も出来るけど。。


ところが、8月6日の広島原爆の原稿は、そうでは無いのである。
これは、相当に酷い。

長崎原爆の原稿云々が言われているのは、この広島原爆スピーチが酷いことを隠すためのスピンかもしれない。


以下に鋭い指摘が掲載されているので引用


http://blog.mainichi-kotoba.jp/2014/08/blog-post_17.html?spref=tw&m=1

この週は「首相の戦没者追悼」。過去の「沖縄全戦没者追悼式」、広島「平和記念式典」、終戦の日の「全国戦没者追悼式」で行った安倍晋三首相のあいさつのうち、難しそうな漢字を首相官邸ホームページから拾いました。

中略

一校閲者としては、コピペそのものより、疑問符が付く言葉・文字遣いまで繰り返されるというのがどうしても納得いきません。



まず広島の原爆が「一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました」というくだり。「浚う」の正解率をみても決して読みやすい字ではないし、ホームページなどに記録として残るものですから、難読漢字は避けた方がいいと思いますが、それは別としても「さらう」の使い方が気になります。 辞書では「池や沼などの水底の土砂やごみをごっそりととりのぞく。『どぶを-』『なべ底までさらってたいらげる』」(角川必携国語辞典)とあります。つまり「さらう」目的は、きれいにすることであり、「さらう」対象はごみなど、なくなってしかるべきものというイメージがあります。原爆被害の形容としてふさわしいとは思えません。これは「爆風にさらし」とするほうが適切と思いますが、いかがでしょう。


また、出題時の解説にも付記しましたが、「業火」は本来「仏教で、悪業の報いで地獄に落ちた人を焼く火」(同)であり、現在は単に「大火」の意味でも用いられているものの、本来の意味しか書いていない辞書もあります。罪のない市民が焼かれたことに「業火」を使うことには違和感があります。


次に「犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました」ですが、この「べくして」の使い方、正しいのでしょうか。「①当然の結果として…するはずであって。『起こる-起こった事故』②…することはできても。『言う-おこないがたい』」(同)の①はもちろん②の用法としても苦しい。ここはやはり「犠牲と言うには」と言うべきではないでしょうか。


どうも安倍さんは難しい漢字や言い回しがお好きなようで、「倒れる」で済むところを「斃れる」と書くのも、その方が格調高くなると思っているのかもしれません。しかし8月6日に「斃れ」を使ったのと同じ文脈で8月15日には「倒れ」を使っています。こだわりがないのなら「倒れ」で十分でしょう。ちなみに音読みではヘイで「斃死」という熟語があり、辞書には「のたれ死に」のこととあります。

「能う限り」については安倍さんは、何度も「能うる限り」と述べています。この間違いについては以前もブログで指摘しましたので詳しくはそちらをご覧いただくとして、今年の沖縄慰霊の日でも「能うる限り」と言っていたので、もっと目立つところで指摘しようと毎日新聞社会面の「週刊漢字」で取り上げました。しかしこれも読んでいないのか、それとも何がどう違っているかが理解できなかったのか、やはり今年の終戦記念日でもはっきり「能うる限り」と安倍さんは読んでいました。かっこいい言葉でかざりたくて古風な言葉遣いをするのでしょうが、生半可な知識で使うものだから誤ることになります。素直に「できる限り」とすれば突っ込まれなくて済んだのに。

新聞では第1次安倍政権時の「憲法の規定を遵守し」の文言が消えたことや、昨年の「唯一の戦争被爆国民」が「唯一の戦争被爆国」と変わり「民」が消えたことが指摘されています。それも問題でしょうが、いかにも安倍さんらしいともいえます。それより一校閲者としては、一国の首相が奇妙な言葉遣いで日本語を乱し続けていることをどうしてみんな突っ込まないのか、気になってなりません


以上引用


本来、広島原爆は、ほぼ罪のない一般市民を一方的に虐殺した人道的罪『ホロコースト=生きながら焼き殺す生け贄の意味』です。



それを
「業火」は本来「仏教で、悪業の報いで地獄に落ちた人を焼く火」

ということは、広島市民が、『悪業の報いで地獄に落ちた人』で、当然の報いで焼かれたということに読めます。


これを意図的に使ってるわけですよ。
これは、限りなく悪質だと思います。


まあ、アベッチは、バカなので漢字知らないだけだと思う(麻生太郎も)

ということは、これは、スピーチライターが意図的に書いてますよね。。



以下スピーチ全文掲載
官邸HPより


広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 69年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。

 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
 私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
 本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
 今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

平成二十六年八月六日
内閣総理大臣・安倍晋三

以上引用
kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html


確かに業火って書いてありますね。

で、この原稿誰が書いたのか??


こいつか。


谷口 智彦(たにぐち ともひこ、1957年 - )は、日本の雑誌記者、ジャーナリスト。内閣官房内閣審議官、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授、明治大学国際日本学部客員教授。
株式会社日経BP編集委員室主任編集委員、外務省外務副報道官などを歴任した。

来歴
生い立ち
1957年に生まれた[1][2]。1976年に岡山県立岡山朝日高等学校を卒業した[3]。高等学校卒業後に上京し、東京大学に進学した[2]。東京大学では法学部に在籍し、1981年に卒業した[2]。大学卒業後は日本朝鮮研究所にて研究員に就任し、1984年まで務めた。同年、東京精密の従業員となり、翌年まで勤務した。

ジャーナリストとして
1985年より2005年にかけて日経BPにて勤務した。『日経ビジネス』の記者を経て、欧州特派員としてイギリスのロンドンに渡った。その後は主任編集委員などを歴任した[1][2]。また、そのかたわら、プリンストン大学のフルブライト客員研究員、ロンドン外国プレス協会の会長、上海国際問題研究所の客座研究員、ブルッキングス研究所の招聘給費研究員などを兼任した[1]。2005年、日本放送協会出身の高島肇久が外務省外務報道官を退任することになり、その後任を含めた人事構想の中で名前が挙がるようになる[4]。第2次小泉改造内閣の外務大臣であった町村信孝は、高島の後任にも民間出身者を充てるべきとの意向を示していた[4]。それにともない、谷口に白羽の矢が立ち、外務省幹部より打診を受けた[4]。これを受け、谷口は日経BPを退職し、同年8月より外務省に転じた[4]。

日経BP退職後
外務省では、外交官出身の鹿取克章及び坂場三男が外務報道官、谷口が外務副報道官としてコンビを組み、広報関連の業務を取り仕切った。谷口は主として日本国外の報道機関を担当した[1][2]。また、大臣官房にて、広報文化交流部で岡田眞樹部長、山本忠通部長の下、ナンバーツーの参事官(報道・広報担当)も務めた[2]。2008年に外務副報道官と参事官(報道・広報担当)を退任する[1][2]。そののちは、外務省の参与に就任した。そのほか、東海旅客鉄道の常勤顧問、ウェッジの顧問、といった役職も兼任した。いくつかの教育機関で教鞭を執っており、慶應義塾大学の大学院においては、システムデザイン・マネジメント研究科の特別招聘教授に就任した[2][5]。そのほか、早稲田大学の政治経済学術院にて非常勤の講師を務め、大学院の政治学研究科の講義を担当した[6]。また、明治大学では国際日本学部の客員教授に就任した[2]。双日総合研究所では防衛・安全保障上席客員研究員に就任した[2]。
第2次安倍内閣では、2013年2月より内閣官房にて内閣審議官に就任し、主として広報を担当した[7]。内閣総理大臣である安倍晋三のスピーチライター的な存在として活動する。同年1月の時点で、第183回国会における安倍の施政方針演説を既に手掛けており、同年2月以降も国際戦略研究所での安倍の英語の演説などを手掛けた[8]。同年9月の国際オリンピック委員会第125次総会においては、安倍が東京オリンピック招致のためのプレゼンテーションを行ったが、この演説も谷口が手掛けたものである[9]。

略歴
1957年 - 誕生。
1976年 - 岡山県立岡山朝日高等学校卒業。
1981年 - 東京大学法学部第三類卒業。
1981年 - 日本朝鮮研究所(現現代コリア研究所)研究員。
1984年 - 東京精密入社。
1985年 - 日経BP入社。
1991年 - プリンストン大学ウッロドーウイルソン・スクール国際問題研究所フルブライト客員研究員。
1997年 - 日経BP『日経ビジネス』欧州特派員。
1999年 - ロンドン外国プレス協会会長。
2000年 - 日経BP『日経ビジネス』主任編集委員。
2002年 - 上海国際問題研究所客座研究員。
2003年 - 日経BP編集委員室主任編集委員。
2004年 - ブルッキングス研究所CNAPS招聘給費研究員。
2005年 - 外務省大臣官房外務報道官組織参事官(外務副報道官)(第1次安倍内閣)。
2005年 - 兼外務省大臣官房広報文化交流部参事官(報道・広報担当)。
2008年 - 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授。
2008年 - 東海旅客鉄道常勤顧問。
2008年 - 外務省参与。
2008年 - ウェッジ顧問。
2009年 - 早稲田大学政治経済学術院講師。
2009年 - 明治大学国際日本学部客員教授。
2013年 - 内閣官房内閣審議官(内閣広報室)(第2次安倍内閣)
2014年4月 - 内閣官房参与(第2次安倍内閣)、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授[10]。

著作
単著
谷口智彦著『タテ読みヨコ読み世界時評』日本経済新聞社、2004年。ISBN 453219234X
谷口智彦著『通貨燃ゆ――円・元・ドル・ユーロの同時代史』日本経済新聞社、2005年。ISBN 4532351413
谷口智彦著『上海新風――路地裏から見た経済成長』中央公論新社、2006年。ISBN 4120037657
谷口智彦著『通貨燃ゆ――円・元・ドル・ユーロの同時代史』日本経済新聞出版社、2010年。ISBN 9784532195434
谷口智彦著『日本の立ち位置がわかる国際情勢のレッスン――バズワードで世界を読む』PHP研究所、2010年。ISBN 9784569790107
谷口智彦著『金が通貨になる』幻冬舎、2012年。ISBN 9784344982512
谷口智彦著『明日を拓く現代史』ウェッジ、2013年。ISBN 9784863101081
共著[編集]
中尾茂夫監修『日本経済再生の条件』筑摩書房、2003年。ISBN 4480863443

編纂
多田幸雄・谷口智彦・中林美恵子共編『オバマのアメリカ・どうする日本――日本のヒューマンパワーで突破せよ!』三和書籍、2009年。ISBN 9784862510556

翻訳
ケント・E・カルダー著、谷口智彦訳『戦略的資本主義――日本型経済システムの本質』日本経済新聞社、1994年。ISBN 4532143160
谷口智彦編訳『同盟が消える日――米国発衝撃報告』ウェッジ、2010年。ISBN 978463100688

脚注
[ヘルプ]
^ a b c d e 「著作一覧」『谷口 智彦 ― たにぐち ともひこ |日本経済新聞出版社』日本経済新聞出版社。
^ a b c d e f g h i j 「谷口智彦(たにぐち・ともひこ)」『谷口智彦 | 人名事典 | お楽しみ | PHP研究所』PHP研究所、2010年。
^ 「さまざまな講演会」『■岡山県立岡山朝日高等学校ホームページ(岡山朝日高校Web)』岡山県立岡山朝日高等学校、2013年9月20日。
^ a b c d 「谷口智彦外務副報道官――日本の発信力とブランディング」『外務省:インターン実習生による外務省員インタビュー「この人に聞きたい」(1)日本の発信力とブランディング(谷口智彦外務副報道官)』外務省、2006年9月。
^ 「谷口智彦(たにぐちともひこ)」『SDM - 谷口 智彦教授 - 慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科』慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科。
^ 「谷口智彦」『谷口 智彦 | Journalism School』早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース。
^ 「内閣審議官に谷口元外務副報道官」『内閣審議官に谷口元外務副報道官 :日本経済新聞』日本経済新聞社、2013年2月1日。
^ 歳川隆雄「東京五輪招致成否のカギを握る国際人脈の2人」『【永田町・霞が関インサイド】東京五輪 招致成否のカギを握る国際人脈の2人 - 政治・社会 - ZAKZAK』産経デジタル、2013年9月3日。
^ 「海外メディア絶賛の『安倍スピーチ』陰で支える人物」『アエラ』朝日新聞出版、2013年9月23日。
^ [1]首相官邸

wikipedia


日本朝鮮研究所(現現代コリア研究所)研究員
プリンストン大学のフルブライト客員研究員、ロンドン外国プレス協会の会長、上海国際問題研究所の客座研究員、ブルッキングス研究所の招聘給費研究員


なるほどね。


佐藤 勝巳(さとう かつみ、1929年3月5日 - 2013年12月2日)は、日本の評論家、雑誌編集者、人権活動家。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」前会長。現代コリア研究所所長。

略歴
新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学を卒業後、新潟県立巻高等学校を中退し、川崎汽船に勤務するが、1950年、労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職。在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度(1962年11月10日、1964年9月23日)にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与される。在日韓国・朝鮮人差別反対運動にも大きくかかわった。
その後、北朝鮮の実態に失望し、日本共産党を脱党、反北朝鮮的立場へと転向した。北朝鮮に拉致された日本人の救出運動に乗り出したが、一方で自らが北朝鮮へ送り出した人々の支援救出運動にはかかわらなかった。存在しないとされていた拉致事件と被害者が北朝鮮から帰って来た事に対して「救う会」会長としてどう思っているのか?とのTV局の質問に対して、暫く押し黙った後に「拉致事件を報道してくれたのはニシ(2紙誌)だけでした」とだけ答えた。
1957年、新潟市で民主商工会活動に参加。
1958年、在日朝鮮人の祖国帰国実現運動に1984年まで参加。
1960年、日朝協会新潟支部専従事務局長。帰国運動と日韓会談反対運動に参加。
1961年、『朝鮮研究』創刊(11月)。
1964年、上京、日本朝鮮研究所所員。翌年から事務局長。
1968年、金嬉老事件裁判で特別弁護人を務める。
1969年、出入国管理令改正反対運動に参加。
1970年、日立就職差別事件裁判にて原告補佐人。以後、個人に対する多くの反民族差別運動に関与。この後、反北朝鮮的立場へ転向、「研究所」も編集方針を転換した。
1984年、現代コリア研究所(日本朝鮮研究所から改称)所長。『朝鮮研究』も『現代コリア』に改題。
1996年、北朝鮮情勢について新潟市で講演。そこで横田めぐみ拉致事案を地元関係者から聞き取り、水面下で情報を提供し始める[1][2]。
1998年、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」会長。
2007年、『現代コリア』廃刊(11月)。インターネット・ウェブ上に活動を移す。
2008年、「救う会」会長辞任(名誉会長就任要請を拒否)。
2013年12月2日、肺炎のため逝去[3]。84歳没。

wikipedia

北朝鮮への帰国事業。これ仕切ってたのが、小泉純一郎の父親の小泉純也(60年安保の防衛庁長官 首相は岸信介)


東京大空襲(東京ホロコースト)を指揮したカーティス・ルメイに勲章を捧げた男である。



このスピーチは、広島原爆が「業火」つまり「仏教で、悪業の報いで地獄に落ちた人を焼く火」だったと、不正選挙偽首相が、広島市民の前で宣言したということである。

「業火」
1 悪業が身を滅ぼすことを火にたとえていう語。
2 地獄の罪人を苦しめる猛火。激しい炎や大火のたとえにもいう。「―の責め苦」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/71924/m0u/



まったく、どこまで『反日』でカルトなんだか。。