311癌利権 デング熱 ロシュ WHO ベンゾジアゼピン離脱症状 SSRI リリカ2014/09/10 17:05

デング熱騒ぎは、 9月23日代々木公園『さようなら原発 フクシマを忘れない!!』集会を阻止するため?? ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/08/30/7424927


デング熱って、英語で書くと『Dengue Fever』だそうです。まさに、『デング・フィーバー』ですね。その背景 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/09/04/7428378

のつづきです。


311が癌利権であることは、前からお伝えしている通りですが、以下は、2013年の世界の抗がん剤売上トップ10です


以下引用


2013年の世界の抗がん剤売上トップ10です。ロシュが1~3位を独占しています。しかも、売上高が群を抜いています。4位のグリベックと5位以下では売上高に大きな開きがあることが分かります(5位の売上高は誤植か順位付けミスなのでしょう)。

1. Rituxan(Roche, Pharmstandard):
non-Hodgkin's lymphoma, CLL --- $7.78 billion

2. Avastin(Roche):
Colorectal, lung, ovarian and brain cancer --- $6.75 billion

3. Herceptin(Roche):
Breast, esophagus and stomach cancer --- $6.56 billion

4. Gleevec(Novartis):
Leukemia, GI cancer --- $4.69 billion

5. Revlimid(Celgene, Pharmstandard):
Multiple myeloma, mantle cell lymphoma --- $1.09 billion

6. Alimta(Eli Lilly):
Lung cancer --- $2.7 billion

7. Velcade(Johnson & Johnson, Takeda, Pharmstandard):
Multiple myeloma --- $2.6 billion

8. Erbitux(Merck KGaA, Bristol-Myers Squibb):
Colon and head and neckcancer --- $1.87 billion

9. Lupron, Eligard(AbbVie and Takeda; Sanofi and Astellas Pharma):
Prostate and ovarian cancer --- $1.73 billion

10. Zytiga(Johnson & Johnson):
Prostate cancer --- $1.7 billion

効能効果は日本と海外で異なることがあり得るため、原文(英語)のままとしました。

以上引用
http://kusurinahito.futsuo-holiday.com/?eid=359




デング熱で出て来たロシュ社が1〜3位を独占してますよね。



中外製薬株式会社(ちゅうがいせいやく)は、日本の大手医薬品メーカーである。

概要
2002年、スイスの大手医薬品メーカー、エフ・ホフマン・ラ・ロシュ(Fritz Hoffmann-La Roche)との「戦略的アライアンス」に基づきRocheグループ傘下。Rocheグループの創薬品と、旧来の中外製薬のバイオ医薬による開発力、のシナジー効果による開発パイプラインを有す。
なお、実質上ロシュによる買収であるが、永山治CEO・COOは「買収ではなく戦略的提携」と発言。


所在地
本社 - 東京都中央区日本橋室町二丁目1番1号(日本橋三井タワー、〒103-8324)
(中外製薬 旧:本社 - 東京都中央区京橋二丁目1番9号 京橋MTビル)
(旧:日本ロシュ 本社 - 東京都港区芝二丁目6番1号 Rocheビル)
登記上本店(浮間工場・浮間研究所) - 東京都北区浮間五丁目5番1号(〒115-8543)
富士御殿場研究所 - 静岡県御殿場市1-135
鎌倉研究所、鎌倉工場 - 神奈川県鎌倉市梶原200
藤枝工場 - 静岡県藤枝市高柳2500
宇都宮工場 - 栃木県宇都宮市清原工業団地16-3



沿革
☆印は中外製薬関係、★印は旧日本ロシュ並びにRoche関係。
なお、親会社のFritz Hoffmann-La Rocheについては「Roche」とする。
1924年★ - 東京市京橋区、Roche日本法人「NSY合名会社」創立。日本国内の製造承認を取得した、最初の外資系医薬品企業であった。
1925年3月☆ - 上野十蔵によって中外新薬商會として創立。
1932年★ - NSY合名会社が株式会社に組織変更し、日本ロシュ株式会社に商号変更。解熱鎮痛剤「サリドン」を製造発売。
1943年3月☆ - 中外新薬商會が株式会社に組織変更し、中外製薬株式会社に商号変更。当初はブドウ糖などを生産。
1944年9月☆ - 中外製薬は株式会社松永製薬所を吸収合併し、広島県に松永工場を開設(2003年12月に閉鎖)。
1946年9月☆ - 中外製薬鏡石工場建設。
1961年★ - 日本ロシュがレチノイド(合成ビタミンA)特許公開。
1967年★ - 日本ロシュが鎌倉工場新設。(なお、中外製薬となった現在でも当社のロシュ製品を製造)
1971年★ - 日本ロシュが試薬事業立ち上げ。
1972年☆ - 中外製薬の創業者娘婿、日本銀行出身の上野公夫(1919年3月26日 - 2007年11月17日)、が中外製薬社長に就任。
1979年☆ - 中外製薬のロゴマークと社名タイプを現在のものへ変更(ただし、"中"の字を、ベンゼン環とアンプル瓶で表現したマークは旧来より使用)
1980年★ - 日本ロシュ、ステロイド外用薬「テクスメテン(ジフルコルトロン)」発売。 
1989年☆ - 中外製薬がDNAを駆使した診断薬メーカーで当時ベンチャー企業のジェン・プローブ社(en:Gen-Probe Incorporated)買収。中外製薬常務(当時)永山治、会長就任。
1990年☆ - 中外製薬、主に人工透析に伴う腎性貧血の治療剤(エリスロポエチン製剤)「エポジン」を、ジェネティクス・インスティチュート社と共同開発し発売。しかし、アムジェン社開発、麒麟麦酒・三共発売の、同一製剤「エスポー」と特許訴訟となりエポジンは北米地域非売で和解。
現在まで売上高トップの主力製品で、一時期エポジンが連結売上高の3割程度となる。
1991年☆ - 好中球減少症などの治療剤「ノイトロジン」発売。
1992年☆ - 永山治、代表取締役社長就任(2006年現在 CEO・COO) - 上野公夫前社長、取締役会長就任。
1994年★ -
Roche、当時経営不振に陥っていた研究系医薬品メーカー「シンテックス社」(アメリカ)買収。日本では田辺製薬(現:田辺三菱製薬)と合弁で「田辺シンテックス社」が有ったが、1995年に田辺製薬に吸収・解散させ、ライセンス関係などは日本ロシュを通さずRoche社と提携。
東京都港区芝公園に日本ロシュ本社ビル(ロシュビル)竣工。千代田区丸の内の富士ビルより本社機能移転。
1995年★ - 日本ロシュ、急性前骨髄球性白血病治療剤「ベサノイド」発売。
1996年☆ - 中外製薬、メルクと合弁会社「中外MSD」を設立し、一般用医薬品などの販売事業を1997年度より移管。
1996年★ - 日本ロシュ、国内認可3番目の抗ウィルス化学療法剤(HIV逆転写酵素阻害剤)「ハイビッド」発売。
1997年★ - HIVプロテアーゼ阻害剤「インビラーゼ」発売。(2000年、成分改良し「フォートベイス」発売)
1998年★ - Roche、試薬メーカーベーリンガー・マンハイム社(ドイツ)買収。日本では日本ロシュ試薬事業と日本ベーリンガー・マンハイム社を合併し、ロシュ・ダイアグノスティックス株式会社を設立・分社化。
1999年☆ - メルクが中外MSDの合弁を解消し、メルク保有分の全株を取得した上で翌年中外製薬に吸収。中外製薬ヘルスケアカンパニー部を設立し、一般用医薬品などの自社による販売を再度手がける。
1999年★ - 免疫抑制剤 「セルセプト」発売。佐藤製薬に「テクスメテン」を承継。
2000年★ - スミスクライン・ビーチャム(イギリス)とグラクソ・ウエルカム(イギリス)が合併しグラクソ・スミスクラインとなる。両社製品の重複整理に伴い、スミスクライン・ビーチャムの(抗がん剤治療にともなう)制吐剤「カイトリル」を全世界的にRocheへ譲渡、日本でも日本ロシュに販売が移管。(後に製造も移管)
2001年1月★ - ソニー出身の小川渉、日本ロシュ社長就任。ロシュ・ダイアグノスティックス社長、兼任。(現職)
2001年★ - 抗インフルエンザウイルス剤 「タミフル」カプセル発売。(2002年、ドライシロップ剤発売)
2001年★ - 分子標的薬の悪性リンパ腫治療薬「リツキサン」、乳ガン治療薬「ハーセプチン」発売。(リツキサン製造販売権は全薬工業保有)
2002年☆ - Rocheとの戦略的アライアンスを締結。これに基づき、TOBなどによってロシュが中外製薬株式の過半数以上を取得し、Rocheグループ傘下となる。なお、中外子会社のジェン・プローブ社とRoche子会社のen:Roche Diagnosticsの両社がRocheグループとなると反トラスト法抵触の懸念があるため、中外製薬は大手企業に成長していたジェン・プローフ社の株式をスピンオフ、既存の中外製薬株主へ同社1株当たりジェン・プローブ0.086株を割り当てる有償減資を実施した。同年10月に中外製薬と日本ロシュが合併し、新生 中外製薬誕生。同時にコーポレートマークのバックカラーをブラックとグリーンからブルーとホワイトに変更。コーポレートマークの下に「Roche ロシュ グループ」が付く。
2003年2月☆ - 高リン血症治療剤「レナジェル」発売。(麒麟麦酒と共同開発)
2003年3月☆ - グロンサン販促活動で、Webドラマ「屋根のある空」配信、連動型テレビCM放映。
(CM・Webドラマ挿入歌:FLOW、「僕に捧げるバラード」出演者:筒井道隆など)
2003年5月★ - 同年1月、「セルセプト」、効能が追加承認。市販直後調査が承認条件だったが未実施が後刻判明。
2003年6月★ - 抗がん剤(5-FU系のプロドラッグ)「ゼローダ」発売。
2003年12月★ - 日本初、ペグインターフェロン-α-2a製剤「ペガシス」発売。
2004年4月☆ - イーライリリー・アンド・カンパニー社と1999年締結した提携に基づき、日本初の選択的エストロゲン受容体調整薬(骨粗鬆症治療薬)「エビスタ」、日本イーライ・リリー社と共同発売(なお、「エビスタ錠60mg」は2013年1月より日本イーライ・リリーの直販体制となる)。
2004年12月☆ - 一般用医薬品事業をLIONへ譲渡。子会社の永光化成の殺虫剤製造事業もライオンの子会社であるライオンパッケージングへ譲渡[1]。
ただし、三笠製薬が製造する外用鎮痛消炎薬「ゼノール」の販売権は大鵬薬品工業へ譲渡。これは、譲渡先のライオンが「ハリックス」として同ジャンルの製品が発売されている為である。
また、旧・日本ロシュ時代から製造し、旧・藤沢薬品工業が販売していた解熱鎮痛薬「サリドン」については、販売元であったゼファーマへ移管。現在は第一三共ヘルスケアが製造販売を行っている。2003年までは医療用「サリドン」(フェナセチン系製剤)があった。
2005年6月☆ - 世界初のキャッスルマン病治療剤「アクテムラ」発売。(大阪大学との共同開発)、鏡石工場及びグループ会社の東北中外製薬をNIPROへ譲渡(東北中外製薬は翌月に東北ニプロ製薬へ改称)。
2006年5月☆ - 生産機能を分社化し、子会社の中外製薬工業(同年4月に中外テクノビジネスから商号変更)へ譲渡。
2007年12月☆ - 日本国内におけるサノフィ・アベンティス(現・サノフィ)製品の販売提携を終了。2008年からは同社直販体制となる。
2009年7月☆ - 事業譲渡等で休業状態となっていた子会社の永光化成を吸収合併。
2011年12月☆ - ロシュグループ内による当社株式保有関係の簡素化を目的に、親会社間における株式移管を実施し、当社の親会社がロシュ・ファームホールディング・ビー・ヴィからロシュ・ホールディング・リミテッドに異動となった。

wikipedia



鎌倉とか江ノ島周辺のサーファーが不自然に死んでいるという話を聞いたのだが、サーファーってお金無いからバイトで治験とかやる人多いですよね。

藤沢には武田、鎌倉には中外製薬(ロシュ)の研究所
なるほど



富士御殿場研究所 - 静岡県御殿場市1-135っていうのも気になりますね。

秋葉原連続殺傷の加藤智博とか思い出しますね。


こんなのも

富士山麓で加速する医療のオープンイノベーション
「ファルマバレープロジェクト」が新拠点を設立、テルモなどが入居
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20140901/373545/?ST=ndh&n_cid=nbptec_tectw


富士フイルムと生み出した類似症例検索システム

 この他、静岡がんセンターと富士フイルムが共同開発した類似症例検索システム「Synapse Case Match」について、従来の肺腫瘍(肺がん)に加えて肝腫瘍(肝臓がん)が新たに適用症例となったことを紹介した
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20140901/373545/?ST=ndh&P=2

 これらの共同開発案件に続く目玉プロジェクトが、2014年初頭から静岡がんセンターを中心に始動した。「理想のがん医療」と「未病医学の実践」を目指す臨床研究「プロジェクトHOPE(High-tech Omics-based Patient Evaluation)」がそれだ。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20140901/373545/?ST=ndh&P=3

やってますね、静岡



で、ロシュなんですが、調べていくと、WHO(世界保健機関)
事務局長の日本人が居たという。
この人が、日本ロシュの研究センターにおけるディレクターだったそうです。


中嶋宏 - 世界保健機関事務局長


中嶋 宏(なかじま ひろし、1928年5月16日 - 2013年1月26日)は、日本の医師、神経精神医学者、医学博士であり、第4代世界保健機関(WHO)事務局長を務めたことで知られる。WHO名誉事務局長。東京医科大学難病治療研究所所長、国際医療福祉大学国際医療福祉総合研究所所長なども歴任。

人物
千葉市に生まれ、1955年(昭和30年)に東京医科大学を卒業[1][2]。その後、パリ大学において、薬物がその脳や神経への効果を通していかにして人間の行動に影響するかを研究する、神経精神薬理を専攻した[3]。
さらに1958年(昭和33年)から1967年(昭和42年)までフランス保険医療研究局(INSERM)に科学者として勤務し、同分野での基礎研究と臨床研究を継続した[1]。1967年(昭和42年)、東京に戻り、日本ロシュの研究センターにおけるディレクターに就任した[1]。
1974年(昭和49年)、科学者として世界保健機関(WHO)に入職[1]。薬剤評価などに携わり、1976年(昭和51年)には薬剤政策管理部門(Drug policies and management unit)のチーフに昇進した[1]。さらに、1978年(昭和53年)からは西部太平洋地域のディレクター(Regional director)を2期10年に渡って務めた[1]。
1988年(昭和63年)、日本人初となる国際連合機関のトップリーダーとして第4代WHO事務局長(Director-General)に選出され[4]、1993年(平成5年)の再選を経て、2期10年に渡って同職を務めた後に引退した[1]。在任中には、特にAIDS対策に関する活動が評価された。
2000年(平成12年)、勲一等瑞宝章を受章。中嶋は既婚であり、二人の子がある[1]。
2013年(平成25年)1月26日、私邸を構えていたポワチエ( フランス)の病院にて死去[4]。84歳没。叙従三位

wikipedia

中嶋宏が、WHO理事長を勤めていたのは、1988年 - 1998年

これは、宮﨑勤事件が始まって、酒鬼薔薇事件で神戸医療特区までの流れと一致しますよね。


酒鬼薔薇事件とは何だったのか??117阪神淡路大震災と神戸医療特区と癌治療
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/07/30/7402149


SSRIやSNRIといった抗鬱剤が米国で認可されてから、日本で認可されるまでの期間とも一致。



ベンゾジアゼピン系薬剤というものがあるわけです。
これは、広く精神安定剤で使われているものです。

この薬を作ったのは、ロシュ社


エフ・ホフマン・ラ・ロシュ(F. Hoffmann-La Roche, Ltd.)は、スイスのバーゼルに本拠を置く世界的な製薬・ヘルスケア企業である。

概要
持株会社ロシュ・ホールディング(Roche Holding AG)がグループ企業を統括し、各国の現地法人への出資はオランダのマイドレヒトに置いた中間持株会社ロシュ・ファームホールディング・ビー・ヴィ(Roche Pharmholding B.V.)を通じて行っている。スイス国外では、ドイツのマンハイムとペンツブルク、イギリスのウェリンガーデンとバーゲス・ヒル、アメリカ合衆国のニュージャージー州ナトリーとブランチバーグ、カリフォルニア州パロアルトとプレザントン、インディアナ州インディアナポリス、サウスカロライナ州フローレンス、中華人民共和国の上海などに拠点を置いている。


日本には1924年に現地法人「エヌ・エス・ワイ合名会社」を設立して進出(のちの日本ロシュ株式会社)。これは日本で製造許可を取得した初の外資系医薬品企業であった[7]。2001年12月、中外製薬との間で日本国内の医薬品事業の統合を柱とした包括的業務提携を結び、翌2002年にロシュ・ファームホールディングを通じて株式公開買付けを行って[8]中外を買収、同年10月には医薬品事業の日本法人であった日本ロシュを中外に合併した。これにより日本国内の医薬品事業は連結子会社の中外製薬を通じて行うこととなった。
ロシュグループは医薬品事業のほかに1968年より試薬事業にも進出しており[9]、診断薬・医療機器事業会社ロシュ・ダイアグノスティックスでは別個の日本法人としてロシュ・ダイアグノスティックス株式会社(1998年8月日本ロシュからの分社化により設立)を置いている。1997年には試薬大手の独ベーリンガー・マンハイム社を買収・統合した。

歴史
エフ・ホフマン・ラ・ロシュ社はフリッツ・ホフマン・ラ・ロシュによって1896年に創業された。その後ロシュ社はビタミン剤の生産で基盤を築いた。
1957年にはベンゾジアゼピン系抗不安薬クロルジアゼポキシド(商品名「リプリウム」、日本における商品名「バランス」[10])を、続いて抗不安薬の世界標準となるジアゼパム(商品名「ヴァリウム」、日本における商品名「セルシン」)を開発・発売し、世界の抗不安薬市場を席巻し多くの利益を得た。
1990年代以降は抗癌剤に注力を始めている。またインフルエンザ治療薬オセルタミビルの特許を持つ米ギリアド・サイエンシズ社より1996年から2016年までの製造専売特許を取得し[11]、「タミフル」の商品名で2000年代の主力商品となっている。

wikipedia


ギリアド・サイエンシズ(Gilead Sciences)は、世界第2位の大手バイオ製薬会社であり、治療薬の発見、開発と商品化を行っている。1987年の創業以来、HIV、B型肝炎、インフルエンザといった感染症治療のための抗ウイルス剤開発を、事業の中心としている。同社が開発した抗インフルエンザ薬「タミフル」の世界独占特許権も保有しており、その販売権はスイスロシュ社に売却された。また、米食品医薬品局(FDA)は、同社開発の抗レトロウイルス薬「ツルバダ(Truvada)」を、エイズウイルス(HIV)への感染を予防する薬として世界で初めて承認した。本拠地は、アメリカ合衆国、カリフォルニア州のフォスターシティ。1996年には、抗インフルエンザ薬、オセルタミビルを開発、スイスの製薬会社、ロシュ社にライセンス供与している(同社から、商品名「タミフル」として発売されている)。アメリカ合衆国の政治家、ドナルド・ラムズフェルドが1997年1月から2001年まで会長を務めていたことでも知られる。

wikipedia


エフ・ホフマン・ラ・ロシュ社はフリッツ・ホフマン・ラ・ロシュによって1896年に創業された。その後ロシュ社はビタミン剤の生産で基盤を築いた。
1957年にはベンゾジアゼピン系抗不安薬クロルジアゼポキシド(商品名「リプリウム」、日本における商品名「バランス」[10])を、続いて抗不安薬の世界標準となるジアゼパム(商品名「ヴァリウム」、日本における商品名「セルシン」)を開発・発売し、世界の抗不安薬市場を席巻し多くの利益を得た。


wikipedia




クロルジアゼポキシド (Chlordiazepoxide) 、化学名7-クロロ-2-メチルアミノ-5-フェニル-3H-1,4-ベンゾジアゼピン-4-オキシド(7-Chloro-2-methylamino-5-phenyl-3H-1,4-benzodiazepin-4-oxide)、はベンゾジアゼピン系の抗不安薬で、1950年代半ばにポーランド系ユダヤ人化学者のレオ・スターンバックによって見出され、1957年にはスイスのロシュ社より発売された。日本では1961年3月に武田薬品工業からはコントール[1]、山之内製薬(現:アステラス製薬)からはバランスが販売[2]されており、これらは全て先発医薬品扱いである。

概要
適応は次の通りである。
神経症における不安・緊張・抑うつ
うつ病における不安・緊張
心身症(胃・十二指腸潰瘍、高血圧症)における身体症候並びに不安・緊張・抑うつ
通常成人には20~60mg、小児には10~20mgを分割経口投与する。用法用量は年齢、症状により適宜増減する。
クロルジアゼポキシドは一般的なベンゾジアゼピン系薬剤と同様に、鎮静、抗不安、抗痙攣および筋弛緩作用を有する。また、自律神経安定化作用、抗ストレス作用がある。健常成人100mg経口投与時では、凡そ4時間後に血中濃度が最高に達した後、徐々に下降する。ベンゾジアゼピン系抗不安薬の中では長時間作用型に分類される。作用機序は、他の多くのベンゾジアゼピン系薬剤と同様、GABAA受容体に作用することによる。
ベンゾジアゼピン系の薬剤に過敏症の既往歴のある患者、急性狭隅角緑内障、重症筋無力症の患者には禁忌である。
アルコール、中枢神経抑制剤、モノアミン酸化酵素阻害薬、塩酸マプロチリン、ダントロレンナトリウムとは併用に注意が必要である。


副作用
よく見られる副作用は眠気、ふらつき、眩暈、頭痛、倦怠感等である。まれに黄疸が出たり、血液、循環器、消化器(吐き気)、皮膚等の異常が見られる。重大な副作用は、依存性、刺激興奮、錯乱、呼吸抑制等がある。アルコールとの併用(飲酒)は中枢神経抑制作用が増強される、副作用が増幅される等の悪影響があるため、併用は避けるべきである。  


ジアゼパム (Diazepam) は、主に抗不安薬、抗けいれん薬、鎮静薬として用いられるベンゾジアゼピン系の化合物である[1][2]。筋弛緩作用もある[3]。アルコールの離脱や、ベンゾジアゼピン離脱症候群の管理にも用いられる。ジアゼパムは、広く用いられる標準的なベンゾジアゼピン系の一つで、世界保健機関 (WHO) による必須医薬品の一覧に加えられている[4]。また広く乱用される薬物であり、1971年の国際条約である向精神薬に関する条約のスケジュールIVに指定され、処方は医師に限られる。
日本での代替医薬品でない商品には、武田薬品工業のセルシンやアステラス製薬[5]のホリゾンがあり他に各種の後発医薬品が利用可能である[6]。アメリカ合衆国での商品名としてValium、Seduxenなどがある。
化学的には 1,4-ベンゾジアゼピン誘導体で、1950年代にレオ・スターンバックによって合成された。1960年代に広く用いられることとなった。


ジアゼパムによる有害事象としては、前向性健忘(特に高用量で)と鎮静、同時に、激昂やてんかん患者における発作の悪化といった奇異反応が挙げられる。またベンゾジアゼピン系はうつ病の原因となったり悪化させることがある。ジアゼパムも含め、ベンゾジアゼピンの長期的影響として耐性の形成、ベンゾジアゼピン依存症、減薬時のベンゾジアゼピン離脱症状がある。ベンゾジアゼピンの中止後の認知的な損失症状は、少なくとも6か月間持続する可能性があり、いくつかの損失症状の回復には、6か月以上必要な可能性があることが示されている[10][11]。ジアゼパムには身体的依存の可能性があり、長期間にわたって使用すれば身体的依存による重篤な問題の原因となる。処方の慣行を改善するために各国政府に対して、緊急な行動が推奨されている[10][11]。

wikipedia



1957年にはスイスのロシュ社より発売された。日本では1961年3月に武田薬品工業からはコントール[1]、山之内製薬(現:アステラス製薬)からはバランスが販売[2]されており、これらは全て先発医薬品扱いである。


つまりね、日米安保条約結ぶ時なんですよね。
これが出てきたのは。


で、日米安保条約結んだ時の厚生大臣は、毎度おなじみの中山マサ


孫が、毎度おなじみの


中山 泰秀(なかやま やすひで、1970年10月14日 - )は日本の政治家。前衆議院議員。自民党内では清和政策研究会に所属。父親は中山正暉。伯父は中山太郎元外務大臣。祖母は女性初の国務大臣である中山マサ元厚生大臣。(注 日米安保条約締結時の厚生大臣)


で、この人は
所属団体・議員連盟
日本の前途と歴史教育を考える議員の会(「慰安婦問題」小委員長)
日本会議国会議員懇談会
神道政治連盟国会議員懇談会
日韓議員連盟
外国人材交流推進議員連盟
再チャレンジ支援議員連盟
日本・イスラエル議員連盟(事務局長)
国連・国際機関の本部機能等を日本に誘致する議員連盟(事務局長)
日本のあるべき救急医療体制を考える議員の会(事務局長)
自民党モータースポーツ推進議員連盟
携帯電話問題懇話会(会長)

wikipedia

2009年(平成21年) 9月、株式会社パソナグループの代表補佐に就任[1]。

2014年9月3日、第2次安倍内閣_(改造)で外務副大臣に就任。


• 日本・イスラエル議員連盟 事務局長

ですか、そうですか。

で、この人は、橋下のお友達


大阪ミナミの無差別殺人とサイバーテロの裏側
http://ccplus.exblog.jp/18171757/


大阪ミナミの無差別殺人は、南野信吾さんを狙った殺人事件か?
http://ccplus.exblog.jp/18164910/




結局、かなりの部分、これなんですよね、世界中で起きている不可思議な暴力事件の正体は。



ベンゾジアゼピン離脱症候群(ベンゾジアゼピンりだつしょうこうぐん、Benzodiazepine withdrawal syndrome)は、ベンゾジアゼピン系薬の服用により身体的依存が形成されてから、用量を減量するか、断薬することによって生じる一連の離脱症状である。これは頻繁に深刻な睡眠障害、易刺激性、不安と緊張の増加、パニック発作、手の震え、発汗、集中困難、混乱と認識困難、記憶の問題、吐き気やむかつき、体重減少、動悸、頭痛、筋肉の痛みと凝り、多くの知覚変化、幻覚、てんかん発作、 精神病[1]、インフルエンザ様症状[2]、また自殺[3]といった特徴がある。 (#兆候と症状節の完全な一覧を参照)さらに、これらの症状は単純に直線的に着々と減少するのではなく、重症度が日々あるいは週ごとに変化し、一進一退することで有名である[4][5]。


兆候と症状
ベンゾジアゼピン、バルビツール酸、アルコールなどの鎮静催眠剤の離脱の影響は、深刻な医学的合併症となる。アヘンなどのオピオイドの離脱を引き合いにしてもその危険性を上まわる[57]。たいていの患者は医師からの助言や中止のための支援はわずかである[58]。一部の離脱症状は、薬が処方されることとなった症状と同じであり[25]、急性であったり長期化したりする。症状の発症は、長い半減期をもつベンゾジアゼピンでは3週間まで遅れる場合があるが、短時間型のものでは一般的に24~48時間で現れる[59]。高用量あるいは低用量の中止による症状には、基本的な違いはないが、高用量のほうが重篤化しやすい傾向がある[60]。
日中における再発と、服用間離脱とも呼ばれる反跳性の離脱症状は、依存が始まれば生じることがある。再発は、薬が最初に処方された症状の再来である。対照的に、反跳症状は、ベンゾジアゼピンが最初に服用された症状の以前より激しい再来である。一方で、離脱症状は服用量が減少した期間中に初めて出現し、不眠症、不安、苦悩、体重減少、パニック、抑うつ、現実感喪失、偏執病などの特徴があり、トリアゾラムやロラゼパムのような短時間型のベンゾジアゼピンの中止によく関連している。トリアゾラムやロラゼパムでは7日の使用後でも離脱症状を発症させた証拠がある。[26][61]日中の症状は、夜間にベンゾジアゼピン[62][63]あるいはゾピクロンのようなZ薬[64]を使用しだしてから数日から数週間後に生じる。離脱に関連した不眠症は、治療前よりも悪化して反跳する[65][66]。これはベンゾジアゼピンを断続的に使用した場合でもそうである[67]。
以下の症状が、徐々にあるいは急に減量した期間中に生じる


うづきと痛み[68]
動揺また落ち着かない[68]
アカシジア
不安、恐怖とパニック発作もありうる[1][68]
かすみ目(英語版)[68]
胸痛(英語版)[68]
離人症[69]
抑うつ(深刻となりえる)[70]、自殺念慮もありうる
現実感喪失(英語版)[71]
下痢
瞳孔拡大[26]
めまい[68]
複視
口渇[68]
不快(英語版)[72][73]
電撃の感覚[6][74]
血圧の上昇[75]
疲労と衰弱[68]
インフルエンザ様症状(英語版)[68]
胃腸の問題[76][76][77]
聴覚障害[68]
頭痛[1]
火照りや寒気[68]
嗅覚過敏(英語版)[78]
高血圧[79]
入眠時の幻覚[21]
心気症[68]
触覚に対する過敏[71]
音に対する過敏[68]
頻尿[68]
優柔不断[68]
不眠症[80]
集中力低下[1]
記憶と集中の障害[68]
食欲不振と体重減少[81]
金属味(味覚の問題)[78]
軽度から中等度の失語[78]
気分変動(英語版)[68]
筋けいれん、筋肉痛、筋攣縮[82]
吐き気と嘔吐[80]
悪夢[80]
しびれとうづき[68]
強迫性障害[83][84]
痺れ[71][78]
偏執病[78]
止まっているものが動くような知覚[71]
汗[1]
羞明(光で目が痛い)[78]
起立性低血圧(立ちくらみ)[80]
反跳性REM睡眠(英語版)[85]
むずむず脚症候群[28]
音がいつもより騒がしい[71]
凝り[68]
味覚と嗅覚の障害[68]
頻脈[86]
耳鳴り[87]
振戦(ふるえ)[88][89]
視覚障害


ベンゾジアゼピンの急な、あるいは急速すぎる中止は、さらに重篤で不快な離脱症状となる可能性がある

緊張病、死に至ることもある[90][91][92]
混乱(英語版)[93]
発作、死に至ることもある[94][95]
昏睡[48](まれに)
振戦せん妄[96][97][97]
妄想[98]
幻覚
熱中症[80]
殺人願望[99]
躁病[100][101]
悪性症候群様事象[102][103](まれに)
器質性脳症候群(英語版)[104]
心的外傷後ストレス障害[28]
精神病[105][106]
自殺念慮(英語版)[107]
自殺[3][60][108]
叫ぶ、投げる、壊す、他害する[68]
暴力[109]


wikipedia



ベンゾジアゼピン系薬の離脱症状というのは、本当に怖いです。
人間では無いようになってしまいます。


秋葉原連続殺傷事件の加藤智博は、ベンゾジアゼピン系薬の離脱症状とほぼ同じです。


様々な不可解な事件で、犯人の責任能力が、と言われますが、ほとんどの場合、病気ではなく、薬害ですね。
そして、多くは、ベンゾジアゼピン系薬の離脱症状とほぼ同じです。


つまり、この薬は、20世紀後半のヒロポンだったということです。(ヒロポン=大日本住友製薬)が、太平洋戦争を行う肝だったことに留意


そして、日米安保条約と、ベンゾジアゼピン系薬はセットだったということが、お分かりになると思います。



そして、冷戦後のヒロポンがSSRIやSNRI型抗鬱薬であり、さらに新しい薬物が現在広がり始めています。


それがリリカ=プレガバリン(ファイザー)です。

以下医療関係社向け雑誌の記事引用

浜六郎の臨床副作用ノート ~プレガバリン(リリカ):乱用と中毒~
medical-confidential.com/confidential/2012/08/post-432.html


リリカはGABA-ベンゾジアゼピン作用を有する
 欧州連合(EU)では、プレガバリンは、部分てんかんや神経因性疼痛、全般性不安障害に、ガバペンチンは部分てんかんと神経因性疼痛に対し、いずれも第二選択薬剤である。

以上引用

とありますが、日本では帯状疱疹や線維筋痛症の薬として認可され、整形外科などで、気軽に処方されていて、現在、爆発的に使用者が増えているようです。


以下、
浜六郎の臨床副作用ノート ~プレガバリン(リリカ):乱用と中毒~
medical-confidential.com/confidential/2012/08/post-432.html
より引用


離脱症状と中止の難しさ
 プレガバリン中止による離脱症状は、吐気や嘔吐、発汗、動揺、混乱、妄想、暴力、過覚醒、悲しみ、感情のもろさ、泣き続ける、鬱または「落ちていく」ような感覚などであった。アルツハイマー病患者では、これらの症状と既存の症状(攻撃性、病的多弁を伴う興奮、妄想、治療拒否)も悪化した。ガバペンチンでも中止後1週間以内に、発汗や蒼白、眼球突出、疼痛、興奮、短気、不安、動揺、混乱、失見当識、動悸、震え、発作など同様の離脱症状が出現した。入院や休職が必要になることも少なくなく、中止後、既存症状の悪化と強迫観念、うつ、不眠症も起きていた。

以上引用
medical-confidential.com/confidential/2012/08/post-432.html


2010年4月16日に認証を得て、6月22日に発売開始

これ、マグナBSP社が福島第一原発の安全管理に参加したあたりですよね。

最初は、帯状疱疹の治療薬として認可されたそうです。


そういえば、原発爆発してから帯状疱疹騒ぎありましたね。


最近、違法ドラッグで車暴走がやけに騒がれていますが、そういう時は、大概裏があるわけで、このリリカ処方で意識を失い、車で事故する方がとても多いようです。(厚生労働省からも注意勧告が出ています)

くれぐれも、処方は気をつけてくださいませ。


この薬はドラッグです。
末期がんの患者に投与するならともかく、整形外科で気軽に処方するような薬ではありません。