ハワイでまたまたオスプレイの墜落事故 事故率下げる「工作」も判明2015/05/19 17:53

ハワイでまたまたオスプレイの墜落事故だそうです。

オスプレイ着陸失敗 墜落の悲劇 再び懸念
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015051990070909.html


相変わらず、メディアでは、事故率が低いとかなんとか言ってますが、事故起き過ぎでしょう。


以下引用 中日新聞

オスプレイ米で着陸失敗 事故率下げる「工作」

 日米両政府が米軍の垂直離着陸輸送機「オスプレイ」を沖縄に続き、東京都の横田基地にも配備すると発表して一週間もたたない十八日(日本時間)、米ハワイで着陸に失敗、死傷者が出る事故が起きた。開発段階から現在まで事故続きのオスプレイの危険性があらためて証明された。

 ハワイの米軍基地で事故を起こしたのは海兵隊版「MV22」で、横田配備が予定される空軍特殊部隊の「CV22」と比べ、重大事故を示す米軍の基準「クラスA」の発生率は三分の一(十万飛行時間当たり二・一二件)とされる。

 だが、このデータは安全性を裏付けてはいない。米海兵隊は二〇〇九年、損害百万ドル(当時一億円)以上としていた「クラスA」の基準を二百万ドル(同二億円)以上に引き上げ、事故率を下げる「工作」をしている。

以上引用
chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015051902000082.html


なるほどね。

では、どれだけ事故っているのか?調べてみましょう。


以下引用 朝日新聞

オスプレイ事故、5年で58件 米軍資料で判明
2012年7月20日5時48分

 沖縄への配備が予定される米軍の新型輸送機オスプレイに関連する事故が、量産決定後の2006~11年の5年間に58件起きていたことが米軍の資料で分かった。防衛省は地元自治体に過去の重大事故については説明していたが、全体の件数は明らかにしていなかった。オスプレイは23日にも岩国基地(山口県岩国市)に陸揚げされる予定で、沖縄県は政府に詳細な説明を求める方針だ。

 事故件数は海兵隊安全部と空軍安全センターがそれぞれ公開した文書やデータベースで明らかになった。

 それによると、米軍は航空機事故を三つに区分。死者や全身障害者が出たり、200万ドル以上の損害が出たりした事故を「クラスA」、重い後遺症が残るか50万ドル以上の損害が出た事故を「クラスB」、軽傷者か5万~50万ドルの損害が出た事故を「クラスC」としている。

 オスプレイには海兵隊型のMV22と空軍型のCV22があり、沖縄の普天間飛行場にはMV22が配備される。海兵隊の資料によるとMV22では06年10月~11年9月に計30件の事故が起きた。Aは飛行中の機体からの出火と乗員の転落事故の2件、Bはエンジンの出火や前脚が折れる事故など6件、Cはエンジン故障や火災、着陸時の衝撃による乗員の負傷など22件だった。

 MV22の事故の中ではエンジンの火災・故障が最も多く7件。次いで前脚の破損が4件を占めた。

 空軍資料によれば、CV22は同時期にA2件、B6件、C20件の計28件。事故の詳細な内訳は明らかにされていないが、Aの2件は飛行中のエンジン故障とアフガニスタンでの墜落事故だった。


中略

 米政府監査院の報告書によると、オスプレイは量産決定後も、油圧系統からの油漏れやボルトなどの異物混入によるエンジン火災が続き、たびたび設計変更を迫られた。

 オスプレイは現在、12機が船で日本に輸送中で、米政府からは23日に岩国基地(山口県岩国市)に陸揚げすると日本政府に通知があった。9月に普天間飛行場に移動し、10月から本格運用の予定。森本敏防衛相は岩国での試乗を検討している。(其山史晃)

以上引用
asahi.com/special/futenma/TKY201207190736.html


エンジンが壊れやすいのは明白。
推進方法が2段階ありますから、出力の出方も複雑です。
無理して出力出そうとしているんでしょうね。


あと、油圧系のトラブルが多いのも、構造が複雑だからでしょう。

特殊な気象下に対応出来るのか?という問題もあります。

日本は、かなり特殊な気象条件です。


そして、空軍のCV22の方が事故率高いと言われていましたが、事故の数同じくらいですね。


もうちょっと詳しく調べてみましょう。



以下wiki

V-22は、アメリカ合衆国のベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル(現ボーイング・ロータークラフト・システムズ)社が共同で開発した航空機である。
愛称のオスプレイ(英: Osprey[注釈 1][注釈 2][2][3])とは、タカ目の猛禽類の一種である「ミサゴ」を意味する。



試作機段階での事故
V-22は、試作機段階で2回事故を起こしている。
1回目の事故
1991年6月11日に試作5号機が初飛行時に左右に揺れながら離陸後、数mの高さから大きく機体を傾けてナセルとローターが接地し、機体は転覆して地上へ落ちた。火災も起きず、パイロット2名は脱出して軽傷で済んだが、機体は失われた。
墜落原因は、飛行制御システム(FCS)の3つのロールレイト・ジャイロの配線の内の2つが逆に接続されていたミスと判明し、3ヵ月後に試験飛行は再開された[5]。


2回目の事故
1992年7月に試作4号機が気候試験でエグリン空軍基地からクアンティコ米海兵隊基地へ飛行中の着陸直前に右エンジンナセルから出火した。制御を失った機体はポトマック川に頭から落ちて、乗っていた海兵隊員3名と民間人技術者4名の計7名全員が死亡した。この墜落の影響でFSD機が全機飛行停止となった。
事故原因は、潤滑油が漏れてエンジンナセル内に溜まっていた状態で着陸のためにナセルをティルトしたのでオイルがエンジンの高温部に触れて発火したものとされた。エンジンの一方が停止しても飛行が継続できるように左右を結ぶクロスリンク機構が備わっていたが、火災の熱によって複合素材製のクロスシャフトが強度を失い、破壊されたものとされた。潤滑油漏れ対策が完了するまでの11ヶ月間、飛行停止となった[5]。
この事故は、V-22自体の欠陥であった。残り3機には改良が加えられ1993年夏に試験が再開されたが、事故によって2機が失われ、計画に影響を与えることとなった。


低率初期生産段階での事故
3回目の事故
2000年4月8日に14号機が夜間侵攻での兵員輸送を想定した作戦試験時に墜落事故を起こし、乗員4名と米海兵隊員15名の計19名全員が死亡した。
事故機は、他のV-22に後続飛行しながらナセルを立てて着陸進入状態にあり、前方機が減速したので衝突を回避するために急減速し急降下を同時に行った。操縦不能になる直前には、対気速度30kt以下で毎分約2,000ft(610m)で降下していた。規定の降下速度である毎分800ft(244m)の2.5倍の急激な降下であったため、自らが生み出したVRS(vortex ring state、ボルテックスリングステート、セットリングウィズパワー、渦輪状態)と呼ばれる下降気流によって揚力を失ったための墜落事故だとされた。事故の再発防止策として、危険な降下率となった場合にはコックピットに「Sink rate」と音声で注意しながら警告灯を点灯する装置が加えられた[5]。
その後も試験は続けられ、運用評価を2000年8月に完了した。

4回目の事故
2000年12月11日に、海兵隊訓練部隊VMMT-204部隊所属の18号機(MV-22B)が、夜間飛行訓練中に森林地帯に墜落し、搭乗していた海兵隊員4名全員が死亡した。事故を受け全機が飛行停止になった。
事故原因は、機体の機構的な問題とソフトウェアの問題、そして、パイロットが不適切な操作をしたためという、複合的な事象が重なって起こったものとされた。まず左ナセルの油圧配管が振動によって配線と擦れあい、配管より高圧作動油が噴出した。設計通り油圧システムの安全装置が自動的に作動してシャットオフ・バルブを閉鎖したため、3重の油圧系統の1つを他より切り離して安全に飛行が継続できるようになった。主飛行制御システムは油圧系統の異常を知らせる警告灯を点灯させた。この時、操縦士は着陸に備えてナセルを回転させている途中であり、主飛行制御システム(PFCS)の警告灯の点灯を知って、手順に従ってこれを停止するリセットボタンを押したが警告灯は繰り返し点灯した。PFCSのソフトウェアはこの時点で無用な警告を繰り返すという欠陥があった。パイロットは警告灯に気をとられて操縦がおろそかになり、誤って地上に墜落させた。この事故原因が明らかにされた後、油圧システムとPFCSの改良が施された[5]。
2002年5月に飛行停止は解除された。


配備後の事故
量産決定後の2006年-2011年の間に58件の事故が起こっている[7]。

5回目の事故
2009年5月27日、第204海兵中型ティルトローター訓練飛行隊所属のMV-22が、米国ノースカロライナ州で低空飛行訓練中、燃料切れで国立保護地区に緊急着陸し、その給油中にエンジンの排気熱で草地が燃えだし、機体の外壁を損傷した。
同日発表された海兵隊の声明によると、火事は直ちに鎮火されたが、機体の外壁に高熱による損傷が残された。声明では損傷の度合いは明らかにされなかったが、同機は翌28日の昼には所属のニューリバー基地へと帰還した[9](→詳細)。

6回目の事故
2010年4月8日に空軍特殊作戦軍所属のCV-22が、アフガニスタン南部で夜間に着陸に失敗し横転した。この機体は、2009年に初期作戦能力を取得した後に2回目のローテーションとして2010年にアフガニスタンに送られた内の1機であり、CV-22としては通算12号機にあたる。搭乗していた全20名のうち乗員2名と陸軍レンジャーの兵士1名、民間人1名の計4名が死亡し、他の搭乗者も負傷した。
事故が起きたのは、暗視用ゴーグルを使った夜間の砂漠への着陸の最中だったため、ダウンウォッシュ(垂直揚力による下降気流)によって巻き上げられた砂塵で視界が遮られる「ブラウンアウト」が発生し、パイロットが空間識失調を起こしたのではないかという推測がある[5]。

7回目の事故
2012年4月11日に海兵隊のMV-22、1機がモロッコの南方沖海上で強襲揚陸艦「イオー・ジマ」での訓練中、離艦後に墜落した。全搭乗員4名中、2名死亡、2名重症となった。3月29日にノースカロライナ州から派遣されて来た、第24海兵遠征隊(24th. MEU)揮下の第261海兵中型ティルトローター飛行隊(VMM-261)に所属していた当該機は、モロッコの演習地に海兵隊員を降ろした後の、現地時間4時頃に事故を起こした[10][11]。


8回目の事故
2012年6月13日に空軍のCV-22が、フロリダ州南部で訓練中に墜落事故を起こし、乗員5人が負傷した[12]。

9回目の事故
2015年5月18日に米ハワイ州オアフ島のべローズ空軍基地で訓練中の海兵隊所属MV22が着陸に失敗し炎上、隊員1人が死亡した。事故機には22人が乗っており、残る21人も病院に搬送された。[13]。

wikipedia


やはり、事故起きまくりですね。

こんな飛行機が、横田基地に導入されたら、この辺を低空飛行することになるわけで、危険な事極まりないです。

沖縄県知事が飛行停止求めたのも当然でしょう。


そして、なんと、米陸軍は、オスプレイの導入を中止しているんだそうです。


米陸軍がオスプレイ導入を中止、イスラエルも中止!
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/8cdca77ebd5352eb8039348c5eb23de7


なんで、米陸軍が必要無いと言って導入を見送った機体を陸上自衛隊が買う必要があるのでしょうか??

他の国は、どこも購入していませんし、購入すると言ってたイスラエルも止めました。


尖閣諸島問題に火をつけたのは、石原慎太郎×ヘリテージ財団のアーミテージ×ジョセフ・ナイのグループです。

彼らは、自作自演の事件を使って尖閣諸島を巡って日中を対立させ、日中戦争漁父の利計画を立てている信じがたい連中です。


バックは、メロン財閥とランド研究所です。

もちろん、オスプレイは、メロン財閥とランド研究所の連中が製作したものです。


オスプレイは要りません!!


ランド研究所を設立したのは、東京大空襲や広島・長崎原爆投下を指揮したヘンリー・アーノルド空軍元帥 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/03/07/7585992
より


昨年あたりから南西諸島に陸上自衛隊の駐屯地を置くという報道がなされていたが、オスプレイを買うためだったのか。


普通に考えて、対中国の防衛網とういうなら、普通、航空自衛隊か海上自衛隊なはずである。

陸上自衛隊を置いておいても、何の役にも立たないではないか。

オスプレイを買うためにわざわざ作るのか。


前から書いているように、中国人の尖閣諸島上陸犯人は、チベットデモで中国国旗を燃やしていたCIAエージェントでした。

で、ヘリテージ(メロン)財団の石原が煽って日中紛争。

メロン=ランド研究所=ダグラス=ボーイングのオスプレイ買えってことか。



日中衝突劇を演出したヘリテージ財団 とは何者なのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/09/20/6579303


日中衝突劇を演出したヘリテージ財団とパット・ロバートソン、キリスト教原理主義
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/09/27/6585800


イラン・コントラ事件、戦略防衛構想」

アムウェイ、ダウケミカル、モービル、グラクソ・スミスクライン
韓国と台湾の統一協会

ようするに、こいつら、オウムの黒幕のひとつだな。

バプテスト系の予定説信奉者=キリスト教原理主義=大イスラエル主義=ハルマゲドン=オウム真理教の元ネタ
ということでしょう。


以下櫻井ジャーナルさん

ボストンマラソンの爆破事件で被告に死刑判決が出たが、証拠もなく、疑問点も多く、冤罪の疑い
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201505180001/


もしツァルナエフ兄弟が冤罪だったとするならば、なぜふたりが選ばれたのかという問題が出てくる。そこで注目されているのが兄弟のおじにあたるルスラン・ツァルナエフ。ルスランが結婚していたサマンサ・フラーの父親はグラハム・フラーなのである。

 フラーは約20年にわたってCIAのオフィサーだった人物で、トルコ、レバノン、サウジアラビア、イエメン、アフガニスタン、香港を担当していた。1982年には近東・南アジア担当の国家情報オフィサーとなり、86年には国家情報会議の副議長に就任した。1988年に国防総省系のシンクタンク、RANDコーポレーションへ移っている。CIA時代、ジョージ・H・W・ブッシュ(エール大学でCIAにリクルートされたと言われている)と面識があり、ふたりとも「イラン・コントラ事件」で名前が出てきた。

 ブッシュ・シニアは大統領時代、バクー(アゼルバイジャンの首都)、トビリシ(グルジアの首都)、ジェイハン(トルコの都市)を結ぶパイプライン(BTC)を計画していたのだが、すでにチェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインが存在していた。この競争相手を機能できなくすることもチェチェンを戦乱で破壊する理由のひとつだったと考えられている。

 その工作をブッシュ・シニアは旧知のフラーに依頼、そこで「イラン・コントラ事件」仲間のリチャード・シコード退役空軍中将が登場する。シコードは1960年代、ベトナム戦争の最中に東南アジアで秘密工作に参加したが、その工作を指揮していたのがCIAのセオドレ・シャックレー。ブッシュ・シニアと親しい人物で、CIAビエンチャン支局長を務めていた際、約250名の政治犯殺害に関与したともされている。

 ベトナム戦争で戦っていたアメリカの武装集団は2系統あった。ひとつは正規軍、もうひとつはCIAと特殊部隊だ。シャックレーやシコードは後者ということになる。この系統は「フェニックス・プログラム」と呼ばれる村民虐殺プログラムや麻薬の密輸を行っていたが、アメリカ陸軍の極秘機関ISAに所属していた元グリーン・ベレーのジェームズ・グリッツ(通称、ボ・グリッツ)中佐によると、その麻薬密輸で犯罪組織との連絡係を務めていた人物がリチャード・アーミテージ。

以上引用

全文は
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201505180001/



ちなみに、アメリカでは、日本の外務官僚や他省の官僚が、アーミテージたちと頻繁にランチ食べたり、ゴルフしたりしているそうです。

それが、この結果だよ。

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