ルイ・ロルティのピアノを聴く&日本の公共事業とデザインをどうするのか?その22012/12/06 20:05

写真は、ブリュッセルのアールヌーボーのカフェ『ファルスタッフ』ベルギーのアールヌーボーは是非体験してみていただきたいです。本当に美しいです。
日常使いされているのも、これまた素晴らしい。

http://blog.goo.ne.jp/mayandjune



日本の公共事業とデザインをどうするのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/12/04/6651671のつづき


先日、武蔵野市民文化会館で、コンサートを聴いてきました。


ルイ・ロルティの『ショパンの練習曲』 全曲演奏です。

これが、本当に素晴らしかったのです。

今まで聴いたピアノのコンサートの中で、ベストかもしれない。
それほど素晴らしい演奏で、本当に感激しました。


なんでも、イタリア製のFazioliというピアノ持ち込みだそうです。
http://www.fazioli.co.jp/

音が全然違うのです。

ものすごく大きな音が出る。
そして、繊細な音の部分も素晴らしいのです。

なので、演奏が盛り上がる部分が、とてつもなくスゴイ。
なんというか、音の厚みがすごくて一人でオーケストラを演奏しているみたいです。


HPより
「 従来のシフトペダルは音色を変化させるだけですが、
このペダルは音色を変えることなく
音量のみが小さくなります。」
http://www.fazioli.co.jp/manufacture/index.html

そうです。


これ、チケットたったの2000円ですよ。


でね、これは公共事業なのですが、武蔵野市の凄いところは、この手のコンサートがほとんど完売御礼なのです。

それは、こんなに安くて素晴らしいコンサートがあるなら、聴きに来ますよ。


ということで、公共事業としては、お金かかってないにも関わらず、皆潤っているということです。




当店で取り扱っているファッションデザイナーのTAKIZAWA NARUMIさん
http://www.narumitakizawa.com/Pages/default.aspx
と以前お話したのですが、彼の実家は長野県にあるのですね。


長野県の飯山市というところです。
人口は2万人ちょっと

産業は農業以外にほとんど何も無い。


過疎化が圧倒的に進んでいるそうです。


では、街の公共事業の予算が無いのか?というと、そんなことも無いというのです。
けっこう公共事業は、やっていると。


でも、それがなかなか街作りに活かされないのだと。


そんな中、市長があるとき言ったそうです。

「過疎化・高齢化が進む街に、もう企業とかを無理して誘致するのは止めましょう。

この枯れた味わいを大切にしながら、豊かに暮らしていけば良いではないですか?無理して企業を誘致するのではなく、音楽堂を作ります。」


で、当然のことながら街中から大バッシングで、「おまえは、俺達の暮らしを見捨てるのか!」と大変なことになったのだそうです。


それでも、音楽堂を作った。

そして花を植えたそうです。菜の花です。


そして菜の花の季節になったら、沢山の花が咲き、沢山の人が来たそうです。


結果として、街のことが様々知られることになったのです。


田畑以外は何もない街。でも、もし、無理して企業を誘致して公害でも起きたら、その田畑さえダメになってしまう。

そうしたら、どうやって暮らしていくのですか?

田畑があるのだったら、なんとか食べていくことは出来ます。

だから、無理して企業を誘致するのではなく、音楽堂を作る。

そう、間違ってなかったのです。



たとえば、美しい棚田とか田んぼ、田舎の味わいみたいなものを多くの人が好きなのです。

そういう景色を無理に都会や郊外の姿に変えても、誰も喜ばないのです。

むしろ、デザインとしてはマイナスなのです。


その街や村が本来持っているポテンシャルをどう活かして魅力的にしてあげるのか?というデザインこそが必要なんだと思います。

人が幸せに感じることって、結局そういうことなんだと思うのです。


311以降、管理人は、デザイナーの人達と、この点について、ものすごく議論を重ねました。



たとえば、そういうことにものすごく長けているのがイタリアという国です。

イタリア経済悲惨だって聞きますよね。

でもね、イタリア行ってみて、経済が悲惨だと思うか?

これは、全然そう思えないのです。

町並みは綺麗だし、人々は良い質のもの身につけているし、


もちろん、マフィアやら地下経済やらドロボーやらコネ社会やら、悪いところは沢山ありますよ。

でもね、人々はけっこう幸せそうです。


これは、経済が成長すれば良いものでは無いということを実感として知っているからなんじゃないかと思うのです。


イタリアが一番栄えたのは、ローマ帝国の時代。つまり、2000年以上前です。

その頃から連綿と続く遺産で食べている。

それで良いと思っている。

だから、無闇に壊して作り替えない。


修復する時はちゃんと修復する。


でも、これらのことは、戦後、日本と同じように失われようとしていたそうです。


フランスやイタリアでも戦後、近代化が進み、古い建物を壊してどんどん新しい建物を建てていった時期があった。


でも、ある時気付いたそうです。

このまま、自分達のアイデンティティを捨てて、全てを新しくしてはいけないんだと。

そうしたら、何の魅力も無い街になってしまうことに。


筆者は、右翼ではありません。
反欧米でもありません。


欧州に仕事で行く度に思うのです。


日本も、欧州が近代化の途中で気付いたように、日本の街を破壊するのではなく、上手く維持しながら再生させる必要があることに。


今、日本は公共事業で景気を回復させようとしています。

これはこれで、もちろん一理あるのですが、今の制度で、新しく公共工事をやる。

コストを抑えた入札制度です。


すると、どうなるか??

皆、材料が中国製になっていきます。

あたりまえです。

中国の石、中国のタイル、そういう安いコストの材料を使って作るわけですから、表面に見えるものが全部中国製の安いものなんです。



これを耐震補強だといってちゃんと作ったところで、全国各地、どこもかしこも同じような金太郎あめのような魅力的では無い町並みが、どんどんどんどん作られていきます。


町並みはどんどん移り変わるけれども、どんどんどんどん魅力的では無くなっていくわけです。


これでは、街が活性化するわけがないのです。



談合が悪い、競争入札で正しいコスト管理。

それだけ見れば素晴らしいように思えるでしょう。


でも、人が本当に必要としていることは、そういう正義ではなく、もっと誇りを持って豊かに生活出来る環境なのです。



一方、街を修復すれば、素材は、街の素材が選ばれていくはずです。

修復する人も、当然街の人がやることになるでしょう。

ゼネコンの孫請けになる必要もありませんから、途中で意味不明なマージンを抜かれることもありません。


もちろん、そういう修復は、大規模な公共事業ではないですが、確実に街の人達の雇用を産み出すはずですし、小さいながらも産業を産み出すはずです。

何より、街の人達が、自分達が住んでいる街のデザインや素材や色、出来方みたいなものに興味が沸けば、ひとつひとつのデザインが、今よりずっと良くなるはずなのです。


そうやって、街が魅力的になれば、人々が都会へ完全に流出することも無いはずなのです。


311が起きて、福島第一原発が爆発しました。

今までやってきたことでは、この国は、立て直せないことは明らかなのです。

私達の国は、もう、そうしたことに気付くべき時が来ていると思います。