小笠原の地震ですが、震源の西ノ島新島は計測準備万端だった! 水深10,000m級の遠隔操作無人探査機も2015/05/31 20:38

久々にヤバい感じの小笠原地震は、震源西ノ島か??
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/05/30/7658740
のつづきです。

K-NETの波形を見ますと。。
http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/instant/

やはり
20:24:08
20:25:51
の2回の地震が起きてますね。

後のが伊豆沖となっていますが、どうなんでしょうか??
一番大きい揺れを記録しているのが、埼玉県の川口ですが。。
次に八枝、野田

そして、一番震源に近そうな平塚は、下から3番目。
本当に伊豆沖??


今回の地震、史上最大の深海地震とかなんとか煽っておりましたが・・

気象庁

 小笠原諸島西方沖で30日夜に起きた地震について、気象庁は31日、観測データを精査した結果、地震の規模(マグニチュード=M)を速報値の8.5から8.1に修正したと発表した。震源の深さも約590キロから682キロに修正した。
http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/35/438171c6fa87ae8c814559a375f2dfcf.html?fr=RSS



Hi-NETでは、M7.9
http://www.hinet.bosai.go.jp/AQUA/aqua_catalogue.php?LANG=ja

欧州EMSCでは、M7.7

もっと小さいです。
宗主国のUSGS(亜米利加)がM8.5だからM8.5


異常な暑さ

都心は32度2分 5月の最高気温更新
2015年5月31日 15時17分
きょう5月31日、都心の最高気温は32度2分まで上がり、5月としては過去140年間で最も高い気温になりました。
http://www.tenki.jp/forecaster/diary/deskpart/2015/05/31/24961.html


毎度おなじみの深海掘削船『ちきゅう号』掘削ポイントが4度平年より高く、ジョイデスリソリューション号掘削ポイントが2度高いわけですか、そうですか。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/KAIYO/qboc/2015cal/anomaly/anomaly.html


筆者は、一昨日から、ものすごいアレルギーになってまして、鼻水・くしゃみ出まくりです。


その日の夜、武蔵野地方の夜は、異常に空の色が赤かったです。

昨日の昼間は、原因不明の肩こりに悩まされましたが、なぜか地震が起きてからは、すっきりしました。

やはり、電磁波とか電離異常なんでしょうか??



こんな記事がありました。

以下引用

■2017年までに伊豆小笠原諸島の「スーパー巨大地震」?
また、6月19日に更新された木村氏のHPの記事によれば、
西之島新島の噴火は「P3噴火」である可能性が疑われるという。
木村氏の地震予知メソッドによると、
「P1」「P2」「P3」と呼ぶ火山噴火の段階を経て、大地震が発生するそうで、
「P3」の状態とは、
群発地震が発生した後で小規模の噴火が起きる段階であり、
その後に大地震の発生となる可能性があるというのだ。
もし、現在の西之島の状態が「P3噴火」であるとすれば、
今後、周辺域で大地震が起きる可能性があるということだ。
また、「西之島新島のすぐ北の方に"地震の目"があります」
(木村政昭、『木村政昭ホームページ』ともあり、
「西之島新島、噴火による国土の拡大-防災も忘れずに」と書いてある。
以上引用
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11131277951

この巨大地震が、今回の地震じゃないのかな??とも思いますが。。

気象庁は、余震の心配は無いと言ってましたが、思いっきり余震起きてます。


さて、今回の地震が起きた海域では、以下の地震が起きているようです。
wikipediaより


1951年7月12日3時21分、北緯28度27.1分、東経139度48.7分を震源として発生した。震源の深さは490kmで、地震の規模を示すMは7.2[1]。

1968年10月8日4時20分、北緯26度9.0分、東経140度56.0分を震源として発生した。震源の深さは460kmで、地震の規模を示すMは7.3[1]。

1970年5月26日21時5分、北緯27度22.0分、東経140度44.0分を震源として発生した。震源の深さは350kmで、地震の規模を示すMは7.1[1]。

1998年8月20日15時40分、北緯28度53.4分東経139度54.7分を震源として発生した。震源の深さは467kmで、地震の規模を示すMは7.1[1]。

2000年8月6日16時27分、北緯28度49.2分、東経140度5.1分を震源として発生した。震源の深さは445kmで、地震の規模を示すMは7.2[1]。

2010年11月30日12時24分[3]、北緯28度21.5分、東経139度35.3分を震源として発生した。震源の深さは490kmで、地震の規模を示すMは7.1[1]

2015年5月30日20:23(JST)
震央 日本 東京都 小笠原諸島
座標 北緯27度51.6分 東経140度40.9分[4]
震源の深さ 682[4]km
規模 マグニチュード(Mw,Mj):7.8,8.1[4]
最大震度 震度5強:東京都小笠原村、神奈川県二宮町
wikipedia



ほとんど同じ場所で起きている同じような地震なのだが、なぜか今回だけマグニチュードが1大きい。

まあ、、サバ読んでいるのだろうが。


西ノ島新島の座標
北緯27度14分49秒 東経140度52分28秒

で、これは、これらの地震の海域と一致するわけですよ。

どう考えても、西ノ島の造山運動と連動しているはずですよね。


本当に震源の深さが400キロとか500キロなの??

震源の深さが400キロとか500キロの地震が、西ノ島の噴火を生み出すのですか??
そりゃ、変な科学です。



西ノ島wikipediaから

1945年(昭和20年) - 日本が第二次世界大戦に敗北、西之島は小笠原諸島・火山列島の島々とともにアメリカ軍の支配下におかれ、1952年サンフランシスコ講和条約によってアメリカ合衆国の管理下となる。
1968年(昭和43年) - 小笠原返還協定により日本国に復帰。東京都小笠原村に所属。
1973年(昭和48年) - 5月30日、西之島の東方600mで海底火山が噴火し、同年9月11日に新しい陸地が出現した。同年12月21日には海上保安庁により西之島新島と命名された。
1974年(昭和49年) - 6月、新島と旧島が一体化していることを海上保安庁が確認した。
1975年(昭和50年) - 新属新種のニシノシマホウキガニが発見された。その後の火山活動で生息域が埋没し、島内では絶滅した(なお1993年以降、悪石島や北硫黄島などで同種が生息しているのが確認されている)[38]。
1982年(昭和57年) - 新島と旧島の間の湾が、土砂の堆積により湾口が閉じ、湖になる。
1990年(平成2年) - 湾が土砂の堆積により埋め立てられ消失する。
2008年(平成20年)8月1日 - 国指定西之島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定される(面積29ヘクタール)。島全域が特別保護地区となる。
2013年(平成25年) - 11月20日、西之島の南南東500m付近で40年ぶりに噴火を確認[9][39]。新島が出現して急拡大し、12月26日には海上保安庁が西之島と一体化したことを確認した。
2014年~ - 2013年11月以来の噴火および陸地拡大は継続している。
wikipedia


1945年(昭和20年) - 日本が第二次世界大戦に敗北、西之島は小笠原諸島・火山列島の島々とともにアメリカ軍の支配下におかれ、1952年サンフランシスコ講和条約によってアメリカ合衆国の管理下となる。
1968年(昭和43年) - 小笠原返還協定により日本国に復帰。東京都小笠原村に所属。
1973年(昭和48年) - 5月30日、西之島の東方600mで海底火山が噴火し、同年9月11日に新しい陸地が出現した。同年12月21日には海上保安庁により西之島新島と命名された。

なるほど〜



小笠原返還wikipedia


小笠原諸島
1968年(昭和43年)6月26日復帰。
日本政府と連合軍側(現在の国際連合)との条約であるサンフランシスコ講和条約の第三条により、更にアメリカ海軍の統治下に置かれ続け、欧米系の旧島民のみに帰島が許される。
米軍政時代にはアメリカ海軍の基地が設置され、物資の輸送は一ヶ月に一回、グアム島からの軍用船によって行われた。欧米系島民は戦前の土地区画に関係なく、決められた区画に集められ、その多くは米軍施設で働いた。島民の自治組織として五人委員会が設けられた。島の子供たちは、軍の子弟のために1956年に設立されたラドフォード提督初等学校で軍の子弟と一緒に学び、高等教育はグアム島で行われた。
米軍によって戦前の土地区画に関係なく決められた区画に集められたことは、日本返還後も効率的な開発の都合から踏襲され、戦前の土地所有者との補償交渉で揉めることとなった。後に、日本政府の意向を無視して父島に核兵器の貯蔵施設が作られていたことが、アメリカの情報公開によって知れ渡った。軍政時代に数基の核弾頭が保管されていたという。1968年4月に日米間で小笠原復帰協定が締結され復帰が決定された。

wikipedia

というわけで、小笠原って、非常に特殊な島なのですね。。



そう考えると以下の地震

1951年7月12日3時21分、北緯28度27.1分、東経139度48.7分を震源として発生した。震源の深さは490kmで、地震の規模を示すMは7.2[1]。

これ、核実験じゃないの??とか



1968年10月8日4時20分、北緯26度9.0分、東経140度56.0分を震源として発生した。震源の深さは460kmで、地震の規模を示すMは7.3[1]。

1970年5月26日21時5分、北緯27度22.0分、東経140度44.0分を震源として発生した。震源の深さは350kmで、地震の規模を示すMは7.1[1]。

とか、持ってた核を処分したとか、もしくは、新型の実験か??という気がしないでもない。


で、911に新島誕生ですか。。

1973年(昭和48年) - 5月30日、西之島の東方600mで海底火山が噴火し、同年9月11日に新しい陸地が出現した。同年12月21日には海上保安庁により西之島新島と命名された。


小笠原に飛行機が飛ばないのには理由があるようですね。


で、こんな記事が出てきました。


以下引用

自律海洋ドローンも利用するリアルタイム観測システムを投入予定
JAMSTECなど、西之島新島の噴火後初めてとなる海洋調査を実施

2015年04月01日 19時00分更新

 独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)は3月27日、2013年11月の噴火後初めてとなる西之島周辺海域の海洋調査船による調査を実施したと発表した。

 これはJAMSTEC深海調査研究船「かいれい」を用い、東京大学地震研究所、京都大学大学院理学研究科の研究チームによる2月26日~27日に行われた観測。観測によると、いまだに西之島火山は噴火活動が活発に持続しており、130km離れた父島でも確認できる空振(噴火による空気振動)を近くから観測、6kmの風下では火山噴出物の船体への付着も観測された。

研究チームでは、火山噴火や火山斜面からの崩落による微小津波を観測するため、海底微差圧計を装備した海底長期電磁場観測装置および微小地震活動観測のための海底地震計を計5台西之島周辺海底に設置した。

研究チームは父島にてリアルタイムの観測を行うが、今回設置した海底長期電磁場観測装置はリアルタイムのデータ取得ができず6月または10月の回収後のデータ解析となる。JAMSTECでは、ベクトル津波計およびウェーブグライダー(自律航行の海洋ドローン)を用いた衛星監視システムの導入も予定しており、今回の観測機器設置は事前準備とし、リアルタイムな観測体制を整えるという。

 なお、独立行政法人 海洋研究開発機構は4月1日より、独立行政法人制度改革によって国立研究開発法人 海洋研究開発機構となった。

以上引用
ascii.jp/elem/000/000/995/995029/



海底微差圧計を装備した海底長期電磁場観測装置および微小地震活動観測のための海底地震計を計5台西之島周辺海底に設置した。

研究チームは父島にてリアルタイムの観測を行うが、今回設置した海底長期電磁場観測装置はリアルタイムのデータ取得ができず6月または10月の回収後のデータ解析となる。

なるほど。。


今回の地震も準備万端ですね。


「かいれい」は、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の海洋調査船[1]。運航・管理業務は日本海洋事業が委託を受けて行っている[2]。

1994年度、JAMSTECは10,000メートル級のROV「かいこう」を完成させた。同機は、当初は「よこすか」に搭載されて運用されていたが、同船は有人潜水調査船「しんかい6500」の支援母船でもあるため、運航期間を自由に決めることができなかった。また同年度で、JAMSTECはマルチチャンネル反射法探査システムを開発しており、そのプラットフォームも求められていた。これに応じて設計・建造されたのが本船である[1][3]。
1995年度補正予算において、深海域の総合的な調査研究を行う深海調査研究船の建造が認められたことから、JAMSTECでは、深海開発技術部を中心として「深海調査研究船建造プロジェクトチーム」を発足させて検討に着手した。同年10月には川崎重工業と建造契約を締結、1996年2月に起工式が行われた[3]。

略歴
1997年3月27日竣工、JAMSTECに引き渡し
1997年12月南西諸島にて「かいこう」で学童疎開船対馬丸らしき船体を確認
1999年11月「H-IIロケット8号機」第1次調査にて第1段ロケットの部品を発見
2001年10月ハワイ、ホノルル沖えひめ丸沈没海域で遺留物回収
2003年5月29日室戸沖南海トラフにて「かいこう」ビークル漂流事故発生
2005年4月「かいこう7000」運用開始
2007年12月大深度小型無人探査機「ABISMO」実海域試験において水深9,707mの潜航に成功

wikipedia


かいこうは、日本の海洋科学技術センター(現:独立行政法人 海洋研究開発機構)が開発した水深10,000m級の遠隔操作無人探査機である。

深海調査研究船「かいれい」からの遠隔操作により、深海の映像、写真撮影、マニピュレータによる試料の採取などの学術調査が可能になっており、サイドスキャンソーナーを搭載した「ランチャー」、マニピュレータやカメラなどを搭載した「ビークル」から構成される。「かいこう」は支援母船である「かいれい」に搭載され、調査海域まで進出したのち、専用クレーンによって海面に下ろされ潜水を開始、目的深度まで到達した後、ランチャーからビークルが分離し、調査を行う。
「かいこう」は1995年3月、世界の最深部であるマリアナ海溝で、10911.4メートルへの潜行に成功した[1]ほか、1996年2月チャレンジャー海淵で世界で初めて10,000メートル以上の水深の海底からバクテリアを採取した[2]。
2003年5月29日、室戸岬沖130キロメートルの海域で、南海地震に関わる長期観測データの回収後に二次ケーブルが破断、子機ビークルを喪失した[注 1][3][4]。


wikipedia

なるほど〜
10,000メートル以上潜れる潜水艇も一緒に行ってたのですね。


さて、今回の地震、何でしょう??

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