広島・長崎原爆ホロコーストとABCC調査と抗がん剤開発と原爆の量産について2015/08/09 22:47

本日は長崎原爆投下から70年、決して忘れてはならない日です。


以前のエントリですが、ずっと気になっていて調べていました。

以下ダイジェスト


広島原爆投下と抗がん剤開発 その1 なぜ原爆の被爆被害の調査は、『ABCC調査』だったのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/12/7052908

広島原爆投下の翌日に、GM(ゼネラルモータース)の社長が、アメリカで初めての癌研究所を設立 。世界初の抗がん剤『ナイトロジェンマスタード』を生み出した


ナイトロジェンマスタードという抗癌剤については、
参考記事
抗ガン剤は化学兵器『マスタードガス』だった!!放射能と癌とips細胞 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/10/28/6615108


原爆のどさくさに紛れて、人体実験していたのではないか?
原爆症の症状と抗がん剤ナイトロジェンマスタードの副作用は、ほとんど同じなのです。

そして、その根拠として、広島の爆心地から遠くない広島の沖合に、毒ガス工場があった。
そこに、最初の抗がん剤となったイペリットガス(マスタードガス)1,451トンがあったのです。

中略

終戦後、GHQ(主にイギリス連邦占領軍のオーストラリア軍)や政府により施設解体や残された化学兵器の処分が、周辺海域への海洋投棄、火炎放射器による焼却、島内での地中処分といった方法で行われ、除毒措置も施された。

とあります。

米軍は捨ててないということですよね。

米軍が関与したものは、ケタリング達の実験台になったと考えるのが自然でしょう。


以上引用


さて、ABCC調査に関する文献を読むと、原爆被害者に対する治療は行われなかった。と書いてあります。

でも、医者の元には連れて行かれたと。

そして詳細は、はっきりとは分からないとある。


ABCCでは、軍の追跡調査なわけですから、治療を行わずに観察し、原爆投下の後、人々がどのようになっていったのかを観察していた。それが軍の利益に適っていた。
だから治療は行われず、観察が行われたいた。

これが、通説です。
この話に論理的な矛盾点はありません。


しかし、その中で、GMのスローン・ケタリング研究所は、実際に世界初の抗がん剤『ナイトロジェンマスタード』を開発しているのです。
そして、その材料は、広島に確かに存在していた。

このことをどう考えるのか?

そのヒントがありました。


それは、ゼネラルモータースGMは、反トラスト法で手放すまでは、原爆を開発したデュポン社の子会社であったということです。

GMとデュポンというのが今まで結びつかなかった。
あまりにも全然違うメーカーなので。。



デュポン
創業は1802年。資本金は111億3600万USドル。創業者はフランス出身のユグノー(プロテスタント)でエミグレ(フランス革命後に国外へ逃亡した人々)であるエルテール・イレネー・デュポン ( 1771-1834) 。メロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの三大財閥
wiki



以下HPから要点を抜粋すると

社長のピエール・S・デュポンと共同で1914年2月初旬、GM社を買収。翌15年にはピエール・デュポンがGM社の 取締役に迎えられている。


デュポンは、第一次世界大戦を通じて巨大になり、1918年には総売上高は3億 2,900万ドルと、1915年の7倍以上になった。


デュポン社財務委員会は、1918年1月、ゼネラルモーターズ社(以下GM社)への 2,500万ドルの投資を承認

GM社の再生プランを唱えたのは、副社長のアルフレッド・P・スローン・ジュニアだった。

GM社の取締役会はスローンの組織再編計画を批准し、1920年12月29日より実施した。
2.dupont.com/DuPont_Home/ja_JP/history/history_04a.html


とあります。

というわけで、GMは、デュポンの完全子会社だった。


スローン・ケタリング癌研究所のスローンのことですよね。


原爆を開発したデュポン社の子会社が、広島原爆投下の翌日にスローン・ケタリング癌研究所を設立。
化学兵器であるマスタードガスを使って最初の抗がん剤である『ナイトロジェンマスタード』を生み出した。

ということです。


ちなみに、プルトニウムを用いた人体実験は日本で行われたものが最も大規模ですが、アメリカでも一般市民を使って行われていたことが暴露されています。


ちなみに
全米癌協会が出来たのは、1913年
FRB誕生は1913年12月
デュポンがGMを買収したのは1914年2月


筆者は、ここで非常に興味深い事を発見しました。

デュポン社が開発したのは、長崎に落とされたプルトニウム型原爆『ファットマン』だったという情報です。

マンハッタン計画において
長崎型のプルトニウム濃縮を担当したのが、デュポン

広島型のウラン濃縮したのが、ロックフェラーということのようです。


で、興味深いのが以下の記事

以下引用

Q2・原子爆弾・広島と長崎のちがい

長崎と広島では原爆の燃料や爆発力、被害状況も異なっています。ここでは原爆を投下した爆撃機や、原爆に付けられた通称も紹介しておきます。
ー 長崎 広島
爆弾の燃料 プルトニュウム239 ウラン235
爆弾の通称 ファットマン リトルボーイ
爆発力 TNT火薬換算21kt TNT火薬換算15kt
爆撃機 B29(通称ボックスカー) B29(ヱノラゲイ)
爆発地点 市の北西部 市の中心部
当時の人口 約240000人 約350000人
死者数 約74000人 約140000人
負傷者数 約75000人 約79000人
消失面積 6・7平方km 13・2平方km

以上引用
http://www7a.biglobe.ne.jp/~t-uchida/qa/q2.html

以下wiki

長崎市に落とされた原子爆弾は、プルトニウム型で20KTの威力。
広島市の原始爆弾はウラン型で、15KTの威力でした。

技術的にはウラン型(広島型)、はプルトニウム型とくらべて数が作れず値段が高い。
プルトニウム型(長崎型)は、ウラン型より値段が安く量産しやすいが、放射能が強くて取り扱いが難しいという違いがあります

原爆・長崎・広島の被害者数は,広島40万長崎20万,(現在まで年々原爆被災で死んでいく原爆被災者を含む。)


ウランとプルトニウム
核分裂反応を起こす物質(核種)はいくつか存在するが、原子爆弾にはウラン235またはプルトニウム239が用いられる。

ウラン原爆
ウラン235は広島に投下された原子爆弾で用いられた。天然ウランに含まれるウラン235の割合はわずか0.7%で残りは核分裂を起こさないウラン238である。そのため、原爆に用いる為にはウラン235の濃度を通常90%以上に高めなければならず、辛うじて核爆発を引き起こす程度でも最低70%以上の濃縮ウランが必要となる。放射能が少ない為に取り扱いは容易であるが、ウラン濃縮には大変高度な技術力と大規模な設備、大量のエネルギーが必要とされる。

ウラン濃縮による原爆製造は初期設備投資は比較的安価だが、電力を発生せず大量に消費し運転経費がかかる上、同じ核物質の量でプルトニウムより少ない数の原爆しか作れないため、原爆1個あたりの製造コストはプルトニウム原爆より高価になる。一方で、ウラン濃縮施設はプルトニウム生産黒鉛炉と違って地下に設置しやすく大量の赤外線を放射しないので偵察衛星に位置を察知されにくい。また、ガンバレル方式は必要臨界量が多く製造効率が甚だ悪いものの、核実験なしでも核兵器を持てる。そのため、核開発初期段階の国はウラン原爆を選択する場合が多い。イランの核開発もウラン原爆計画が主体である。
ガンバレル方式のウラン原爆の臨界量は100%ウラン235の金属で22kgとされている[1]。広島型原爆では濃縮度約90%のウランが約60kg使用されたとされる(原子力百科事典)。起爆には後述のガンバレル方式が用いられた。

プルトニウム
プルトニウム239は自然界には殆んど存在しない重金属であるが、原子炉(燃料転換率の高い原子炉が望ましい)内でウラン238が中性子を吸収することで副産物として作られるため、ウランのような電力を食う濃縮過程を必要せず、逆に原子炉で電力が得られる。また臨界量が5kgとウラン235に比べてかなり少量で済む利点がある[2]。
プルトニウムは放射能が強く取り扱いは難しく、生産に黒鉛炉や再処理工場の建設費がかかるが、副産物で電力が得られ、1発あたり生産コストがトータルではウラン原爆より安価に済み、核兵器量産に向く為、5大国と北朝鮮の核兵器生産は現在はプルトニウムが主体である。

wikipedia


『プルトニウムは放射能が強く取り扱いは難しく、生産に黒鉛炉や再処理工場の建設費がかかるが、副産物で電力が得られ、1発あたり生産コストがトータルではウラン原爆より安価に済み、核兵器量産に向く為、5大国と北朝鮮の核兵器生産は現在はプルトニウムが主体である。』


それなのに、長崎原爆の放射能被害よりも広島原爆の放射能被害の方が大きかった。

もちろん、平野と山地の違いがあり、平地である広島よりも爆風を直接浴びなかった長崎の方が被害が少なかったということはあると思いますけれども。

直接の爆風を浴びる危険性は広島の方が高かったはずですが、放射能被害は、プルトニウム型の長崎の方が大きかったはずですね。


ということは、以下の事が考えられます。

プルトニウム型がデュポン主体で、ウラン型がロックフェラー主体だったと考えると、デュポン社=GM=スローン・ケタリング癌研究所が、自分たちの原爆の方が扱い易い原爆であるという調査結果を残すために、広島型原爆の投下地でマスタードガスを使った抗がん剤の臨床実験を行った可能性はありそうです。

抗がん剤による副作用と、原爆症の症状は、ほぼ全く同じなのです。


その結果として、長崎原爆の方が扱い易ということになって、プルトニウム型原爆が主体となり、結果として原発や再処理工場が稼働することになったのではないか?
ということが考えられるわけです。


というわけで、原爆の量産は、ウラン型=ロックフェラーではなく、プルトニウム型=デュポンが主導権を握ったようです。


ただし、GM=スローン・ケタリング癌研究所は、その後、ロックフェラー系になっているようです。

検索していたら、こんなのが出てきました。


2015年度幹事決定 - ロックフェラー・コーネル・スローンケタリング 日本人会
sites.google.com/site/rujapanesesite/.../2015nianduganshijueding

2015/03/01 - RU/WCMC/MSKCC 日本人会 2015年度幹事は以下のメンバーに決定しました。 伊藤慶一、東原幸起、筋野智久 (Rockefeller). 郷司敬洋、横山真隆 (WCMC). 國本博義、 星居孝之 (MSKCC). 皆様、本年度も恒例イベントへの参加・御協力 ...



というわけで、原爆製造の利権は、ロックフェラーからデュポンへ、
癌利権は、デュポンからロックフェラーへ
という棲み分けが出来たのかなと。

元々米国の金で、共同で原爆作ってたわけですからね。

ノバルティスとグラクソスミスクラインの棲み分けを思い出しました。