1983年9月26日世界を核戦争の危機から間一髪で救ったスタニスラフ・ペトロフ氏が死去していたことが判明2017/09/21 20:57

1983年9月26日世界を核戦争の危機から間一髪で救ったスタニスラフ・ペトロフ氏が死去していたことが判明

こんなニュースが出ていました。

以下引用

核戦争の危機を間一髪で防いだ男 元ソ連将校の死が明らかに
2017年09月20日 08:02(アップデート 2017年09月20日 09:09)

全世界を巻き込んだかもしれない核戦争を未然に防いだソ連の将校がいた。スタニスラフ・ペトロフ氏。ペトロフ氏の存在を世界が思い出しているときに、彼が今年の5月に死亡していたことが今月になってようやく明らかにされた。

中略

1983年9月26日、当時44歳だったペトロフ氏が戦闘任務についていたとき、米国がソ連の首都モスクワに向かって5発の核ミサイルを発射したという警報が発せられた。この警報に対してペトロフ氏は状況を分析する冷静沈着さを発揮し、報復措置の命令は出さなかった。

この時、ペトロフ氏には重要な決定を下すのにわずか20分しかなかった。

以上引用
jp.sputniknews.com/russia/201709204102763/

そんな出来事があったとは知りませんでした。

詳しい記事がこちらに出ていました。

以下引用

警報システム誤作動で危機“一発”

ケース3:第三次世界大戦の瀬戸際

もっとも劇的な事態が発生したのは、冷戦の緊張がピークに達していた時だ。人類を救ったのは、いまだに無名の中佐、スタニスラフ・ペトロフ(1939~)だったと断言できる。

1983年9月26日、戦闘待機したばかりのソ連製ミサイル攻撃警報システム衛星が、アメリカからの攻撃のメッセージを発した。

軍事・宇宙専門家であるユーリー・ザイツェフは状況をこう説明する。「太陽光が雲で強く反射するような位置に、衛星、アメリカのミサイル、太陽が並んだとは驚きだ。衛星は反射光をノズルからの火柱だと勘違いし、アメリカ大陸からミサイル5基が打ち上げられたというメッセージを送った」。

スタニスラフ・ペトロフの究極の選択

規定では、ミサイル攻撃が発生すると、ロシア中部に位置する「セルプホフ15」村の拠点の当直が、迎撃の決定を行う政府に速やかに連絡しなければならなかった。アメリカ大陸で打ち上げられた弾道ミサイルはわずか30分でソ連に到着するため、当直だったペトロフ中佐には、「核スーツケース(核兵器使用コードが保管された装置)」使用の最終決定を行うユーリー・アンドロポフソ連共産党書記長に報告するか、または「われわれは誤った情報を発信している」と報告し、その後の全責任を自分が負うか、の究極の選択をするしかなかった。

書記長には15分の決定時間しかなかったから、きっとペトロフ中佐に核爆弾のボタンを押すよう命じていただろう。ペトロフ中佐は30種類の確認手段で、アメリカのミサイル情報が本当であるとの結果を受けたが、数十億人の命を脅威にさらすことはせず、規定に反して報告も行わず、核ボタンも押さなかった。

中佐は常識に照らして、ミサイル5基で開戦とは少なすぎると考え、コンピューターを信用しなかったため、世界を救うことができた。

以上引用
jp.rbth.com/articles/2012/11/23/40079


これは、本当にヤバかったみたいですね。
世界を破滅から救ったスタニスラフ・ペトロフ氏に心からの感謝を

「あなたが居なかったら、世界は存在しないかもしれなかった。まともな判断をありがとうございました。私達は一生あなたの恩を忘れないでしょう。安らかにお眠りください。」


最近、やたらと間違った警報が鳴ることがあります。
おそらくハッキングによるものだと思うのですが、このような危険は昔よりも危険性が上がっていると思いますので、上手に危険を回避していく必要が、これからもありそうです。

米ロで話しただけでスパイ扱いとか、本当におかしな世の中になっていますが。。