アベッチの米国訪問日程メモ2015/04/28 22:56



安倍首相の訪米日程詳細 だそうですが

以下引用

 4月26日ボストン:J・Fケネディ図書館をキャロライン・ケネディ駐日大使の案内で訪問。ジョン・ケリー国務長官私邸で晩餐会出席。

 同27日ボストン:ボストン・マラソンのテロ現場にて献花。ハーバード大学でスピーチ、学生との質疑応答。マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボ視察(ノーベル賞受賞の利根川進教授が案内)、ワシントンDCへ移動。

 同27日午後ワシントンDC:アーリントン墓地で献花・ホロコースト記念館訪問。

 同28日ワシントンDC:ホワイトハウスで歓迎式典、オバマ大統領と日米首脳会談・共同記者会見、バイデン副大統領、ケリー国務長官との昼食会、オバマ大統領主催の公式晩餐会。

 同29日ワシントンDC:上下両院合同会議で演説。ベイナー下院議長主催のレセプション、有力上院議員との懇談会、笹川平和財団主催のシンポジウム出席・スピーチ、駐米日本大使公邸で日米関係者を招いて夕食会。

 同30日午前ワシントンDC:米科学アカデミー主催の朝食会、サンフランシスコに移動。

 同30日午後サンフランシスコ:米イノベーション企業家ラウンドテーブルとの懇談会、スタンフォード大学ダニエル・オキモト教授主催のシンポジウム出席、シリコンバレー(テスラモーターズなど)視察、グラッドストン研究所訪問(ノーベル賞受賞の山中伸弥教授らと懇談)、ブラウン・カリフォルニア州知事と会談、日米交流に尽力した約100人を招いたレセプション、ロサンゼルスに移動。

 5月1日午後ロサンゼルス:日米交流関係者との昼食、日米経済フォーラム出席、在留邦人によるイベント参加、日系人部隊記念碑献花、全米日系人博物館訪問、同行記者団との内政懇談。

 同2日午前ロサンゼルス:交流イベントを検討中、同午後政府専用機で帰国の途へ(帰国は日本時間3日午前)。

以上引用

安倍、念願の正式訪米も、オバマは1日しか相手をせず。演説以外は寂しい日程(日本がアブナイ!)
http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/835.html



ベイナー下院議長って誰??

以下wiki

ジョン・アンドリュー・ベイナー(英語: John Andrew Boehner、1949年11月17日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。共和党所属。第61代合衆国下院議長。

経歴
生い立ち
1949年、オハイオ州・シンシナティ近郊のレディングに12人兄弟の次男に生まれる。ベトナム戦争中の1968年に海軍に徴兵されるが、身体の故障により訓練期間中に名誉除隊。実家は裕福ではなかったが、苦学しゼイビアー大学に進み経営学の学士号を取得。大学卒業後はプラスチック関係の地元中小企業に就職して成功を収め、経営者となった。1984年には地元・オハイオ州の州下院選第57選挙区で当選、1990年まで務める。

国政進出

オハイオ州の連邦下院選区割(2003年 - 2012年)。8区(左側のオレンジ色)はシンシナティやデイトンの近郊。
1990年に地元・オハイオ州第8選挙区から連邦下院選に出馬、以来10期当選。初期の頃には、下院の綱紀粛正活動で注目を集め、同期当選のリック・サントラムらと共に「七人組」(Gang of Seven)と称される。後に下院議長を務めるニュート・ギングリッチの側近となり薫陶を受け、ギングリッチが1994年の中間選挙で保守革命・「米国との契約」を掲げ与野党逆転を実現すると、下院共和党№4のポストである下院共和党会議議長に就任するなど順調にキャリアを積み重ねていた。しかし1999年、ギングリッチが前年の中間選挙で共和党が下院の議席数を減らしたことの責任を取る形で下院議長を辞任すると、それに連座し無役となった。

院内総務就任
99年にギングリッチが失脚して以降、下院共和党はギングリッチの政敵だったトム・ディレイが急速に台頭、2001年から5年間、下院の教育・労働委員長を務めるもののベイナーは不遇であった。しかしながら、2005年9月にディレイが政治資金流用で起訴され失脚すると、改革を求めるジェフ・フレイク下院議員ら中堅・若手議員がベイナー擁立に動き翌年2月、下院共和党のナンバー2(当時[1])である多数党院内総務に当選。当初、この選挙戦はディレイ前院内総務の最側近として彼の下で院内幹事を務め、ディレイが辞任した後には臨時院内総務も務めていたロイ・ブラント下院議員優位で進んでいたものの、ベイナーが終盤で支持を急速に拡大した[2]。2006年、2008年の下院選では、ジョージ・W・ブッシュ政権に対する風当たりの強さなどもあって共和党は何れも大敗を喫するものの、ベイナーは引き続き少数党院内総務を務め続けた。
2009年にバラク・オバマ政権が発足して以降は、同政権が推し進める財政出動を伴う景気対策や医療保険制度改革などの大きな政府路線を一貫して激しく批判、対決路線を主導し、党の退潮傾向に歯止めをかけ、2010年の中間選挙にて下院で60超議席増となる歴史的大勝を収めて与野党逆転を実現させた。2010年の下院選でベイナーが掲げた選挙公約名は「米国との誓約」[3]であり、これはかつてギングリッチが掲げた「米国との契約」を意識したものといえる。下院で過半数を制したことにより、ベイナーは下院議長への就任がほぼ確実となった。

下院議長
2010年の中間選挙で圧勝したことを受け、下院共和党は同年11月17日に、ベイナーの下院議長推挙を正式に決定。翌・2011年1月に召集された第112議会で正式に下院議長に選出された[4]。議長選出の際には涙を流す一幕もあった[5]。 同年4月には共和・民主両党下院議員数名とバグダッドを電撃訪問、ヌーリー・マーリキー首相と会談した[6]。
議会共和党は2012年の大統領選を見越してバラク・オバマ大統領との対決姿勢を強め、ベイナーの指導のもと債務上限の引き上げ問題で政府と激しく対立した。デフォルト寸前の2011年8月2日に増税なしの歳出削減を条件とする共和党の要求に沿った条件が取り決められた。[7]ベイナーはオバマ政権の経済政策を批判するとともに、8月5日に発表されたスタンダード・アンド・プアーズによる米国債の格下げは歳出の見境ない増大にあるとも批判している[8]

wikipedia

ニュート・ギングリッチの側近かよ

日中衝突劇を演出したヘリテージ財団 とは何者なのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/09/20/6579303

日中衝突劇を演出したヘリテージ財団とパット・ロバートソン、キリスト教原理主義 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/09/27/6585800

も参考に


ギングリッチって、最も危険なハルマゲ丼な人たちが支援してた大統領候補でしたよね。


ニュートン・リロイ・”ニュート”・ギングリッチ(英語: Newton Leroy "Newt" Gingrich、1943年6月17日 - )は、アメリカ合衆国の保守派の政治家。共和党に所属。1995年から1999年まで同国の下院議長を務めた。1995年に民主党の下院多数派独占を42年目にして終止符を打ったことでTIME誌のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

現在は、アメリカンエンタープライズ研究所シニアフェロー、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、FOXニュースのアナリスト(またはコメンテーター)などを務める。
また、2008年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬する予定で、共和党の大統領候補の中ではルドルフ・ジュリアーニ、ジョン・マケインに続き、常に3番手に就けていた。国防総省・国防政策委員としてイラク戦争を推進した

wikipedia


フーヴァー戦争・革命・平和研究所(フーヴァーせんそう・かくめい・へいわけんきゅうじょ、Hoover Institution on War, Revolution and Peace)は、1919年に後の大統領でスタンフォード大学卒業生のハーバート・フーヴァーが大学内部に創設した公共政策シンクタンクである。


研究所ではフーヴァー大統領や第一次世界大戦、第二次世界大戦に関する大量の文書を保管している。

フーヴァー研究所は保守とリバタリアニズムに大きな影響を及ぼしている。研究所では長らく政治経験のある経験豊かな保守主義者にとっての学術の場となってきた。多くのフーヴァー研究所研究員は、ブッシュ政権などの共和党政権に参画していた。高官となったエドウィン・ミーズ、コンドリーザ・ライス、ジョージ・シュルツ、トーマス・ソウェル、シェルビ・スティール、エイミー・ゼガートは、全てフーヴァー研究所の研究員である。アメリカ中央軍の司令官だった退役した米陸軍のジョン・アビザイド将軍は、最近研究所で初めてアネンバーグ高等客員研究員に任命された。


代表
エプレイム・D.アダムス 1920年–1925年
ラルフ・H.ルツ 1925年–1944年
ハロルド・H.フィッシャー 1944年–1952年
C.イーストン・ロスウェル 1952年–1959年[6]
W.グレン・キャンベル 1960年–1989年[7]
ジョン・レイジアン 1989年–現在

名誉研究員[8]
マーガレット・サッチャー:イギリスの元首相

高等研究員[9]
ジョージ・シュルツ:アメリカ合衆国元国務長官

上級研究員[10]
フアド・アジャミ:政治学者、ジョンズ・ホプキンス大学中東学科主任教授
リチャード・V.アレン:元国家安全保障問題担当大統領補佐官
マーティン・アンダーソン:元リチャード・ニクソン政権補佐官でThe Federal Bulldozer著者
ゲーリー・ベッカー:1992年ノーベル賞経済学賞受賞者
マイケル・ボスキン:ジョージ・H・W・ブッシュ大統領経済諮問委員会議長
ブルース・ブエノ・デ・メスキータ:政治学者、ニューヨーク大学教授
ラリー・ダイアモンド:政治学者、スタンフォード大学教授
ジェラルド・A・ドーフマン:スタンフォード大学政治学科教授
ニーアル・ファーガソン:歴史学者、ハーヴァード大学教授
モリス・P.フィオリナ:政治学者
ミルトン・フリードマン:1976年ノーベル賞経済学賞受賞者
ティモシー・ガートン・アッシュ:歴史学者、ガーディアンコラムニスト
ヴィクター・デイヴィス・ハンソン:古典学者、軍事史学者、コラムニスト
エリック・ハヌシェック:経済学者
キャロライン・ホクスビー:経済学者
ケン・ジョウィット:歴史学者
ケネス・ジャド:経済学者
シーモア・M・リプセット:政治社会学者
ダグラス・ノース:1993年ノーベル賞経済学賞受賞者
ウィリアム・J・ペリー:元アメリカ合衆国国防長官
コンドリーザ・ライス:元アメリカ合衆国国務長官
アブラハム・デイヴィッド・ソファー:学者、アメリカ合衆国国務長官法務補佐官
トーマス・ソウェル:経済学者、作家、コラムニスト
リチャード・フェリックス・スター:政治学者、歴史学者
シェルビー・スティール:作家、コラムニスト
ジョン・ブライアン・テイラー:元国際問題担当アメリカ合衆国財務副長官

一般研究員[11]
アーノルド・バイヒマン:政治学者、作家
ピーター・ベルコヴィッツ:政治学者
ロバート・コンクエスト:歴史学者
ディネッシュ・ドスーザ:作家
メアリー・エバーシュタット:作家
ティボア・R.メイチャン:哲学者
アッバース・ミラニ:政治学者
ヘンリー・I.ミラー:内科医
ラッセル・ロバーツ:経済学者、作家
コリ・シェイク:外交政策の専門家、作家
ピーター・シュヴァイツァー:作家
アンソニー・C.サットン:作家
片岡鉄哉:政治学者

高等客員研究員[12]
ジョン・アビザイド:アメリカ中央軍元司令官
スペンサー・アブラハム:元アメリカ合衆国上院議員・アメリカ合衆国エネルギー長官
エドウィン・ミース:元アメリカ合衆国司法長官
ダイアン・ラヴィッチ:元アメリカ合衆国教育副長官
ドナルド・ラムズフェルド:元アメリカ合衆国国防長官
アレハンドロ・トレド:ペルー元大統領

メディア研究員[13]
トム・ベセル:記者
サム・ディーリー:記者、ワシントン・タイムズ編集長
クリストファー・ヒチンズ:記者[14]
デロイ・マードック:記者[14][15]

wikipedia

シュルツ=ベクテル

おなかいっぱいです。

413淡路島地震 震度6弱 続々と明らかになる『政治的な地震』のセオリー
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/13/6776082


そういえば、ゴールデンウィーク、閣僚級が全部海外ですね。。

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