ボストンマラソンの爆弾事件とJ.F.K暗殺事件2013/04/16 21:34

フランスから関西電力のMOX燃料が運び出されたとかで、後数ヶ月でMOX原発再稼働の恐れがありますので、今後注意していきたいです。


さて、ボストンマラソンの爆弾事件ですが。

恒例のイラン戦争やれやれテロなのか、北朝鮮爆撃しろよテロなのか、まだ不明ですが、当ブログ的には、同時に火災があったジョンFケネディ大統領図書館というのが、大変気になっています。

無関係というニュースも出ていますが、どんなものでしょう??



というのも、その図書館の館長というのが、次期駐日米国大使がほぼ決定していると言われているジョンFケネディ大統領の一人娘、キャロライン・ケネディが館長をしているのです。



以下引用

4月1日、噂のあったキャロライン・ケネディ氏の次期駐日大使への就任がほぼ決定的とメディアが一斉に報道。ジョン・F・ケネディ大統領の長女という名門ケネディ家の星、キャロラインが注目を浴びている。

 米国の朝のTVショー『CBSディス・モーニング』では、3月8日にキャロライン氏にインタビューし、大使就任の可能性を探ったが、その時は曖昧な答えに留まっていた。しかし4月1日に同番組で、3月の放送時にキャロライン氏がホストのチャーリー・ローズらに宛ててサイン入りのメッセージ「Come to Tokyo!」(東京に来てね!)を書き残していたことを公表。すでに水面下で人事が決まっていることを匂わせた。

以上引用

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130409/enn1304090718000-n1.htm






キャロライン・ブーヴィアー・ケネディ(英: Caroline Bouvier Kennedy、1957年11月27日 - )は、アメリカ合衆国の作家、弁護士。第35代大統領ジョン・F・ケネディの長女である。
人物

父のジョン・F・ケネディと母のジャクリーン・ケネディとの間に、1957年に長女としてニューヨークにて生まれた。1960年の大統領選挙で父が大統領に選出されたため、翌年ホワイトハウスに移り、合衆国大統領の娘として世界的な関心を引いた。1963年に父が暗殺されると、母とニューヨークに移り住んだが、母の庇護によりメディアの報道合戦には巻き込まれずに済んだ。ハーバード大学とコロンビア大学法科大学院を卒業後、弁護士資格を取得。メトロポリタン美術館在職中にエドウィン・シュロスバーグと出会い、1986年に結婚した。


現在はケネディ記念図書館の館長やハーバード大学ケネディ・スクールのコンサルタントを務めている。自身が直接政治活動をすることは少ないが、2008年の大統領選挙では叔父のエドワード・ケネディ上院議員とバラク・オバマ候補への支持を表明し、同陣営の副大統領候補者選考委員会で仕事をしながら、自身が副大統領候補に指名された場合について言及した[1]。

駐英大使にもたびたび目されたが、オバマが大統領に選出されると国務長官に就任するヒラリー・クリントンの後継として、上院議員に意欲をみせた[2]。CNNなどの共同世論調査では、過半数が「ケネディは上院議員になる資質を備えている」と答え、また、ケネディがヒラリーの後継となることには52%が肯定的だったが、42%は否定的な反応を示した[3]。しかし、2009年1月に「一身上の都合」により上院議員選への立候補を断念した。
2013年、ジョン・ルースに代わる在日本アメリカ合衆国特命全権大使への起用が取り沙汰されている[4]。


wikipedia


前から書いているように、J.F.ケネディ大統領が暗殺されたのは、FRB米連銀が1913年12月23日に誕生してから、丁度50年にあたります。


そして、その50年後の1963年12月23日の一ヶ月と一日前の1963年11月22日に暗殺されているわけです。


これは、FRB誕生から50年の債券や権利を巡る権力闘争だったのではないか?というのが、当ブログの仮説です。



何しろ、プロテスタントが自分たちの国を作ろうとして作ったはずのアメリカ合衆国において、唯一のカトリックの大統領がケネディだったわけで、そのケネディが、FRB誕生50年の時に、実質的にFRBを解消する権限を持つ米国大統領に就任していたのが、そもそも偶然なはずありませんよね。


債券が本物かどうか?判断するのは、大統領のシークレットサービスの仕事だそうで、もちろん、大統領を警護するのもシークレットサービスなわけで。。


当時の米国財務長官は、毎度おなじみの C・ダグラス・ディロン(ディロン・リード銀行)

C遭A長官は、ベクテルのジョン・マコーンです。

どこまでも繋がっているわけですよね。。


さて、J.F.Kの息子たち


結婚後、彼らは四人の子供をもうけた。
• アラベラ(1956年に死産)
• キャロライン・ブービェ・ケネディ(1957年生)
• ジョン・F・ケネディ・ジュニア(1960年 - 1999年)
• パトリック・ブービェ・ケネディ(1963年生、生後間もなく死去)。


キャロラインしか生き残ってないじゃん。。



以下ケネディ家に起きた出来事



年表


1941年 – ローズマリー・ケネディは知的障害だと考えられていた。しかしいくつかの証拠によると、彼女は鬱病のような精神疾患に罹っていた。彼女の暴力性と気分障害が悪化したため、父のジョセフは秘密裏に、ロボトミー手術を彼女に受けさせた。この手術は彼女の認知能力をさらに損い、結果として、彼女は2005年に没するまで施設で過ごすことになった[4][5][6][11]。

1944年8月12日 – ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアは第二次大戦中、イギリス東部で危険な飛行任務に従事している最中、飛行機の空中爆発で戦死した[4][5][6]。

1948年5月13日 – ハーティントン侯爵夫人キャスリーン・キャヴェンディッシュ (en) は飛行機事故によって同伴者の第8代フィッツウィリアム伯爵ピーター・ウェントワース=フィッツウィリアム (en) と共にフランスで死亡した[4][5][6]。

1956年8月23日 – ジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディは娘アラベラを死産した[6]。(赤ん坊に名前は無く、アーリントン国立墓地にて両親の隣に「娘」と記され葬られた。その後の調べで、ケネディ夫妻は彼女にアラベラと名付けるつもりだったことが分かった[12]。)

1963年8月9日 – パトリック・ブーヴィエ・ケネディ (en) は6週間ほど早産で生まれ、2日後に死亡した[4][6][11]。

1963年11月22日 – アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺された[4][5][6]。

1964年6月19日 – アメリカ合衆国上院議員エドワード・ケネディは飛行機事故に遭い、補佐官とパイロットが死亡した。エドワードは同僚の上院議員バーチ・エヴァンズ・バイ2世 (en) によって機の残骸から引き出され、負傷した背中、気胸、肋骨骨折、内出血を治療するため数週間入院した[4][5]。

1968年6月6日 – ロバート・ケネディはカリフォルニアでの民主党の大統領予備選挙に勝利した直後、ロサンゼルスでサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された[4][5][6]。

1969年7月18日 – エドワード・ケネディの運転する自動車がマーサズ・ヴィニヤードに架かる橋から転落し、同乗していたマリー・ジョー・コペクニが溺死するというチャパキディック事件が起こった[4][5][6][7]。7月25日に彼はテレビで「事故の夜、何らかの恐ろしい呪いが本当に全てのケネディ一族に降りかかるのか、疑問に思っていた」と述べた[13][14]。

1973年8月13日 – ジョセフ・パトリック・ケネディ2世 (en) の運転する自動車が事故に遭い、同乗者の一人パム・ケリーは麻痺の後遺症が残った[4][6][11]。

1973年11月17日 – エドワード・ケネディ・ジュニアは12歳にして骨腫瘍のため右足の一部を切除された[1][2]。

1984年4月25日 – デイヴィッド・ケネディ (en) はフロリダ州パームビーチのホテルの一室で、ペチジンとコカインの過剰摂取により死亡した[4][5][6][11]。

1991年 – ウィリアム・ケネディ・スミス (en) は強姦容疑をかけられ、全ての容疑について無罪となった[1][2][3][4]。

1997年12月31日 – マイケル・ルモアーヌ・ケネディ (en) はコロラド州アスペンにてスキー事故で死亡した[1][4][5][6][11]。

1999年7月16日 – ジョン・F・ケネディ・ジュニアは飛行機事故で、妻のキャロリン、義姉と共に死亡した。自身で操縦していた軽飛行機 Piper PA-32R が誤操縦によってマーサズ・ヴィニヤード沖の大西洋上に墜落したのである[4][5][6]。


以上wikipedia


あらためて見てみると、これは壮絶ですね。


現在起きている闘いが、何なのか?考えてみたくもなります。


J.F.Kの兄のロバートケネディや娘のキャロリンもオバマ大統領やケリー国務長官を支援していたみたいですね。


今年は、FRB誕生100年です。

これから一体何が起きるのやら。。


4月 18~19日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議 ワシントンDC(アメリカ)
19~20日 第27回 国際通貨金融委員会(IMFC)
20日 第87回 世銀・IMF合同開発委員会

http://www.mof.go.jp/international_policy/convention/schedule/


これの前にこの事件でしょ。

前回のモスクワの時は、分け分からない巨大な隕石が落ちてきましたっけ。。

ロシアの隕石は新しいE兵器なのか??それとも。。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/02/17/6723932

ロシアの隕石とG20財務相・中央銀行総裁会議とFRB100年
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/02/19/6725369


今回

北朝鮮脅威浮上と同じタイミングで米映画『エンド・オブ・ホワイトハウス』が2013年3月22日に米国で封切られているそうです。

注意(読者の方の指摘で、3月22日は、予告編の発表とのこと)
題名は、『ホワイトハウスダウン』

ストーリーは、北朝鮮工作員がホワイトハウスにテロ攻撃を仕掛け、大統領が人質にとられて、ホワイトハウスが爆破される映画なのだそうだ。

何だよ?それ?

オバマ大統領に対する脅しとしか考えられないよね。。


ちなみに、米韓合同軍事演習キー・リゾルブは2013年3月12日から21日まで

なるほど


そういえば、TPPやれやれと言ってるUSTRもケネディ大統領の時に出来てますね。