岡山県総社市のアルミ工場爆発と国鉄私営化、湾岸戦争資金、行政改革、インフルエンザ詐欺、働き方改革を結ぶ線2018/07/17 15:30

岡山の水害と総社市のアルミ工場爆発
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2018/07/16/8919195

・西日本豪雨で被災した岡山県総社市では、同時期にアルミ工場が爆発 していて、その爆発の衝撃は数十キロ先まで響いていた。

・岡山県総社市長の片岡聡一 は、危機感理学部のある加計学園系列の倉敷芸術科学大学客員教授 で、元行政改革・沖縄北方担当大臣大臣秘書官だった。

・6月19日から21日まで、インドのニューデリーで開催された世界保健機関(WHO)「アジア太平洋感染症及び災害対策戦略会議」に岡山県総社市長が招へいされ、市の障がい者施策と災害支援についてプレゼン

・「8割の反対でも押し切るのが政治的手腕」私物化の手先の中曽根や橋下徹や、ヴェオリアに水道委託した浜松市長を褒めてる。

のつづきです。

以下は、総社市の地元衆議院議員
wiki


加藤 勝信(かとう かつのぶ、1955年11月22日[1] - )は、日本の政治家、大蔵官僚。旧姓・室崎(むろさき)。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、厚生労働大臣(第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(拉致問題)、働き方改革担当大臣。自由民主党岡山県連会長。

内閣府大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、自由民主党総裁特別補佐、川崎医療福祉大学客員教授、内閣官房副長官(第2次安倍内閣)、内閣人事局長、内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)及び一億総活躍担当、女性活躍担当、再チャレンジ担当、休眠預金活用担当を歴任。

生年月日 1955年11月22日(62歳)


1955年11月22日 - 東京都生まれ。
1979年 - 東京大学経済学部卒業。大蔵省入省。
1982年 - 郵政省出向。
1984年 - 倉吉税務署署長。
1986年 - 内閣官房副長官秘書官。
1990年 - 大蔵省主計局主査(労働予算担当)。
1991年 - 大蔵省主計局主査(防衛予算担当)。
1994年 - 農林水産省大臣秘書官。
1995年 - 大蔵省大臣官房企画官を最後に退官。加藤六月秘書。
1998年 - 第18回参議院議員通常選挙落選(岡山県選挙区)。
2000年 - 第42回衆議院議員総選挙落選(比例中国ブロック)。川崎医療福祉大学客員教授。
2003年 - 第43回衆議院議員総選挙当選(比例中国ブロック)。
2005年 - 第44回衆議院議員総選挙当選(比例中国ブロック)。衆議院環境委員会理事。
2007年 - 内閣府大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)。
2008年 - 自由民主党経済産業部会部会長代理。衆議院内閣委員会理事。
2009年 - 自由民主党厚生労働部会医療委員会事務局長。
2009年 - 自由民主党文部科学部会特別支援教育小委員会委員長。第45回衆議院議員総選挙当選(岡山5区)。自由民主党厚生労働部会部会長・IT戦略特別委員会事務局長・行政改革推進本部幹事。衆議院厚生労働委員会理事。
2010年 - 自由民主党副幹事長。
2012年 - 自由民主党総裁特別補佐・報道局長・厚生労働部会副部会長・社会保障制度に関する特命委員会事務局長。第46回衆議院議員総選挙当選(岡山5区)。内閣官房副長官(第2次安倍内閣)。
2014年 - 内閣人事局長(初代)[9]。第47回衆議院議員総選挙当選(岡山5区)。
2015年 - 内閣府特命担当大臣(少子化対策担当、男女共同参画担当)及び一億総活躍担当、女性活躍担当、再チャレンジ担当、拉致問題担当、国土強靱化担当。
2016年 - 内閣府特命担当大臣(少子化対策担当、男女共同参画担当)及び一億総活躍担当、働き方改革担当、女性活躍担当、再チャレンジ担当、拉致問題担当。
2017年 - 厚生労働大臣及び働き方改革担当、内閣府特命担当大臣(拉致問題)。第48回衆議院議員総選挙当選(岡山5区)。


以上wiki


・1986年 - 内閣官房副長官秘書官。→国鉄私営化・電電公社私営化の時の内閣官房副長官秘書官ということは、CIA資金担当でしょうか。

・1991年 - 大蔵省主計局主査(防衛予算担当)→湾岸戦争〜PKOで自衛隊の海外派遣の時の防衛予算担当の人ですね。これも裏金ありの案件です。

・2009年 - 自由民主党厚生労働部会医療委員会事務局長。→新型インフルエンザ詐欺の時の医療委員会事務局長

・行政改革推進本部幹事

・パソナと竹中平蔵の働き方改革担当

・厚生労働大臣

この人は、ものすごくコアなCIA軍事+医療+新自由主義改革の中の人ですね。


川崎医療福祉大学客員教授。ってことで、加計学園の倉敷芸術科学大学と川崎医療福祉大学作って予算が無くなり堤防作れなかったわけですから大元ですよね。。


その父親

加藤六月
自民党では福田派→安倍派に属し、当選同期の塩川、1期下の森喜朗、2期下の三塚博と共に安倍派四天王と称された。中でも安倍晋太郎の信頼が一番厚かったのが加藤で、安倍の代理として党内各派との調整役なども任されていた。また、三塚とは同じ運輸族であり、事件の影響で加藤が出遅れる間に三塚が力を付けてきたことから、ライバル意識が強かった。


安倍派四天王

おば

加藤 康子(かとう こうこ、1959年 - )

1959年生まれ、東京都出身。1981年、慶應義塾大学文学部国文科卒業。国際会議通訳、CBSニュース調査員を経て[1]、1989年、ハーバード大学ケネディスクール政治行政大学院修士課程修了(MCRP取得)。慶應大在学中に産業遺産の概念に出会い、ハーバード大学院では企業城下町を研究し、在学中に第一法規出版の『まちづくりVIEW』に「アメリカのまちづくり」シリーズを連載した。
2015年7月2日より、安倍晋三内閣における内閣官房参与(産業遺産の登録および観光振興を担当)を務める。


毎度おなじみ、日中戦争漁父の利計画のジョセフナイや売国竹中平蔵でおなじみのハーバード大学ケネディスクールで、安倍晋三内閣における内閣官房参与


おなかいっぱい過ぎるアルミ工場爆発です。

以下関連

オウム死刑の次は豪雨 台風第8号マリアが急速に発達 地下鉄サリン事件まとめ
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2018/07/07/8911387

西日本豪雨とショックドクトリン(惨事便乗型新自由主義)とオウムを結ぶ線
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2018/07/08/8912199

西日本豪雨被災地の岐阜県関市下之保でダイナマイトが発見
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2018/07/14/8916694

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