シリアで日本人拘束だそうですが、またまた偽旗作戦の匂いがしますね 「湯川遥菜」とその周辺 その2 極めつけの団体2014/08/19 19:45

シリアで日本人拘束だそうですが、またまた偽旗作戦の匂いがしますね 「湯川遥菜」とその周辺 その1 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/08/19/7417409
のつづき


の前に、

これ面白いです

シオン業者の詐欺の声、諸行やらせの響きあり、ハイルヒトラーの鼻の髭、要は振り付けのことわりをあらわす、である。
http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/264.html



では
民間軍事会社代表「湯川遥菜」の所属団体つづきです。



公益財団法人偕行社(かいこうしゃ)は、日本の公益財団法人。大日本帝国陸軍の元将校・将校生徒・軍属高等官および、陸上自衛隊の元幹部の親睦組織。

なるほど


では、これは??
千葉県警察友の会

以下HPより引用

1. 警察官友の会誕生の経緯
警察官友の会が初めて設立されたのは、昭和35年7月30日、東京でのことでした。この年は、日米安保条約改定を巡って激しい対立が続き、国会周辺では連日大規模な違法デモが繰り返され、6月15日には一部デモ隊が国会構内に突入し、女性1名が死亡するという事態まで発生するというまさに物情騒然とした時代でした。このような中で、激しい投石や罵声に耐え黙々と任務の完遂に当たっていた警察官の姿を見た心のある文化人や財界の方々が、「これでは警察官が可哀想だ、何とか元気付けよう。」と広く呼び掛け、設立に至ったものです。

2. 匝瑳警察署警察官友の会結成の経緯
昭和58年3月、地元有識者たちが中心となって管内の商工会議所、ロータリークラブ、ライオンズクラブその他交通安全協会などの各奉仕団体に関係する有識者に広く警察官友の会の結成を呼び掛けた結果、千葉県警察官友の会連合会設立と同時に結成しました。

3. 匝瑳警察署警察官友の会懇親会
毎年、匝瑳警察署警察官友の会会員が署員をねぎらい、友の会会員との懇親会を開催して頂いております。署長を初め署員一同、会員の皆様には心から感謝しております。

以上引用
police.pref.chiba.jp/police/police_department/sousa/wrestle.php


なるほど
日米安保(60年安保)の時に作られたのか。


日米安保な組織なのね。




で、極めつけが、これ。

公益財団法人日本国防協会(にほんこくぼうきょうかい)は、1970年3月に元海軍省軍務局長の衆議院議員保科善四郎(自由民主党初代国防部会長)の働き掛けにより設立された公益法人。設立には大蔵大臣福田赳夫(後に内閣総理大臣)・経団連会長植村甲午郎の協力を仰いだ。法改正に伴って、2010年7月に財団法人日本国防協会から現在の名称になった。元防衛省所管。


概要
東京都新宿区市谷砂土原町三丁目1番3号 コープ市谷73号室
会長:中谷元(元防衛庁長官)
理事長:平岡裕治(元航空幕僚長)
活動目的
国内外の国防に対する政治、経済、社会等の情勢を明らかにし、わが国の防衛のあり方を探求すると共に、国防思想の普及を図り、もって、わが国の平和と独立の維持に寄与する

事業概要
国防思想の普及啓発
国防問題の調査研究
国防問題講演会の開催
機関誌・紙「安全保障」の発行
自衛隊施設及び国外軍事施設等の研修見学
慰霊碑の参拝
カレンダー及び日章旗バッジの普及販売


歴代会長
保科善四郎:1970年3月 - 1991年12月(元海軍中将・元海軍省軍務局長・衆議院議員)
長谷川峻:1992年2月 - 1992年10月(元労働大臣・元運輸大臣・衆議院議員)
伊藤宗一郎:1993年3月 - 2001年9月(元防衛庁長官・衆議院議長(当時))
岡部文雄:2002年6月 - 2007年3月(元海上幕僚長・財団法人水交会副会長)
中谷元:2007年3月 - (元防衛庁長官・衆議院議員・第5代会長及び公益財団法人初代会長)



歴代理事長
保科善四郎:1970年3月 - 1991年12月
平野晃:1992年2月 - 2002年6月(元航空幕僚長)
石田潔:2002年6月 - 2007年3月(元陸将・富士学校長)
平岡裕治:2007年3月 - (元航空幕僚長・第4代理事長及び公益財団法人初代理事長)

wikipedia


現在の会長

中谷 元(なかたに げん、1957年10月14日 - )は、日本の政治家、元陸上自衛官(二等陸尉、レンジャー)。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自民党副幹事長(特命担当)、自民党高知県連会長。元防衛庁長官(第67代)。wiki


以下hpから引用

■経  歴

昭和51年3月
・土佐高等学校 卒業(51回生)

昭和55年3月
・防衛大学校 本科(理工学専攻)卒業(24期)

昭和59年12月
・陸上自衛隊 普通科連隊小銃小隊長、
レンジャー教官を担当 二等陸尉で退官

昭和60年1月
・衆議院議員(防衛庁長官)加藤 紘一 秘書

昭和60年12月
・衆議院議員(厚生大臣)今井 勇 秘書及び秘書官

昭和61年9月
・衆議院議員(大蔵大臣)宮澤 喜一 秘書

平成2年2月
・衆議院議員 初当選(現在に至る)


■現在の役職

【常任委員会】
○総務委員会 委員
【特別委員会】
○海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び
我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 委員
○憲法審査会 幹事
【自民党】
○副幹事長(特命担当)
○農林水産戦略調査会長
○税制調査会 副会長
○山村振興特別委員会 委員長
○外交再生戦略会議 副議長
○宇宙・海洋開発特別委員会 顧問
○過疎対策特別委員会 副委員長
○拉致問題対策特別委員会 副委員長
○憲法改正推進本部 事務局長
○憲法起草委員会 委員長
○高知県支部連合会 会長
○高知県第二選挙区支部 支部長

【その他役職】
○全国水源林造林協議会連合会 会長
○全国山村振興連盟 会長
○日本国防協会 会長
○緑の雇用議員の会 会長
○森林・林業・林産業活性化推進議員連盟 会長
○国会ラグビークラブ 会長
○新世紀の安全保障を確立する議員の会 代表幹事
○連動型地震による超広域災害への備えを進める議員連盟 幹事長
○4月28日を主権回復記念日にする議員連盟 幹事長

以上引用
nakatanigen.com/modules/data1/


■国会議員としての主な歩み

平成2年
・衆議院議員 初当選

平成5年
・衆議院安全保障委員会 理事
・党林政基本問題小委員長

平成6年
・衆議院建設委員会 理事
・党通信情報局

平成7年
・国土政務次官
・党高知県連会長

平成8年
・衆議院逓信委員会 理事
・衆議院災害対策特別委員会 理事
・党国防部会長
・党高知県連第2選挙区支部長

平成9年
・郵政政務次官
・党国会対策副委員長

平成10年
・党組織局長
・党広報局長
・党情報・通信関係団体委員長

平成11年
・党広報本部副本部長
・衆議院政治倫理の確立及び公職
・選挙法に関する特別委員会 理事

平成12年
・自治総括政務次官

平成13年
・国務大臣 防衛庁長官

平成14年
・国務大臣 防衛庁長官

平成15年
・イラク人道復興支援並びに国際テロリズムの防止及び
我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 理事
・党副幹事長

平成16年
・外務委員会 筆頭理事
・国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びに
イラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 筆頭理事
・党副幹事長

平成17年
・外務委員会 筆頭理事
・国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びに
イラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 筆頭理事
・党副幹事長

平成18年
・総務委員会 委員長
・党政務調査会 副会長
・党林政調査会長

平成19年
・党林政調査会長
・党安全保障調査会 会長

平成20年
・国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びに
イラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 筆頭理事
・党安全保障調査会長
・党郵政民営化推進に関する検討・検証プロジェクトチーム座長
・与党 海賊対策等に関するプロジェクトチーム座長

平成21年
・安全保障委員会 筆頭理事
・海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の
協力支援活動等に関する特別委員会 筆頭理事
・党人事委員長
・党山村振興特別委員長

平成22年
・安全保障委員会 理事
・海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の
協力支援活動等に関する特別委員会 筆頭理事
・党情報調査局長
・党林政調査会長

平成23年
・安全保障委員会 委員
・郵政改革に関する特別委員会 委員
・党政調会長代理
・党林政調査会長

平成24年
・安全保障委員会 委員
・海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の
 協力支援活動等に関する特別委員会 筆頭理事
・党政調会長代理
・党林政調査会長

以上引用
nakatanigen.com


こりゃ、極めつけですね。


■現在の役職

【特別委員会】
○海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び
我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 委員

○副幹事長(特命担当)

はい、アフガニスタンから白い粉を載せた海賊船を捕まえて、ソマリアから帰ってくる会ですね。

で、自民党の副幹事長って、そのままですよ(白い粉)



さらに

【自民党】

○税制調査会 副会長
○外交再生戦略会議 副議長
○宇宙・海洋開発特別委員会 顧問
○拉致問題対策特別委員会 副委員長
○憲法改正推進本部 事務局長
○憲法起草委員会 委員長


へえ


そして


昭和60年(1985年)1月
・衆議院議員(防衛庁長官)加藤 紘一 秘書

昭和60年(1985年)12月
・衆議院議員(厚生大臣)今井 勇 秘書及び秘書官

ということは、、

日航機123便墜落事故の時の、防衛庁長官秘書ですね、そうですね。



さらに、HP見ると、のっけから、

世界日報での座談会インタビュー(14/08/09)
安倍政権は、集団的自衛権の行使を限定的に容認する閣議決定を行い、日本の安全保障は新たな段階に入った。そのための法制化も急がれている。そこで、中谷元・元防衛庁長官(自民党衆議院議員)、吉原恒雄・元拓殖大学教授、世界日報論説主幹の黒木正博が「集団的自衛権と日本の安全保障」をテーマに話し合った。



だそうです。


世界日報は、統一狂会の機関誌です。
朝鮮半島です。



初代会長も興味深いです。


保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。


略歴
宮城県伊具郡北郷村(現・角田市)出身。旧制宮城県角田中学校より海軍兵学校第41期入校。席次は入校時120名中40番、卒業時118名中28番。


年譜
1891年(明治24年)3月8日 - 宮城県伊具郡北郷村(現・角田市江尻)にて生まれる。
1903年(明治36年)4月1日 - 宮城県角田中学校入学
1908年(明治41年)3月31日 - 宮城県角田中学校卒業
1910年(明治43年)9月12日 - 海軍兵学校入校
1913年(大正2年)12月19日 - 海軍兵学校卒業 海軍少尉候補生・装甲巡洋艦・「吾妻」乗組
1914年(大正3年)4月20日 - 練習艦隊遠洋航海出発 ホノルル~ヒロ~サンペドロ~サンフランシスコ~バンクーバー~ビクトリア~タコマ~シアトル~函館~青森方面巡航
8月11日 - 帰着
8月14日 - 戦艦「安芸」乗組
8月21日 - 巡洋戦艦「伊吹」乗組
12月1日 - 任 海軍少尉・第2南遣枝隊司令部附
12月28日 - 戦艦「富士」乗組
1915年(大正4年)6月30日 - 装甲巡洋艦「吾妻」航海士 少尉候補生指導官附
12月6日 - 練習艦隊近海航海出発 佐世保~仁川~旅順~大連~鎮海~舞鶴~鳥羽方面巡航
1916年(大正5年)4月3日 - 帰着
4月20日 - 練習艦隊遠洋航海出発 香港~シンガポール~フリーマントル~メルボルン~シドニー~ウェリントン~オークランド~ヤルート~ポナペ~トラック~父島方面巡航
8月22日 - 帰着
9月1日 - 巡洋戦艦「金剛」乗組
12月1日 - 任 海軍中尉・海軍水雷学校普通科学生
1917年(大正6年)6月1日- 海軍砲術学校普通科学生
12月1日 - 2等巡洋艦「千歳」乗組
1918年(大正7年)7月24日 - 1等駆逐艦「山風」乗組
1919年(大正8年)12月1日 - 任 海軍大尉・海軍砲術学校高等科第18期学生
1920年(大正9年)11月29日 - 海軍砲術学校高等科修了
12月1日 - 巡洋戦艦「霧島」分隊長
1921年(大正10年)5月5日 - 装甲巡洋艦「出雲」分隊長 海軍少尉候補生指導官
8月20日 - 練習艦隊遠洋航海出発 ホノルル~サンティアゴ~パナマ~コロン~ニューヨーク~ポンタ・デルガダ~シアネス(Sheerness)~ル・アーヴル~ジブラルタル~マルタ~ポートサイド~アデン~コロンボ~シンガポール~馬公~基隆
1922年(大正11年)4月4日 - 帰着
4月15日 - 2等駆逐艦「柳」乗組
12月1日 - 1等駆逐艦「灘風」砲術長兼分隊長
1923年(大正12年)12月1日 - 海軍大学校甲種第23期学生
1925年(大正14年)11月25日 - 海軍大学校甲種卒業 卒業成績順位22名中第2位
12月1日 - 海軍少佐・戦艦「山城」副砲長兼分隊長
1926年(大正15年)12月1日 - 霞ヶ浦海軍航空隊附
1927年(昭和2年)3月1日 - 海軍省出仕
5月1日 - 海軍省人事局 臨時航空会議議員
1930年(昭和5年)4月1日 - 海軍省軍令部出仕
5月1日 - アメリカ駐在 エール大学留学
12月1日 - 任 海軍中佐
1931年(昭和6年)5月1日 - 在アメリカ日本大使館附海軍駐在武官補佐官
1932年(昭和7年)5月2日 - 帰朝
7月1日 - 海軍省出仕
11月15日 - 第3艦隊砲術参謀
1933年(昭和8年)11月1日 - 海軍大学校教官
1934年(昭和9年)11月15日 - 任 海軍大佐
1935年(昭和10年)8月1日 - 兼 海軍省出仕
10月15日 - 海軍軍令部出仕
10月30日 - 海軍省軍務局第1課長
1938年(昭和13年)1月15日 - 支那方面艦隊参謀副長 兼第3艦隊先任参謀
4月25日 - 重巡洋艦「妙高」艦長
11月15日 - 重巡洋艦「鳥海」艦長
1939年(昭和14年)11月1日 - 戦艦「陸奥」艦長
1940年(昭和15年)11月1日 - 海軍軍令部兼海軍省出仕
11月15日 - 任 海軍少将・海軍省艦政本部出仕 兼海軍省兵備局長
1941年(昭和16年)3月11日 - 企画院参与 兼国家総動員審議会幹事
4月1日 - 免 海軍省艦政本部出仕
12月3日 - 兼 海軍省運輸部長
12月26日 - 兼 農林省総務局参与
1943年(昭和18年)6月25日 - 免運輸部長 兼運輸本部長
6月30日 - 兼 企画院調査官
11月1日 - 任 海軍中将
12月29日 - 兼 軍需省軍需官
1944年(昭和19年)3月11日 - 兼 運輸通信省海運局参与
6月25日 - 免 運輸本部長
1945年(昭和20年)3月1日 - 海軍省軍務局次長
3月20日 - 兼 海軍省船舶救難本部長
4月1日 - 兼 化兵戦部長
5月15日 - 海軍省軍務局長
5月27日 - 兼 大本営海軍部綜合部長
9月1日- 海軍省軍務局長 兼運輸本部長 兼大本営戦力補給部長
11月17日 - 海軍省出仕
11月30日 - 海軍省廃官に依り予備役編入 即日充員召集
12月1日 - 第2復員省出仕
1946年(昭和21年)3月31日 - 充員召集解除
1952年(昭和27年)7月11日 - 海空技術調査会会長
1955年(昭和30年)2月27日 - 第27回衆議院議員総選挙当選
1957年(昭和32年)1月1日 - 自由民主党治安対策特別委員会副委員長
1958年(昭和33年)8月26日- 第28回衆議院議員総選挙繰上当選
1959年(昭和34年)7月1日 - 自由民主党対外経済協力特別委員会副委員長
1960年(昭和35年)11月20日 - 第29回衆議院議員総選挙当選
12月23日- 東北開発審議会委員
1961年(昭和36年)8月1日 - 自由民主党総務委員会副委員長
1962年(昭和37年)9月1日 - 自由民主党安全保障に関する調査会副会長
1963年(昭和38年)11月21日 - 第30回衆議院議員総選挙当選
1月26日 - 産業公害対策特別委員長
1965年(昭和40年)11月3日 - 授旭日重光章
1966年(昭和41年)8月1日 - 自由民主党政調審議委員
11月27日 - 衆議院解散に依り議員辞職
1967年(昭和42年)1月29日 - 第31回衆議院議員総選挙落選
1970年(昭和45年)3月15日 - 日本国防協会会長
1971年(昭和46年)9月 - 日本国防協会が財団法人に
1991年(平成3年)12月25日 - 死去 享年100。叙正四位

wikipedia


1930年(昭和5年)4月1日 - 海軍省軍令部出仕
5月1日 - アメリカ駐在 エール大学留学
12月1日 - 任 海軍中佐
1931年(昭和6年)5月1日 - 在アメリカ日本大使館附海軍駐在武官補佐官

こりゃ、興味深い。
スパイ??


というか、日本軍自体が、米ドル一極支配のための傀儡だったわけですから、当たり前といえば、当たり前ですが。。




あとは、こんな感じ


長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。正三位勲一等旭日大綬章。

来歴・
早稲田大学卒業後、1933年に九州日報社(現 ・西日本新聞社)に入社。記者として活躍。この頃、緒方竹虎、中野正剛との知遇を得て、両雄の下で政治のイロハを学ぶ。1945年、緒方が東久邇宮稔彦王内閣の国務大臣に就任すると、その秘書官を務めた。1953年に自由党から宮城2区で衆議院議員に初当選し緒方を補佐するが、1955年の総選挙で落選、さらに翌年には首相就任を目前にして、師である緒方が急死してしまう。
1958年に国政復帰。自民党では緒方派を継いだ石井派に属す。池田勇人内閣で文部政務次官に就任。1973年の第2次田中角榮内閣第1次改造内閣、1974年の三木内閣では労働大臣、1982年の第1次中曽根内閣では運輸大臣を歴任。しかし、1988年の竹下改造内閣で法務大臣として入閣した直後、当時世間を騒がせていたリクルート事件に関連し、リクルートからの政治献金が発覚。任命からわずか3日後[1]で閣僚在任期間4日間の短命閣僚となり、戦後政治史では最短退任記録歴代1位となった。この退任劇は竹下内閣に少なからず影響を与えた。就任時の記者会見で「(リクルートと)ご縁がないからここに居られる」と大口をたたいたことが結果的に命取りとなった。
旧石井派が解消した後は、1979年に中川一郎が中心になって旗揚げした中川派に重鎮として参加。中川派解体後は石原慎太郎らと共に福田派→安倍派へ合流した。安倍の死後、派内で起こった三塚博と加藤六月の後継者争い(三六戦争)では、当時清和会座長であった長谷川の裁定で三塚を会長に推し、決着させた。
1992年10月19日、現職議員として80歳にて死去。当選回数は通算13回。日本遺族会会長も務めた。


CIA緒方竹虎の秘書

日本遺族会会長か


植村 甲午郎(うえむら こうごろう、1894年(明治27年) 3月12日 - 1978年(昭和53年) 8月1日は、昭和初期から後期(1920年代 - 1970年代)の財界人、官僚。札幌オリンピック組織委員会会長。
第3代経済団体連合会(経団連)会長(1968年(昭和43年) - 1974年(昭和49年) )。

来歴・人物
東京府東京市に植村澄三郎の長男として生まれる。祖父厚十郎は旧幕臣で甲府勤番士として甲府へ赴任していた。慶應義塾幼稚舎、東京府立一中、第一高等学校を経て1918年(大正7年) 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
農商務省に入省。大臣秘書官、資源局調査課長を務めた後、企画院調査部長となり、国家総動員法策定の指揮を執る。1940年(昭和15年) 企画院次長。
1941年(昭和16年) には九州の石炭王・松本健次郎に請われて、「石炭統制会」の理事長となる(松本が会長)。戦後も松本の引きにより、1945年(昭和20年) 経団連の前身である「日本経済連合委員会」の副委員長兼事務局長となり、1946年(昭和21年) に経団連が発足すると引き続き事務局長に就任した。翌1947年(昭和22年) に公職追放。
1951年(昭和26年) 追放が解除されると経団連に復帰し、相談役を経て副会長に就任する。1955年(昭和30年) には植村が中心となって「経済再建懇談会」を立ち上げ、これまでの個々の企業による献金から、戦前から岸信介ら商工省・企画院人脈との深い繋がりから、経済界・財界から政界・自由民主党への今に至る画期的な献金システム、俗にいう奉加帳方式を整備した。また、フジテレビジョン会長、ニッポン放送社長・会長、日本航空会長等も務めた。
株式会社フジテレビジョン創設に関わり代表取締役会長、株式会社ニッポン放送の社長や会長を務めたことから、鹿内信隆との関係が深く、信隆の長男・鹿内春雄が彼の秘書を務めていたことがある。
1960年(昭和35年) 、足立正(日本商工会議所会頭)らと発起人となり社団法人日韓経済協会を設立。自ら初代会長に就任する。
1968年、石坂泰三の後を継いで経団連会長に就任すると、副会長を5人から7人に増員し、集団指導体制の下で調整力を発揮しながら、石油ショック・日米繊維交渉など内外の経済問題に対処していった。業界内・間の調整にその威力を発揮したが、この頃の環境や公害問題への対処に植村の限界があったとも云われている。1974年には会長を土光敏夫に引継ぎ、名誉会長となる。1972年(昭和47年)勲一等旭日大綬章受章。1978年8月1日死去。享年84。

松本清張小説・「深層海流」が植村をモデルにしている。
1968年より1974年頃まで、財団法人サンケイスカラシップ第2代会長として海外留学生公募に携わる。初代会長は吉田茂、第3代は鹿内信隆。


家族
父 植村澄三郎(実業家・元大日本麦酒常務取締役)[1]
弟 泰二(元東宝映画社長)
妻 淑(富井政章男爵の娘)
長男 泰忠(物理学者・元東京大学理学部教授)
二男 泰久(実業家・元仙台放送社長)


wikipedia


毎度おなじみの、経団連フジサンケイ系です。


ちょっと調べただけで、これだけの背景が分かりました。



日本のために @izimo_ssp · 20 時間
湯川氏は気の毒だね。保守派の駒に利用された。

戦死→自衛権発動のネタ
(自己責任論?)

奪還作戦成功→(米軍特殊部隊同盟美談説の展開)

無事帰国→シリア人凶悪説の宣伝塔


さあ、どれでしょう??


いずれにしても、9月でアフガニスタンの白い粉が入ってこなくなるので、白い粉ものマフィアの人たちは大変です。(そのための集団的自衛権)

日航機123便事故と国有財産私物化、行政改革、ショックドクトリン2014/08/17 22:28


最近、日航機123便事故の再調査してたのですが。。


日航機123便が何かに激突した海域で、自衛隊が演習していたのは、まぎれもない事実です。


JAL123便の尾翼が吹き飛んだとみられる地点の南40キロメートルの高度1500フィート付近は、R116という自衛隊の演習区域

1985年8月12日に護衛艦「まつゆき」は相模湾・伊豆沖で納入前の試試運航中

国有財産として未登録
  国有財産でない場合は、所有権は製造会社側にあるので、これらの航空機や艦艇が実際にやったことの報告義務から法的には免れる そうです。



では、当時の所有権は誰??

以下wiki


まつゆき(ローマ字:JS Matsuyuki, DD-130)は、海上自衛隊の護衛艦。はつゆき型護衛艦の9番艦。


艦歴
「まつゆき」は、中期業務見積もりに基づく昭和56年度計画2,900トン護衛艦2218号艦として、石川島播磨重工業東京第1工場で建造され、1983年4月7日起工、1984年10月25日進水、1986年3月19日に就役し、第2護衛隊群に新編された第44護衛隊に「やまゆき」とともに編入され、呉に配備された。
1985年8月13日午後、進水後の各種試験で相模湾で公試中の際、前日に起きた日本航空123便墜落事故で事故発生時事故機から離脱した、事故機の垂直尾翼を偶然発見、回収し事故原因解明に大きく寄与した。
1987年、遠洋練習航海に参加。
1992年、環太平洋合同演習 (RIMPAC) に参加。
1997年3月24日、隊番号の改正により第44護衛隊が第2護衛隊に変更となる。
1997年、遠洋練習航海に参加。その途上の8月29日、対空射撃訓練中に76mm単装砲が暴発、訓練弾により自艦の艦首を小破。原因は砲の部品の加工不良と取り付け間違いと判明した。
1998年3月20日、第4護衛隊群第8護衛隊に編入される。
2002年、遠洋練習航海に参加。
2003年3月13日、呉地方隊第22護衛隊に編入される。
2008年3月26日、護衛隊改編により護衛艦隊第12護衛隊に編入された。
2010年3月15日、護衛艦隊第14護衛隊に転籍となり定係港も呉から舞鶴へ移った。
2012年4月15日午前11時5分ごろ、陸奥湾の夏泊半島の北北東約8キロの海上で、大湊基地から出港した「かしま」「しまゆき」「まつゆき」3隻の練習艦隊見送りのため、低空を展示飛行中だった海上自衛隊第21航空群第25航空隊(大湊)の哨戒ヘリSH-60J(8279号機)(機長・宮永雅彦3佐)が「まつゆき」の左舷格納庫側壁にメインローターを接触させ、墜落した。この事故で宮永雅彦3佐が殉職、「まつゆき」も左舷格納庫の側壁を損傷し、実習幹部を「かしま」に移乗させた後、修理のため一時練習艦隊を離れたが、2週間ほどで修理を済ませ再度練習艦隊に合流した。

wikipedia


ちなみに、311の福島第一原発事故の時は、海上保安庁の巡視船『まつしま』が、311の15時頃たまたま偶然福島第一原発の目の前に居たことが判明しています。(まめ知識)

311地震の津波はこうして起きた 仮説
http://ccplus.exblog.jp/17440342/


以下再びwikiから

株式会社IHI(アイ・エイチ・アイ、英:IHI Corporation)は、重工業を主体とする日本の製造会社。
旧社名は石川島播磨重工業株式会社(いしかわじまはりまじゅうこうぎょう、Ishikawajima-Harima Heavy Industries Co., Ltd,)。2007年7月1日付をもって、従来略称として用いてきたIHIを正式社名に変更した(「H」はHarimaではなくHeavy IndustriesのH)。

概要
幕末以来160年を超える歴史を誇り、重機などの重工業において、日本を代表する名門企業の一つである。日本の工業技術をリードしてきた企業の一つであり、旧国鉄(現:JR東日本)東京駅の丸の内側本屋の鉄骨の建造(施工は大林組が担当し、1914年に開業)、永野治による日本初のターボ・ジェットエンジン開発(1945年)、日本国内最大の大型海水淡水化装置建設(1967年)、東京湾アクアライン工事用シールド掘進機納入(1997年)、明石海峡大橋のケーソンやタワー(主塔)の建設(1998年)など、その業績は数多く存在する。
そのため、同社のトップは政財界において大きな発言力を持ち、社外においても様々な場面で重用されてきた。最近では伊藤源嗣が日本経済団体連合会(日本経団連)の評議員会副議長を務めていた(就任時は社長、2003年~2007年)。1980年代に中曽根康弘首相が進めた行政改革においては、その基本方針をまとめた第二次臨時行政調査会の会長を同社出身の土光敏夫が務め、その主要政策として実行された日本電信電話公社の民営化では真藤恒が同公社の最後の総裁、及び日本電信電話(NTT)の初代社長としてその移行を実現させた。また、稲葉興作は1993年~2001年に日本商工会議所の会頭であった。
元来独立系の企業だが、土光敏夫が三井グループの東京芝浦電気(現:東芝)の再建に関わって以来東芝と密接な関係にあるため、三井グループを構成する二木会(社長会)・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(三井系の会員制クラブ)及び月曜会(三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合)に加盟している。一方、旧石川島重工業と旧第一銀行とのつながりから、メインバンクはみずほ銀行であり、IHIは旧第一勧銀グループにも属しているといえる。
2012年10月からコーポレートメッセージを「Realize your dreams」とした[2]。




土光 敏夫(どこう としお、1896年(明治29年)9月15日 - 1988年(昭和63年)8月4日)は昭和時代の日本のエンジニア、実業家。
石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝 社長・会長を歴任、母が創立させた橘学苑の校長も務める。日本経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として土光臨調でも辣腕を振るう。「メザシの土光さん」としても親しまれた。
位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民。次男の土光哲夫は東芝タンガロイの元役員。


経歴
1896年(明治29年)9月15日、岡山県御野郡大野村(現在の岡山市北区)に肥料仲買商の土光菊次郎・登美夫妻の次男として誕生。母の登美は日蓮宗に深く帰依した女性で女子教育の必要性を感じ、1941年(昭和16年)にほとんど独力で横浜市鶴見区に橘学苑を開校した程の女傑であった。校訓を「正しきものは強くあれ」とし、敏夫は母の気性を強く受け継いだ。
敏夫は関西中学(現・関西高等学校)を卒業後、代用教員をしながら1浪して東京高等工業学校(現・東京工業大学)機械科に入学。同期生には茅誠司、武井武などがいた。1920年(大正9年)に卒業後、東京石川島造船所(現・IHI)に入社。1922年(大正11年)、タービン製造技術を学ぶためスイスに留学する。1936年(昭和11年)、芝浦製作所(現・東芝)と共同出資による石川島芝浦タービン(現:IHIシバウラ)が設立されると技術部長として出向し、1946年(昭和21年)に社長に就任した。この頃その猛烈な働きぶりから「土光タービン」とあだ名される。
1950年(昭和25年)、経営の危機に本社[1]に復帰、社長に就任し再建に取り組む。土光は徹底した合理化で経営再建に成功する。1959年(昭和34年)、石川島ブラジル造船所を設立。さらに1960年(昭和35年)、播磨造船所と合併し石川島播磨重工業に社名を変えた。この間、1954年(昭和29年)に造船疑獄に巻き込まれて逮捕・勾留されるも最終的に不起訴処分となる。
1965年(昭和40年)、やはり経営難に陥っていた東京芝浦電気(東芝)の再建を依頼され、社長に就任する。ここでも辣腕を振るい、翌年の1966年(昭和41年)に再建に成功する。しかし、敏夫のいわば「モーレツ経営[2]」は東芝の体質を変えるまでには至らず、1972年(昭和47年)に会長に退いた。
1974年(昭和49年)、日本経済団体連合会(以下、経団連)第4代会長に就任。以後、2期6年にわたって財界総理として第一次石油ショック後の日本経済の安定化や企業の政治献金の改善などに尽力した。一方で日本経済の一層の自由化と国際化を図り、積極的に海外ミッションを組んで各国に渡航した。
1981年(昭和56年)には鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官に請われて第二次臨時行政調査会長に就任。就任に当たっては、
首相は臨調答申を必ず実行するとの決意に基づき行政改革を断行すること。
増税によらない財政再建の実現。
各地方自治体を含む中央・地方を通じての行革推進
3K(コメ、国鉄、健康保険)赤字の解消、特殊法人の整理・民営化、官業の民業圧迫排除など民間活力を最大限に生かすこと。
の4箇条の申し入れを行い、実現を条件とした。行政改革に執念を燃やして、2年後の1983年(昭和58年)に行財政改革答申をまとめ、「増税なき財政再建」「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」などの路線を打ち出し、さらに1986年(昭和61年)までは臨時行政改革推進審議会の会長を務めて、行政改革の先頭に立った。謹厳実直な人柄と余人の追随を許さない抜群の行動力、そして質素な生活から、「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」「行革の鬼」「めざしの土光さん」などの異名を奉られた。
1986年(昭和61年)11月、勲一等旭日桐花大綬章を受章。1988年(昭和63年)8月4日、老衰のため東京都品川区東大井の東芝中央病院で死去。91歳没。法名は「安国院殿法覚顕正日敏大居士」[3]。墓碑は神奈川県鎌倉市安国論寺(日蓮宗)。
彼の名を冠する弁論大会の土光杯全日本青年弁論大会・土光杯全日本学生弁論大会がフジサンケイグループ主催で毎年開かれている。

第二次臨時行政調査会(だいにじりんじぎょうせいちょうさかい)は、1981年に発足し、鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を達成すべく、行財政改革についての審議を行った。会長を務めた土光敏夫の名前から「土光臨調」とも呼ばれる。


概要
行財政改革を謳い文句に、各省間の総合調整、各省定員、予算編成権の抜本的な検討が、政界や財界を中心にして提案されたが、概算要求基準で予算の伸び率をゼロとする「ゼロ・シーリング」が導入され、それが第二次臨調答申前に閣議決定されたことで、大蔵省主導の予算編成権に関する抜本的な変化はなかった。ただし、政治的圧力や官僚の抵抗を受けつつも、田中角栄等の大物政治家の支持を取り付け、三公社民営化などの提言は、中曽根康弘政権の一連の行政改革に結実していった[1]。また、総合管理庁構想は、後の総務庁の設置、橋本政権における省庁再編につながっていると考えられる。
主要メンバーには、会長の土光敏夫の他に、瀬島龍三、加藤寛、屋山太郎らがいる。

実施提言
1984年度までに赤字国債ゼロ
官業民営化
国鉄分割民営化
日本電信電話公社
日本専売公社
3K赤字(コメ、国鉄、健康保険)の解消
wikipedia



なんというか、ど真ん中ですね。

1981年(昭和56年)には鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官に請われて第二次臨時行政調査会長に就任。



もちろん、国産OSトロンのこととか、プラザ合意のための脅しとかいろいろあると思いますけど


国有財産私物化、行政改革、ショックドクトリンです。

そして、国鉄民営化と電電公社民営化が、全てのスタートだったということだと思います。

ロシアの隕石とG20財務相・中央銀行総裁会議とFRB100年2013/02/19 14:20

さて、ロシアの隕石?E兵器?のつづきですが、この飛行物体は
、チェリャビンスク州付近で2013年2月15日午前9時20分(日本時間午後0時20分)ごろ、爆発しているわけです。


で、同じ日の夜、モスクワでは(G20)の財務相・中央銀行総裁会議が開幕

 【モスクワ=佐々木正明、小川真由美】15日午前の東京外国為替市場の円相場は、モスクワで15日夜(日本時間同深夜)から始まる20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議
http://news.goo.ne.jp/topstories/business/588/0c11e27fd4ba8bca40e55f962e67c4ab.html


参加者達は、さぞ、この映像を見せつけられたことでしょうね。

ということは。。デモンストレーションということか??



で、その爆発物の前に、こんな地震がありました。

以下USGS
Magnitude6.6
Date-Time
Thursday, February 14, 2013 at 13:13:53 UTC
Friday, February 15, 2013 at 12:13:53 AM at epicenter

Location
67.580°N, 142.593°E
Depth10.1 km (6.3 miles)
Region NORTHEASTERN SAKHA, RUSSIA
Distances
132 km (82 miles) WSW of Druzhina, Serbia
862 km (535 miles) NE of Markha, Russia
868 km (539 miles) NE of Yakutsk, Russia
982 km (610 miles) NNW of Magadan, Russia
Location Uncertainty
horizontal +/- 14.6 km (9.1 miles); depth +/- 2.6 km (1.6 miles)
earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/usc000f76f.php

ここに注目してください。
Thursday, February 14, 2013 at 13:13:53 UTC
Friday, February 15, 2013 at 12:13:53 AM at epicenter

なぜか時刻が間違って表記されています。
ロシアはUTCよりも時間が進んでいますから、この地震は14日のはずですね。

以下、その後起きた地震。


Friday, February 15, 2013 at 02:08:35 AM at epicenter
Friday, February 15, 2013 at 02:14:56 AM at epicenter
Friday, February 15, 2013 at 04:17:42 AM at epicenter
Friday, February 15, 2013 at 07:26:15 AM at epicenter

earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/quakes_all.php


誤表記は、USGSのサイトを見た人が、「あ、隕石が落ちた後に起きた地震なのだな」と思わせるためなのではないかと思えます。


つまり、隕石落下の事前準備のために起きてしまった地震ということを隠すため。かもしれませんね



さて、財務省が、このG20の会議で採択した声明がありますのでご覧ください。



20か国財務大臣・中央銀行総裁会議声明(仮訳)(2013年2月15-16日 於:ロシア・モスクワ)
http://www.mof.go.jp/international_policy/convention/g20/20130216.htm



こちらは、今後の予定です。
以下引用

http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/index.html

財務省関連 主要国際会議日程(平成25年1~12月)

平成25年2月1日現在
月 日 会議名 開催地
2月 15~16日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議 モスクワ(ロシア)
3月 16~17日 第54回 IDB(米州開発銀行)年次総会 パナマシティ(パナマ)
4月 18~19日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議 ワシントンDC(アメリカ)
19~20日 第27回 国際通貨金融委員会(IMFC)
20日 第87回 世銀・IMF合同開発委員会
5月 4~5日 第46回 ADB(アジア開発銀行)年次総会 ニューデリー(インド)
未定 第13回 日中韓財務大臣・中央銀行総裁会議
未定 第16回 ASEAN+3財務大臣・中央銀行総裁会議
10~11日 G7財務大臣・中央銀行総裁会議  未定
10~11日 第22回 EBRD(欧州復興開発銀行)年次総会 イスタンブール(トルコ)
30~31日 第48回 AfDB(アフリカ開発銀行)年次総会 マラケシュ(モロッコ)
6月 17~18日 G8サミット アーン湖(イギリス)
7月 19日 G20財務大臣・労働大臣合同会合 モスクワ(ロシア)
19~20日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議 モスクワ(ロシア)
9月

5~6日 G20サミット サンクトペテルブルグ(ロシア)
19~20日 第20回 APEC財務大臣会合 バリ(インドネシア)
10月 7~8日 第21回 APEC首脳会議 ワシントンDC(アメリカ)
10~11日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議
11~13日 第68回 世銀・IMF年次総会
未定 第28回 国際通貨金融委員会(IMFC)
12日 第88回 世銀・IMF合同開発委員会
未定 第5回 日中財務対話 未定
第6回 日韓財務対話
第6回 日中韓サミット
第16回 ASEAN+3首脳会議

http://www.mof.go.jp/international_policy/convention/schedule/index.html


なぜか、11月12月の予定が未定です。

そこで何が起きるのでしょうか?

そのためのバトルが現在繰り広げられているのでしょう。


FRB100周年は、12月23日です。

歴史は繰り返すと申しますが、歴史を学ぶために、もう一度FRB50周年の時を見てみましょう。



以下歴史データベースより抜粋引用
http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/index.html


1962/01/01,昭和37/01/01
南ベトナムに北ベトナム指導の人民革命党が成立する。
1962/01/01,昭和37/01/01
西サモアがニュージーランドから独立する。
1962/01/03,昭和37/01/03
インドネシアのスカルノ大統領が、西イリアンをインドネシアの1州であると宣言する。
1962/01/04,昭和37/01/04
ケネディ大統領が、南ベトナム経済援助計画を発表する。


1962/01/11,昭和37/01/11
中国共産党中央拡大工作会議が開幕する。毛沢東が大躍進の失敗を自己批判する。
1962/01/12,昭和37/01/12
ブルガリア党中央委員会が、「個人崇拝」排除に関する決定を下し、粛正犠牲者の復権を発表する。
1962/01/12,昭和37/01/12
アメリカ国務省が、共産党員へのパスポート発給を停止すると発表する。
1962/01/13,昭和37/01/13


1962/01/17,昭和37/01/17
創価学会政治連盟が、公明政治連盟と改称する。

1962/02/03,昭和37/02/03
ケネディ大統領が、キューバに対し輸出入を全面禁止することを発表する。
1962/02/04,昭和37/02/04
ロバート・ケネディが来日する。
1962/02/04,昭和37/02/04
前日のケネディ大統領の輸出入全面禁止措置に対し、キューバがハバナ宣言を出す。

1962/02/08,昭和37/02/08
アメリカが、南ベトナムに軍事援助指令部を設置する。
1962/02/09,昭和37/02/09
サイゴンの米軍事援助顧問団が、援助軍指令部となる。
1962/02/12,昭和37/02/12
ソ連が人工衛星からの金星ロケットの発射に成功する。
1962/02/14,昭和37/02/14
キューバが米州機構を脱退する。

1962/03/16,昭和37/03/16
韓国で、政治活動浄化法が公布される。
1962/03/18,昭和37/03/18
アルジェリア停戦協定が成立する。
1962/03/19,昭和37/03/19
ケネディ大統領が、沖縄は日本本土の一部とする声明と行政命令を発表する。
1962/03/22,昭和37/03/22
韓国の尹普善大統領が辞任する。

1962/04/26,昭和37/04/26
イギリスがアメリカと合同で人工衛星「エーリアル1号」を打ち上げ、成功する。
1962/04/30,昭和37/04/30
宮城県北部地震が起こる。マグニチュード6.5、死者・行方不明者3人、家屋損失369戸。

1962/05/06,昭和37/05/06
イタリア大統領にセニが選出される。

1962/05/12,昭和37/05/12
西アフリカ通貨同盟が発足する。
1962/05/15,昭和37/05/15
防衛庁設置法が改正公布され、防衛施設庁が開設されることになる。
1962/05/31,昭和37/05/31
アイヒマン(Eichman,Karl Adolf)がイスラエルで絞首刑に処せられる。56歳(誕生:1906/03/19)。ナチスの親英隊長だった。

1962/06/08,昭和37/06/08
米ソ宇宙専門家会議が開かれ、宇宙協力に関する共同コミュニケを発表する。

1962/06/10,昭和37/06/10
東京-大阪間のカラーテレビの中継が始まる

1962/07/03,昭和37/07/03
フランスのドゴール大統領が、アルジェリアの独立を宣言する。
1962/07/05,昭和37/07/05
アルジェリア共和国が独立する。
1962/07/10,昭和37/07/10
アメリカが通信衛星「テルスター」を打ち上げ、米英間テレビ中継に成功する。
1962/07/18,昭和37/07/18
ペルーで軍部のクーデターが起き、プラド大統領が失脚する。ゴドイの軍事政権が成立する。
1962/08/10,昭和37/08/10
アメリカ、ラスク国務長官の執務室での会合で、マクナマラがカストロの暗殺計画を示す。
1962/08/11,昭和37/08/11
有人宇宙船「ボストーク3号」「ボストーク4号」が相次いで打ち上げられ、宇宙空間でのランデブーに成功する。
1962/08/22,昭和37/08/22
ドゴール大統領の暗殺計画が失敗する。
1962/09/01,昭和37/09/01
イラン北西部のボインザラ、ガスビンでマグニチュード6.9の地震が起こり、1万2000人が死亡する。
1962/09/02,昭和37/09/02
ソ連が、キューバへの武器供与と軍事指導要員派遣協定を結んだことを発表する。
1962/09/04,昭和37/09/04
ガリオア・エロアの対米債務返済のための産業投資特別会計法改正が公布される。
1962/09/09,昭和37/09/09
中国空軍が、華東地区でU2型戦闘機1機を撃墜したことを発表する。
1962/09/12,昭和37/09/12
原子力研究所の国産第1号研究用原子炉に初の原子の火がともる。
1962/09/19,昭和37/09/19
自民党の松村謙三議員が、北京で周恩来首相と会談し、積み上げ方式による日中関係正常化で合意する。
1962/09/24,昭和37/09/24
韓国で、反共法、国家保安法が改正公布される。
1962/10/14,昭和37/10/14
アメリカの偵察機U2型機がキューバの森の中に建設中の核ミサイル基地を発見する。
1962/10/16,昭和37/10/16
キューバでのU2の偵察結果がケネディに報告される。
1962/10/17,昭和37/10/17
マクナマラがケネディに、キューバ危機に関して海上封鎖を強く主張する。
1962/10/17,昭和37/10/17
中印国境紛争が発生する。
1962/10/19,昭和37/10/19
新日本婦人の会が結成される。
1962/10/20,昭和37/10/20
アメリカの大西洋艦隊がキューバを攻撃する体勢を固める。
1962/10/20,昭和37/10/20
中国軍が、中印国境で全面攻撃を開始する。
1962/10/22,昭和37/10/22
ケネディ大統領がキューバでソ連が核ミサイル基地を建設中と発表し、キューバ海上封鎖を宣言。核戦争への危機高まる(キューバ危機)。
1962/10/23,昭和37/10/23
山谷で暴動が起こる。
1962/10/24,昭和37/10/24
ケネディがキューバへの核ミサイル運搬に備えて海上封鎖を始める。
1962/10/25,昭和37/10/25
国連で、アメリカの大使がソ連の大使に、キューバへのミサイルの配備の事実の有無を問う。
1962/10/26,昭和37/10/26
キューバで核弾頭のミサイル発射基地への輸送が始る。フルシチョフからケネディへの長文の電文書簡が届く。
1962/10/26,昭和37/10/26
西ドイツで、週刊誌「シュピーゲル」が国家機密を公表したとして編集者らが国家反逆罪で逮捕される。
1962/10/26,昭和37/10/26
インド政府が、中印国境戦争で非常事態宣言を発する。
1962/10/27,昭和37/10/27
日銀が、金融引き締め緩和措置を決定する。
1962/10/27,昭和37/10/27
アンダーソンが操縦するU2型偵察機がキューバ上空に向けて飛び立つが、ソ連基地のミサイルによって撃墜される(暗黒の土曜日)。
1962/10/28,昭和37/10/28
正宗白鳥、没。83歳(誕生:明治12(1879)/03/03)。作家。
1962/10/28,昭和37/10/28
キューバ危機で、ケネディとフルシチョフが主としてケネディ提案で合意する。フルシチョフがラジオでキューバの核ミサイルを撤去すると放送する(黄金の日曜日)。
1962/10/28,昭和37/10/28
フランスの国民投票で、憲法改正修正案が批准され、普通選挙による大統領選出となる。

1962/11/25,昭和37/11/25
フランス総選挙でドゴール派が圧勝する。
1962/12/10,昭和37/12/10
北朝鮮が、全人民の武装化と全国の要塞化を決定する。
1962/12/12,昭和37/12/12
ソ連のフルシチョフ首相が演説で「平和共存」を強調する。
1962/12/12,昭和37/12/12
ケネディ大統領がホワイトハウスとクレムリンを結ぶホットラインの設置を提案する。
1962/12/13,昭和37/12/13
フランスで第2次ポンピドー内閣が成立する。
1963/02/02,昭和38/02/02
北京で、軍の政治工作会議が開かれる。
1963/02/05,昭和38/02/05
ド・ゴールが、アメリカの欧州の経済支配を排撃する旨の声明を発する。
1963/02/16,昭和38/02/16
熊本大学の水俣病研究班が、水俣病の原因は日本窒素工場の排水であると結論する。
1963/02/16,昭和38/02/16
ザ・ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」が初めてイギリスヒットチャートの1位になる。
1963/02/22,昭和38/02/22
中国が、対キューバ借款供与協定に調印する。
1963/02/26,昭和38/02/26
神戸沖で、貨客船と貨物船が衝突し、47人が死亡する。
1963/02/26,昭和38/02/26
韓国で、朴正煕の民主共和党が結成される。
1963/03/02,昭和38/03/02
中国が、中印国境地帯から一方的に撤退することをインドに通告する。
1963/03/02,昭和38/03/02
中国・パキスタン国境条約が調印される。
1963/03/25,昭和38/03/25
湯川秀樹ら原子力関係の研究グループが、原潜寄港で安全性確認を要求する声明を発表する。
1963/03/27,昭和38/03/27
原子力科学者154人が原潜寄港反対の声明を出す。
1963/03/28,昭和38/03/28
1963/04/02,昭和38/04/02
村越吉展ちゃんを誘拐した犯人から身代金要求の電話がかかる。
1963/04/10,昭和38/04/10
ローマ教皇ヨハネス23世が、回状「地上に平和を」を発して、核兵器禁止、軍縮、平和共存を訴える。
1963/04/10,昭和38/04/10
アメリカの原潜スレッシャー号が沈没する。
1963/04/29,昭和38/04/29
中南米5ヵ国の大統領が、中南米非核武装地帯化要求の共同声明を発表する。
1963/05/01,昭和38/05/01
埼玉県狭山市で16歳の女子高校生中田善枝が誘拐される(狭山事件)。
1963/05/18,昭和38/05/18
インドネシア国民協議会が、スカルノを終身大統領に決定する。
1963/06/01,昭和38/06/01
第1回部落問題研究会全国集会が開催される。
1963/06/03,昭和38/06/03
ヨハネ23世(Johannes XXIII)没。81歳(誕生:1881/11/25)。ローマ教皇。

1963/06/15,昭和38/06/15
坂本九の「スキヤキ」(上を向いて歩こう)が、アメリカのビルボード・トップ100の1位となる。
1963/06/16,昭和38/06/16
イスラエルで、ベン・グリオン内閣が辞職する。
1963/06/19,昭和38/06/19
ケネディが、これまでで最も徹底した公民権法案を議会に提出する。
1963/06/20,昭和38/06/20
米ソ首脳間直通通信(ホット・ライン)協定が調印される。
1963/06/21,昭和38/06/21
ミラノ大司教ジョヴァンニ・バッテスタ・モンティニがローマ教皇に選出され、パウロ6世となる。
1963/06/21,昭和38/06/21
フランスが、NATO理事会に、フランス大西洋艦隊の引き揚げを通告する。
1963/07/01,昭和38/07/01
海運業再建整備臨時措置法などが公布される。
1963/07/05,昭和38/07/05
ロンドンで、第15回国際捕鯨委員会の年次会議が開かれ、捕鯨割当ての削減が取り決められる。日本は深刻な影響を受ける。
1963/07/05,昭和38/07/05
モスクワで中ソ両国共産党会談が始るが、決裂する。


1963/07/11,昭和38/07/11
エクアドルで軍事クーデターが起こり、カストロ・ヒホン提督を首班とする軍事政権が成立する。
1963/07/25,昭和38/07/25
アメリカ、イギリス、ソ連が部分的核実験禁止条約に仮調印する。
1963/07/26,昭和38/07/26
OECD(経済協力開発機構)日本加入が承認される。
1963/08/22,昭和38/08/22
日本原研東海研究所で原発実験炉が臨界に達する。
1963/08/28,昭和38/08/28
ド・ゴールが、ベトナム中立化に関する提案を行う。
1963/08/30,昭和38/08/30
アメリカとソ連の間にホットラインが開通する。
1963/09/05,昭和38/09/05
地下鉄銀座線京橋駅で、停車中の車内で時限爆弾が爆発し、10人が重軽傷を負う。関連の事件から「草加次郎」の犯行とされる。
1963/10/09,昭和38/10/09
ケネディ大統領が、食糧不足のソ連への小麦輸出を承認する。
1963/10/13,昭和38/10/13
エトロフ島地震、マグニチュード8.1、津波があり三陸海岸で軽微な被害がでる。
1963/10/15,昭和38/10/15
西ドイツのアデナウアー首相が引退する。
1963/10/15,昭和38/10/15
韓国大統領選挙で、朴正煕が当選する。
1963/10/16,昭和38/10/16
西ドイツ首相にエアハルトが就任する。
1963/10/18,昭和38/10/18
殺人鬼西口彰が九州の行橋で集金中の専売公社員2人を殺害し27万円を強奪する。
1963/10/18,昭和38/10/18
イギリス首相マクミランが辞任する。後任はダグラス・ヒューム。
1963/10/22,昭和38/10/22
ソ連、東欧諸国、キューバが、ルーブル・ブロックを結成する。
1963/10/31,昭和38/10/31
日銀が、ニューヨーク連邦準備銀行と双務通貨協定に調印する(スワップ協定)。
1963/11/01,昭和38/11/01
ニセ札が横行するため、大蔵省が伊藤博文の肖像の新千円札を発行する。

1963/11/06,昭和38/11/06
オズワルドが銃砲店で望遠照準器付きのライフルを購入する。
1963/11/07,昭和38/11/07
アメリカが南ベトナムの軍部新政権を承認する。
1963/11/09,昭和38/11/09
午後3時10分頃、大牟田市の三池三井鉱業所三川鉱で炭塵爆発事故が起り、死者458人をだす。
1963/11/09,昭和38/11/09
午後9時50分頃、東海道線鶴見-新子安駅間で、下りの貨物列車がゆるいカーブで後部3両がせりあがって脱線し、その3両が横須賀線線路上に転覆したところに、80キロのスピードで進行してきた同線の東京駅行き上り電車が衝突する。衝突した電車はさらにすぐ隣を徐行していた下り電車に激突し、死者161人、重軽傷者120人をだす惨事となる。

1963/11/18,昭和38/11/18
イラクで、バース党打倒のクーデターが起こる。
1963/11/20,昭和38/11/20
国連総会が、人種差別撤廃に関する国連宣言を採択する。
1963/11/21,昭和38/11/21
第30回総選挙が行われる。自民283、社会144、民社23、共産5、無所属12。
1963/11/21,昭和38/11/21
ケネディとジャクリーンが、テキサスでの遊説のため、ホワイトハウスの南広場からヘリコプターでアンドリュース空軍基地に向かう。
1963/11/22,昭和38/11/22
ケネディ(Kennedy,John Fitzgerald)が、遊説先のテキサス州ダラスで頭を撃たれまもなく死亡する。46歳(誕生:1917/05/29)。アメリカ第35代大統領。オズワルドが犯人として逮捕される。ジョンソン副大統領が大統領になる。
1963/11/22,昭和38/11/22
ハクスリー(Huxley,Aldous)没。69歳(誕生:1894/07/26)。イギリスの作家。
1963/11/23,昭和38/11/23
初の日米間テレビ宇宙中継実験が成功する。ケネディ大統領暗殺のニュースを伝える。
1963/11/23,昭和38/11/23

1963/11/18,昭和38/11/18
イラクで、バース党打倒のクーデターが起こる。
1963/11/20,昭和38/11/20
国連総会が、人種差別撤廃に関する国連宣言を採択する。
1963/11/21,昭和38/11/21
第30回総選挙が行われる。自民283、社会144、民社23、共産5、無所属12。
1963/11/21,昭和38/11/21
ケネディとジャクリーンが、テキサスでの遊説のため、ホワイトハウスの南広場からヘリコプターでアンドリュース空軍基地に向かう。
1963/11/22,昭和38/11/22
ケネディ(Kennedy,John Fitzgerald)が、遊説先のテキサス州ダラスで頭を撃たれまもなく死亡する。46歳(誕生:1917/05/29)。アメリカ第35代大統領。オズワルドが犯人として逮捕される。ジョンソン副大統領が大統領になる。
1963/11/22,昭和38/11/22
ハクスリー(Huxley,Aldous)没。69歳(誕生:1894/07/26)。イギリスの作家。
1963/11/23,昭和38/11/23
初の日米間テレビ宇宙中継実験が成功する。ケネディ大統領暗殺のニュースを伝える。


以下歴史データベースより抜粋引用


歴史は繰り返すと言いますが、現在起きていることが、50年前とそっくりです。。

50年前は、キューバ危機が起きてますね。

興味深いのは、
1962/06/08,昭和37/06/08
米ソ宇宙専門家会議が開かれ、宇宙協力に関する共同コミュニケを発表する。

つまり、米ロの宇宙協力の後にキューバ危機が起きていることです。


今回の隕石騒動は、キューバ危機の現代版かもしれません。

2月12日には、こんなことがありました。


「露空軍の戦略爆撃機「ツポレフ95」2機が12日、米領グアム島の上空を旋回し、米空軍F15戦闘機2機がスクランブル発進していたことが分かった。
米太平洋空軍の広報官が15日、明らかにした。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130216-00000304-yom-int


同じ日には、グアムで不可解な無差別殺傷事件がありました。


ちなみに、秋葉原連続殺傷事件は、青森県六ヶ所村で行われたG8エネルギー会議の時に起きた事件です。
OTAK TOMO NO HIRO(オタク共のヒーロー)こと KATO TOMOHIRO加藤智大は、青森県出身。
静岡県裾野市在住


その静岡県裾野市には、米軍キャンプがありまして、このまえ出てきたハザードラボの会社が放映していた大イスラエル主義のシオニスト系キリスト原理主義カルトのスタジオがあったんでしたよね。


今話題の地震予測サイト『ハザードラボ』とは何者なのか?? ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/02/13/6720123


50年前は、1962/09/24,昭和37/09/24
韓国で、反共法、国家保安法が改正公布される。なんてこともあったようです。

韓国の大統領まで同じ。現在は、当時の娘。




で、50年前は、ローマ法王が亡くなりましたが、今回は、先ほど辞任を発表。

随分とまあ偶然ですよね。
50年前は、その後、ケネディ暗殺です。


最近、世間を騒がせる大事件が多いですが、50年前も全く同じですね。

初吉展ちゃん事件
日本で初めて報道協定が結ばれた事件であり、この事件から、被害者やその家族に対しての被害拡大防止およびプライバシー保護の観点から、誘拐事件の際には報道協定を結ぶ慣例が生まれた。また報道協定解除後の公開捜査において、テレビを本格的に取り入れ、テレビやラジオで犯人からの電話を公開し情報提供を求めるなど、メディアを用いて国民的関心を集めた初めての事件でもあった。
犯人が身代金奪取に成功したこと、迷宮入り寸前になっていたこと、事件解明まで2年3か月を要したこと、犯人の声をメディアに公開したことによって国民的関心事になったため、当時は「戦後最大の誘拐事件」といわれた。

報道統制の原点ですね。


昭和史最大の謎『狭山事件』

それから、初の衛生中継が、たまたまケネディ大統領暗殺事件ですよ。

で、巨人 大鵬 卵焼きに力道山にビートルズ。フィーバーですね。

坂本九は、ビルボードでナンンバー1になっています。
その坂本九は、日航機123便事故で亡くなり、大鵬は、先日死にました。
力道山は、1963年12月に暗殺されました。

そういえば、その後ジョンレノンも暗殺されましたね。
リメンバーパールハーバーの日に。

そして、ビートルズの版権を買ったマイケルジャクソンも不審な死を遂げたわけです。

これ、全て底に流れているものは同じだと思います。

不正選挙!投票時間の繰り上げと様々結ぶ点と線2012/12/18 20:18

こんな情報も


田中龍作ジャーナル2012年12月17日)
《投票所の繰り上げ状況の中の一部》
〈文・中山栄子〉
※福島県で全市町村繰り上げるのは、この衆院選が初めてのようだ。
・また関東では、群馬県は県内99%の投票所が繰り上がるなど福島県に次ぐ多さだ。
・47都道府県の全ての記事を拾い上げることはできなかったが、ほぼ全域にわたって程度の差こそあれ、投票時間の繰り上げは行われていたとみて間違ない。
・福島県-県内の全投票所(1312ヶ所)で1時間〜最大4時間繰り上げ(100%)
・群馬-99%の投票所で繰り上げ
・秋田-県内85.05%の投票所で繰り上げ
(以下、県と投票所は省略します)
・岩手-県内64.47%で繰り上げ
・宮城-県内57.18%で繰り上げ
・山形-県内13.39%で繰り上げ
・青森-6.1%で繰り上げ
・長野-1501ヶ所の投票所中304ヶ所で1〜3時間繰り上げ。
うち3ヶ所は開始も1時間遅れ。
・愛知-1744ヶ所の投票所のうち63ヶ所で繰り上げ。…

以上、引用

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005874

ま、この間に何かやってるのでしょうね。


投票の紙作るところから、箱から管理から、人員派遣まで全てやってるのが、株式会社ムサシ ですから。




で、前に読んだことあるのだが


詳しく書いてあるブログ引用させていただきます。


http://blogs.yahoo.co.jp/icbm2629/41555833.html


自衛隊秘密諜報機関―青桐の戦士と呼ばれて(阿尾博政・講談社:1680円)

これは戦後、日本の自衛隊員が中国本土やロシアで秘密工作をしていたことを、その当事者自身が証言した貴重な本です。


著者の阿尾博政の略歴は「BOOK著者紹介情報」などによると1930年富山県生まれ。
中央大学在学中、ある大物右翼の書生として活動。卒業後は国旗掲揚協賛会
や東南アジア親善協会の運動に携わり、1955年、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校に入学。

富士学校レンジャー研究課程を修了後、習志野の第一空挺団に勤務。その間
に戦時中のスパイ養成機関であった陸軍中野学校の後身の陸上自衛隊調査学校で「対心理情報課程」を学ぶ。


1963年、陸上自衛隊幕僚監部第2部(諜報部門)に異動したあと、日米合同の諜報機関(通称)「ムサシ機関」に勤務し、「ムサシ」の一員として台湾に渡り、台湾とC哀Aとの合同秘密諜報機関に所属して中国本土に潜入した。


その後、自衛隊独自の秘密諜報機関が必要と上層部に具申して認められ、形式的に防衛庁を退職し、実際は自衛隊員でありながら、他の「元自衛隊員」と共に、私人として「阿尾機関」のトップとなり、自衛隊幹部の思想調査など、様々な秘密工作活動を行う。

この頃、70年安保改訂に向けて、安保条約の延長に賛成する世論づくりのためのプロパガンダ活動を組織し、自民党から資金を調達しようとする。しかし、台湾派だった阿尾博政は、中国派の田中角栄幹事長と鋭く対立して、ある会議で田中角栄を暗殺すると口走り、公安調査庁の監視下に置かれる。


困った自衛隊は、何を仕出かすかわからない阿尾博政を再度台湾に派遣する。そこで台湾軍とC哀Aの合同秘密諜報機関に再度所属して、あの有名な「黄金の三角地帯」を支配していた「麻薬王」クンサの組織に派遣され、雲南国民党軍とも接触。

中国共産党との内戦に敗れてミャンマーに逃げた雲南国民党軍は、ミャンマー軍や人民解放軍に攻撃されて消滅したと言われていたが、実際は難民に偽装してミャンマーからタイに逃げ込み、C哀Aの支援でタイ政府の保護されて「麻薬王」クンサや台湾の国民党政府、それに麻薬を扱う中国系犯罪組織と協力して、麻薬取引で軍資金を得ながらタイで活動していた。要するに、C哀Aや台湾の国民党政府も麻薬ビジネスで稼いで活動資金を得ていた。


その後の1972年、日本と台湾の国交断絶を機に再度台湾に派遣され、日台の空路再開工作を行うが、この政治工作に関わっていた台湾支持派で、自民党の政調会長等を歴任した富山県選出の松岡松平議員が急死。阿尾博政はこの松岡松平議員の急死について、自民党有力者による暗殺を示唆している。

1982年からは、台湾国民党大陸工作会のメンバーとして中国での情報工作も行なう。台湾人ビジネスマンよりも、日本人ビジネスマンを装って先入した方が監視が軽くなり、中国での情報工作に役立ったという。


その他では、1973年の金大中拉致事件の時に、別の「阿尾機関」と同じく人を装った自衛隊の諜報機関が韓国中央情報部(KC哀A)に協力して金大中を監視していたことや、競艇界を牛耳っていた笹川良一が、裏切った著者の知人の元自衛隊諜報機関員を自殺に見せかけて殺した話などがある。


1991年、防衛庁を「定年退職」。これは事実上2度目の退職であり、このようなことが自衛隊法で認められているはずがないので、法的な問題があるはずだ。
2000年、NPO法人「日台経済人の会」の理事長に就任。

2007年に陸上自衛隊情報保全隊が、平和運動を行なっている個人や市民団体を秘密裏に調査・監視活動をしていた事が暴露されたが、こうした国民の監視活動をしているのは情報保全隊のような公然部隊だけではないのかもしれない。

著者は全ての秘密工作を明かしてはいないはずなので、新政権には自衛隊の秘密工作の全容を解明し、公表してもらいたい。


以上、引用

http://blogs.yahoo.co.jp/icbm2629/41555833.html

ーーーーーーーーーーーーーーー


だそうです。

つうか、こんな本書いて大丈夫なのかな??

70年安保改訂に向けて、安保条約の延長に賛成する世論づくりのためのプロパガンダ活動を組織

中国派の田中角栄幹事長と鋭く対立して、ある会議で田中角栄を暗殺すると口走り


グリコ森永事件の背景とか、いろいろなものが分ってきますよね。


ムサシ機関


で、株式会社ムサシ

なるほど〜


富山県か、また出てきましたね。


ちなみに、当ブログは、台湾独立自体は支持してますし、特に親中国ではありません。念のため。

それぞれの人々が、それぞれ幸せに暮らせれば良いじゃないかという、左右どちらでもない真ん中です。


ただ、TPPと原発と不正選挙は止めましょうと言ってるだけですね。



で、田中康夫を破ったのは、97,526(46.6%)中野 洋昌(なかの ひろまさ) 34 公 明


斎藤 恭紀(未来)45,316(19.8%)にぶつけてきたのが、
中野 正志(なかの まさし)(維新)



ちなみに、311の時の国家公安委員長は、中野寛成(松下政経塾)


中野〜


で、習志野の第一空挺団て、三宅雪子を破った野田首相の父親が所属してたところじゃなかったけ?

で、日航機墜落事故の救助に行った部隊だったような。。

同期は、公明党の誰だっけ??


いやあ、いろいろなところが繋がっているんですね〜

勉強になります。


でも、不正選挙はイケません。

日航機123便墜落事故の背景とは?2012/12/01 22:15

以前、散々追求した日航機123便墜落事故ですが、スピンサイトで間違った思い込みを抱く人が居るので、簡単にまとめておきます。


以前に書いた日航機123便墜落事故関連記事はこちら
http://ccplus.exblog.jp/i27/



簡単に言うと、日航機123便墜落事故の背景には、プラザ合意と金融自由化があったということです。


日航機墜落事故については、自衛隊の無人標的機がぶつかったとか様々な仮説がありますが、当ブログが一番可能性が高いと考えているのは、日本が日米共同で開発していた赤外線ミサイルの実験をしていて、それが間違って日航機を追尾してしまって尾翼を破壊してしまったというものです。


もちろん、それは偶然ではなく、設定をいじられていたために、当たってしまった事件だったと考えるのが、一番腑に落ちる仮説です。


そのことを隠蔽したことで、中曽根達が脅され、結果的にプラザ合意と金融自由化が推進されたと考えています。


そして、おそらく、これらに一番抵抗していたのは、田中角栄であっただろうと、そういう風に思っています。


なので、グリコ・森永事件も、田中角栄の病気で犯人が許す展開になっているのでしょう。

グリコ・森永事件も同種の一連の事件だった可能性が高いです。


そして、日航機123便墜落事故が起きた1985年以降、日本は、経済暴力団に乗っ取られていくのです。




そしてそれが、影の銀行システムなのではないでしょうか。


http://tanakanews.com/121122bank.htm

11月18日、G20傘下の財務相会議である「金融安定委員会」(FSB)が、「影の銀行システム」の世界的な規模について、08年のリーマンショック後に61兆ドルだったものが、最近では67兆ドルまで増えているとする報告書を発表した。この額は、世界の金融総資産の約半分に当たる。


 影の銀行システムは、銀行の勘定外で行われるため金融当局の監督や規制を受けない取引と資産の総称だ。不動産担保債券、各種デリバティブ、MMF、CDS(債券破綻保険)などが含まれ「債券金融システム」とも呼べる。預金と融資で成り立つ従来の「表の銀行システム」の外側にあるので「影の銀行システム」と呼ばれる。表のシステムが、当局によって厳しく実態把握され管理されているのと対照的に、影のシステムは総額すら不明確で、全く管理されていない。影のシステムは、1985年の米英金融自由化によって基盤が作られ、90年代末から拡大し、2002年に26兆ドルだった総規模が、07年に62兆ドルに膨らんでいる。

「影の銀行システム」とFRB100年 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/11/26/6644065