紅白歌合戦サザンちょびヒゲ騒動と箱根駅伝とジョセフ・ナイ2015/01/04 22:28

筆者は、紅白も見ないですが、以下の出来事が話題になっているようです。


以下ハフィントンポスト より引用

サザンオールスターズの「チョビ髭」紅白パフォーマンス、安倍首相批判と話題に


サザンオールスターズが12月31日の紅白歌合戦にサプライズ出演した際のパフォーマンスが、安倍首相批判ではないかと話題になっている。ボーカルの桑田佳祐が「チョビ髭」をつけて歌った曲が、批判にあたるというのだ。

サザンオールスターズの紅白出演は、直前まで交渉が重ねられ事前発表がないまま本番を迎えた。この日は、横浜アリーナで行われている年越しライブ会場からの中継で出演。「歴史的瞬間を皆さんに見ていただきたいと思います」とSMAPの中居正広に紹介され、2013年8月に発売された「ピースとハイライト」という曲を披露した。明るくポップな曲調だが、現在の日本や世界を取り巻く国際情勢がテーマになっている作品で、公式プロモーションビデオ(PV)にも安倍首相や韓国の朴槿恵大統領らのお面をかぶった人物が登場する。

以上引用
huffingtonpost.jp/2015/01/01/southern-all-stars-criticize-shinzo-abe_n_6402942.html

まあ、桑田氏のパフォーマンス自体は、悪くないというか、面白いと思いますけどね。

どうせやるんだったら、竹中平蔵のお面かぶってたらスゴイですけど。


ただ元米軍情報部のジャニーさんちの中居くんが、「歴史的瞬間」て言うわけですから、なんかしら理由があるわけですよね。



SMAPって、地下鉄サリン事件の時に救世主になった住友化学の解毒剤『PAM』の複数形『PAMS』の逆さ読みですよね。。


地下鉄サリン事件とは何だったのか??新たな疑問
http://ccplus.exblog.jp/17568273/
も参考に


TOKIOのダッシュ村は、放射能汚染されて放射能の研究材料に提供。
研究しているのは、JAXA.つまり、日本版NASA。
ジャニーさんのお兄さんはNASA
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/03/6767478


TOKIOは、福島の桃が食べて安全だとアピールする広告塔。
でも、関係者が癌で死亡。



日本に人工地震起こしておいて、『トモダチ作戦』その後、日本をネオナチに仕立てる誰かさんたちの作戦進んでますよね。

で、日中戦争漁父の利計画なジョセフナイが出てくると。



桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライターであり、バンド・サザンオールスターズのボーカル兼リーダーである。愛称は、すけちゃん、ケイちゃん、桑っちょなど。神奈川県茅ヶ崎市出身。


サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。


沿革
渡辺プロダクションでキャンディーズや梓みちよのマネジャーだった大里洋吉が、路線の対立などを理由に同社から独立し1977年、当時フォーライフ・レコードの社長だった吉田拓郎から紹介された新人シンガーソングライター・原田真二を売り出すために設立した[2][3]。1978年6月、サザンオールスターズがデビュー。1980年には三宅裕司のマネジメントを行なうことになり、同社の二枚看板となる
wkipedia

青学除籍されたのかあ。




さて、青山学院大学といいますと、筆者は、この人を思い出します。

日中戦争漁父の利計画のジョセフ・S・ナイの翻訳した、この人。


土山 實男(つちやま じつお、1950年 - )は、日本の国際政治学者、青山学院大学国際政治経済学部教授、同副学長。専門は、国際政治学、安全保障論。
福井県生まれ。1973年青山学院大学法学部卒業、1979年ジョージ・ワシントン大学大学院修士課程修了、1984年メリーランド大学カレッジパーク校大学院博士課程修了、博士号取得。ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所客員研究員、海上自衛隊幹部学校講師などを務める。防衛戦略研究会議委員、平和・安全保障研究所理事などを歴任。日本国際政治学会、国際安全保障学会、国際法学会に所属する。現実主義を研究対象とする。

著書
単著
『安全保障の国際政治学――焦りと傲り』(有斐閣, 2004年)

共編著
(永井陽之助)『秩序と混沌――冷戦後の世界』(人間の科学社, 1993年)
(西原正)『日米同盟Q&A100――全貌をこの一冊で明らかにする』(亜紀書房, 1998年)
(増田弘)『日米関係キーワード』(有斐閣, 2001年)
(渡辺昭夫)『グローバル・ガヴァナンス――政府なき秩序の模索』(東京大学出版会, 2001年)
Japan in International Politics: the Foreign Policies of an Adaptive State, co-edited with Thomas U. Berger and Mike M. Mochizuki, (Lynne Rienner, 2007).
訳書[編集]
ジョセフ・S・ナイ『核戦略と倫理』(同文舘出版, 1988年)

wikipedia


ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所っていうと、こんな人が居ます。

山口 昇(やまぐち のぼる 1951年(昭和26年) - )は、三重県出身の元陸上自衛官・軍事評論家(最終階級は陸将)。タフツ大学フレッチャー法律・外交大学院修士課程修了、元ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所国家安全保障フェロー。
略歴[編集]
防衛大学校を卒業(第18期・同期に火箱芳文(第31代陸上幕僚長)、杉本正彦(第30代海上幕僚長)など)後、1974年陸上自衛隊航空科部隊に配属。
外務省日米安全保障条約課出向、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長、第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官、在米国首席防衛駐在官(外務事務官・在米国日本大使館付参事官(防衛担当))、陸上自衛隊航空学校副校長、陸上自衛隊研究本部総合研究部長、防衛研究所副所長を経て第4代陸上自衛隊研究本部長を最後に2008年12月退官。
在職時より、米政府・軍の高官らと緊密なネットワークを構築。また、研究本部の創設・運営にも尽力。自らも「軍人スカラー(warrior scholar)」として、現職時代から多くの雑誌・専門誌・カンファレンス等に論稿・コメント等を発表し、制服組を代表する論客として知られた。現在は防衛大学校教授(安全保障・危機管理教育センター長)として日米同盟、軍事史の教育を行う一方、論壇でも活動している。
2011年3月14日に発生した東日本大震災に際し、危機管理・復興問題担当の内閣官房参与を務めた。

wikipedia

2011年3月14日に発生した東日本大震災に際し、危機管理・復興問題担当の内閣官房参与を務めた。

はい。



メリーランド大学っていうと、

日本国内の分校・提携校
メリーランド・大学システムであるメリーランド大学ユニバーシティ・カレッジ校(UMUC; en:University of Maryland University College)が 三沢基地、横田基地、横須賀基地、岩国基地、佐世保基地、キャンプ・ハンセンなどに基地内大学を開校している。文化交流の一環で日本人も就学が可能であり、地元自治体などがその窓口になっているが、授業は本国と同じく英語である。授業料は米国人と同じ条件であり、渡航費や現地での生活費が不要なことも相俟って安価に留学と同じ環境での勉強を可能としている。英語の堪能な日本人でも卒業は、かなり難しい。

提携校としては慶応義塾大学薬学部などがある。

wikipedia


米軍基地の中に学校がありますね。


竹中平蔵のパソナが、12.14衆院選の開票と出口調査を担当
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/11/25/7503214
も参考に



メリーランド大学カレッジパーク校(University of Maryland, College Park、略称:UM、UMD、または UMCP)はアメリカ合衆国ワシントンD.C.の郊外メリーランド州カレッジパークに位置する州立総合大学である。ノーベル賞やフィールズ賞受賞者を輩出している。パブリック・アイビーに数えられることもある。

メリーランド大学は立地の良さを活かして各分野のリサーチ・研究において政府機関と強いパートナーシップを育んでいる。これら良好な関係により、同大学は下記の事例を含む数多くのリサーチの機会に恵まれている。
米国土安全保障省からの助成の下、テロリズムの行動的・社会的基盤を研究するリサーチセンターを創設
2005年1月初、NASAと共同で宇宙探査機ディープ・インパクトを打上げ。2005年7月4日、当機はテンペル第1彗星に衝撃弾を撃ち込んで生じたクレーターと塵を観測し、彗星の核を本機及び衝撃弾に搭載されたカメラで撮影
全米における鳥インフルエンザの感染と予防に関する研究の主導
1994年にアメリカ国立公文書記録管理局(NARA)がキャンパスに隣接して新館を建設して以来、とくに図書館学、歴史学、政策科学といった公文書の保存・修復・利用に関わる部門におけるNARAとの協力研究
なお、図書館にブランゲ文庫が収容されている。
占領下の日本における出版物を保管したプランゲ文庫

日本人の卒業生
武田純三 - 慶應義塾大学医学部教授、慶應義塾大学病院院長
八代尚宏 - 国際基督教大学教授、元内閣府経済財政諮問会議議員、元日本経済研究センター理事長
土山實男 - 青山学院大学教授、国際政治学者
上埜進 - 甲南大学教授、会計学者
山崎直子 - 宇宙飛行士(学部留学)
西村康稔- 衆議院議員、元内閣府副大臣

wikipedia

ディープインパクト打ち上げ。。

全米における鳥インフルエンザの感染と予防に関する研究の主導なんかもやってますね。

今、宮崎や山口で絶賛発生中。

しばらくすると、マクドナルドで期間限定の鳥バーガーが出ると。

豚伝染病拡大 「とんかつマックバーガー」を5月7日から販売
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/05/08/7305670
も参考に


メリーランド大学ですが、こんな人も居ました。



西村 康稔(にしむら やすとし、1962年10月15日 - )は、日本の通産官僚、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、内閣府副大臣(第2次安倍改造内閣)。元外務大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)。
自治大臣や国家公安委員会委員長を務めた元衆議院議員の吹田愰は岳父。


兵庫県明石市生まれ。実家は時計店で、父親はサラリーマン。神戸大学附属明石中学校、灘高等学校、東京大学法学部卒業。灘高校時代の同級生に小林俊行、牧野淳一郎らがいる。大学時代はボクシング部に所属。1985年、通商産業省入省。通産官僚時代は風力発電の導入促進、アルミ缶のリサイクル制度の制定に携わった。経済企画庁への出向や、石川県商工課長を経て、アメリカ合衆国メリーランド大学大学院で国際政治経済を専攻し[1]、1992年5月に修士号を取得した[1]。1999年、通商産業省環境立地局調査官を最後に退官[1]。退官後は、原健三郎元衆議院議長の秘書を務める。
2000年の第42回衆議院議員総選挙に、引退する原の地盤を引き継ぎ無所属で兵庫9区から出馬したが、自由民主党公認の宮本一三に敗れ、落選した。2003年、第43回衆議院議員総選挙に再び無所属で兵庫9区から出馬し、前回敗れた宮本を下して初当選。無所属の新人議員5人で院内会派「グループ改革」を結成後、自民党に入党し、森派(当時)に入会。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、新党日本公認の宮本、民主党公認の畠中光成を大差で下して再選。2006年、自民党内閣部会産業・地域再生小部会長に就任。2008年8月、福田康夫改造内閣で外務大臣政務官に任命され、麻生内閣まで務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙では全国的に自民党に逆風が吹く中、国民新党公認の宮本を兵庫9区で6万票超で破り、3選。兵庫県の12の小選挙区の当選者のうち、西村が唯一の自民党公認候補であり、総選挙後は自民党兵庫県連会長に就任。同年9月、自由民主党総裁選挙に町村派の一部議員から推される形で出馬(総裁選出馬に際し、町村派を退会した)したが、谷垣禎一に敗れた。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、民主党の浜本宏、日本維新の会の谷俊二らを大差で下して4選。選挙後に発足した第2次安倍内閣において内閣府副大臣に任命された。2013年2月、2009年に退会した町村派に約3年半ぶりに再入会。
2014年9月3日、第2次安倍改造内閣で内閣府副大臣に再任。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で5選。

政策・主張
日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈見直しに賛成[2]。
日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[2]。
原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成[2]。
女性宮家の創設に反対[2]。
靖国神社に定期的に参拝している[3]。
選択的夫婦別姓制度の導入に反対[4][3]。
永住外国人への地方参政権の付与に反対[3]。


所属団体・議員連盟
創生「日本」(副幹事長)
教育基本法改正促進委員会(委員長)
朝鮮通信使交流議員の会(幹事)
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)
親学推進議員連盟
平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
神道政治連盟国会議員懇談会
日本会議国会議員懇談会
北京オリンピックを支援する議員の会
速やかな政策実現を求める有志議員の会
日韓議員連盟
日中友好議員連盟
再チャレンジ支援議員連盟
外国人材交流推進議員連盟
国際観光産業振興議員連盟[9]

wikipedia


兵庫県9区っていうと、淡路島の地元政治家ですね、そうですね。
パソナ


413淡路島地震 震度6弱 続々と明らかになる『政治的な地震』のセオリー
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/13/6776082

413淡路島地震 震度6弱 復興利権はどこへ行くのか? ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/14/6777108


CIA吉田茂の孫である麻生太郎のアソウヒューマニーセンターが、今回の衆議院選挙も出口調査を担当するそうです ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/11/24/7502466

竹中平蔵のパソナが、12.14衆院選の開票と出口調査を担当 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/11/25/7503214

パソナの関連会社、ランスタッド株式会社が、パソナと同じように、選挙の出口調査や期日投票前受付、当日の受付業務から報告まで手がけている
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/11/29/7506298


不正選挙しやすい期日前投票を当日投票と混ぜなきゃ駄目という法律を(大量破壊兵器があると嘘ついて行ったイラク戦争に憲法を無視して自衛隊を派遣した2003年のコイズミ内閣で作ったわけですが、
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/02/12/7220711

その法案作った内閣の中に、パソナの竹中平蔵が居るわけです。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/12/03/7509290



で、これが父親。


吹田 愰(ふきだ あきら、1927年(昭和2年)2月1日 - )は、日本の政治家。
衆議院議員(6期)、自治大臣(第41代)、国家公安委員会委員長(第51代)、山口県議会議員(4期)等を歴任。


来歴・人物
山口県熊毛郡城南村(現田布施町)生まれ。旧制柳井商業学校(現山口県立柳井商工高等学校)卒業。卒業後、甲種飛行予科練習生防府海軍通信学校に入隊した[1][2]。
25歳で城南村長に当選。1955年(昭和30年)、新設合併に伴い田布施町長選に出馬して当選し[3]、田布施町長を3期務める。その後山口県議会議員選挙に転じ、県議会議長も務める。県議時代は一貫して岸信介元首相に師事し、岸の引退に際しては後継指名を受ける。1979年(昭和54年)、第35回衆議院議員総選挙に旧山口県第2区から自由民主党公認で出馬し、当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・宮下創平・船田元など)。清和政策研究会に所属し、岸の娘婿である安倍晋太郎の首相就任に執念を燃やした(しかし、安倍は首相就任が叶わないまま病死)。1990年(平成2年)、第2次海部改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣した。
安倍晋太郎の死後、安倍派では三塚博、加藤六月が熾烈な主導権争いを繰り広げ(三六戦争)、1991年(平成3年)6月に三塚が会長に就任して三塚派に代替わりし、加藤は除名される。加藤を領袖にすべく、多数派工作に奔走していた吹田は三塚派を退会し、田名部匡省、倉田寛之、山岡賢次らと政眞会(加藤グループ)を結成する。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙では、自民党に党籍を残しながら無所属で出馬し、当選。その後自民党を離党し、1994年(平成6年)に新生党に入党。同年12月の新進党結党にも参加する。
1996年(平成8年)、衆議院議員を辞職し、非自民勢力の支援を受けて山口県知事選挙に出馬するが、自民党山口県連の推薦を受けた二井関成に敗れた。元自治官僚の二井は、同じ自治省出身の平井龍山口県知事の下、5期20年にわたる平井県政で要職を歴任していたが、6期目の出馬を模索する平井の意向に背いて二井が出馬したため、平井は自民党員でありながら吹田を支持。野中広務自民党幹事長代理も党本部による二井の推薦に反対したため県連の推薦に留まったが、清和政策研究会の塩川正十郎自由民主党総務会長や安倍晋三(安倍晋太郎の次男)、河村建夫らは二井を支援した。知事選落選後は自民党に復党し、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙に比例中国ブロック単独で出馬したが国政復帰は果たせず、政界を引退した。2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙では自民党の北村経夫を支援した[4]。
娘婿は自由民主党衆議院議員の西村康稔[5]。
政界には吹田の秘書経験者が多く、結束は吹田の引退後も強い。主な元秘書には山口県岩国市長で元衆議院議員の福田良彦や、山口県議会議員の守田宗治、山口市議会議員の俵田祐児らがいる。
1972年(昭和47年)3月28日から40年以上に渡り、山口土地改良事業団体連合会の会長を務めている[6]。

wikipedia


41 吹田愰 第2次海部内閣 1990年12月28日 - 1991年11月5日 自治大臣・国家公安委員会委員長



これって、117湾岸戦争の時ですね。

湾岸戦争(わんがんせんそう英語: Gulf War)は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まった戦争。

なるほどね。


今年最初の『朝まで生テレビ』ですが、出演した竹中平蔵が何言ったのか?「正社員無くせ」だって。

不正選挙のパソナは、どかまで行くのやら

コメント

_ (未記入) ― 2015/01/06 01:04

すいません、質問よろしいですか。

ジョセフ・ナイの、「対日超党派報告書」デマだという話も出ていますが、管理人さんは、正しい情報、どこでお知りになりましたか。

お暇ありましたら、よろしくお願いします。
いつもご苦労様です。

_ (未記入) ― 2015/01/27 19:42

ちょっとスレ違い?なんですが阿修羅ってオウムで411なんですよね・・・。http://www.asyura2.com/profile.htm

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