共謀罪と偽旗テロ2017/04/20 21:59


櫻井ジャーナルさんより引用

戦争に反対、平和を望む人びとをテロリストとして監視、弾圧してきた米支配層の後を追う安倍政権

安倍晋三政権は「共謀罪」を強引に成立させようとしている。現在、日本を支配している権益システムにとって目障りな人びとを弾圧する道具として使われることは間違いないだろう。こうした政策は日本の支配層をコントロールしているアメリカの支配層が推進してきたことでもある。

アメリカの支配層は民主主義を破壊するために「テロリズム」を口実として使ってきた。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された直後、詳しい調査もせずにジョージ・W・ブッシュ政権は実行犯を「アル・カイダ」だと断定、その「アル・カイダ」を匿っているという名目でアフガニスタンのタリバーン政権を批判、同国に対する軍事侵攻を開始しているが、その一方でアメリカの憲法を麻痺させる愛国者法を成立させた。

それ以降、「アル・カイダ」は「テロリスト」の象徴的な存在になったが、1997年5月から2001年6月までイギリスの外務大臣を務めた故ロビン・クックは2005年7月、アメリカがイラクを先制攻撃した2年後に「アル・カイダ」が「テロ組織」でない事実をガーディアン紙に書いている。アル・カイダはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎないのだ。アル・カイダはアラビア語でベースを意味するが、「データベース」の訳語としても使われる。この指摘をした翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡している。享年59歳だった。

この傭兵リストを使って武装集団が編成されるのだが、そうしたひとつがリビア侵略で登場したLIFG。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒すため、NATOはこの集団と手を組んでいた。2011年10月にカダフィが惨殺された後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。その様子はYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙も伝えている。この出来事は西側支配層と「テロリスト」の関係を象徴している。

アメリカの情報機関が自分たちのヨーロッパにおける支配システムを強化、目障りな勢力を弾圧するために「テロリスト」を使ったことも知られている。コミュニストが強かったイタリアでは1960年代から80年代にかけて「爆弾テロ」が繰り返され、極左グループ」が実行したと宣伝されていたが、実際はNATOの内部に作られた秘密部隊(イタリアではグラディオと呼ばれている)だった。この事実を認める報告書をジュリオ・アンドレオッチ政権が1990年10月に公表している。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)

ギリシアのアンドレア・パパンドレウ元首相もNATOの秘密部隊が同国にも存在したことを確認、ドイツでは秘密部隊にナチスの親衛隊に所属していた人間が参加していることも判明した。

この3カ国だけでなく、ほかのNATO加盟国にも同じような部隊が存在、結びついていることが明らかになっている。オランダやルクセンブルグでは首相が、またノルウェーでは国防大臣が、トルコでは軍の幹部がそれぞれ秘密部隊の存在を認めている。スペインの場合、「グラディオは国家だった」と1980年代の前半に国防大臣を務めたアルベルト・オリアルトは言っている。(前掲書)

アメリカの愛国者法が戦争に反対する人びとや団体を弾圧するために使われていることも指摘されているが、この国の支配層は以前から戦争に反対し、平和を求める人びとを敵視してきた。例えば、FBIが1950年代に始めた「COINTELPRO」も、CIAが1967年に始めたMHケイアスも、戦争に反対する人物を監視することが目的だった。

アメリカの支配層にとって、反戦/平和運動は「テロ行為」なのである。反体制派、人権擁護や環境運動の活動家、ジャーナリスト、学生指導者、少数派、労働運動の指導者、政敵も監視のターゲットになる。監視システムは電子技術の進歩にともない、「ビッグ・ブラザー」の度合いを強めてきた。

以上引用 以下全文は
plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201704200000/


くれぐれも、グラディオに要注意です。

ちなみに、イラク戦争の時に市民の平和活動を監視していたのが、「戦争に行かない奴は死刑」発言の石破茂


そして、前にも書きましたが、オウム真理教の宗教法人を認可したのは鈴木俊一東京都知事。
鈴木俊一東京都知事は、60年安保結んだ岸信介内閣の内閣官房副長官事務方でした。

米国公文書で、当時の政権にCIA資金が投入されたことが明らかになっています。
その資金を扱っていたのが、鈴木俊一東京都知事というわけです。

当時、日韓暴力団の手打ち式を行ったのが、モーターボート競争の本栖湖で、オウムのサティアンの側には、笹川さんと岸信介の別荘がありました。