今年の流行語大賞は、『不正選挙ムサシ』です。ムサシと日本アイソトープ協会の謎 ― 2013/12/23 22:04
コシミズさんのところで、今年の流行語大賞を募集していて、コメント欄読んで笑いましたが
『五反田のヴィクトリア』『ビッキー』『斎藤隆』『トンちゃん』などいろいろありましたが
当ブログが選ぶ今年の流行語大賞は、間違いなく『不正選挙ムサシ』です。
12.16衆院選不正選挙から目が覚めた日本人は沢山居るでしょう。
『不正選挙ムサシ』でググると、一番上にキイコちゃんブログが出てきまして、これが大変良くまとまっているので、不正選挙を友人・知人・家族に伝える場合、まず、このキイコちゃんブログのこの記事を読ませるとよいでしょう。
<不正選挙疑惑を調べてみた> 選挙開票・企業株式会社ムサシにまつわる事実
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html
以下引用
株主No1の上毛実業株式会社のホームページを探してみましたが、
住所しかわかりません。
こんなに株をもっていて、何をやっている会社なのでしょうか?
住所: 113-0021 東京都 文京区 本駒込2-27-18-201
201という事はマンションの一室のみということ。
普通の会社には思えませんでしたので、グーグルアースで検索してみました。そしたら・・・
マンションといっても豪華なマンションでした。
以上引用
<不正選挙疑惑を調べてみた> 選挙開票・企業株式会社ムサシにまつわる事実
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html
で、久々にキイコちゃんブログ読んだのですが
東京都 文京区 本駒込2-27-18の地図を見てみると、近くに
社団法人日本アイソトープ協会財団法人仁科記念財団
なんてものを発見してしまいました。
これは臭う
以下引用
ご挨拶
2011年4月 小林 誠
東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
このたび、山崎前理事長の後を継いで、仁科記念財団の理事長に就任いたしました。責任の重さに身の引きしまる思いでおりますが、皆様のお力添えをかりて、無事に任務を全うできるよう努力してまいりたいと思います。
財団は4月1日より、新しい公益法人制度のもとでの認定を受けた公益財団法人となりました。新しい定款には財団の目的を「故仁科芳雄博士のわが国及び世界の学術文化に対する功績を記念して、原子物理学及びその応用を中心とする科学技術の振興と学術文化の交流を図り、もってわが国の学術及び国民生活の発展、ひいては世界文化の進歩に寄与すること」と謳っております。この目的を達成するために、従来から行っております仁科記念賞の授与、仁科記念講演会の開催、仁科記念室の運営、出版物の刊行などが中心的な事業として位置づけております。これらの事業の一層の充実を図ってまいりたいと考えております。
昨年(2010年)は仁科芳雄先生生誕120周年に当たりました。これを記念して、昨年の仁科記念講演会は「日本現代物理学の父 仁科芳雄博士の輝かしき業績」というテーマで仁科先生の業績を改めて振り返ることとしました。この講演会では、西村純先生に「ミューオンの発見」、池田長生先生に「ウラン237と対称核分裂の発見」についてそれぞれお話をいただきました。そして私も仁科先生のコペンハーゲンでの御研究を中心にお話しさせていただきました。講演の内容は、「 仁科記念講演会の記録No.52」でお読みいただけます。
仁科先生は1921年に渡欧され、1928年に帰国されましたが、その大半の期間、コペンハーゲンのニールス・ボーアのもとでご研究をされました。まさに量子力学成立の時期に、その中心地で活躍されたのであります。当初はX線分光の実験的研究をされていましたが、ご帰国直前には、理論研究に転じて、有名なクライン・仁科の公式を発表されました。これは自由電子と光子の散乱断面積を与える公式を導いたものですが、ディラックの空孔理論の成立にも大きな影響を与えたことが推測されます。こうした歴史的な研究の進展を目の当たりにされた先生は、ご帰国後、大きな夢を抱いて理化学研究所の仁科研究室を主宰されたものと思われます。仁科記念財団は先生の理想を受け継ぎ、わが国の基礎科学の進展に貢献することを使命としていると考えます。
末筆になりましたが、新法人への移行に伴い、財団の運営体制の変更と、評議員・役員の大幅な交代がありました。退任されました評議員・役員の皆さまには長年の御尽力に対し深く感謝いたします。
以上引用
nishina-mf.or.jp/president.html
ん??
小林誠
ムサシの社長って
代表取締役社長 小林 厚一 (こばやし ひろかず)
株主No2のショウリン商事株式会社 という会社もホームページがありません。
住所: 167-0052 東京都 杉並区 南荻窪2-3-11
電話: (03) 3546 7711
あれれ、小林@@
うーん
以下引用
仁科記念財団の設立とその後の経緯
1951年仁科芳雄博士の没後、博士の偉大な業績を称えるとともに、原子物理学の基礎とその応用の分野において優れた研究者を育成するという博士の遺志をつぐ事業を行うため、当時の吉田茂首相を会長として設立発起人会が結成され、1955年に財団法人仁科記念財団が設立されました。
この設立に当たっては、わが国の財界からの寄付2,165万円、国内の個人の寄付234万円、海外の学者からの寄付約100万円、計約2,500万円をその基金としました。
1960年には第2次募金、さらに1969年から1976年にわたって 第3次募金、1980年から第4次募金を行い、現在約5億8600万円の基本財産に達しました。 2001年には元仁科研究室研究員故中山弘美博士のご遺族からのご寄付を基に研究助成を目的とする仁科記念奨励基金を創設し、 寄付金を加えて現在(2011年)その額は約2,900万円となっています。 これらの運用益、賛助会員会費、および寄付金に基づいて財団の活動を営んでおります。
財団の創立に当たっては、初代理事長渋沢敬三氏が財団の基礎の確立に尽力され、渋沢氏の逝去後は朝永振一郎博士が理事長に就任し、1979年7月逝去の日まで財団の発展のために心を砕かれました。その後理事長は久保亮五博士、西島和彦博士と引き継がれ、2005年9月から2011年3月までは山崎敏光博士が理事長を務めました。
財団は創立以来、原子物理学の振興という公益事業を助成してまいりましたが、2008年12月に施行された公益法人改革法に沿って、この公益事業を主体的に推進する公益財団法人へ移行することとし、2011年4月、公益財団法人仁科記念財団として生まれ変わりました。新法人の初代理事長には小林誠博士が就任いたしました。
理事長をはじめ関係者一同、仁科博士を記念するにふさわしい財団として、その一層の発展を念願し、財団の運営に努力してまいります。
以上引用
nishina-mf.or.jp/origin.html
当時の吉田茂首相を会長として設立発起人会が結成され、1955年に財団法人仁科記念財団が設立されました。
なるほど〜
以下引用
研究者の海外派遣(シニア研究者)
2011年10月24日:諸般の事情により、2010年度から数年間、研究者の海外派遣・招聘ともに公募を見送ることにいたしました。あしからずご了承ください。
以上引用
nishina-mf.or.jp/haken.html
なんか違う研究やってるってことか。
以下引用
仁科記念財団 役員等名簿
評議員 平成25年6月14日
氏名 主たる職名
有本 建男 科学技術振興機構社会技術研究センター長・
〃 研究開発戦略センター副センター長(兼)
川路 紳治 学習院大学名誉教授
郷 通子 情報・システム研究機構理事(非常勤)
お茶の水女子大学名誉教授
佐藤 勝彦 自然科学研究機構長、東京大学名誉教授
鈴木 厚人 高エネルギー加速器研究機構長
高橋真理子 朝日新聞社東京本社報道局編集委員
伊達 宗行 新世代研究所理事長、大阪大学名誉教授
中原 恒雄 日本学術振興会監事
西村 純 東京大学名誉教授
廣田 榮治 総合研究大学院大学名誉教授・特任研究員
分子科学研究所名誉教授
宮沢 弘成 東京大学名誉教授
山崎 敏光 東京大学名誉教授、日本学士院会員
吉田庄一郎 株式会社ニコン特別顧問
以上引用
nishina-mf.or.jp/meibo.html
鈴木 厚人 高エネルギー加速器研究機構長
高橋真理子 朝日新聞社東京本社報道局編集委員
って、めちゃ気になる木
以下引用
日本アイソトープ協会は、アイソトープ及び放射線の利用に係る普及啓発と技術の高度化を促進します。加えて、安全確保と法令遵守を旨とし、頒布から廃棄まで一貫したアイソトープ事業の安定的な遂行を通じて、我が国における学術及び技術の発展と国民生活の向上に貢献します。
日本アイソトープ協会は、業務を行うにあたり、その社会的存在意義を十分に認識した上で、アイソトープ・放射線利用推進の理念を共有する会員並びに関係者の要望に、誠実かつ迅速に応えます。
日本アイソトープ協会は、職員一人一人が、個々の持ち場で個性と創意工夫を発揮し、自己研鑽を重ねることを通じて、公益に貢献する誇りを育む職場環境を作ります。
公益社団法人日本アイソトープ協会
会 長 有 馬 朗 人
以上引用
jrias.or.jp/association/cat3/401.html
略称がJRAで、会長が有馬さん!!
日本中央競馬会も、元々吉田茂政権の時に作ったのでしたよね。。
以下引用
沿革
昭和25年、仁科芳雄博士の尽力により米国からアイソトープが輸入され、科学技術の進歩や産業経済の振興に寄与することとなりました。
その後、利用分野は拡大し、使用量も急速に増加する気運となりました。
このような状況のもとで、使用者の便宜を図るための一括輸入と配分業務、さらに安全取扱いのための技術訓練、利用者相互の連絡活動などを行う機関が必要となりました。
ここに、アイソトープ使用者、研究者自身の団体として、昭和26年、当協会が設立されました。
昭和29年、社団法人に発展的に改組され、また平成24年4月には、公益社団法人に移行しました。
昭和26年 「日本放射性同位元素協会」、任意団体として創立(5月1日)
第1回放射性同位元素講習会開催
アイソトープの輸入、頒布開始
昭和28年 医療用大量線源輸入開始
昭和29年 社団法人に改組(5月1日)
昭和35年 放射性医薬品の頒布開始
アイソトープ廃棄物の集荷開始
昭和39年 第1回理工学における同位元素研究発表会開催
昭和46年 名称を「日本アイソトープ協会」に改称(8月1日)
昭和56年 放射線照射施設「甲賀研究所」完成
昭和62年 医療アイソトープ廃棄物処理施設「茅記念滝沢研究所」完成
平成元年 展示施設「武見記念館」完成
平成2年 ポジトロン核医学、PIXE分析施設「仁科記念サイクロトロンセンター」完成
平成24年 公益社団法人に移行(4月1日)
以上引用
jrias.or.jp/association/cat12/413.html
1985年プラザ合意前の日航機123便事故の時、医療用アイソトープ積んでましたよね。。
この件、まだまだ奥が深いです。
で、小林誠さんて、あのノーベル物理学賞の小林誠さんですか。。
以下WIKIPEDIA
小林 誠(こばやし まこと、1944年4月7日 - )は、日本の理論物理学者。素粒子理論を専門分野とし[1]、小林の名が付けられた「CKM行列(Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)」や「小林・益川理論」で知られる[2][3]。 ノーベル物理学賞、日本学士院賞受賞。文化功労者、文化勲章受章者。 名古屋大学の特別教授及び素粒子宇宙起源研究機構諮問委員会座長、高エネルギー加速器研究機構の特別栄誉教授、独立行政法人日本学術振興会の理事及び学術システム研究センター所長、財団法人国際高等研究所のフェローを務める[4][5]。
来歴
愛知県名古屋市出身。幼くして父を亡くしたため、母方の伯父に当たる海部家に身を寄せ、従兄の海部俊樹らとともに暮らす[6]。名古屋大学にて坂田昌一らの指導を受ける。学位は理学博士(名古屋大学・1972年)。論文の題は 「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」[7]。 卒業後は京都大学や高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)で理論物理学の研究を続けた。その業績により2001年に文化功労者に選ばれ、2008年には益川敏英、南部陽一郎と共にノーベル物理学賞を受賞した[8]。
人物・家族
内閣総理大臣を務めた海部俊樹、天文学者の海部宣男、愛知トヨタ自動車元副社長の小野茂勝は従兄。海部俊樹は後に小林について「年下だったので、マー坊と呼んで可愛がった。男の子にしてはおとなしく、いつも部屋で難しげな本を読んでいた。思えばあのころから、天才に『突然変異』する芽があった」と語っている[6]。
研究
「CKM行列」および「小林・益川理論」も参照
素粒子理論を専門分野とし、彼の名が付けられたカビボ・小林・益川行列で知られる。
京都大学の助手であった1973年に、同僚の益川敏英と共にウィーク・ボゾンとクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列 (CKM matrix) を導入した。
この節の加筆が望まれています。
教科書への苦言
ノーベル物理学賞の受賞が決定した後の2008年10月10日に益川敏英と共に塩谷立文部科学大臣と面会し、小林は「検定教科書は必要最低限が書かれるが、これは読む気を失わせる、もっとストーリーが必要」と苦言を述べた[9][10]。
略歴
1957年:名古屋市立山吹小学校卒業
1960年:名古屋市立冨士中学校卒業
1963年:愛知県立明和高等学校卒業
1967年:名古屋大学理学部物理学科卒業
1972年3月:名古屋大学大学院理学研究科修了(理学博士)
1972年4月:京都大学理学部助手就任
1979年:高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)助教授
1985年:高エネルギー物理学研究所教授
2003年:高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所長
2004年:大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構理事
2006年:高エネルギー加速器研究機構名誉教授
2006年:財団法人国際高等研究所フェロー
2007年:独立行政法人日本学術振興会理事
2008年:名古屋大学特別招へい教授[11]
2009年:高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授[12]
2009年:独立行政法人日本学術振興会理事・学術システム研究センター所長
2009年:名古屋大学特別教授
2010年:名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構諮問委員会座長・日本学士院会員
賞歴
1979年:第25回仁科記念賞
1985年:日本学士院賞
1985年:アメリカ物理学会J・J・サクライ賞
1994年:朝日賞[13]
1994年:第48回中日文化賞[14]
2007年:ヨーロッパ物理学会高エネルギー・素粒子物理学賞
2008年:ノーベル物理学賞
栄典
2001年:文化功労者
2008年:文化勲章[15]
脚注
[ヘルプ]
^ 氏名表記、氏名の読み、生年月日、職業(理論物理学者)は、日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録 2002 2.かなーせ』日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日、939頁。
^ “小林誠・益川敏英博士のノーベル賞受賞”. 京都大学大学院理学研究科 物理学教室 グローバルCOE事務局 (2008年12月9日). 2009年11月22日閲覧。
^ “【ノーベル物理学賞】素粒子物理学の世界に金字塔「小林・益川理論」”. MSN産経ニュース (2008年10月7日). 2009年11月22日閲覧。
^ “kekノーベル賞(経歴)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2009年10月1日). 2009年11月22日閲覧。
^ “kekトピックス(小林誠名誉教授経歴)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2007年7月6日). 2009年11月22日閲覧。
^ a b “英語、大嫌い 授賞式が初の海外 ノーベル賞益川氏”. asahi.com(朝日新聞社) (2008年10月7日). 2009年11月26日閲覧。
^ 博士論文書誌データベース
^ “小林・益川・下村氏にノーベル賞授与、晩餐会も”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2008年12月11日). 2009年11月22日閲覧。
^ 読売新聞2008年10月10日夕刊記事要約
^ “益川さんと小林さん、文科相ら表敬…教育行政を手厳しく批判”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2008年10月10日). 2009年11月22日閲覧。
^ “ノーベル賞の小林、下村氏を特別教授に委嘱 名古屋大”. MSN産経ニュース (2008年12月24日). 2009年11月22日閲覧。
^ “kekプレス(小林誠名誉教授に特別栄誉教授の称号授与)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2009年1月6日). 2009年11月22日閲覧。
^ “朝日賞:過去の受賞者”. 朝日新聞. 2009年11月22日閲覧。
^ “中日文化賞:第41回-第50回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月23日閲覧。
^ “平成20年度 文化功労者及び文化勲章受章者について 平成20年度 文化勲章受章者(五十音順)”. 文部科学省 (2008年11月3日). 2009年11月22日閲覧。
以上wikipedia
うわ、こりゃ奥深いわ。。
とりあえず、本日はこの辺で
絶対に不正選挙出来ない選挙の投票と開票方法とは?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/23/6913930
いろいろなことが起きているが、日本が民主主義国家になれるかどうか?は、不正選挙訴訟にかかっていると思います
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/27/7078946
国民の権利である選挙権を奪って闇に葬り去った犯人が、国家安全保障局NSCの初代局長になる国 日本
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/28/7081605
全世界に広めよう 第23回参院選選挙 不正選挙訴訟 陳述書
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/26/7075543
不正選挙関連まとめ その1 参院選までにわかっていたこと
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929630
不正選挙関連まとめ その2 2013.7.21参院選後にわかってきたこと
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929671
『五反田のヴィクトリア』『ビッキー』『斎藤隆』『トンちゃん』などいろいろありましたが
当ブログが選ぶ今年の流行語大賞は、間違いなく『不正選挙ムサシ』です。
12.16衆院選不正選挙から目が覚めた日本人は沢山居るでしょう。
『不正選挙ムサシ』でググると、一番上にキイコちゃんブログが出てきまして、これが大変良くまとまっているので、不正選挙を友人・知人・家族に伝える場合、まず、このキイコちゃんブログのこの記事を読ませるとよいでしょう。
<不正選挙疑惑を調べてみた> 選挙開票・企業株式会社ムサシにまつわる事実
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html
以下引用
株主No1の上毛実業株式会社のホームページを探してみましたが、
住所しかわかりません。
こんなに株をもっていて、何をやっている会社なのでしょうか?
住所: 113-0021 東京都 文京区 本駒込2-27-18-201
201という事はマンションの一室のみということ。
普通の会社には思えませんでしたので、グーグルアースで検索してみました。そしたら・・・
マンションといっても豪華なマンションでした。
以上引用
<不正選挙疑惑を調べてみた> 選挙開票・企業株式会社ムサシにまつわる事実
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html
で、久々にキイコちゃんブログ読んだのですが
東京都 文京区 本駒込2-27-18の地図を見てみると、近くに
社団法人日本アイソトープ協会財団法人仁科記念財団
なんてものを発見してしまいました。
これは臭う
以下引用
ご挨拶
2011年4月 小林 誠
東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
このたび、山崎前理事長の後を継いで、仁科記念財団の理事長に就任いたしました。責任の重さに身の引きしまる思いでおりますが、皆様のお力添えをかりて、無事に任務を全うできるよう努力してまいりたいと思います。
財団は4月1日より、新しい公益法人制度のもとでの認定を受けた公益財団法人となりました。新しい定款には財団の目的を「故仁科芳雄博士のわが国及び世界の学術文化に対する功績を記念して、原子物理学及びその応用を中心とする科学技術の振興と学術文化の交流を図り、もってわが国の学術及び国民生活の発展、ひいては世界文化の進歩に寄与すること」と謳っております。この目的を達成するために、従来から行っております仁科記念賞の授与、仁科記念講演会の開催、仁科記念室の運営、出版物の刊行などが中心的な事業として位置づけております。これらの事業の一層の充実を図ってまいりたいと考えております。
昨年(2010年)は仁科芳雄先生生誕120周年に当たりました。これを記念して、昨年の仁科記念講演会は「日本現代物理学の父 仁科芳雄博士の輝かしき業績」というテーマで仁科先生の業績を改めて振り返ることとしました。この講演会では、西村純先生に「ミューオンの発見」、池田長生先生に「ウラン237と対称核分裂の発見」についてそれぞれお話をいただきました。そして私も仁科先生のコペンハーゲンでの御研究を中心にお話しさせていただきました。講演の内容は、「 仁科記念講演会の記録No.52」でお読みいただけます。
仁科先生は1921年に渡欧され、1928年に帰国されましたが、その大半の期間、コペンハーゲンのニールス・ボーアのもとでご研究をされました。まさに量子力学成立の時期に、その中心地で活躍されたのであります。当初はX線分光の実験的研究をされていましたが、ご帰国直前には、理論研究に転じて、有名なクライン・仁科の公式を発表されました。これは自由電子と光子の散乱断面積を与える公式を導いたものですが、ディラックの空孔理論の成立にも大きな影響を与えたことが推測されます。こうした歴史的な研究の進展を目の当たりにされた先生は、ご帰国後、大きな夢を抱いて理化学研究所の仁科研究室を主宰されたものと思われます。仁科記念財団は先生の理想を受け継ぎ、わが国の基礎科学の進展に貢献することを使命としていると考えます。
末筆になりましたが、新法人への移行に伴い、財団の運営体制の変更と、評議員・役員の大幅な交代がありました。退任されました評議員・役員の皆さまには長年の御尽力に対し深く感謝いたします。
以上引用
nishina-mf.or.jp/president.html
ん??
小林誠
ムサシの社長って
代表取締役社長 小林 厚一 (こばやし ひろかず)
株主No2のショウリン商事株式会社 という会社もホームページがありません。
住所: 167-0052 東京都 杉並区 南荻窪2-3-11
電話: (03) 3546 7711
あれれ、小林@@
うーん
以下引用
仁科記念財団の設立とその後の経緯
1951年仁科芳雄博士の没後、博士の偉大な業績を称えるとともに、原子物理学の基礎とその応用の分野において優れた研究者を育成するという博士の遺志をつぐ事業を行うため、当時の吉田茂首相を会長として設立発起人会が結成され、1955年に財団法人仁科記念財団が設立されました。
この設立に当たっては、わが国の財界からの寄付2,165万円、国内の個人の寄付234万円、海外の学者からの寄付約100万円、計約2,500万円をその基金としました。
1960年には第2次募金、さらに1969年から1976年にわたって 第3次募金、1980年から第4次募金を行い、現在約5億8600万円の基本財産に達しました。 2001年には元仁科研究室研究員故中山弘美博士のご遺族からのご寄付を基に研究助成を目的とする仁科記念奨励基金を創設し、 寄付金を加えて現在(2011年)その額は約2,900万円となっています。 これらの運用益、賛助会員会費、および寄付金に基づいて財団の活動を営んでおります。
財団の創立に当たっては、初代理事長渋沢敬三氏が財団の基礎の確立に尽力され、渋沢氏の逝去後は朝永振一郎博士が理事長に就任し、1979年7月逝去の日まで財団の発展のために心を砕かれました。その後理事長は久保亮五博士、西島和彦博士と引き継がれ、2005年9月から2011年3月までは山崎敏光博士が理事長を務めました。
財団は創立以来、原子物理学の振興という公益事業を助成してまいりましたが、2008年12月に施行された公益法人改革法に沿って、この公益事業を主体的に推進する公益財団法人へ移行することとし、2011年4月、公益財団法人仁科記念財団として生まれ変わりました。新法人の初代理事長には小林誠博士が就任いたしました。
理事長をはじめ関係者一同、仁科博士を記念するにふさわしい財団として、その一層の発展を念願し、財団の運営に努力してまいります。
以上引用
nishina-mf.or.jp/origin.html
当時の吉田茂首相を会長として設立発起人会が結成され、1955年に財団法人仁科記念財団が設立されました。
なるほど〜
以下引用
研究者の海外派遣(シニア研究者)
2011年10月24日:諸般の事情により、2010年度から数年間、研究者の海外派遣・招聘ともに公募を見送ることにいたしました。あしからずご了承ください。
以上引用
nishina-mf.or.jp/haken.html
なんか違う研究やってるってことか。
以下引用
仁科記念財団 役員等名簿
評議員 平成25年6月14日
氏名 主たる職名
有本 建男 科学技術振興機構社会技術研究センター長・
〃 研究開発戦略センター副センター長(兼)
川路 紳治 学習院大学名誉教授
郷 通子 情報・システム研究機構理事(非常勤)
お茶の水女子大学名誉教授
佐藤 勝彦 自然科学研究機構長、東京大学名誉教授
鈴木 厚人 高エネルギー加速器研究機構長
高橋真理子 朝日新聞社東京本社報道局編集委員
伊達 宗行 新世代研究所理事長、大阪大学名誉教授
中原 恒雄 日本学術振興会監事
西村 純 東京大学名誉教授
廣田 榮治 総合研究大学院大学名誉教授・特任研究員
分子科学研究所名誉教授
宮沢 弘成 東京大学名誉教授
山崎 敏光 東京大学名誉教授、日本学士院会員
吉田庄一郎 株式会社ニコン特別顧問
以上引用
nishina-mf.or.jp/meibo.html
鈴木 厚人 高エネルギー加速器研究機構長
高橋真理子 朝日新聞社東京本社報道局編集委員
って、めちゃ気になる木
以下引用
日本アイソトープ協会は、アイソトープ及び放射線の利用に係る普及啓発と技術の高度化を促進します。加えて、安全確保と法令遵守を旨とし、頒布から廃棄まで一貫したアイソトープ事業の安定的な遂行を通じて、我が国における学術及び技術の発展と国民生活の向上に貢献します。
日本アイソトープ協会は、業務を行うにあたり、その社会的存在意義を十分に認識した上で、アイソトープ・放射線利用推進の理念を共有する会員並びに関係者の要望に、誠実かつ迅速に応えます。
日本アイソトープ協会は、職員一人一人が、個々の持ち場で個性と創意工夫を発揮し、自己研鑽を重ねることを通じて、公益に貢献する誇りを育む職場環境を作ります。
公益社団法人日本アイソトープ協会
会 長 有 馬 朗 人
以上引用
jrias.or.jp/association/cat3/401.html
略称がJRAで、会長が有馬さん!!
日本中央競馬会も、元々吉田茂政権の時に作ったのでしたよね。。
以下引用
沿革
昭和25年、仁科芳雄博士の尽力により米国からアイソトープが輸入され、科学技術の進歩や産業経済の振興に寄与することとなりました。
その後、利用分野は拡大し、使用量も急速に増加する気運となりました。
このような状況のもとで、使用者の便宜を図るための一括輸入と配分業務、さらに安全取扱いのための技術訓練、利用者相互の連絡活動などを行う機関が必要となりました。
ここに、アイソトープ使用者、研究者自身の団体として、昭和26年、当協会が設立されました。
昭和29年、社団法人に発展的に改組され、また平成24年4月には、公益社団法人に移行しました。
昭和26年 「日本放射性同位元素協会」、任意団体として創立(5月1日)
第1回放射性同位元素講習会開催
アイソトープの輸入、頒布開始
昭和28年 医療用大量線源輸入開始
昭和29年 社団法人に改組(5月1日)
昭和35年 放射性医薬品の頒布開始
アイソトープ廃棄物の集荷開始
昭和39年 第1回理工学における同位元素研究発表会開催
昭和46年 名称を「日本アイソトープ協会」に改称(8月1日)
昭和56年 放射線照射施設「甲賀研究所」完成
昭和62年 医療アイソトープ廃棄物処理施設「茅記念滝沢研究所」完成
平成元年 展示施設「武見記念館」完成
平成2年 ポジトロン核医学、PIXE分析施設「仁科記念サイクロトロンセンター」完成
平成24年 公益社団法人に移行(4月1日)
以上引用
jrias.or.jp/association/cat12/413.html
1985年プラザ合意前の日航機123便事故の時、医療用アイソトープ積んでましたよね。。
この件、まだまだ奥が深いです。
で、小林誠さんて、あのノーベル物理学賞の小林誠さんですか。。
以下WIKIPEDIA
小林 誠(こばやし まこと、1944年4月7日 - )は、日本の理論物理学者。素粒子理論を専門分野とし[1]、小林の名が付けられた「CKM行列(Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)」や「小林・益川理論」で知られる[2][3]。 ノーベル物理学賞、日本学士院賞受賞。文化功労者、文化勲章受章者。 名古屋大学の特別教授及び素粒子宇宙起源研究機構諮問委員会座長、高エネルギー加速器研究機構の特別栄誉教授、独立行政法人日本学術振興会の理事及び学術システム研究センター所長、財団法人国際高等研究所のフェローを務める[4][5]。
来歴
愛知県名古屋市出身。幼くして父を亡くしたため、母方の伯父に当たる海部家に身を寄せ、従兄の海部俊樹らとともに暮らす[6]。名古屋大学にて坂田昌一らの指導を受ける。学位は理学博士(名古屋大学・1972年)。論文の題は 「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」[7]。 卒業後は京都大学や高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)で理論物理学の研究を続けた。その業績により2001年に文化功労者に選ばれ、2008年には益川敏英、南部陽一郎と共にノーベル物理学賞を受賞した[8]。
人物・家族
内閣総理大臣を務めた海部俊樹、天文学者の海部宣男、愛知トヨタ自動車元副社長の小野茂勝は従兄。海部俊樹は後に小林について「年下だったので、マー坊と呼んで可愛がった。男の子にしてはおとなしく、いつも部屋で難しげな本を読んでいた。思えばあのころから、天才に『突然変異』する芽があった」と語っている[6]。
研究
「CKM行列」および「小林・益川理論」も参照
素粒子理論を専門分野とし、彼の名が付けられたカビボ・小林・益川行列で知られる。
京都大学の助手であった1973年に、同僚の益川敏英と共にウィーク・ボゾンとクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列 (CKM matrix) を導入した。
この節の加筆が望まれています。
教科書への苦言
ノーベル物理学賞の受賞が決定した後の2008年10月10日に益川敏英と共に塩谷立文部科学大臣と面会し、小林は「検定教科書は必要最低限が書かれるが、これは読む気を失わせる、もっとストーリーが必要」と苦言を述べた[9][10]。
略歴
1957年:名古屋市立山吹小学校卒業
1960年:名古屋市立冨士中学校卒業
1963年:愛知県立明和高等学校卒業
1967年:名古屋大学理学部物理学科卒業
1972年3月:名古屋大学大学院理学研究科修了(理学博士)
1972年4月:京都大学理学部助手就任
1979年:高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)助教授
1985年:高エネルギー物理学研究所教授
2003年:高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所長
2004年:大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構理事
2006年:高エネルギー加速器研究機構名誉教授
2006年:財団法人国際高等研究所フェロー
2007年:独立行政法人日本学術振興会理事
2008年:名古屋大学特別招へい教授[11]
2009年:高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授[12]
2009年:独立行政法人日本学術振興会理事・学術システム研究センター所長
2009年:名古屋大学特別教授
2010年:名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構諮問委員会座長・日本学士院会員
賞歴
1979年:第25回仁科記念賞
1985年:日本学士院賞
1985年:アメリカ物理学会J・J・サクライ賞
1994年:朝日賞[13]
1994年:第48回中日文化賞[14]
2007年:ヨーロッパ物理学会高エネルギー・素粒子物理学賞
2008年:ノーベル物理学賞
栄典
2001年:文化功労者
2008年:文化勲章[15]
脚注
[ヘルプ]
^ 氏名表記、氏名の読み、生年月日、職業(理論物理学者)は、日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録 2002 2.かなーせ』日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日、939頁。
^ “小林誠・益川敏英博士のノーベル賞受賞”. 京都大学大学院理学研究科 物理学教室 グローバルCOE事務局 (2008年12月9日). 2009年11月22日閲覧。
^ “【ノーベル物理学賞】素粒子物理学の世界に金字塔「小林・益川理論」”. MSN産経ニュース (2008年10月7日). 2009年11月22日閲覧。
^ “kekノーベル賞(経歴)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2009年10月1日). 2009年11月22日閲覧。
^ “kekトピックス(小林誠名誉教授経歴)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2007年7月6日). 2009年11月22日閲覧。
^ a b “英語、大嫌い 授賞式が初の海外 ノーベル賞益川氏”. asahi.com(朝日新聞社) (2008年10月7日). 2009年11月26日閲覧。
^ 博士論文書誌データベース
^ “小林・益川・下村氏にノーベル賞授与、晩餐会も”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2008年12月11日). 2009年11月22日閲覧。
^ 読売新聞2008年10月10日夕刊記事要約
^ “益川さんと小林さん、文科相ら表敬…教育行政を手厳しく批判”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2008年10月10日). 2009年11月22日閲覧。
^ “ノーベル賞の小林、下村氏を特別教授に委嘱 名古屋大”. MSN産経ニュース (2008年12月24日). 2009年11月22日閲覧。
^ “kekプレス(小林誠名誉教授に特別栄誉教授の称号授与)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2009年1月6日). 2009年11月22日閲覧。
^ “朝日賞:過去の受賞者”. 朝日新聞. 2009年11月22日閲覧。
^ “中日文化賞:第41回-第50回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月23日閲覧。
^ “平成20年度 文化功労者及び文化勲章受章者について 平成20年度 文化勲章受章者(五十音順)”. 文部科学省 (2008年11月3日). 2009年11月22日閲覧。
以上wikipedia
うわ、こりゃ奥深いわ。。
とりあえず、本日はこの辺で
絶対に不正選挙出来ない選挙の投票と開票方法とは?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/23/6913930
いろいろなことが起きているが、日本が民主主義国家になれるかどうか?は、不正選挙訴訟にかかっていると思います
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/27/7078946
国民の権利である選挙権を奪って闇に葬り去った犯人が、国家安全保障局NSCの初代局長になる国 日本
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/28/7081605
全世界に広めよう 第23回参院選選挙 不正選挙訴訟 陳述書
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/26/7075543
不正選挙関連まとめ その1 参院選までにわかっていたこと
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929630
不正選挙関連まとめ その2 2013.7.21参院選後にわかってきたこと
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929671
最近のコメント