覚せい剤と戦争その2 アンフェタミンと満州事変2015/05/17 20:39

覚せい剤と戦争その2 アンフェタミンと満州事変

覚せい剤と戦争その1 ヘロインと米西戦争 マニフェストデスティニー
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/05/16/7635157
のつづきです。

本日は、覚せい剤『アンフェタミン』と戦争の関係について見ていきたいと思います。


アンフェタミン(英語: amphetamine, alpha-methylphenethylamine)とは、間接型アドレナリン受容体刺激薬としてメタンフェタミンと同様の中枢興奮作用を持つ[1]。同様の作用機序により中枢興奮作用を持つメチルフェニデートは注意欠如、多動症、ナルコレプシーの治療薬として用いられる[1]。また、強い中枢興奮作用および精神依存、薬剤耐性により、反社会的行動や犯罪につながりやすいため、覚醒剤に指定されている[1]。

毒性
急性中毒による症状として、精神病、失見当識、一時的な統合失調症様症状、攻撃性の増加、妄想、開口障害、下痢、動悸、不整脈、失神、異常高熱症、および痙攣を起こし昏睡に至る反射亢進が挙げられる。アンフェタミンは常用すると耐性を生じやすく、望む効果を得るために用量を増すなどして習慣性を生じやすい。


1887年(明治20年)、ルーマニアの化学者ラザル・エデレアーヌ(英: Lazăr Edeleanu)がベルリン大学で初めて合成した。アンフェタミンは光学異性体を持ち、レボアンフェタミン(L体)とデキストロアンフェタミン(D体)に光学分割することができる。アンフェタミンは多くの向精神薬の母体骨格であり、MDMA(エクスタシー)やメタンフェタミン(N-メチル誘導体)などを含む化合物群を構成する。アンフェタミン自体はフェネチルアミンの誘導体である。

実験医療には1920年(大正9年)代から使用され始めた。世界のほとんどの国々では、1920年代後期にベンゼドリン(英: Benzedrine®)が導入された。いくつかの国家で軍隊、特に空軍で、疲労を抑え警戒態勢を持続させるため整備士の間で用いられた。濫用が報告されてから数十年後、アメリカ食品医薬品局 (FDA) は1959年(昭和34年)にベンゼドリン吸入機を禁止してアンフェタミンの処方を制限したが、不法な使用が広まっていった。
日本国内では、武田薬品がゼドリン®の商標でアンフェタミン製剤が発売していたが、現在では発売されていない。
日本以外の国々では、メチルフェニデート(リタリン®、コンサータ®など)と共に、注意欠陥障害 (ADHD) の標準的な治療薬として用いられている。ADHDに対する有益な効果として、衝動の抑制力や集中力の増加、感覚器への過剰刺激や被刺激性の減少などが挙げられる。これらの効果は、特に幼い子供に対しては時として劇的である。

wikipedia


というわけで、実際に軍隊において使用されたドラッグです。


現在でも子供の治療に覚せい剤であるアンフェタミン(類似薬)を使用しているオドロクべき実態は、以前から指摘しているところです。

そりゃ、学級崩壊やら理由のわからん事件とか起きるわな。覚せい剤だもん。


では、アンフェタミンはいつ販売されたのか?調べてみると、以下の記事が出てきました。

抜粋して引用します。


2 ヒット商品になったベンゼドリン
欧米では、1930年代ころからアンフェタミンやメタンフェタミンなどのATSを成分とした薬品の開発が始まり、薬局などで市販される一般薬として発売されました。
アメリカでは1931年に、スミス・クライン&フレンチ社が喘息治療薬のインヘラー(吸入剤)として、アンフェタミン製剤のベンゼドリン(Benzedrine)を発売しましたが、これはアンフェタミンの末梢血管収縮作用に注目して開発された薬品で、喘息発作を起こした患者の鼻腔や気管支のうっ血を改善するものです。

中略

しかし、アンフェタミンには、現在では私たちがよく知っているように、中枢神経に対する刺激作用によってもたらされる多幸感や、依存性といった問題があり、使用の拡大とともに、本来の治療目的から外れた乱用も広まり始めます。1938年に合衆国食品・医薬品局(FDA)は、アンフェタミンなど特定の薬品の販売に当たって、医師の処方を必要とするよう制限を設けました。
それにもかかわらず、ベンゼドリンの需要は伸び続け、その売上は1941年には50万ドルに達し、同社の全売上の4%を占めるまでになりました。さらに、1945年までにはデキストロアンフェタミン製剤のデキセドリンも発売され、ベンゼドリンと合わせた売上高は200万ドルになったといいます[3]。1946年にBettはアメリカの医学会では、統合失調症、てんかん、偏頭痛、筋無力症、尿漏れ、メニエール症、ニコチン中毒など39の症状に対する治療にベンゼドリンが使われていると報告しています[4]。

以上引用

http://s.webry.info/sp/33765910.at.webry.info/201104/article_7.html



では、アンフェタミンが販売開始された1931年に何が起きたのか、見てみましょう。

できごと wiki

1月1日 - 二代目市川猿之助らが松竹を脱退し春秋座を再建、旗揚げ公演(市村座)
1月10日 - 冥王星において地球の日面通過が発生する。次回は2018年7月12日に発生する。
1月15日 - 台北放送局 (JFAK) 放送開始。
1月16日 - 霧社事件の引責により台湾総督石塚英蔵が退任。
1月22日 - 霞ヶ関離宮の払下げ決る。
1月27日 - 全日本学生庭球連盟発足。
マックス・ホルクハイマーが、フランクフルト社会研究所所長に任命さる。
「少年倶楽部」で田河水泡の漫画『のらくろ』連載開始。

2月1日 - 三等寝台車を新設(東海道線 東京-神戸間)
2月11日 - 三菱重工設立(三菱造船より改名)
2月14日 - 三菱石油(現・JX日鉱日石エネルギー)設立
2月28日 - 婦人公民権案を衆議院で可決(3月24日に貴族院で否決)

3月3日 - 米国で「星条旗 (The Star-Spangled Banner)」が国歌に採用
3月6日
三重県上空で日本空輸旅客機から乗客1人が初の飛降り自殺
パラシュートガール宮森美代子が千葉県津田沼で降下し大人気
3月7日 - 全農第4回大会で左右両派が激突し左派多数が検挙され右派が役員を独占する(全農分裂)。
3月10日 - 金杉惇郎・長岡輝子らテアトル・コメディ結成第一回公演
3月14日 - 全国産業博覧会開催(浜松市)
3月19日 - 米国ネバダ州がギャンブルを合法化する。
3月20日 - 政治結社「桜会」によるクーデターの計画が発覚(三月事件)。
イネの画期的な交配種、 水稲農林1号の育成成功。

4月1日
中央本線新宿 - 甲府間電化完成
重要産業統制法公布
4月6日 - NHKラジオ第2放送が開局。
4月14日 - 第2次若槻内閣成立
4月14日 - スペイン国王アルフォンソ13世が亡命し、スペイン第二共和政成立。
4月18日 - 直良信夫が明石市で化石人骨を発見(明石原人)
4月25日 - 東京音楽学校に作曲科設置
「オール讀物」(文藝春秋)が創刊。

5月1日
鉄道省、小型コンテナ試用開始。
ニューヨークでエンパイア・ステート・ビルディング完成。
大阪帝国大学設置。
5月3日 - 北関東・東北に霜害。熊谷の最低気温零下4℃
5月7日 - 石川県山中温泉で大火。740戸焼失。
5月13日 - 新潟県白根町で大火。402戸焼失,死傷者五十余人。
5月20日 - 国際ヘーゲル連盟日本支部「ヘーゲルとヘーゲル主義」。
5月27日 - 第2次若槻内閣が「官吏減俸令」公布(6月1日施行)。

6月8日 - 御茶ノ水橋完成
6月17日
朝鮮総督に宇垣一成を任命・親任式
関東で強震。横浜全市が停電、暗黒の街となる
6月22日 - 日本航空輸送旅客機が福岡県山中に墜落し3名死亡(初の旅客機事故)
6月27日 - 中村大尉事件。北満視察中の中村震太郎大尉が中国兵に殺害される

7月2日 - 万宝山事件
7月3日 - 朝鮮排華事件

8月1日 - 八十二銀行設立(第十九銀行と六十三銀行が合併)
8月10日 - 鎌倉御用邸廃止
8月25日 - 羽田飛行場(後の東京国際空港)開港
8月25日 - イギリスでマクドナルド挙国一致内閣成立
8月31日 - 江蘇省で水害(30万人溺死)

9月1日 - 清水トンネル開通により上越線全通(上野-新潟間が7時間10分に短縮)
9月18日 - 柳条湖事件(満州事変勃発)
9月21日 - 林銑十郎による独断越境進撃

10月1日 - 国立公園法施行
10月17日 - 錦旗革命事件。橋本欣五郎中佐(桜会)らによる軍部内閣樹立クーデター発覚・拘禁
宇野弘蔵と山田盛太郎「資本論体系」。

11月1日 - 松屋浅草店開業
11月2日 - 東京科学博物館開館式
11月7日 - 大阪城天守閣再建(地上で現存する世界最古の鉄骨鉄筋コンクリート造建物)、大阪城公園開園
11月25日 - 大百科事典(平凡社)刊行
11月27日 - 中華ソビエト共和国臨時政府樹立

12月5日 - ソ連共産党政治局の指令によりモスクワの救世主ハリストス大聖堂が爆破解体される。
12月6日 - 岡倉天心銅像除幕式(東京美術学校前庭)
12月11日 - 安達内相が辞任勧告を拒否。内閣不統一により第2次若槻内閣総辞職
12月13日
犬養毅内閣成立
金輸出再禁止令公布施行
12月15日 - 中島飛行機株式会社設立
12月16日 - 東京浅草オペラ館開場。エノケンが旗揚公演
12月23日 - 第60議会召集。
12月25日 - 東京中央郵便局完成
12月31日 - ムーランルージュ新宿座開場
wikipedia


満洲事変が起きてますね。。


満洲事変(まんしゅうじへん、旧字体: 滿洲事變、英語:Mukden Incident, Manchurian Incident)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍[注釈 1]が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件[注釈 2])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。通常「満州事変」と表記されることが多いが、元もと「満州」は「満洲」と表記されていた。「州」と「洲」は新旧漢字の関係ではなく別文字なので、「満洲」が正しいとして、研究者を中心に「満洲」と表記する人も増えている。中国側の呼称は九一八事変[注釈 3]。
関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。
この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化した。満洲国の建国により中国市場に関心を持つアメリカら他の列強との対立も深刻化した[注釈 4]。

wikipedia

というわけで、アンフェタミンが販売開始された1931年に満洲事変が起き、日本は戦争の泥沼へとはまり込んでいくことになるわけです。

満州事変を起こしたのって誰なのでしょうね。。


ちなみに、アンフェタミンを製造・販売したのは、スミス・クライン&フレンチ社。つまり、当ブログでも毎度おなじみの、現在のグラクソスミスクラインです。


日本国内では、武田薬品がゼドリン®の商標でアンフェタミン製剤を発売していたそうです。


そのあたり、現在も人脈は、全く変わっていません。

以下過去記事より


武田薬品の取締役・監査役略歴

以下引用


取締役 山田忠孝(Tadataka Yamada)
2000年12月 グラクソ・スミスクライン社研究開発部門長
2004年1月 同社取締役 就任
2006年6月 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団
グローバル・ヘルス・プログラム プレジデント 就任(2011年6月まで)
2007年6月 コヴィディエン社取締役 就任
2009年6月 タケダ・グローバル・アドバイザリー・ボード メンバー
2011年1月 アジレント・テクノロジー社取締役(現在に至る)
2011年2月 当社業務執行会議第三部会議長(現在に至る)
2011年6月 当社取締役就任(現在に至る)
2011年6月 当社メディカル&サイエンティフィックアドバイザー
2011年6月 武田ファーマシューティカルズ・インターナショナル Inc.副社長就任(現在に至る)
2011年11月 当社チーフ メディカル&サイエンティフィック オフィサー就任(現在に至る)


取締役 フランク・モリッヒ(Frank Morich)
1998年3月 バイエル社一般用医薬品本部長
2000年4月 同社経営委員
2002年4月 バイエルヘルスケア社経営委員長
2004年1月 AMファーマ社最高経営責任者
2004年6月 フォービオン社科学諮問委員長
2005年1月 イノジェネティックス社取締役兼最高経営責任者
2008年1月 ノクソン・ファーマ社最高経営責任者
2009年6月 タケダ・グローバル・アドバイザリー・ボード メンバー
2010年10月 当社米欧販売統括職
2010年10月 武田ファーマシューティカルズ・インターナショナル Inc. 副社長(現在に至る)
2011年6月 当社取締役就任(現在に至る)
2011年10月 武田ファーマシューティカルズ・インターナショナル GmbH 社長(現在に至る)
2011年11月 当社チーフ コマーシャル オフィサー(現在に至る)

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/01/28/7206693


311の後に、テレビが広告自粛で『子宮頸癌ワクチン打ちましょうキャンペーン』が垂れ流しされましたが、重度の被害に遭われた方々が沢山居ます。


子宮頸癌ワクチンも、グラクソスミスクラインです。

次回は、最も危険なドラッグと言われているメタンフェタミンについて見ていきたいと思います。