ボストンマラソンテロの現場に、あの岡本行夫が居た件2013/05/03 17:53

ボストンマラソンテロで分かってきた様々な事実 なぜチェチェンの若者が犯人に仕立て上げられたのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/20/6784478
のつづき


ボストンのテロですが、読者の方から、このサイト教えていただきました。

非常によくまとまっています。

http://blog.goo.ne.jp/zaurus13

この方が詳しく更新して探ってくれていますが、結局、被害者が役者だったようですね。


以前書いた
ボストンマラソンテロで分かってきた様々な事実 なぜチェチェンの若者が犯人に仕立て上げられたのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/20/6784478

で、チェチェンが出てきたから、犯人にされた兄弟は、C哀Aをバックにしたチェチェン独立派の資金獲得活動(白い粉もの売買)をやってたのだろうと書きましたが、証拠が様々出てきたようです。



櫻井ジャーナルさんのところで詳しくやってます。

ロシア筋からも、情報が沢山上がってるみたいです。



ボストン・マラソンのゴール・ライン近くでは、爆発の約2時間前に訓練のために制御された爆破があったとする情報があり、これを利用して本物を仕掛けた可能性もある
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201304270001/



本ブログでは何度か書いたことだが、ゴール・ラインの近くに複数の爆発物探知犬がいたほか、黒いバックパックを背負い、キャップを被った複数の人間が目撃されている。後に、黒いバックパックの一団は州兵だったことが明らかにされた。「訓練なので心配しないように」というアナウンスが流れていたともいう。

 爆破は午後2時49分だったのだが、その2時間前、午後12時53分にボストン・グローブ紙はTwitterに興味深い情報を流している。1分以内に「図書館の逆サイド」で訓練のために制御された爆破があると予告していたのだ。死傷者の出た爆破もボストン公共図書館の向かい側で起こっている。

 2001年9月11日に航空機がニューヨークの世界貿易センターにそびえていた超高層ビルに突入、国防総省の本部庁舎が攻撃されているが、この時もNRO(国家偵察局)などが軍事演習を実施していたことを思い出す。その年の5月から6月にかけてNORADが行った演習は、巡航ミサイルでアメリカの東海岸が攻撃されるという想定だった。このほか、複数の演習が実施され、当日の混乱につながったとも言われている。

 今回の事件ではイスラエル警察のトップ、ヨハナン・ダニノも捜査に協力しているようだが、どのような成果があったかは不明。メディアは予想通り、FBIやC哀Aの「無能」を宣伝しているが、このシナリオには疑問がある。

 例えば、前にも書いたように、容疑者兄弟、タメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフのオジにあたるルスラン・ツァルナエフにC哀Aの影がつきまとっている。この人物は、1992年から2年間、USAID(米国国際開発庁)の「顧問」としてカザフスタンで働き、2005年4月にはカザフスタンの石油会社で役員になったようだ。

 USAIDはC哀Aが隠れ蓑に使う組織で、カザフスタンの会社を経営していたS.A.セフスバログルはハリーバートンの経営者だった。リチャード・チェイニーがCEO(最高経営責任者)を務めていた会社で、情報機関とも関係が深い。ルスランとセフスバログルは旧知の間柄だった。

 それだけでなく、ロシアのイズベスチア紙によると、容疑者のうち兄のタメルラン・ツァルナエフは2012年の1月から7月にかけてロシアに滞在、この年の夏に行われたワークショップ/セミナーに参加している。主催したのはNGOのコーカサス基金で、ジェームズタウン基金というワシントンDCを拠点とする団体と協力関係にある。

 ジェームズタウン基金は1984年、ウィリアム・ケーシーC哀A長官の支援を受けて創設された組織で、2010年からズビグネフ・ブレジンスキーも理事として名を連ねている。ブレジンスキーとC哀Aとの関係も有名だ。つまり、タメルランはC哀Aに雇われていた可能性がある。ロシア政府がこの情報をFBIに伝えたならば、FBIが捜査に動くことは難しいだろう。C哀Aのエージェントとして反ロシア勢力に接近していたなら、その部分だけを知らせていたかもしれない。

 実は、実際にツァルナエフ兄弟が本物の爆弾を仕掛けたという証拠は明らかにされていない。FBIとC哀Aを巻き込むため、本当の実行者(組織)がこの兄弟を選んだ可能性もあるということだ。例えば、アメリカ軍をシリアに軍事侵攻させたい勢力にしてみれば、バラク・オバマ政権を揺さぶることができる。

 サウジアラビアやカタールは論外として、イギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカのネオコン(親イスラエル派)は証拠を示すことなく、シリア政府が化学兵器を使ったと宣伝してきたが、アメリカ政府は化学兵器の使用に否定的な見解を示していた。が、ボストン・マラソンの爆破事件後、発言のニュアンスが変化している。

 
以上引用 全文は
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201304270001/



C哀Aの幹部だったグラハム・フラーの娘と容疑者兄弟のオジは結婚していたことが判明、USAIDに所属していたことと相まって、C哀A人脈に属することが明瞭になってきた
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201304280000/


1992年から2年の間、C哀Aがしばしば隠れ蓑に使うUSAID(米国国際開発庁)の「顧問」としてカザフスタンで働いている。日本の核ビジネスが関係を深めている国としても有名だ。

 このカザフスタンでルスランは2005年4月に石油会社で役員になる。前にも書いたことだが、この会社を経営していたS.A.セフスバログルはハリーバートンの経営者だった。リチャード・チェイニーが2000年までCEOを務めていた、あのハリーバートンだ。

 しかも、フロリダ州を拠点に活動しているジャーナリストのダニエル・ホップスティッカーによると、ルスランが結婚した相手はC哀Aの幹部だったグラハム・フラーの娘、サマンサ。その後、ふたりは離婚している。

 C哀A時代、フラーはトルコ、レバノン、サウジアラビア、イエメン、アフガニスタン、香港を担当し、1982年には近東・南アジア担当の国家情報オフィサーとなり、1986年には国家情報会議の副議長に就任した。1988年に国防総省系のシンクタンク、RANDコーポレーションへ移っている。

 前にも書いたが、タメルランは2012年の夏にコーカサス地方の若者を対象としたワークショップ/セミナーに参加している。主催したNGOのコーカサス基金はC哀A系のジェームズタウン基金と協力関係にある。ジェームスタウン基金は1984年にソ連の反体制派を支援するために創設されたが、その際にウィリアム・ケイシーC哀A長官が支援している。

 ツァルアエバ母子の周辺にはC哀Aのネットワークが存在、しかもFBIの監視下にあった。そうした環境の中にいたツァルナエフ兄弟が爆破事件を起こせばC哀AやFBIの存在が浮上してくるのは当然。ズベイダ・ツァルナエバの言うように兄弟が無実なら、実際に爆破事件を引き起こした人物/組織にとってふたりは恰好の「防御装置」になり、アメリカ政府を揺さぶることができると言える。


以上引用全文は
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201304280000/



田中宇さんのところでも


ボストンテロの自作自演性
http://tanakanews.com/130426boston.htm

これから、どういう展開になるのか不明ですが、当ブログの記事がgoogleからパージされたところを見ると、JFK図書館の公文書か資料が本命でしょうね。
なぜか、その情報が全く出てきませんもの。

で、昨日の朝日新聞に、こんな記事が出ていたわけです。

以下引用


(私の視点)ボストン爆破事件 テロに立ち向かう市民の力 岡本行夫


 ボストン・マラソンゴール地点での爆弾テロ。すぐそばに雷が落ちたようなすさまじい音だった。私は、1発目の爆弾が置かれていた場所から2メートル離れたところで、浮き立つ気分で見物していたが、爆発の20分前にそこを離れ、隣の通りにいた。そこへ、血だらけの負傷者が次々に運び込まれてきた。多数の救護隊員が駆…

以上引用 全文は
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305010614.html



岡本行夫が、ボストンマラソンテロの現場に居たのか。
そら、偶然のはず無いわ。

詳しくは、デスペのはんなり日記さんの記事見れば分かりますが、ど真ん中な人物です。




岡本アソシエイツ レイシオンとベクテル イラク日本人外交官射殺事件
http://desuperado.seesaa.net/article/353383791.html




以下wikipedia



岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年11月23日 - )は、日本の外交評論家、実業家。元外交官。株式会社岡本アソシエイツ代表取締役、パシフィカ・ネオ・ベンチャーズLLCジェネラルパートナー。MIT国際研究センター シニアフェロー。

来歴・人物

神奈川県生まれ。鎌倉市及び藤沢市で育つ。父親は農林省職員。父親の仕事の関係で、中学時代は2年間クアラルンプールに滞在。
神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。鈴木典比古(国際基督教大学学長)とはゼミの同期。外務省同期に東郷和彦ら。経済畑を経て、北米一課長など北米畑の有力ポストを歴任し、将来を嘱望される存在だったが、1991年に辞職した。管理職となって現場に関われなくなることに不満があったという[1]。

外務省退官後はコンサルタント会社を経営しながら、親米派の外交評論家として活動。一方で、第1次橋本内閣、第2次橋本内閣で内閣総理大臣補佐官、小渕内閣で科学技術庁参与、第1次小泉内閣で内閣官房参与、第2次小泉内閣で内閣総理大臣補佐官、第3次小泉内閣で内閣総理大臣外交顧問、福田康夫内閣で外交政策勉強会メンバーを務める等、政府要職を数多く歴任している。特に橋本内閣においては、沖縄問題担当として60回以上に渡り沖縄入りして現地との信頼関係を築きながら、普天間基地の返還・代替地移設問題や沖縄振興策策定の最前線で活動したとされる[2]。

2009年12月には、鳩山由紀夫内閣の普天間基地移設問題への対応で日米関係が悪化する中、鳩山由紀夫首相と総理大臣官邸で面会。知米派の岡本が個人的な立場から外交面で協力するとの合意をしたと報じられた[3]。

2012年、米マサチューセッツ工科大学シニアフェローに就任。
実業家としては、2000年には梅田望夫及びインド人、アメリカ人と4人でシリコンバレーのパロアルトにベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立し、ITベンチャーを支援。このほかアサヒビール取締役、三菱自動車監査役、三菱マテリアル取締役、日本郵船取締役等も歴任する。

イラク日本人外交官射殺事件で殉職した奥克彦とは生前懇意であり、奥の母校である早稲田大学公共経営研究科の奥・井ノ上イラク子ども基金連携講座でも教鞭をとった。毎年、奥の命日には喪に服している。皇太子妃雅子が外務省時代に尊敬していた上司という。
趣味はアメリカンフットボール観戦、ラグビー観戦、スクーバダイビング及び海中写真撮影等。

略歴

1964年3月 神奈川県立湘南高等学校卒業
1968年3月 一橋大学経済学部卒業(板垣与一ゼミ)
1968年4月 外務省入省
1969年 英語研修(米国スワースモア大学)
1971年 経済協力開発機構日本政府代表部
1973年 経済局国際経済課事務官
1975年 経済局国際機関第一課事務官(貿易交渉担当)
1978年 北米局北米第一課首席事務官
1981年 在エジプト大使館一等書記官(中東和平担当)
1983年 在アメリカ大使館参事官(政務担当)
1985年8月 北米局安全保障課長
1988年7月 北米局北米第一課長
1991年1月 退官
同年 岡本アソシエイツ設立、同代表取締役就任
1991年 - 国際交流基金参与
1996年11月 - 1998年3月10日 内閣総理大臣補佐官(非常勤・沖縄担当)
1998年7月 - 2000年6月 科学技術庁参与
2000年3月30日 - 2008年3月26日 アサヒビール取締役
2000年6月 三菱マテリアル取締役
2000年7月 パシフィカ・ネオ・ベンチャーズ・エル・エル・シー設立、同共同代表就任
2001年9月 - 2003年 内閣官房参与
2002年9月 立命館大学客員教授(国際社会で活躍する人材養成特別プログラム)
2003年4月 - 2004年4月 内閣総理大臣補佐官(非常勤・イラク担当)
2004年4月 内閣総理大臣外交顧問
2007年6月 - 三菱自動車工業株式会社社外監査役
2008年6月 - 日本郵船株式会社取締役
2011年7月 - 一般社団法人東北漁業再開支援基金希望の烽火設立、同代表理事
2012年2月 - 復興庁復興推進委員会委員
2012年10月 - マサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロー
この他に、アサヒビールアドバイザリーボードメンバー(1998年 - 2000年)、日本郵船アドバイザリーボードメンバー(2006年 - 2008年)、NTTドコモアドバイザリーボードメンバー、東芝経営諮問会議メンバー、小松製作所インターナショナル・アドバイザリー・ボード社外アドバイザー、東海東京調査センター理事長、上総モナークカントリークラブ理事、Oakキャピタル株式会社顧問、外交政策勉強会(福田康夫首相の私的懇談会)メンバー(2007年12月 - )、内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員、電通総研客員研究員、富士通総研特命顧問、小僧com株式会社アドバイザリーボードメンバー(2008年 - )、一般財団法人日本フラッグフットボール協会代表理事、財団法人東京財団評議員、財団法人日本教育科学研究所理事、福島県しゃくなげ大使等も務める。



wikipedia


ど真ん中過ぎて笑えない。

1971年 経済協力開発機構日本政府代表部
1973年 経済局国際経済課事務官
1975年 経済局国際機関第一課事務官(貿易交渉担当)
1978年 北米局北米第一課首席事務官
1981年 在エジプト大使館一等書記官(中東和平担当)
1983年 在アメリカ大使館参事官(政務担当)
1985年8月 北米局安全保障課長
1988年7月 北米局北米第一課長
1991年1月 退官

2000年6月 三菱マテリアル取締役

2003年4月 - 2004年4月 コイズミ内閣総理大臣補佐官(非常勤・イラク担当)
2004年4月 内閣総理大臣外交顧問


NTTドコモアドバイザリーボードメンバー、東芝経営諮問会議メンバー
内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員、電通総研客員研究員、富士通総研特命顧問、財団法人東京財団評議員、


ベクテル、シュルツ、キッシンジャーアソシエイツ、アーミテージ。。


イラクで奥克彦氏が殺されたのは、復興利権でベクテルの尻尾を踏んだからと、ジャパンハンドラーさんちは言ってるみたいですね。


で、こういう人物が
2012年2月 - 復興庁復興推進委員会委員 になるわけですか、そうですか。


どこまでも一筆書き出来そうな、911、311、イラク戦争、ボストンマラソンテロでした。




ボストンマラソンの爆弾事件とJ.F.K暗殺事件
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/16/6779342

映画『ホワイト・ハウス・ダウン』とヴァンダービルト ボストンマラソン爆破事件 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/17/6780648

ボストンマラソンテロとオリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/18/6782101

ボストンマラソンテロで分かってきた様々な事実 なぜチェチェンの若者が犯人に仕立て上げられたのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/20/6784478