3秒差で起きた全く種類の違う地震について ― 2011/04/16 12:32
さっき起きた地震なのだが
地震情報(震源・震度に関する情報) 平成23年4月16日11時23分 気象庁発表 きょう16日11時19分ころ地震がありました。 震源地は、栃木県南部(北緯36.4度、東経140.0度)で、震源の深 さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.9と推定されます。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/20110416112341384-161119.html
とあるが、緊急地震速報見ると、妙ですよ。
地震発生日時: 2011/04/16 11:19:32 震源地: 茨城県南部 震源の深さ: 70km マグニチュード: M6.2 最大震度: 震度5弱
緊急地震速報発信状況
コード番号発信時刻地震発生からの経過時間(秒)北緯東経震源地震源の深さマグニチュード最大震度 111:19:461436.3139.9栃木県南部10kmM6震度5弱 211:19:481636.4139.9栃木県南部70kmM6.2震度4 311:19:491736.2139.8茨城県南部110kmM6.1震度4 411:19:491736.3139.9栃木県南部80kmM6震度4 511:19:501836.3139.9栃木県南部80kmM6震度4 611:19:542236.3139.9栃木県南部80kmM6震度4 711:19:592736.4139.9栃木県南部70kmM6震度4 811:20:134136.3140茨城県南部70kmM6.2震度5弱 911:20:336136.3140茨城県南部70kmM6.2震度5弱 10 (最終報)11:20:366436.3140茨城県南部70kmM6.2震度5弱
http://quake.twiple.jp/quake/view/20110416111943
とありまして、気象庁発表では震源の深さ70キロとありますが、最初の震源は、いつもの10キロです。 それが、110キロの深さや70キロの深さと連動している奇妙な地震です。
さらに、ほぼ同時刻に三陸沖で地震が起きてます。 なんと3秒差です。
地震波の到達するスピードは、地盤にもよりますが、3〜7キロ(毎秒)です。 しかも、5〜7キロ(毎秒)というのは、あくまでもP波(初期微動の波)です。
なので、これは、全く別の地震が、ほぼ同時に起きたということです。
2011/04/16 11:19:32茨城県南部M6.2震度5弱 2011/04/16 11:19:29三陸沖M6.1震度4 2011/04/16 10:11:08石垣島北西沖M6.2震度4
しかも、遠く離れた石垣島でも同じクラスの地震です。
で、3秒前の三陸沖の地震ですが
地震発生日時: 2011/04/16 11:19:29 震源地: 三陸沖 震源の深さ: 10km マグニチュード: M6.1 最大震度: 震度4
緊急地震速報発信状況
コード番号発信時刻地震発生からの経過時間(秒)北緯東経震源地震源の深さマグニチュード最大震度 111:20:275839.5143.1三陸沖10kmM5.9震度3 211:20:356639.5143.1三陸沖10kmM6震度3 311:20:558639.5143.1三陸沖10kmM6.1震度4 4 (最終報)11:21:0910039.5143.1三陸沖10kmM6.1震度4
http://quake.twiple.jp/quake/view/20110416111947
こちらは、いつも起きている、同一震源の深さ10キロの地震です。
一方、1時間前の地震は
地震発生日時: 2011/04/16 10:11:08 震源地: 石垣島北西沖 震源の深さ: 150km マグニチュード: M6.2 最大震度: 震度4
緊急地震速報発信状況
コード番号発信時刻地震発生からの経過時間(秒)北緯東経震源地震源の深さマグニチュード最大震度 110:11:362825.1124石垣島北西沖120kmM5.8震度3 210:11:383025.4123.9石垣島北西沖150kmM6.1震度4 310:11:453725.4123.9石垣島北西沖150kmM6震度3 410:11:473925.4123.9石垣島北西沖150kmM6震度3 510:11:574925.4123.9石垣島北西沖150kmM6.2震度4 610:12:045625.4123.9石垣島北西沖150kmM6.2震度4 710:12:247625.4123.9石垣島北西沖150kmM6.2震度4 8 (最終報)10:12:338525.4123.9石垣島北西沖150kmM6.2震度4
http://quake.twiple.jp/quake/view/20110416101133
これは、震源が2つの超深度地震です。
ご覧のように、種類が全く違う同じ規模の地震が、これほど広範囲に起きていて、とても変です。
これは、明らかに原因が、それぞれ違うということです。
そして、注目すべきは、栃木と三陸の地震が起きる直前に、例の飛行機雲が、わらわらと武蔵野上空にありました。 これとの関係を知りたいです。
もちろん、陽動作戦のような気もするわけですけど。
飛行機雲について、当ブログは、ヒラリー来日のための晴天作戦という風に認識していたのですが、どうなんでしょう??
M7以上の巨大な地震と地下核実験の深い関係 ― 2011/04/16 15:25
1950年〜67年にM7以上の巨大な地震が多い理由はなぜか?
昨日の朝日新聞夕刊に、
米地震学会において、リックアスター教授らのまとめで、地震計の計測記録がある1900年以降の世界の M7以上の約1700の地震記録を分析した。その結果「1950年〜67年」と「2004年以降」は、M7以上の大地震・巨大地震が統計的に多い時期であることがわかった。
1900年以降に起きた M9以上の超巨大地震は、1952年(カムチャッカ半島沖、M9.0) 60年(チリ、M9.5)、64年(アラスカ、 M9.2)と
2004年(スマトラ島沖、M9.1)、10年(チリ、M8.8)、11年の東日本大震災(M9.0)など
以上引用終わり
と、出ていたのですが、地震学者の人とか地質学者の人は、地震の活動期があるとか、ないとか、プレートの動きがどうとか言うわけですけど、歴史や社会を研究しながら自然現象を見ている当ブログは、あることに気付きました!
それは、この大地震の活動期「1950年〜67年」というところです。
これは、朝鮮戦争が始まりベトナム戦争の間と重なります。 つまり、どういうことか?というと、東西冷戦において、原爆や水爆の開発競争が起こり、地下核実験を盛んに行っていた時期と一致するということです。
地下核実験をすると、M7.0クラスの地震が起きますから、この時期に、大地震が多いのは、地震活動が活発になっているからでは無く、通常の地震に加えて地下核実験を沢山やっていたからでしょう。
原爆・水爆の実験は、人の居ない太平洋の小さな島とかでやってたわけですが、その中から第五福竜丸の被爆事故のような事が起きて、被爆の危険性が世界中で叫ばれるようになり、核実験は地下でやるようになっていったのです。
ですから、この時期に大地震が多発するようになったのは必然だったでしょう。
中でも、カムチャッカとアラスカでM9以上の地震が起きている事に注目してください。
鋭い方なら、もうお分かりのように、カムチャッカはソ連、アラスカはアメリカの領土ですが、最も人口が少なく、大都市からも離れているので、隠れて地下核実験するのには、最適な場所だったわけです。 そこで巨大な地震が起きています。
そして、地下核実験が進むにつれて、段々地下核実験への風当たりが強くなってきたわけです。
で、どうしたか?というと、地震に見せかける地下核実験を研究して採用することになっていったようです。
これは、一つの爆発だと波形から核実験だということがバレバレなので、大小の爆薬を時間差でずらして起爆することにより、地震に見える自然な波形にしたということらしいです。
長野県北部に、第二次大戦末期、日本軍が本土最終決戦するための秘密の地下基地を作っていたのですが、これは松代の大本営と呼ばれています。
なぜ、その場所に作ったのか?というと、岩盤が極めて堅く、地震が少ない場所だったからですね。
この施設は終戦によって使用されずに終わりますが、戦後、気象庁によって地震観測の施設が出来ます。
これに目をつけたアメリカが、ソ連の地下核実験を観測するための装置を松代に作ります。
その途端に、今まで全く地震が起きなかった松代で群発地震が突然始まったのです。
以下引用
松代群発地震(まつしろぐんぱつじしん)は、長野県埴科郡松代町(現・長野市)付近で1965年(昭和40年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる群発地震である。震源地は皆神山付近。総地震数は71万1341回。このうち、有感地震は6万2826回(震度5:9回、震度4:48回、震度3:413回、震度2:4596回、震度1:5万6253回)を数えた。最大の地震はM5.4。群発地震全てのエネルギーは、M6.4に相当する。なお、書籍によっては松代地震と記しているものもある。皆神山は地震活動の前後で約1m隆起し付近には、「松代地震断層」が発見された。 wikipedia
地震がなぜ突然起きたのか?いまだによく分っていないそうですが、ソ連が地下核実験の存在を知られないために、なんかした。あるいは、実は地下核実験の存在を知るために計測したのではなく、地震のメカニズムの研究に利用されてた可能性とかも考えると、この地震は、よく理解出来るんじゃないかと思います。 それはともかく
で、こういう地下核実験を繰り返すと、これが地震兵器として使えるんじゃないか?という考え方が、当然出てきますよね。
そのための実験も行われていたのです。
実際に、当時の新聞には、原爆を使った人口地震の記事が掲載されています。
そして1977年には、環境改変技術 敵対的使用禁止条約が結ばれるわけです。
これが、地震と原爆・水爆実験についての経緯です。
このように、チリはともかくとして、アラスカやカムチャッカのM9地震は、水爆の時間差爆発実験の結果起きたと、当ブログは考えます。
では、2004年以降に頻発している巨大地震は、何が原因か? ということが、問題になってきます。
つづく
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