今日は、建国記念の日だそうだが、『建国』っていつのことを指すのか?2014/02/11 15:21

本日は建国記念の日ですが、昨年、こんな日記を書きました。
ので、再掲載


今日は、建国記念の日だそうだが、『建国』っていつのことを指すのか?


日本列島が現在のような形になったのは、氷河期の中の間氷期が始まり、日本海の氷が解けて湖ではなくなったおよそ12000年から15000年くらい前。


その頃から人間住んでるでしょうから、日本の歴史は、大体15000年くらいというのが、当ブログの基本的な考えです。

いつ建国されたのか特定は出来ませんよね。


で、日本といっても、戦国時代までは天下統一されてなかったわけだから、天下統一した戦国時代が建国か?

いろいろ考えても分からないのでググってみました。

以下引用


建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ。日付は2月11
概説

国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。

他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、本日のみが「政令で定める日」と定められている(経緯は#沿革を参照)。この規定に基づき、佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定め、「建国記念の日は、二月十一日」とした。2月11日という日付は、明治時代の初期[1]に定められ1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する[2]。
当日は、各地の神社仏閣にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。


「紀元節」を参照

wikipedia


えー、『神話の中の神武天皇の即位の日』

こ、この国は、神話で出来ているのか。。



紀元節(きげんせつ)は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祭日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。かつての祝祭日の中の四大節[1]の一つ。


8世紀初めに編まれた『日本書紀』によれば、神武天皇の即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」であり、日付は正月朔日、すなわち1月1日となる。
辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮

― 『日本書紀』卷第三、神武紀

しかし、明治5年11月15日(1872年12月15日)、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め(明治5年太政官布告第342号)、同日には「第一月廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた(明治5年太政官布告第344号)。この1月29日とは、1873年(明治6年)の旧暦1月1日をそのまま新暦に置き換えた日付である。折柄、明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日をもって明治6年1月1日(1873年1月1日)とし、新暦が施行されることになっていた。


1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。同年3月7日には、神武天皇即位日を「紀元節」と称することを定めた(明治6年太政官布告第91号)。なお、同年1月には、神武天皇即位日と天長節(天皇誕生日)を祝日とする布告を出している。

ところで、これらの太政官布告に先立って、明治5年11月9日(1872年12月9日)に出されていた太陽暦を施行する旨の太政官布告では、祭典等の日付は、旧暦の月日を新暦の月日として施行するものと定めていた(明治5年太政官布告第337号)。

これは、祭典の執行日を新暦で固定し、毎年旧暦の月日から新暦の月日に換算する煩雑さを避けるための規定である。例えば、例年1月1日に新年を祝って行われる歳旦祭は、旧暦1月1日の新暦相当日ではなく新暦1月1日に行うということになる。
この規定の影響などもあって、紀元節は旧暦1月1日、すなわち旧正月を祝う祝日との誤解が国民のあいだに広まった。国民のこの反応を見て政府は、紀元節は神武天皇即位日を祝う祝日であるという理解が広まらないのではないかと考えた。また、1月29日では、孝明天皇の命日(慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇祭)と前後するため、不都合でもあった[4]。
そこで、政府は、1873年(明治6年)10月14日、新たに神武天皇即位日を定め直し、2月11日を紀元節とした(明治6年太政官布告第344号)。


2月11日という日付は、文部省天文局が算出し、暦学者の塚本明毅が審査して決定した。その具体的な計算方法は明らかにされていないが、当時の説明では「干支に相より簡法相立て」としている。
干支紀年法は後漢に三統暦の超辰法を廃止して以降は木星と関係なく60の周期で単純に繰り返すようになった。神武天皇の即位年の「辛酉年」は『日本書紀』の編年(720年(養老4年)に成立)を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い庚辰の日を探すと新暦2月11日が特定される。その前後では前年12月20日と同年4月19日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」にならない。したがって、「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日とした。なお、『日本書紀』はこの日が「朔」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないので、明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。また、現代の天文知識に基づき当時の月齢を計算すると、この日[5]は天文上の朔に当たるが、これは天文上の朔にあわせるため、庚辰の日を即位日としたと考えられている。
wikipdia


前から建国記念の日が11日なのが気になってたんですよね。

で、神武天皇


神武天皇(じんむてんのう)-日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)であり、日本を初めて統一して「ヤマト(大和)朝廷」を築いた日本神話最大の英雄。
誕生の地は宮崎県(明治以前は日向の国)内4カ所に伝説地が残る。陵墓は、奈良県橿原市。
日向(宮崎県)にあった草創期ヤマト政権は、東征を重ねながら橿原(奈良県)に進出、初めて日本を統一してヤマト(大和)の国、「ヤマト(大和)朝廷」を築いた。
庚午年1月1日(紀元前711年2月13日?) - 神武天皇76年[1]3月11日(紀元前585年4月9日?))。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月18日) - 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日)とされる。


wikipedia

3月11日にお亡くなり。。おいおい

311。。。

生まれたのは、1月1日=11

うーむ。


神話、神話。だから現実じゃ無いですよ。
あくまで神話

誰かが作ったのです。


で、この神話を法律にした1873年の年表を見てみることにした。

以下年表

できごと

1月
1月1日 - 改暦ノ布告 (天海僧正により暦の九星の配列を変え太陽暦導入)(明治5年旧12月3日を1873年1月1日とする)
1月10日 - 徴兵令施行(以後、現役兵の入営日となる)
1月15日
公園設置令布告
東京師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)設立(学制に基づく日本初の小学校)
1月22日 - 華族・士族・平民間の養子縁組を許可
2月
2月4日 - 東京市養育院落成(護国院内)
2月7日 - 復讐厳禁(仇討禁止令)布告
2月11日 - スペイン第一共和制成立(アマデオ1世退位)
2月12日 - 米国で金銀複本位制廃止
2月24日 - キリスト教禁止の高札(五榜の掲示)が撤廃(江戸初期の禁止以来,初めてキリスト教公認)
3月
3月14日 - 外国人との婚姻を許可(内外人民婚姻条規)
3月23日 - E・レミントン・アンド・サンズ社がタイプライターを製造開始
3月23日 - プエルト・リコで奴隷制廃止
3月25日 - 五公園を決定(上野・浅草・深川・飛鳥山・芝)
4月
4月1日 - 郵便料金が全国均一となる(書状は市内1銭・市外2銭)
4月30日 - 日清修好条規発効
5月
5月1日 - ウィーン万国博覧会開幕 ( - 10月31日),日本が初めて公式参加
5月7日 - 米国海兵隊がパナマに侵攻
5月9日 - 銀座煉瓦街一部竣工
5月12日 - スウェーデン王オスカル2世戴冠式
5月15日 - 東京市内の牛豚牧畜を禁止
5月20日 - リーヴァイ・ストラウスとジェイコブ・デイヴィスがリベットでポケットを補強したズボンの特許を取得、ジーンズの発祥とされる
5月31日 - 日本橋改架竣工
6月
6月9日 - 北ロンドンのアレクサンドラ・パレスが開館16日目にして焼失
6月10日 - 目安箱廃止
6月15日
千葉県成立(印旛県と木更津県が統合)
宇都宮県と栃木県の統合により後の栃木県の県域がほぼ確定
6月24日 - 集議院廃止
7月
7月1日 - プリンス・エドワード島がカナダに編入
7月10日 - 小塚原刑場廃止
7月18日 - 火葬禁止令公布
7月20日 - 第一国立銀行設立
7月26日 - 両国の花火が復活
7月28日 - 地租改正法公布
8月
8月23日 - ロンドンでアルバート橋(Albert Bridge)開橋
9月
9月13日 - 岩倉使節団帰朝
9月18日 - 米国で恐慌(1873年的恐慌)
9月20日 - 恐慌によりニューヨーク証券取引所が10日間閉鎖
10月
10月14日 - 祝祭日休暇制定(年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム)
10月25日 - 明治六年政変(征韓論政変)
11月
11月1日 - 萬世橋竣工
11月4日 - 東京外国語学校設立(開成学校より独立))
11月10日 - 内務省設置
12月
12月1日 - 郵便葉書発売(市内用5厘・全国用1銭)
日付不詳
スマトラでアチェ戦争起こる( - 1904年)

wikipedia


えー、興味深いことだらけです。

1月1日 - 改暦ノ布告 (天海僧正により暦の九星の配列を変え太陽暦導入)(明治5年旧12月3日を1873年1月1日とする)
1月10日 - 徴兵令施行(以後、現役兵の入営日となる)
2月24日 - キリスト教禁止の高札(五榜の掲示)が撤廃(江戸初期の禁止以来,初めてキリスト教公認)
4月30日 - 日清修好条規発効
11月10日 - 内務省設置

なるほど〜


これ、歴史的な転換点ですよね。

徴兵令施行されてますから。
しかも、1月10日に

数字の好きな人たちは、0を考えないので11

2011年に、空母ロナルドレーガンが311の『ともだち作戦』のためにサンディエゴを出航したのも1月10日でしたね。(おさらい)


この徴兵令をきっかけに、日本が日清戦争から日露戦争を経て第二次世界大戦で壊滅するわけです。


で、日本が戦争で得た資産は一度天皇家や財閥のものにしてから強奪というのが世界権力の作戦で。
それを残すために、あれこれやったのが戦後の歴史のようですが。。


いずれにしても、一般市民にとっては、最悪な出来事であることには変わりありません。



徴兵令(ちょうへいれい、太政官布告無号)(明治22年法律第1号)は、1873年(明治6年)に制定され、国民の兵役義務を定めた日本の法令。1889年(明治22年)に全面改正され、1927年(昭和2年)、兵役法に移行した。
前史

戊辰戦争における官軍、すなわち明治新政府の軍は、長州・薩摩・土佐など諸藩の軍の集合で、大村益次郎、西郷隆盛、板垣退助らがそれぞれ指揮しており、政府が独自に徴兵して組織した軍はなかった。明治政府直属の御親兵も、長州藩の一部部隊を元に諸藩の在京の浪人を集めて組織されたものだった。

大村や西郷従道、山縣有朋(論主一賦兵[1])らは、早くから「国民皆兵」の必要性を唱えていた。これは、近世的な個人的武技に頼る戦闘では、近代戦において勝利を得るのが困難であることを理解していたからである[2]。しかし、これには身分・家格を廃して四民平等を導入せねばならず、すなわち江戸時代の特権階級のうち最大の人口を占める武士の解体を意味する。そのため、政府内にも島津久光を筆頭に前原一誠・桐野利秋ら保守的な反対論者を多数抱えており、また西郷隆盛も「壮兵」といって、中下層士族の立場を考慮した志願兵制度を構想していて徴兵制には消極的であった。そのうち、大村が暗殺された事もあって構想は一旦は挫折する事となった。

明治3年11月13日(新暦:1871年1月3日)に山縣有朋の構想のもと、徴兵規則(ちょうへいきそく)が制定され、各府藩県より士族・卒族・庶人にかかわらず1万石につき5人を徴兵することを定めた。続いて翌明治4年2月13日(新暦:1871年4月2日)には、西郷の構想の一部をも取り込む形で三藩(薩摩・長州・土佐)の軍が親兵として編成され、この兵力を背景に同年7月廃藩置県が断行された。

続いて、中央集権体制の近代国家にとって国民軍の創出が必要と認識され、西郷隆盛も最終的には山縣の考え方を支持して、山城屋事件で山縣が辞職に追い込まれた後も、西郷は桐野利秋らの反対論を退けた。明治5年11月28日(新暦:1872年12月28日)に徴兵告諭が出され、翌明治6年(1873年)1月10日(新暦)に徴兵令が施行。以後、毎年徴兵による新兵の入営日となった。
なお、全国的な徴兵制を敷くことを可能にした前提条件として、明治4年制定の戸籍法に基づいて翌明治5年壬申に壬申戸籍が編製されたことが挙げられる[2]。


1927年(昭和2年)、徴兵令を全部改正し、兵役法が制定された。

wikipedia

現在、日本維新の会を始めとする、頭のおかしい勢力が、徴兵制とか言ってるわけですが、こういうのを見ると、大元が何なのか見えてきますよね。


大元は、『神話』です。『神話』を事実として信じ込むこと。
それを理由にして、自分たちの都合が良いように国民を使うこと。
それが崩壊への道なのです。


そういう意味でも、神武天皇の創作『神話』を事実として信じ込んだ宗教右翼の人たちと、聖書を文字通り信じてしまった『キリスト教原理主義』の人たちは、一緒なのでしょう。

だから、日本の宗教右翼は、大量破壊兵器があると嘘ついて他国を爆撃するブッシュやラムズフェルドたちとその背後の『キリスト教原理主義』の人たちを支持するのではないでしょうか。



そして、この1893年5月7日 に、米国海兵隊がパナマに侵攻しているように、3.11=11番目のアルファベットがK=KKKの人たちは、マニフェストデスティニィ(決定された未来)を合い言葉に、自分たちの都合が良いように異人種を侵略していくわけです。


で、日本建国神話の中の神武天皇が崩御したのが3月11日ですか。
なるほどねえ


よく出来てて、あきれるほかないです。

コメント

_ DY ― 2013/02/12 17:35

http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2927286/10269486?ctm_campaign=txt_topics 「ANSA通信の速報は11日午前11時46分(日本時間同日午後7時46分)、世界各国の報道機関に取り上げられた。」

ローマ法王退位のニュースが配信されたのもこのとおり11が2つもあって、おまけに911や311と共通の46分なんですよね。NHKのウェブニュース記事の配信時刻でも、何か臭う事件だとこういう数字を含んでいたりしますね。

_ velvetmorning ― 2013/02/12 20:48

DY 様
原発爆発の発表も11時30分の記者会見でした。
一番巨大な爆発発表したのが、2011年3月15日11時30分
なんなのでしょうね??
11人怪我とか11人死亡というニュースがあると、捏造だろと思ったりしてしまいますね、最近は。

_ 今昔 ― 2014/01/15 00:56

はじめまして!
陰ながらいつも楽しみに拝見させていただいております。
最近、なるほど~と思う歴史のHPが有りましたのでついつい書き込んでしまいたくなってしまいました。

邪馬台国発見 http://kodai21-s.sakura.ne.jp/

これからも、鋭い考察楽しみにしております!お邪魔しました!

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