国連大使のスーザン・ライスを安全保障問題担当の大統領補佐官(NSA)に指名2013/06/09 17:05

米国家安全保障局が個人のデータをネット大手のサーバーから収集していることが明らかに
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/06/08/6841542

のつづき


櫻井ジャーナルさんが、米国家安全保障局の人事についてやってますので、メモ


以下引用

2013.06.07
オバマ米大統領が大統領補佐官に指名したライス国連大使、その後任に選んだパワーは「人道」を口実に大量虐殺を推進、ふたりの仲間は「人権団体」の幹部にも



 バラク・オバマ米大統領は国連大使のスーザン・ライスを安全保障問題担当の大統領補佐官(NSA)に指名、ライス大使の後任にサマンサ・パワーを選んだ。大量虐殺を正当化するために「人道」という看板を掲げるという共通項が二人にはあり、シリアへの軍事力行使に消極的な姿勢を見せてきたアメリカ政府が方針を変えたのではないかと注目されている。


 現在のNSA、トム・ドニロンはビル・クリントン政権で国務長官を務めたウォーレン・クリストファーに近く、ジョン・ケリー国務長官やチャック・ヘイゲル国防長官と同じように、軍事より外交を優先する考え方の人物だ。

 クリントン政権でクリストファーはユーゴスラビアへの軍事介入に抵抗、1997年に国務長官のポストを追われている。NATO軍がユーゴスラビアを空爆したのは長官交代の2年後、1999年のことだった。

 クリストファーの後任に選ばれたのはマデリーン・オルブライト。彼女はアフガニスタンで戦争を仕掛けたズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、そのオルブライトの弟子に当たるのがライスである。

 一方、パワーは空爆の年にハーバード・ロー・スクールを卒業、「人道」を名目とした大量殺戮を正当化する著作を発表している。リビアへの軍事侵攻にも賛成していた。こうした姿勢に対してはハワード・ジンやエドワード・ハーマンといった学者から批判されているのだが、その一方、日本だけでなく、世界的にパワーと似た主張をする「自称左翼」が少なくない。

 「人道」を口実とした大量殺戮を「西側」が大々的に行うようになったのは、ユーゴスラビアを先制攻撃したころから。ソ連が消滅した後、バルカンに対する「西側」の工作が激しくなり、行き着いた先が虐殺だった。

 ユーゴスラビアでは1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニアが独立を宣言、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナが続き、セルビア・モンテネグロはユーゴスラビア連邦共和国を結成した。その連邦共和国から分離しようとしたのがコソボのアルバニア系住民。当然、「西側」の支援を受けていた。

 当初、コソボで展開された自治権を求める運動はイブラヒム・ルゴバが率いるLDKが主導、平和的なものだった。そこでセルビア側も運動を容認していたのだが、徐々に状況が変わってくる。「人権擁護団体」のHRWやマスメディアがセルビア側の「弾圧」を宣伝し始め、アル・カイダがアルバニアからボスニアやコソボへ活動範囲を広げてきたのだ。ボブ・ドール米上院議員と関係の深いアルバニア・ロビーも宣伝活動を始めている。

 この時期、アメリカ政府はLDKに冷淡な姿勢を見せていた。KLA(UCKとも表記)を台頭させようとしていたのだ。KLAは1996年にコソボ北部にいたセルビア人を襲撃して活動を開始した。

 KLAが麻薬密輸で資金を稼いでいることは有名で、ユーロポール(ヨーロッパ警察機構)もKLAとアルバニアの麻薬組織とのつながりに関する報告書をヨーロッパ各国の警察や司法関係の閣僚に提出している。

 アフガニスタンとパキスタンの山岳地帯で生産されたヘロインはEUなどへ流れていくのだが、その主要ルートのひとつがコソボを経由、全取引量の約40%だという。KLAは麻薬だけでなく、武器や臓器の密輸にも手を出している。欧州会議が発表した報告書によると、そうした取り引きのトップはハシム・サチだともいう。

 いわば、KLAとは犯罪者集団なのだが、「親西側」ということで大した問題にはならない。それに対し、「西側」にとって邪魔な存在であるセルビアのイメージを悪くするためには嘘も使う。アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、イランなども同じように攻撃されてきた。

 ボスニアの場合、ニューズデーのロイ・ガットマンは16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと報道したが、事実でないことが別のジャーナリストによって確認された。当時、ガットマンはドイツのボン支局長で、彼が頼っていた情報源はクロアチアの民族主義政党HDZの副党首で、クロアチア亡命者のプロパガンダ組織CICのザグレブ事務所の責任者だったヤドランカ・シゲリ。ここからレイプ情報が発信されている。

 1993年、ガットマンにはセルビア人に関する報道でピューリッツァー賞を贈られ、シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年にはHRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を発表している。ICRC(赤十字国際委員会)はセルビア人による組織的なレイプを示す証拠はないとしたうえで、全ての勢力が戦争で「不適切な行為」を行ったとしているのだが、「西側」には無視された形だ。

 人権や人道は重要な概念であり、そうした目的を達成するための団体は支配層にとって目障りなはずだが、そうした目障りな存在を支配するのも支配層の常套手段。ロナルド・レーガン政権時代に始められた「プロジェクト・デモクラシー」は、「民主化」を装って国内をファシズム化し、外国を侵略しようというものだ。標語が大好きな、ある種の日本人はまんまと術中にはまっていた。

 例えば、スザンヌ・ノッセルの場合、1999年から2001年までリチャード・ホルブルック国連大使の下で働き、2005年から07年にかけてウォール・ストリート・ジャーナルの副社長、2009年から11年にかけては国務省の副次官補を務めていた。2012年1月から今年1月までアムネスティ・インターナショナルUSAのエグゼクティブ・ディレクター、現在はPENアメリカン・センターのエグゼクティブ・ディレクターだ。その間、HRWのCOOや経営コンサルタントのマッキンゼーを経験している。アムネスティやHRWのような「人権擁護団体」が「西側」の殺戮に寛容な理由がわかる。

以上引用
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/


で、今度、大統領の国家安全保障担当になるのが、この人



スーザン・エリザベス・ライス(Susan Elizabeth Rice、1964年11月17日 - )は、アメリカ合衆国の外交政策顧問、アメリカ合衆国国際連合大使。 クリントン政権2期目には、国家安全保障会議スタッフ、アフリカ担当国務次官補を務め、オバマ政権では、2009年1月22日の上院議会で全会一致で国連大使に指名された。女性としてはマデレーン・オルブライト、ジーン・カークパトリックに続きアメリカ合衆国史上3人目、アフリカ系アメリカ人女性としては初の国連大使である[1]。なお同じアフリカ系アメリカ人女性だが、ジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官を務めたコンドリーザ・ライスとの血縁関係はない[2]。

1964年11月17日、ワシントンD.C.のシェパード・パーク地区に生まれる[3]。父親のエメット・J・ライスは、コーネル大学経済学教授で、1979年から1986年までは連邦準備制度理事会の理事も務めた[3]。 母親ロイス・ディクソン・フィットは、教育政策学者である。大学入学まではワシントンD.C.にある全日制の私立女子校であるナショナル・カテドラル・スクールに通い、トライアスロンの選手であった他、生徒会の会長や卒業生総代も務めた[4]。 バスケットボールのチームではポイントガードとしてオフェンスを指揮し、"Sportin'."[5]を略した"Spo,"というニックネームを得ていた[4]。


1988年の大統領選ではマイケル・デュカキスの外交政策顧問を務めた。1990年代初頭には世界的なマネジメントコンサルティング企業であるマッキンゼー・アンド・カンパニー社で、マネジメント・コンサルタントとして働いた[18]。マッキンゼー時代は、トロント・オフィスに勤めている。クリントン政権では、1993年から1997年まで国家安全保障会議スタッフを務め、うち1993年から1995年までは国際機関・平和維持担当部長、1995年から1997年まではアフリカ政策大統領特別補佐官兼上級職を務めるなど、様々な立場で政権運営に関わった。


1988年の大統領選ではマイケル・デュカキスの外交政策顧問を務めた。1990年代初頭には世界的なマネジメントコンサルティング企業であるマッキンゼー・アンド・カンパニー社で、マネジメント・コンサルタントとして働いた[18]。マッキンゼー時代は、トロント・オフィスに勤めている。クリントン政権では、1993年から1997年まで国家安全保障会議スタッフを務め、うち1993年から1995年までは国際機関・平和維持担当部長、1995年から1997年まではアフリカ政策大統領特別補佐官兼上級職を務めるなど、様々な立場で政権運営に関わった。

wikipedia


11月17日生まれか。。


なるほど


この人事が重要なはずなんですよね。

なぜかというと、今年は、FRB(連邦準備制度)誕生100年だからです。


債券が本物かどうかを管理しているのは、大統領のシークレットサービスだそうですから。



お父さんが、FRB(連邦準備制度)の理事だったというのも、いかにもです。

1979年から1986年までは連邦準備制度理事会の理事も務めた

ということは、当時の大統領国家安全担当首席補佐官は、ズビグニューブレジンスキーですから、そのつながりですかね。


マッキンゼーアンドカンパニー出身者


安達保 - カーライルジャパン共同代表
石井てる美 - お笑いタレント
伊藤賢司 - 株式会社DBMG代表取締役兼社長
伊藤良二 - 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授
ウィリアム・ヘイグ - イギリスの外務大臣
上山信一 - 慶應義塾大学総合政策学部教授
後正武 - 東京マネジメントコンサルタンツ代表取締役
江端貴子 - 衆議院議員
大前研一 - ビジネス・ブレークスルー代表取締役
及川直彦 - 電通コンサルティング代表取締役社長
勝間和代 - 著述家、評論家、経営コンサルタント
川鍋一朗 - 日本交通株式会社代表取締役
川本裕子 - 早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授
木曽健一 - 元ユニゾン・キャピタル パートナー(故人)
木南陽介 - リサイクルワン代表取締役
小暮真久 - NPO法人TABLE FOR TWO代表理事
小沼大地 - NPO法人クロスフィールズ代表理事
斎藤顕一 - フォアサイト・アンド・カンパニー代表取締役
佐藤弘志 - ブックオフコーポレーション代表取締役社長
ジェフリー・スキリング - 元エンロン最高経営責任者
スーザン・ライス - 米国連大使
炭谷俊樹 - ラーンネット・グローバルスクール代表、ビジネス・ブレークスルー講師
高島宏平 - オイシックス代表取締役
高橋俊介 - 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授
瀧本哲史 - エンジェル投資家、京都大学産官学連携センター客員准教授
田中裕輔 - ジェイド代表取締役
並木裕太 - フィールドマネージメント代表取締役
南場智子 - ディー・エヌ・エー取締役
西田在賢 - 静岡県立大学経営情報学部教授
西山浩平 - エレファントデザイン代表取締役社長
波頭亮 -  経営コンサルタント、株式会社Xeed社長
平野正雄 - 元カーライルジャパン共同代表
藤井清孝 - ベタープレイス・ジャパン代表取締役社長兼アジアパシフィック代表
ボビー・ジンダル - 米ルイジアナ州知事(共和党)
堀新太郎 - ベインキャピタル・ジャパン会長
三村真宗 - コンカー代表取締役社長
茂木敏充 - 衆議院議員、内閣府特命担当大臣(金融)行政改革担当/公務員制度改革担当
森祐治 - シンク代表取締役、慶應義塾大学及び九州大学講師、電通コンサルティング常務取締役
安田隆二 - 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授
山田淳 - フィールド&マウンテン代表取締役
横山禎徳 - オリックス、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友銀行社外取締役、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム (EMP) 企画・推進責任者
和田千弘 - カートサーモン日本代表
渡辺千賀 - 経営コンサルタント、株式会社「Blueshift Global Partners」社長

wikipedia




6月6日から9日まで、イギリスでビルダーバーグ会議。
2013年 (6月6日-6月9日) イギリス・ワットフォード、グローブホテル



王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)はライスの博士論文「ジンバブエにおける共和制構想、1979年-1980年:国際的平和維持活動が意味するもの」を、英国で最も優れた国際関係分野の論文と評した[3][9]。


王立国際問題研究所(おうりつこくさいもんだいけんきゅうじょ、英: Royal Institute of International Affairs, 略称RIIA)は、イギリスのシンクタンク。所在地の名をとってチャタム・ハウス(Chatham House)とも呼ばれる。
1920年創設。本部はロンドン(元々はピット一族の所有の建築物である)。外交問題評議会の姉妹機関としても知られる。

wikipedia


これからの日程

6月 17~18日 G8サミット アーン湖(イギリス)
7月 19日 G20財務大臣・労働大臣合同会合 モスクワ(ロシア)
19~20日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議 モスクワ(ロシア)
9月

5~6日 G20サミット サンクトペテルブルグ(ロシア)
19~20日 第20回 APEC財務大臣会合 バリ(インドネシア)
10月 7~8日 第21回 APEC首脳会議
10~11日 G20財務大臣・中央銀行総裁会議 ワシントンDC(アメリカ)
11~13日 第68回 世銀・IMF年次総会
未定 第28回 国際通貨金融委員会(IMFC)
12日 第88回 世銀・IMF合同開発委員会
未定 第5回 日中財務対話 未定
第6回 日韓財務対話
第6回 日中韓サミット
第16回 ASEAN+3首脳会議

mof.go.jp/international_policy/convention/schedule/

なるほど

コンフェデは、イギリスのG8と合わせていますね。


FIFAコンフェデレーションズカップ2013(英: FIFA Confederations Cup 2013)は、2013年6月15日から6月30日にかけて、FIFAワールドカップ・ブラジル大会のプレ大会としてブラジルで行われる9回目のFIFAコンフェデレーションズカップであ
2013年6月15日 - 6月30日


以上メモでした。

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