福島第一原発は、何のために作ったのか??2011/03/24 16:47

そもそも福島第一原発は、何のために作ったのでしょう??

以下は年表

沿革 • 1960年(昭和35年)11月29日:福島県から東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨を表明する。 • 1961年(昭和36年)9月19日:大熊町議会にて原子力発電所誘致促進を議決する。 ◦ 10月22日:双葉町議会にて原子力発電所誘致を議決する。 • 1964年(昭和39年)12月1日:東京電力が大熊町に福島調査所を設置する(65年福島原子力建設準備事務所、67年福島原子力建設所となる)。 • 1966年(昭和41年)1月5日:公有水面埋立免許の許可を申請する。 ◦ 7月1日:1号機の原子炉設置許可申請を提出する。 ◦ 12月1日:1号機の原子炉設置許可を取得する。 ◦ 12月23日:漁業権損失補償協定を周辺10漁協と締結する。 • 1967年(昭和42年)9月18日:2号機の原子炉設置許可申請を提出する。 ◦ 9月29日:1号機を着工する。 • 1968年(昭和43年)3月29日:国が2号機の原子炉設置を許可する。 • 1969年(昭和44年)4月4日:福島県と東京電力の間で「原子力発電所の安全確保に関する協定」が締結される。 ◦ 7月1日:3号機の原子炉設置許可申請を提出する。 • 1970年(昭和45年)1月23日:国が3号機の原子炉設置を許可する。 ◦ 7月4日:1号機において核燃料を初めて装荷する。 ◦ 11月17日:1号機の試運転を開始する。(翌年5月11日に記念式典を実施する。) • 1971年(昭和46年)2月22日:5号機の原子炉設置許可申請を提出する。 ◦ 3月26日:1号機の営業運転を開始する。 ◦ 8月5日:4号機の原子炉設置許可申請を提出する。 ◦ 9月23日:国が5号機の原子炉設置を許可する。 ◦ 12月21日:6号機の原子炉設置許可申請を提出する。 • 1972年(昭和47年)1月13日:国が4号機の原子炉設置を許可する。 ◦ 12月12日:国が6号機の原子炉設置を許可する。 • 1974年(昭和49年)7月18日:2号機の営業運転を開始する。 • 1976年(昭和51年)3月22日:「原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定」を「立地4町を加えた三者協定」へと改定する。 ◦ 3月27日:3号機の営業運転を開始する。 • 1978年(昭和53年)4月18日:5号機の営業運転を開始する。 ◦ 10月12日:4号機の営業運転を開始する。 • 1979年(昭和54年)10月24日:6号機の営業運転を開始する。 • 2000年(平成12年)1月7日:3号機において実施予定であったMOX燃料の装荷について延期する旨を県知事に報告する。 • 2001年(平成13年)2月26日:佐藤栄佐久福島県知事(当時)が3号機プルサーマル計画について、当面許可しない旨を表明する。 • 2002年(平成14年)8月29日:東京電力、原子力安全・保安院が原子力発電所における点検・補修作業の不適切な取り扱いについて公表する。 ◦ 10月25日:東京電力が1号機の原子炉格納容器漏洩率試験における不正に関する報告書を経済産業省に提出する。また、1号機の1年間の運転停止処分を受ける。 • 2003年(平成15年)4月15日:定期検査時期等も重なり、東京電力の運転する原子力発電所全号機が運転を停止する。 ◦ 7月10日:佐藤栄佐久福島県知事(当時)が6号機の運転再開を容認する。 • 2005年(平成17年)7月30日:1号機の運転を再開する。 • 2006年(平成18年)12月5日:1号機における復水器海水出入口温度測定データの改ざんについて報告する。 • 2007年 (平成19年) 7月24日:新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発での事故を受け、日本共産党福島県委員会、同県議会議員団、原発の安全性を求める福島県連絡会が連名で東京電力に対して「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」を提出[2]した。 • 2010年(平成22年)2月16日:福島県知事は2月定例県議会で、東京電力が福島県に申し入れていた福島第1原発3号機でのプルサーマル計画実施について、条件付で受け入れることを表明した。同知事は、昨年から県エネルギー政策検討会を再開して検討してきたこと、核燃料サイクル推進という国の方針、玄海原発でのプルサーマル発電の開始などに言及、受け入れる考えを述べた[3]。 ◦ 9月18日: 3号機のプルサーマル発電、試運転開始。 ◦ 10月26日: 3号機のプルサーマル発電、営業運転を開始[4]。 • 2011年 (平成23年) 3月11日 : 東北地方太平洋沖地震の影響によりタービン及び原子炉が自動停止し、その後非常用ディーゼル発電機も故障停止したため[5]、冷却水循環系統に異常が発生し、大気中への蒸気放出による圧抜き、その後水素爆発による建屋の崩落などに発展した。詳細は福島第一原子力発電所事故を参照。

wikipedia

ご覧のように福島第一原発の計画がスタートしたのは1960年です。 この年に何があったか??

それは、もちろん、日米安全保障条約が締結されたわけですよ。

日米安全保障条約というのは、日米が軍事同盟を結ぶということです。

で、日米安全保障条約を締結して原発を作る計画を進めた。

原発を動かすということは、核爆弾に使うプルトニウムを得ることが出来るということです。

しかし、原爆を日本に使用し、戦争を終わらせたアメリカが、日本の原爆保持を歓迎すると思いますか??

しませんよね。

現状、軍事同盟を結んだとはいえ、最も危険な国は日本であると、どこかで考えていたはずです。 日本が核を保持し、米国を狙うことを最も恐れていたと考えられます。

日本の第一号原発は、イギリス製

一方、福島第一原発の設計はアメリカの会社GEが担当しています。

それを元に、よく分らないながらも、東芝や日立やIHIの技術者がなんとか作った。 ということのようです。

ですから、この福島第一原発は、日米安全保障条約における、日本の核保有に対して、何らかの保険的役割を持った原発であると考えるのが自然です。

そういうことです。

そういうことを前提に考えなきゃいけないのが、国防です。 しかし、そういうことを誰も考えなかった。

いや、考えた人は居たのです。 いたんだけど、逮捕したり闇に葬り去ってきた。

だから、現在、この状況がある。 当ブログには、そういう風に見えるのです。

福島第一原発を救う方法思いつきました!!

ナベツネと中曽根と与謝野がホース持って水かければ良いです。 あと、東京電力の会長と社長、それに東芝と日立の会長と社長、それから福島県知事もだ。 その他原発誘致して維持するために暗躍した人全員。

原発反対の佐藤栄佐久知事を逮捕した大久保弘道被告も連れて来なきゃだめですね。

自分の始末は自分でつけるのが筋ってものです。

P.S スイス銀行の口座は差し押さえることが出来るようになりました。

コメント

_ 陸の孤島 ― 2011/03/24 20:04

ccplusさんへ

早速,記事に取り上げて下さいましてありがとうございます

何かのために
大容量の電力を必要とする為の計画停電
ということになるのでしょうか
既にご存知でいらっしゃるかとは思いますが、
原発奴隷の記事になります
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm

_ ccplus ― 2011/03/26 14:33

陸の孤島様
計画停電。そうですね。昼間にほとんど地震が起きないというのも非常におかしいですし。。
情報ありがとうございます。凄まじい記事ですね。
なんか色々なものが繋がってきました。
僕の知り合いで原発作業員の労働被ばくについて闘っておられる方が居ます。立派な方です。

_ 陸の孤島 ― 2011/03/26 21:47

お忙しい中、新たな記事のアップどうもありがとうございます
コメントが避難所にしか入れられず失礼致します

東電が青森に対し陳謝
という報道の扱いに
何故最初に青森なのだろう?と、疑問に思っていたところでした。
世界の本質、環境や事件など、何度も繰り返し読ませていただいておりますが、とても丁寧に記事にされているのでいつも勉強になります
沖縄に原発がないことも
みえてきそうですね。

核保有と誰かの命の犠牲と引きかえに
私たちは今まで原発の恩恵をうけてきたこともまた
ひとつの事実で、その電気で暮らし
海外国内の災害や凶悪な犯罪などをコーヒーを飲みながらテレビを観ては
酷いなと思っている私たちの知る事のないそのとき
その影で、ずっと命の犠牲が繰り返されてきていたんですね。。

_ ccplus ― 2011/03/27 20:35

陸の孤島様
ここで原発を辞めることが出来なかったら、私達は一生原発に脅され続けるのではないでしょうか??
本当になんとかしたいです。

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