トルコとUAEへの原発輸出承認の原子力協定 参院も通過 ― 2014/04/19 20:09
トルコとUAEへの原発輸出
放射性廃棄物は日本に引き取り(日本ゴミ捨て場)
事故ると日本の税金で補償
という恐るべき法案が、不正選挙偽国会を通過というニュース
以下引用
<原子力協定>トルコとUAEへの原発輸出承認 参院採決へ
毎日新聞 4月18日(金)10時42分配信
日本からトルコとアラブ首長国連邦(UAE)への原発輸出をそれぞれ可能にする原子力協定の承認案は18日午前の参院本会議で採決される。自民、公明、民主党などの賛成多数で承認される見通し。2011年3月の東京電力福島第1原発事故以降に署名した原子力協定が国会で承認されるのは初めて。政府は原発輸出を成長戦略の柱に位置付けているが、被災地などから批判も出そうだ。
原子力協定は、平和利用に限定して原子力関連機材や技術を日本が提供する取り決め。トルコでは黒海沿岸の原発4基建設(事業費約2.2兆円)で日本企業が優先交渉権を得ており、日トルコ協定は「両政府が合意する場合に限り、(核物質などを)濃縮し、再処理できる」と明記した。
以上引用
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140418-00000027-mai-pol
以下NHK
原子力協定締結を承認 技術輸出可能に
引用:
日本の原子力関連技術をトルコとUAE=アラブ首長国連邦に輸出できるようにする原子力協定締結の承認案は、18日の参議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党と民主党などの賛成多数で可決され、承認されました。
安倍政権は、原子力発電所などのインフラの輸出を成長戦略の柱に掲げていて、トルコで計画されている原発の建設を日本企業が受注する見通しとなっているほか、UAE=アラブ首長国連邦では将来的な原発の増設が見込まれています。
両国との原子力協定は、▽核物質などの利用を平和目的に限ることや、▽IAEA=国際原子力機関の査察を受け入れることなどを条件に、日本の原子力関連技術を輸出できるようにするとしています。
以上引用
3.nhk.or.jp/news/html/20140418/k10013843371000.html
さらにこんな記事も
以下引用 東京新聞
民主、増子氏の参院役職解任 原子力協定で造反
東京新聞
2014年4月18日 17時06分
民主党は18日の参院役員会で、増子輝彦参院政審会長(福島選挙区)の解任を決めた。同氏は、原発輸出を可能にするトルコとアラブ首長国連邦(UAE)との原子力協定締結をめぐる18日の参院本会議採決で、党の賛成方針に背いて棄権した。参院東日本大震災復興特別委員会の理事からも解任した。
海江田万里代表ら党執行部は、増子氏が兼務する副代表ポストについても役職停止などの処分を検討する方針だ。
榛葉賀津也参院国対委員長は記者会見で、増子氏が東京電力福島第1原発事故のあった福島県から選出されている事情を踏まえ「悩んだ上で、処分覚悟で判断したのだろう」と述べた。
(共同)
以上引用
韓国フェリー転覆事故で助けに来たボノム・リシャールってどんな船?? ― 2014/04/19 21:39
韓国の船沈没の件ですが、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)は、4月18日まで
で、4月16日に沈没ですか、そうですか。
米韓合同演習フォールイーグル中の転覆といえば。。
韓国軍艦「天安」沈没の深層
2010年5月7日 田中 宇
http://www.tanakanews.com/100507korea.htm
こんなのもありました。
今回のフェリーは、仁川から済州島行きですか
修学旅行生ばかりが話題になっていますが、修学旅行生以外の107名が気になります。
さて、当ブログでは、ちょっと違う視点から、この事件を見てきたいと思います。
以下はウォールストリートジャーナルから
引用
船会社によると、この船の船長(69)は救助されている。フェリーの経験は20年以上あり、仁川・済州島間を8年にわたり運航している。
また、この捜索には長崎県・佐世保基地を拠点にし、黄海をパトロールしていた米軍の強襲揚陸艦ボノム・リシャールも加わっている。
ボノム・リシャール(USS Bonhomme Richard, LHD-6)は、アメリカ海軍の強襲揚陸艦。ワスプ級強襲揚陸艦の6番艦。艦名はジョン・ポール・ジョーンズの座乗した有名なフリゲート(フランス語で「善良なるリチャード、英: Goodman Richard」の意。ベンジャミン・フランクリンの著書『貧しきリチャードの暦』から。)に因む。その名を持つ艦としては三隻目。
以上引用
えー、米韓合同演習中の船が偶然その海域に居て、捜索に参加してますね。
どんな船??
艦歴
ボノム・リシャールはミシシッピ州パスカグーラのリットン・インガルス造船所で1995年4月18日に起工し、1997年3月14日に進水、1998年5月12日に海軍に移管され、1998年8月15日に就役した。
ボノム・リシャールは8月8日にパスカグーラを出港し、8月15日にペンサコラに到着する。ペンシルベニア州選出下院議員ジョン・P・ムーサが就役式で演説を行い、海軍長官ジョン・H・ドルトンが就役を命じた。
ムーサ議員の妻ジョイス・ムーサが1997年5月に命名を行い、ムーサ夫人は艦に対して歴史的な命令「Man our ship and bring her to life!」を下した。
就役式にはこのほかミシシッピ州選出下院議員ジーン・テイラー、海軍作戦副部長ドナルド・L・ピリング提督、海軍教育訓練部長パトリシア・A・トレーシー中将、リットン・インガルス造船副社長が出席した。
2011年8月19日、2012年春に佐世保配備の同型2番艦エセックス (USS Essex, LHD-2)とのシップ・スワップを行うことが発表された[1]。
2012年4月23日より、エセックスに代わり佐世保に配備された。
wikipedia
強襲揚陸艦(きょうしゅうようりくかん、Amphibious assault ship)とは、揚陸艦のうち、輸送ヘリコプター及びエア・クッション型揚陸艇を始めとした各種上陸用舟艇を搭載・運用する能力を持つ艦のことである。特徴としては、大規模なヘリコプター運用能力と全通飛行甲板が挙げられる。また大半は垂直離着陸機(STOVL機)を搭載・運用することによる揚陸支援攻撃能力をも持つ。
広義にはヘリコプターのみを搭載運用し、揚陸能力をヘリコプターのみに依存しているヘリコプター揚陸艦も強襲揚陸艦と呼び、狭義には船体内にウェルドックを持ち、上陸用舟艇の搭載・発進機能とヘリコプターによる空輸上陸機能を併せ持つ軍艦のことを指す。
wikipedia
まあ、なんというか、こういう事故に便利そうな船ですね。
この船は3代目らしいです。
ボノム・リシャール(Bonhomme Richard または Bon Homme Richard)は、アメリカ海軍で引き継がれている伝統の艦名。日本では、「ボンノム・リチャード」と読まれたことがあったが、最初の艦がフランスから贈られたものであるため、より原音に近いフランス語読みの「ボノム・リシャール」と読まれることが多くなっている。
最初のボノム・リシャールは、フランスがフランス東インド会社向けのフリゲート Duc de Duraeをルイ16世がジョン・ポール・ジョーンズに対して1779年に与えたもの。命名時はすでに老朽化した帆船であった。艦名の由来は、「善人のリチャード」というものであり、当時駐仏大使であったベンジャミン・フランクリンが "Poor Richard" または "Richard Saunders" のペンネームで発刊していた格言付き暦「Poor Richard's Almanac」に因んでいる。1779年9月25日に北海で戦闘時の損傷により沈没した。ただし、この時の海戦は、アメリカ独立史に残るものとして記録されている。
2番目のボノム・リシャール (CV-31)は、エセックス級航空母艦。
3番目のボノム・リシャール (LHD-6)は、ワスプ級強襲揚陸艦。
フランス東インド会社向けのフリゲート
アメリカ独立史に残る
へえ
ボノム・リシャール (USS Bon Homme Richard, CV/CVA-31) は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦の10番艦。艦名はジョン・ポール・ジョーンズの乗艦した有名なフリゲート(フランス語で「善良なリチャード Goodman Richard」の意。ベンジャミン・フランクリンが "Poor Richard" の別名で出版した著書『貧しきリチャードの暦』から。)に因む。その名を持つ艦としては二隻目。ボニー・ディックの愛称を持つ。
艦歴
第二次世界大戦
ボノム・リシャールはニューヨーク州ブルックリンのニューヨーク海軍造船所で建造された。1944年11月に就役し、1945年3月には太平洋戦線に参加、6月には日本への最終攻撃に参加した。8月の終戦から9月まで作戦参加しその後帰国、1946年には復員兵輸送(マジックカーペット作戦)に参加するが、その後シアトルで予備役となる。
朝鮮戦争
1950年6月に朝鮮戦争が始まると、ボノム・リシャールは現役復帰する。1951年1月に再就役、5月には西太平洋に配備され同年末まで朝鮮半島の目標に対し艦載機による攻撃を行う。その後CVA-31と艦種変更され1952年5月から12月まで作戦参加する。
改修
1953年5月には就役が解かれ、ジェット機を運用できるようにするための改修が行われた。ボノム・リシャールは飛行甲板を延長、アングルド・デッキ化され、開放艦首はエンクローズ化した「ハリケーン・バウ」となり、蒸気カタパルト、新型艦橋、船体のワイド化など多くの改修が行われた。
1955年9月に再就役し、第七艦隊に配備される。西太平洋での航海は1957年、1958年 - 1959年、1959年 - 1960年、1961年、1962年 - 1963年および1964年に行われた。最後の航海はインド洋であった。トンキン湾事件時にはジョージ・スティーヴン・モリソン提督(ドアーズのリード・シンガー、ジム・モリソンの父親。)が艦を指揮した。
ベトナム戦争
1965年前半にベトナム戦争が段階的に拡大すると、ボノム・リシャールは三度目の戦闘参加を行うこととなる。艦は続く6年に渡って東南アジアでの5度の戦闘参加を経験する。ボノム・リシャールの艦載機は北ベトナム軍のミグ戦闘機と交戦し、地上輸送部隊や建造物への攻撃を行った。
退役
ボノム・リシャールは1970年に任務を解かれ、1971年7月に退役する。ワシントン州ブレマートンで予備艦隊入りしモスボール化が行われ、20年後の1992年3月にスクラップとして売却された。
wikipedia
なんというか、最悪の船だな、これ
極東戦争のための船みたいなものか。。
ところで、311は、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)が3月10日まで
その前日の3月9日に、米国の深海掘削船『ジョイデスリソリューション号』が深海掘削した海域で起きた地震をきっかけに、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)の翌日に発生
3月13日には、偶然その海域に居た(米韓合同演習フォールイーグルには参加していない=1月10日にサンディエゴ港を出航)空母ロナルドレーガンが原子力の専門家数十名を引き連れて『トモダチ作戦』のためにやってきたわけですが
ロナルドレーガンといえば、不正選挙ムサシによって出来たレーガン中曽根政権による国鉄民営化。そして電電公社民営化による、日本への盗聴網の整備が進み、プラザ合意から国際金融マフィアの草狩り場になっていった日本を作り上げ、荒唐無稽なスターウォーズ計画(現在の気象操作や神の杖に繋がる)を進め、チェルノブイリ事故(テロ)によってソ連を解体してオリガルヒ達がソ連の国有財産を私物化するのを援助した人物ですね。
自民党総裁選から考える、ムサシと不正選挙疑惑
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/01/14/6691164
助けに来た船の名前って、事の真相を明らかにしているような気がしませんか??
というお話でした。
で、4月16日に沈没ですか、そうですか。
米韓合同演習フォールイーグル中の転覆といえば。。
韓国軍艦「天安」沈没の深層
2010年5月7日 田中 宇
http://www.tanakanews.com/100507korea.htm
こんなのもありました。
今回のフェリーは、仁川から済州島行きですか
修学旅行生ばかりが話題になっていますが、修学旅行生以外の107名が気になります。
さて、当ブログでは、ちょっと違う視点から、この事件を見てきたいと思います。
以下はウォールストリートジャーナルから
引用
船会社によると、この船の船長(69)は救助されている。フェリーの経験は20年以上あり、仁川・済州島間を8年にわたり運航している。
また、この捜索には長崎県・佐世保基地を拠点にし、黄海をパトロールしていた米軍の強襲揚陸艦ボノム・リシャールも加わっている。
ボノム・リシャール(USS Bonhomme Richard, LHD-6)は、アメリカ海軍の強襲揚陸艦。ワスプ級強襲揚陸艦の6番艦。艦名はジョン・ポール・ジョーンズの座乗した有名なフリゲート(フランス語で「善良なるリチャード、英: Goodman Richard」の意。ベンジャミン・フランクリンの著書『貧しきリチャードの暦』から。)に因む。その名を持つ艦としては三隻目。
以上引用
えー、米韓合同演習中の船が偶然その海域に居て、捜索に参加してますね。
どんな船??
艦歴
ボノム・リシャールはミシシッピ州パスカグーラのリットン・インガルス造船所で1995年4月18日に起工し、1997年3月14日に進水、1998年5月12日に海軍に移管され、1998年8月15日に就役した。
ボノム・リシャールは8月8日にパスカグーラを出港し、8月15日にペンサコラに到着する。ペンシルベニア州選出下院議員ジョン・P・ムーサが就役式で演説を行い、海軍長官ジョン・H・ドルトンが就役を命じた。
ムーサ議員の妻ジョイス・ムーサが1997年5月に命名を行い、ムーサ夫人は艦に対して歴史的な命令「Man our ship and bring her to life!」を下した。
就役式にはこのほかミシシッピ州選出下院議員ジーン・テイラー、海軍作戦副部長ドナルド・L・ピリング提督、海軍教育訓練部長パトリシア・A・トレーシー中将、リットン・インガルス造船副社長が出席した。
2011年8月19日、2012年春に佐世保配備の同型2番艦エセックス (USS Essex, LHD-2)とのシップ・スワップを行うことが発表された[1]。
2012年4月23日より、エセックスに代わり佐世保に配備された。
wikipedia
強襲揚陸艦(きょうしゅうようりくかん、Amphibious assault ship)とは、揚陸艦のうち、輸送ヘリコプター及びエア・クッション型揚陸艇を始めとした各種上陸用舟艇を搭載・運用する能力を持つ艦のことである。特徴としては、大規模なヘリコプター運用能力と全通飛行甲板が挙げられる。また大半は垂直離着陸機(STOVL機)を搭載・運用することによる揚陸支援攻撃能力をも持つ。
広義にはヘリコプターのみを搭載運用し、揚陸能力をヘリコプターのみに依存しているヘリコプター揚陸艦も強襲揚陸艦と呼び、狭義には船体内にウェルドックを持ち、上陸用舟艇の搭載・発進機能とヘリコプターによる空輸上陸機能を併せ持つ軍艦のことを指す。
wikipedia
まあ、なんというか、こういう事故に便利そうな船ですね。
この船は3代目らしいです。
ボノム・リシャール(Bonhomme Richard または Bon Homme Richard)は、アメリカ海軍で引き継がれている伝統の艦名。日本では、「ボンノム・リチャード」と読まれたことがあったが、最初の艦がフランスから贈られたものであるため、より原音に近いフランス語読みの「ボノム・リシャール」と読まれることが多くなっている。
最初のボノム・リシャールは、フランスがフランス東インド会社向けのフリゲート Duc de Duraeをルイ16世がジョン・ポール・ジョーンズに対して1779年に与えたもの。命名時はすでに老朽化した帆船であった。艦名の由来は、「善人のリチャード」というものであり、当時駐仏大使であったベンジャミン・フランクリンが "Poor Richard" または "Richard Saunders" のペンネームで発刊していた格言付き暦「Poor Richard's Almanac」に因んでいる。1779年9月25日に北海で戦闘時の損傷により沈没した。ただし、この時の海戦は、アメリカ独立史に残るものとして記録されている。
2番目のボノム・リシャール (CV-31)は、エセックス級航空母艦。
3番目のボノム・リシャール (LHD-6)は、ワスプ級強襲揚陸艦。
フランス東インド会社向けのフリゲート
アメリカ独立史に残る
へえ
ボノム・リシャール (USS Bon Homme Richard, CV/CVA-31) は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦の10番艦。艦名はジョン・ポール・ジョーンズの乗艦した有名なフリゲート(フランス語で「善良なリチャード Goodman Richard」の意。ベンジャミン・フランクリンが "Poor Richard" の別名で出版した著書『貧しきリチャードの暦』から。)に因む。その名を持つ艦としては二隻目。ボニー・ディックの愛称を持つ。
艦歴
第二次世界大戦
ボノム・リシャールはニューヨーク州ブルックリンのニューヨーク海軍造船所で建造された。1944年11月に就役し、1945年3月には太平洋戦線に参加、6月には日本への最終攻撃に参加した。8月の終戦から9月まで作戦参加しその後帰国、1946年には復員兵輸送(マジックカーペット作戦)に参加するが、その後シアトルで予備役となる。
朝鮮戦争
1950年6月に朝鮮戦争が始まると、ボノム・リシャールは現役復帰する。1951年1月に再就役、5月には西太平洋に配備され同年末まで朝鮮半島の目標に対し艦載機による攻撃を行う。その後CVA-31と艦種変更され1952年5月から12月まで作戦参加する。
改修
1953年5月には就役が解かれ、ジェット機を運用できるようにするための改修が行われた。ボノム・リシャールは飛行甲板を延長、アングルド・デッキ化され、開放艦首はエンクローズ化した「ハリケーン・バウ」となり、蒸気カタパルト、新型艦橋、船体のワイド化など多くの改修が行われた。
1955年9月に再就役し、第七艦隊に配備される。西太平洋での航海は1957年、1958年 - 1959年、1959年 - 1960年、1961年、1962年 - 1963年および1964年に行われた。最後の航海はインド洋であった。トンキン湾事件時にはジョージ・スティーヴン・モリソン提督(ドアーズのリード・シンガー、ジム・モリソンの父親。)が艦を指揮した。
ベトナム戦争
1965年前半にベトナム戦争が段階的に拡大すると、ボノム・リシャールは三度目の戦闘参加を行うこととなる。艦は続く6年に渡って東南アジアでの5度の戦闘参加を経験する。ボノム・リシャールの艦載機は北ベトナム軍のミグ戦闘機と交戦し、地上輸送部隊や建造物への攻撃を行った。
退役
ボノム・リシャールは1970年に任務を解かれ、1971年7月に退役する。ワシントン州ブレマートンで予備艦隊入りしモスボール化が行われ、20年後の1992年3月にスクラップとして売却された。
wikipedia
なんというか、最悪の船だな、これ
極東戦争のための船みたいなものか。。
ところで、311は、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)が3月10日まで
その前日の3月9日に、米国の深海掘削船『ジョイデスリソリューション号』が深海掘削した海域で起きた地震をきっかけに、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)の翌日に発生
3月13日には、偶然その海域に居た(米韓合同演習フォールイーグルには参加していない=1月10日にサンディエゴ港を出航)空母ロナルドレーガンが原子力の専門家数十名を引き連れて『トモダチ作戦』のためにやってきたわけですが
ロナルドレーガンといえば、不正選挙ムサシによって出来たレーガン中曽根政権による国鉄民営化。そして電電公社民営化による、日本への盗聴網の整備が進み、プラザ合意から国際金融マフィアの草狩り場になっていった日本を作り上げ、荒唐無稽なスターウォーズ計画(現在の気象操作や神の杖に繋がる)を進め、チェルノブイリ事故(テロ)によってソ連を解体してオリガルヒ達がソ連の国有財産を私物化するのを援助した人物ですね。
自民党総裁選から考える、ムサシと不正選挙疑惑
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/01/14/6691164
助けに来た船の名前って、事の真相を明らかにしているような気がしませんか??
というお話でした。
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