毎度おなじみブッシュ×チェイニーが仕込んだ平和目的核爆発制限条約と戦略兵器削減条約と巨大地震の関係とは??2015/06/04 14:24

久々にヤバい感じの小笠原地震は、震源西ノ島か??
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/05/30/7658740

小笠原の地震ですが、震源の西ノ島新島は計測準備万端だった! 水深10,000m級の遠隔操作無人探査機も
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/05/31/7659403

のつづきです。

こんな記事を発見


以下引用


戦後小笠原と本土基地に核配備(毎日新聞ニュース速報 1999年12月12日)

 【ワシントン12日中井良則】米国が第二次大戦後、占領した小笠原諸島の父島と硫黄島に1965年まで核兵器を一時、配備していたことが、国防総省や国務省が解禁した冷戦期の機密文書で初めて明らかになった。また、68年の小笠原、硫黄島の日本返還の前に、「核兵器配備小笠原協定」が存在することを示す文書も解禁された。協定そのものは非公開だが、返還交渉で米国は有事の際に父島に核兵器を配備することを日本に強く要請した文書も明らかになった。有事の核持ち込みに合意した日米秘密協定が存在する可能性が高いと研究者はみている。
 

 ワシントンの民間研究機関、国家安全保障公文書館が入手、11日、インターネットで公開し、同公文書館のウィリアム・バー氏らが「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスト」1月号で論文を発表した。
 

 同公文書館は、国防総省が解禁した77年までの在外米軍基地の核兵器配備を示した文書を10月、公表した。この文書により、沖縄に67年、核弾頭1300個が配備されていたことなどが明らかになった。ABC順の国・地域名が一部黒く消されているため、10月には不明だった「C」で始まる地名を今回、バー氏らが「チチジマ」と確認した。
 

 また、バー氏らが「アイスランド」と誤って認定し、米政府が否定した「I」で始まる地名は「イオウジマ」だったことがわかった。
 

 文書によると、父島には56年2月から65年12月まで潜水艦発射ミサイル用核弾頭や海軍の地対空ミサイル用核弾頭が配備されていた。硫黄島には56年9月から59年12月まで爆撃機搭載用の核爆弾が配備され、また56年2月から66年6月までは核分裂物質を組みこめば核兵器となる爆弾が配備されていた。

 
 論文によると、冷戦期の米軍の戦争計画では、ソ連あるいは中国との核戦争が起こり、日本の米軍基地が破壊された場合でも、父島や硫黄島は攻撃を免れると想定。生き残った潜水艦や航空機が核兵器を補充し攻撃を続けるため、核兵器を両島に秘密配備していた、という。
 

 小笠原諸島の返還交渉では米軍部が、有事の際に核兵器配備の権利を米国が持てることを要請。67年12月、ジョンソン駐日米大使(当時)は三木外相(同)と協議したことを国務省あて秘密電報で報告した。68年4月の国務省文書では「協定の最終段階」で三木外相が難色を示したことが記録されている。68年12月の駐日米大使館の文書には「68年4月10日の核配備小笠原協定」の存在が示されていた。
 

 バー氏は「交渉の経過からみて、軍事的な非常時に核兵器を父島に配備する米側の要求に日本が応じた協定だろう」と話している。

我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学) 小笠原返還に際して、核貯蔵に関する文書の存在がわかったのは重要なことだ。米国が、核持ち込みに対する日本の拒否反応を突き崩そうとしたことを改めて示している。緊急時に小笠原への再持ち込みを認める密約が、沖縄返還時の前例となったことは明白だ。冷戦時のような大規模核戦争は想定されなくなったとしても、米国が非常事態と判断した場合、日本側との事前協議なしに核を持ち込むことができるという権利が、今も保証されていることを裏付けるものと言える。

(朝日新聞ニュース速報1999年12月13日)
 
 56―57年に極東司令部がまとめた「核作戦手続き」によると、米軍は板付と三沢に核物質を抜いた爆弾を貯蔵していたほか、佐世保、横須賀の海軍基地には核兵器を搭載した艦船を出入りさせていた。厚木(神奈川県)、岩国(山口県)、入間(埼玉県)、小牧(愛知県)などの各航空基地にも核物質抜きの爆弾が保管されていた可能性が高いという。


以上引用
nuke-weapon-timeline.news.coocan.jp/news/kakuhaibi.html

なるほど。そんなことがあったのか。


以下、当ブログ過去記事から


M7以上の巨大な地震と地下核実験の深い関係 ― 2011/04/16 15:25
1950年〜67年にM7以上の巨大な地震が多い理由はなぜか?

昨日の朝日新聞夕刊に、

以下引用
米地震学会において、リックアスター教授らのまとめで、地震計の計測記録がある1900年以降の世界の M7以上の約1700の地震記録を分析した。その結果「1950年〜67年」と「2004年以降」は、M7以上の大地震・巨大地震が統計的に多い時期であることがわかった。

1900年以降に起きた M9以上の超巨大地震は、1952年(カムチャッカ半島沖、M9.0) 60年(チリ、M9.5)、64年(アラスカ、 M9.2)と

2004年(スマトラ島沖、M9.1)、10年(チリ、M8.8)、11年の東日本大震災(M9.0)など

以上引用終わり

と、出ていたのですが、地震学者の人とか地質学者の人は、地震の活動期があるとか、ないとか、プレートの動きがどうとか言うわけですけど、歴史や社会を研究しながら自然現象を見ている当ブログは、あることに気付きました!

それは、この大地震の活動期「1950年〜67年」というところです。

これは、朝鮮戦争が始まりベトナム戦争の間と重なります。 つまり、どういうことか?というと、東西冷戦において、原爆や水爆の開発競争が起こり、地下核実験を盛んに行っていた時期と一致するということです。

地下核実験をすると、M7.0クラスの地震が起きますから、この時期に、大地震が多いのは、地震活動が活発になっているからでは無く、通常の地震に加えて地下核実験を沢山やっていたからでしょう。

原爆・水爆の実験は、人の居ない太平洋の小さな島とかでやってたわけですが、その中から第五福竜丸の被爆事故のような事が起きて、被爆の危険性が世界中で叫ばれるようになり、核実験は地下でやるようになっていったのです。

ですから、この時期に大地震が多発するようになったのは必然だったでしょう。

中でも、カムチャッカとアラスカでM9以上の地震が起きている事に注目してください。

鋭い方なら、もうお分かりのように、カムチャッカはソ連、アラスカはアメリカの領土ですが、最も人口が少なく、大都市からも離れているので、隠れて地下核実験するのには、最適な場所だったわけです。 そこで巨大な地震が起きています。

そして、地下核実験が進むにつれて、段々地下核実験への風当たりが強くなってきたわけです。

で、どうしたか?というと、地震に見せかける地下核実験を研究して採用することになっていったようです。

これは、一つの爆発だと波形から核実験だということがバレバレなので、大小の爆薬を時間差でずらして起爆することにより、地震に見える自然な波形にしたということらしいです。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2011/04/16/5809170



もうひとつ過去記事から引用
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/05/21/7317994


平和目的核爆発制限条約 では

(1) 単一で TNT換算 150ktをこえる威力の核爆発,

(2) グループ爆発で,それぞれの爆発威力の決定が不可能なものは,総計威力が 150ktをこえる核爆発,

(3) グループ爆発で,その総計威力が 1500ktをこえる核爆発,

を禁止している。

米ソ両国は,もし要請があれば,第三国の領土内で平和利用の核爆発を行う権利を留保している。

でした。


広島に落ちた原爆の核出力15キロトン。
長崎に落ちたファットマンが核出力22キロトン。

なので、それらのおよそ10倍の核爆発が、平和的利用として認められていることが分かる。


M4.5の地震のエネルギーは、およそ84Tのエネルギー(TNT換算)
M5の地震のエネルギーは、およそ480Tのエネルギー(TNT換算)
M5.5の地震のエネルギーは、およそ2600Tのエネルギー(TNT換算)

ということは、平和目的核爆発の上限150Tは、M4.6程度ということになりますね。

で、連続的爆発の総計(自然な地震に見せるためには、当然そうする)は、M5.3程度の地震のエネルギーということになる。


これ、いつも起きる地震の大きさですね~

以上引用


グループ爆発で,その総計威力が 1500ktをこえる核爆発を禁止

M5の地震のエネルギーは、およそ480Tのエネルギー(TNT換算) ということは、M5地震三回分か。

だから3連発なのかも



平和目的核爆発制限条約は、
1976年5月 28日,アメリカでは G.フォード大統領がホワイトハウスで,ソ連では L.I.ブレジネフ共産党書記長がクレムリンで署名した平和目的地下核爆発に関する条約。

さて、注目していただきたいのは、
74年7月の米ソの地下核兵器実験制限条約で規制できなかったため,別条約が結ばれたもの。 長く批准されず,ようやく 92年 12月に発効した。 というところです。


フォード政権って、超スーパーネオコン内閣で、悪い奴ら大集合ということ(国防長官はラムズフェルド、リチャード・チェイニー大統領首席補佐官、国務長官 ヘンリー・キッシンジャー、CIA長官がジョージ・H・W・ブッシュ)なのね。

彼らが作ったということ。


以下、日本の地震を見てください。


1990年代

1993年(平成5年)
1月15日 釧路沖地震 - Mj 7.5(旧Mj 7.8)(Mw 7.6)、北海道釧路市で最大震度 6、死者2人。

7月12日 北海道南西沖地震 - Mj 7.8(Mt 8.1)(Mw 7.7)、奥尻島で推定震度 6、北海道江差町・小樽市・寿都町、青森県深浦町で最大震度 5。死者・行方不明者230人。奥尻島などに津波。

10月12日 東海道南方沖で地震 - Mj 6.9(旧Mj 7.1)、栃木県、東京都、神奈川県で最大震度 4。死者1人。
1994年(平成6年)

7月22日 日本海北部で地震 - Mj 7.3、深さ552km。福島県、茨城県、東京都で最大震度 3。

10月4日 北海道東方沖地震 - Mj 8.2(旧Mj 8.1、Mw 8.3)、北海道釧路市・厚岸町で最大震度 6、死者・行方不明者は北方領土で11人。
10月9日 北海道東方沖で地震 - Mj 7.3、北海道釧路市で最大震度 4、北海道東方沖地震の最大余震。

12月28日 三陸はるか沖地震 - Mj 7.6(旧Mj 7.5)(Mw 7.8)、青森県八戸市で最大震度 6、死者3人。

1995年(平成7年)
1月7日 岩手県沖で地震 - Mj 7.2(Mw 6.9)、青森県八戸市、岩手県盛岡市・葛巻町で最大震度 5、三陸はるか沖地震の最大余震。

1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - Mj 7.3(旧Mj 7.2)(Mw 6.9)、兵庫県南部・淡路島北部で最大震度 7、死者・行方不明者6,437人。当初は最大震度 6だったが、実地検分により7に修正された。

12月4日 択捉島南東沖で地震 - Mj 7.3(Mw 7.4)(北緯 44.58度、東経 149.39度)。北海道と青森県で最大震度 2。根室 17cm、八戸 13cm、釧路 10cmの津波を観測。


1993年から95年にかけて、立て続けに大きな地震が起きています。


平和目的核爆発制限条約が、長く批准されず,ようやく 92年 12月に発効した。

タイミング合い過ぎ。。



核爆弾を最もコストをかけずに処理するには、爆破させるってことなんだよね、たぶん。

1992年当時の政権
アメリカ
大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ 1989 - 1993
国防長官 リチャード・ブルース・"ディック"・チェイニー 1989 - 1993

と、いうわけで、そのまんま。

彼らにとって、核兵器削減と平和目的核爆発制限条約はセットなのでしょう。



以下wiki

第一次戦略兵器削減条約(だいいちじせんりゃくへいきさくげんじょうやく、STrategic Arms Reduction Treaty I、START I)は、1991年にアメリカ合衆国とソビエト連邦/ロシアとの間に結ばれた軍縮条約の一つである。

概要
第一次戦略兵器削減条約は、米ソ間で1982年にSTART(STrategic Arms Reduction Talks、戦略兵器削減交渉)としてはじめられた交渉の中で結ばれた。なお、1987年には同様の軍縮条約として中距離核戦力全廃条約が調印されている。
条約の交渉は、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)に伴って、再び過熱した新冷戦が、1985年頃緩和したことに伴って促進、1991年7月31日に調印された。米ソは保有する戦略核弾頭数の上限を6,000発、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル (SLBM) や爆撃機など戦略核の運搬手段の総計を1,600機に削減されることとなった。さらに、弾道ミサイルへ装着した核弾頭数も4,900発に制限された。条約履行の確認のために査察・監視も条約に盛り込まれている。これらは条約発効後7年で達成されるとした。

調印後
ソ連の崩壊に伴い、条約の継承国はロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナとアメリカ合衆国になった。条約の批准は、ソ連の崩壊により1994年まで遅延した。旧ソ連の核弾頭については、ベラルーシなどからロシアに移送され、ロシアが解体を行った。
米ロ両国は2001年12月、弾頭数の削減が終了したことを宣言している。

wikipedia


第一次戦略兵器削減条約→平和目的核爆発制限条約発効
→日本で、大きな地震が増えた。

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