本日は広島原爆投下の日 8月6日。私達が受け継がなくてはならない戦争の記憶2015/08/06 20:38

本日は広島原爆投下の日 8月6日

スプートニクに原爆被害者の方のロングインタビューが出ています。

私達が受け継がなくてはならない戦争の記憶です。

一部引用します。
全文はリンク先でごらんください。



以下引用


リアノーボスチ通信のクセーニャ・ナカ記者は、被爆の記憶を語り継ぐ坪井直(つぼいすなお)さんにインタビューを行なった。坪井さんは日本原水爆被害者団体協議会代表委員で、広島県原水爆被害者団体協議会理事長を務めておられる。


「私が原爆を受けたのはここ。市役所がありますが、爆心地から1キロと少し離れたところです。当時、理化学の大学生で、8時過ぎ、食堂で朝食をとり、学校へ行こうという途中でした。
食堂を出ようとしたら下級生が3人入ってきて、先輩一緒に食べましょうという。でも私は、いや、学校に行くから、昼また会おうといって食堂を出た。原爆が落ちたのが8時15分。その3人は8月6日の朝8時15分、朝ごはんを食べながら、ばしゃーん、食堂の建物に潰されて亡くなったんです。爆心地に近かったから、この食堂で助かった人は1人もいない。私は大学にむかっていましたが、もしこれが爆心地に向かっていたら、もう助からなかったはずです。

こっちを向いて歩いているときにピカッと光った。私は目と耳をふさいで倒れました。衝撃波か爆風かで目が飛び出るんですよ。耳は鼓膜が全部破れて、ぜんぜん聞こえなくなる。だから目と耳を守る練習を避難訓練をするときは、幼稚園からみんなするんです。
私もとっさにこれをやろうとした。ところが手でふさぐ前にピカッと光った。それと同時にどーんと飛ばされた。アスファルトの歩道を通っていた私は10何メートルくらい飛ばされた。だから血だらけです。普段から爆撃でガラスの破片を避けるためにみんな、軍隊の命令で長袖を着ていたのです。

とにかく吹き飛ばされ、意識をなくしました。しばらくして気がついたら、これはひどい。ここから先が鮮血です。黒こげで無くなっているのですから。その赤い血が三本の指からぽとりぽとりと落ちている。よく見たらワイシャツもない、ズボンも膝から下は原爆の熱線で焼けてない。おかしいな。腰のあたりにミミズが入っているのかと思ったら、そうではない。血管が破れて、足まで流れていた。

その時、原爆を知りませんからね。しまった、私を狙ってやられたんだと思ったんです。私は20歳の軍国少年でしたから、米国よ、よくもやったな。覚えとけ。この仇は絶対討つぞと思ったんですよ。そういう気持ちがあっても、ふわっと落ち込んでしまったんです。俺もここで死ぬのかなと思いました。だがしばらくしても死にそうにない。顔の皮はずるずるで血だらけです。それが生きられるような感じがしてきた。

爆風でやられて、爆心地500メートルあたりは家が飛ばされ、屋根が土の上にそのまま立っていました。その屋根の下から50くらいのおばさんが助けてくださいと叫んでいる。私は自分も血だらけですが、若いですから、行って助けてあげようとしました。「どこですか? どこですか?」と呼びますが、姿が見えない。ブルドーザーではないですから、1人で屋根を持ち上げるわけにはいかない。「もう少し待ってていてよ。加勢を呼んできますから、もう少しがんばっていて」と言い残して行ったんです。

そうする中でいろんな光景を目にしたんです。女学生(現在の中学2年生くらい)が歩いていますが、それが熱線で焼けてずるずる。その彼女が、忘れません。右の目がぽろんと出ている。これは薬でも医者にかかっても助からんと思いました。そうかとおもうと、30歳代の男性がガラスが突き刺さったまま、血だらけのまま歩いている。三歩四歩行ったら、歩けず座り込んでしまいました。また30歳くらいのご婦人が、腹の中の腸が出ているのを屈みながら、手で押さえながら歩いているんですが、指の間から腸が出ているんですよ。

こりゃいかん。生きられるわけが無いと思いました。助けることもできなかったんですよ。そんなのがいっぱいあってね。家に足がはさまって動けないのに、家に火が移って逃げられないという人も見ました。焼けて、どこに顔があるのかもわからない人。これは人間か? 足も手もない。死んでころがっている。そんなのばっかりです。

だからね。資料館でもあまりにむごいからそんなものは出さない。子どもに見せられんですからね。ですが本当はこんなものではない。資料館の死体はせいぜい2人かそこらでしょう。本当は死体が何百、何千ところがっている。牛か馬か人か分からないような死体が。

それでね、川にいったらみんな焼けどして熱いでしょう。痛いから飛び込んでいるんです。でも3時間か4時間かしたら体がぶぶぶっと膨れてしまう。その死体が1キロ先の島に流れ着いたという証拠もあります。


中略


20歳ですから、よく覚えていますよ。俺はもうだめだ。在学証明もない。いつ死ぬかと思っていたら、そこに軽トラがやってきた。「おーい、若い男だけ乗れ」という。子どもも女性もだめ。男性も年寄りはだめ。武器を持てる若いのしかだめだということだったんですね。

これが軍国主義です。「私はどうして助けてくれんのか?」といってもだめ。戦争に勝つかだけですから。戦える人かどうかで人間を決めるのです。彼らは。今後戦争があるかどうかわかりませんがね。人間は戦争で勝つための道具なんです。戦争とはそういうものなんです。いいですか?

私は腹が立って腹が立って仕方ない。どうしてみんな助けてやらんのかと思った。でも、私が自分で来れたのはここまででした。後は全部人に助けられた。負われたりね、自分では歩けない、立つこともできないからです。

ここでね、あまりにもむごいことが起きたんです。あまりむごいのでここ3年話したことがありませんでした。10人しか乗れない軽トラの荷台に小学校2年生の女の子が自分も助けてもらいたいと思って足を掛けたんです。3年生以上はみんな疎開していますから、この子は2年生に違いありません。それを見た軍人が運転席から降りて、大きな声で降りろとどなった。

日ごろから軍人には歯向かってはいけないと叩き込まれていますから、この子はぱっと飛び降りたんです。わぁーんと大声で泣きながら、反射的に火の燃え盛るほうへと歩き始めた。私は動くことも出来ません。その子の後姿に向かってただ、「火の燃える方にいくなよ」と大声で繰り返すのがやっとでした。
どんな人にも夢があったはずです。大きくなったらこうなりたい、どんなことがしたいという夢が。それがペしゃんと潰されてしまった。誰が命を保障するのですか? 国は保障しません。助けてはくれませんよ。

かわいそうでかわいそうで言いようがない。それを見ていて、助けることもできなかった。だからね。この子は死ぬまで私の苦しみです。これを逃れることはできん。
以上引用

以下全文は
jp.sputniknews.com/japan/20150806/704590.html#ixzz3i0os3iB7


とにかく、想像を絶する体験をされたのでしょう。
この記憶を後世に伝えていく必要があります。


日本軍とナチスは、非常に良く似ています。
戦争に使える人材しか必要としなかった。
そして、使い捨てにした。


米国は、使える使えないに関わらず、無差別に虐殺し、人体実験にした。


ロシアが、米国の原爆投下について『人道上の罪』として国連などで追求すべしと言っているようですね。

こんな記事も出ています。

以下引用

「スプートニク」の依頼により日本でPopulus社によって実施された新たな世論調査「スプートニク。世論調査」によると、世論調査に回答した日本人の過半数以上(61パーセント)が、米国は広島と長崎への原爆投下について謝罪するべきだと考えており、回答者の74パーセントが、原爆投下によって大勢の市民が命を落としたため、戦争だからといって原爆投下を正当化してはならないと考えていることが分かった。

世論調査では、「1945年の広島と長崎への原爆投下について米国は公式に謝罪するべきだと思いますか?それとも謝罪の必要はないと思いますか?」との質問に、過半数以上(61パーセント)の日本人が、米国は広島と長崎への原爆投下について謝罪するべきだと答えた。必ずしも謝罪する必要はないと答えた回答者は11パーセントにすぎなかった。また約30パーセントの回答者が質問に答えることができなかった。回答に迷う割合が最も高かったのは18-24歳の若い世代で、同世代の40パーセント以上が答えに窮した。

世論調査の2つ目の部分では、「広島と長崎への原爆投下は戦争を終結させるための行動であり、原爆が投下されなければ戦争は長引いた」との主張にわずか10パーセントの回答者が賛同した。「一般市民の大量虐殺を引き起こしたため、戦争だからといって広島と長崎への原爆投下を正当化してはならない」との主張に賛同した回答者は74パーセントだった。

世論調査は、情報通信社スプートニクの依頼により2015年7月29日-8月2日にオンラインインタビューの方法でPopulus社によって実施された。18歳から64歳までの1004人の日本人を対象に、年齢別・性別・居住地別のバランスを考慮して行われた。世論調査データの信頼区間は95%で誤差は±3.1%。

以上引用
jp.sputniknews.com/japan/20150806/704975.html#ixzz3i2AAlsDd

この調査は、納得出来る数字が出ていますね。


アメリカによる原爆投下は、一般市民への無差別大量虐殺であり、人体実験であり、人道上の大罪であり、倫理的に許されないものです。

この計画を実行したのは、劣った有色人種を殲滅する思想を持った団体KKKの一員であったトルーマン大統領です。



Ⓜペッコ ‏@pecko178 10時間10時間前
原爆攻撃は最初から最後まで、綿密かつ完壁に計画。
10ヶ月にわたる訓練。1発だから1機でいいのに、2機も伴走させて人々がいかに死ぬるか、観察した。その3機を見て人々が逃げ出さないよう、あらかじめ馴らした。このような準備はすべて、可能なかぎりたくさんの人を殺そうとしたからである。

同じ理由から攻撃の時刻もわざわざ計算に入れた。

月曜日の朝、8時15分。通勤・通学のラッシュ・アワー。人々は勝手を知った身辺の防空壕を離れて移動中であった。

《眼球が溶けた》
8月6日、「エノラ・ゲイ号」とともに作戦に参加したB29「グレート・アーティスト号」(科学観測機)は、原爆投下と同時に爆発力測定用のラジオゾンデを吊るした「落下傘」を3つ落下させた。
青く晴れた空に落下傘。人々はそれを見上げ直後に爆発。見た人は眼球が溶けた。

8時15分前に、爆撃機は広島市上空を旋回し、警戒警報を出させ、その後いったん飛び去り警報が解除されて市民が安堵感から防空壕や家から外に出てきた頃合いを見計らって、直ちに「反転」して広島市上空に戻り、原爆を投下したという。『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』より

原爆を人間が密集するエリアに落とすことで、その殺傷能力を観察したかった。
それは、ウラン型とプルトニウム型という2種類の異なる原爆を連続して投下したことからも分かる。また彼らは、原爆のテスト(生体実験)と同時に、戦後の覇権争いをにらんで、アメリカの力を世界に誇示したかったのである


広島
長崎
そして福島

目的は同じ


広島と長崎の原爆警告ビラは、8月5日に広島に、8月7日に長崎に新型爆弾が落ちると警告してあったらしい。
しばらくして何もなく安心したところに原爆は落とされた。

3.11と似てませんか?
この時も3月9日の地震で津波警報が出た。
でも、津波はほとんど来なかった。

以上引用


こんな調査もあるようです。


以下引用

米国民の3分の2が自国政府は「誤った方向に向かっている」

米国人の大半が米国は国として誤った方向に向かっていると考えている。しかも、次期大統領選挙で最も高い支持率を誇る候補らでさえも有権者らのネガティブな反応を呼んでいる。

ウォールストリート・ジャーナル紙とNBCニュースが7月末に行なった世論調査では、上記のような結果が出た。前回の調査に比べ、自国の政治、経済路線に憂慮を感じている米国人の数はさらに増えている。

特に回答者の65%が、「米国は誤った方向に進んでいる」と答えているほか、この先12ヶ月で米国経済の状況は悪化すると考える人の数も目だって増え、24%に達した。1年前の2014年7月末の時点で経済状況の悪化を懸念する市民は17%だった。

以上引用
jp.sputniknews.com/us/20150806/703108.html#ixzz3i0tAFlen


米国は誕生からして間違っていたが、どんどんどんどん間違っていき、今では国民の三分の二が、間違った方向に米国が向いていると感じるような国になってしまったのです。


米国の世論調査会社の調査でさえ、世界の平和に最も脅威な国は?という質問に対して『アメリカ』が圧倒的1位(2位パキスタンの3倍)なのです。


まず、アメリカは、自分たちが行った『人道的な罪』をきちんと総括し、謝罪し、反省するところからやり直さなくてはならないと思います。

そして『アメリカの国家犯罪全書』を全米国民が教科書として読む必要がある。

自分たちの国が、過去、そして現在、何をしているのか?知る必要がある。


それをやらないから、いつまで経っても、圧倒的に間違ったまま他者を不幸にしていくのですから。

コメント

_ アヤメ ― 2015/08/07 04:06

生の体験者の声は、大切ですね。いいズラい程、辛くて悲しい事を勇気を出して、語ってくれました。この内容を国会でするべきだと思いました。
真実はきっと明らかになると、信じています。国民はやっと彼等の話に聞く耳を持っているからです。ありがとうございます。

_ HiBlank ― 2015/08/09 10:44

続きのような内容がこちらにありました。

http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2014/08/blog-post_9.html
>オーストラリア人ジャーナリスト、ウィルフレッド・グラハム・バーチェット
>ヒロシマ入りを果たした最初の連合軍記者であり、無検閲の記事を日本国外に持ちだした

>9月5日付けロンドン・デイリー・ニュース紙
>世界を震撼させてから30日後のヒロシマで、大異変で負傷しなかった人びとが原子の疫病としか表現できない――謎めき、恐ろしい――未知の何かのために今でも死んでいる。
>被爆者らがいまだに治療を受けている病院
>内で記者は、爆弾が落ちたとき、まったく負傷もしなかった人びとが、いまや説明のつかない後遺症状で死んでいるのを知った。
>明らかな理由もなく、被爆者らは健康を損ないはじめていた。
>医師らによれば、最初、全身衰弱症候であると考え
>患者にビタミンA注射を施していた。
>結果は凄まじかった。
>注射針を刺した穴から肉が腐りはじめた。すべての症例で、被爆者は死亡した。

>>http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/369.html
>>当時、広島に入った記者による放射能汚染を告発した記事が英紙「デーリー・エクスプレス」(45年9月5日付)に掲載され、米政府はその打ち消しに躍起になっていた。

>このようにして、放射能を闇に閉ざす半世紀がはじまった。
>バーチェットの直接体験による報告は、全米いたるところで検閲対象になった。
>放射能およびフッ化物研究(フッ化物は核兵器開発における主成分資材)を含め、
>あらゆる核兵器研究は「天性の秘密」であって、RD(規制データ)とラベル付けされ、その多くは冷戦終結後も長期にわたり3棟の書庫を満杯にする秘密ファイルのなかに埋葬されている。

こういうデータをまるごともって満を持しての311ということですね。

_ velvetmorning ― 2015/08/09 23:12

こういうことなのかな?と
広島・長崎原爆ホロコーストとABCC調査と抗がん剤開発と原爆の量産について
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/08/09/7729718

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