本当にファシズムや人種差別主義と闘うなら、アメリカの歴史を知るべきでしょう2017/08/17 22:09


またまたメディアが、ヒラリークリントンとジョージソロスと仲間達の作戦を支援しているようですが。。

以下引用

トランプ大統領 衝突事件「双方に非」…差別主義を擁護か
mainichi.jp/articles/20170816/k00/00e/030/239000c
毎日新聞2017年8月16日 11時40分(最終更新 8月16日 11時40分)

トランプ米大統領は15日、南部バージニア州で発生した白人至上主義者らと反対派が衝突した事件に関し「一方に悪い人間がいたが、もう片方には非常に暴力的な集団もいた。誰も口にしたくないことだが私は言う」と言及し、「双方に非がある」との見解を示した。事件発生直後に続く差別主義者擁護ともとれる発言で、各界からの反発は必至だ。

 ニューヨークのトランプタワーでインフラ整備に関する発表に臨んだ後、記者団の質問に答えた。

 トランプ氏は極右思想オルト・ライトを念頭に「(デモ活動の)許可もなく突っ込んできたオルト・レフトはどうなのか」などと繰り返した。反対派の中には武器を持ち込んだり、暴力を使ったりした参加者もいたことを指摘したものだが、トランプ氏はネオナチ側の参加者には「非常に良い人々もいた」とも語った。

 事件の発端となった、南北戦争で奴隷制を支持する南部連合を率いたリー将軍の銅像撤去計画については「銅像が置かれた自治体などの判断だ」とする一方、「奴隷所有者だったワシントンやジェファーソンの銅像も撤去するのか」と、建国の父とされる大統領の名を列挙し疑問を呈した。

 米メディアによると、ホワイトハウスは大統領による質疑を予定しておらず、トランプ氏の答弁は用意されたものではなかった。トランプ氏の発言を受けて、秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)の元最高指導者、デービッド・デューク氏はツイッターに「大統領の正直さと勇気に感謝する」と投稿した。

 トランプ氏は事件発生当日の12日、声明で白人至上主義やネオナチ、KKKを明確に否定しなかったことで厳しい批判を浴び、14日により厳しい声明の発表に追い込まれている。

以上引用

KKKのアンチをやっていたANTIFA(アンチファ)も、ジョージソロスと仲間達が資金出してるわけでしょ。

アンチファシズムというなら、少なくともネオナチを支援してウクライナのクーデター仕掛けたヒラリークリントンと仲間達を批判してなきゃ、お話になりません。

シリアやリビアを無茶苦茶にしたネオコン・ネオリベ連中に反対してなくちゃ、お話になりません。


『事件の発端となった、南北戦争で奴隷制を支持する南部連合を率いたリー将軍の銅像撤去計画については「銅像が置かれた自治体などの判断だ」とする一方、「奴隷所有者だったワシントンやジェファーソンの銅像も撤去するのか」と、建国の父とされる大統領の名を列挙し疑問を呈した。 』

これは、至極当然の発言だと思いますけど。


アメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンも、アメリカ独立宣言を書いたトマス・ジェファーソン(第三代アメリカ大統領)も、共に奴隷を実際に所持していましたし、白人至上主義者でした。
というか、アメリカは元々そういう国です。

アメリカ先住民が抵抗出来なくなるまで殲滅させられた1800年代後半までの間で、明確に自分たちの権利と同じものをアメリカ先住民に対して認めていたのは、筆者が勉強した限りでは、ごく一部のクエーカー教徒達だけです。

東京大空襲(東京ホロコースト)の日に考えるアメリカの歴史 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/10/8044852

詳しくは過去記事をどうぞ

アヘンタバコによる土地収奪方法を編み出したのが、ジョージワシントンの先祖(曾祖父)だったので、アメリカ合衆国の初代大統領は、ジョージワシントンなのではないか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/21/8024745

アメリカ独立戦争当時の陸軍長官が、我々の植民は、先住民の絶滅作戦だったと書いている
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/01/8035574

奴隷制や人種差別に本気で反対するなら、当然のことながら、アメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンの銅像も、アメリカ独立宣言を書いたトマス・ジェファーソン(第三代アメリカ大統領)の銅像も撤去すべきなのではないでしょうか。



日本のメディアは、アメリカの南軍=悪、北軍=善だから、南軍の指揮官の銅像を引き倒すのは正しいという方向に持っていこうとしているみたいですが、前から書いているように、
北軍のリンカーンは、「人民による人民のための政治」を掲げていましたが、彼が掲げた『人民の定義』の中には、アメリカに元から住んでいた先住民=モンゴロイドは入っていませんでした。

このため、彼の「人民による人民のための政治」のための南北戦争によって、アメリカに元から住んでいた人々は、住む土地を奪われ、その生活の糧を奪われ、その命をも奪われ、もはや抵抗すら出来ないまでに追い込まれています。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/10/8044852

先住民を居留地に追いやったのは、先住民が住んでいた場所に金銀や石油など資源が沢山あったためです。
それらを奪うために南北戦争があったのです。


アメリカの南北戦争によって、アメリカ先住民は居留地に追いやられ滅ぼされ、入植者達やアメリカ背後の株式会社や金融資本は、アメリカを占領したわけです。

奴隷解放というのは、入植者達が先住民を駆逐し、資源や土地や財産を自分達のものとした上で、その植民地を更に海外へ広げるために、奴隷を国民にして戦争を行う兵隊として利用するために奴隷解放したのです。

以降、同化させられた先住民や黒人達は、米国の世界支配戦争のためにこき使われていくのです。


同時期には、極東アジアでこんなこともありました。


以下引用 過去記事

アメリカ陸軍仕込みの日本クリスチャンが『国家主義者』になって、自分の国ではないはずの朝鮮併合しに行ってキリスト教化しようとして、それに反発して朝鮮クリスチャンが朝鮮独立運動してるぞ。
しかも、米陸軍仕込みのクリスチャンなのに神社参拝強要って。。
日本=神社を朝鮮半島クリスチャンの敵にするために仕込んだのか。

典型的な、分断統治だな。

敵味方に米軍の細胞を送り込んで闘わせる。
徹底的に先住民を悪者にし、自分たちを有利にする。
資産や財産を奪い、奴隷にする。
移民がアメリカ上陸以来の伝統的手法というわけです。

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/05/24/


事実上、米軍がアメリカ先住民の抵抗を抑え込んだ1890年には、数百万から数千万居たはずの北米の先住民は25万人にまで減らされてしまったのです。

その状況下で、世界征服に向けて動き出したのが、アメリカのマニフェストデスティニーです。

それと時を同じくしてユーラシア大陸東側での戦闘が激化していくわけですから。

たぶん、この歴史を見つめないと見えてこないことが沢山あると思います。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/09/8014082

以下は

人工芝運動のシールズが8月15日の終戦記念日に解散したそうですが ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/08/17/8154037


人工芝運動というのは、NED全米民主主義基金とか、USAIDアメリカ合衆国国際開発庁が援助している『草の根運動を潰すための米国製革命風運動』のことです。


シールズ『SEALDS』は、『ネイビーシールズ=NAVY SEALS=アメリカ海軍特殊部隊』と瓜二つ

SASPLっていうのもありましたが、こちらも、『特殊空挺部隊(とくしゅくうていぶたい)、略称SAS (Special Air Service) は、イギリス陸軍の特殊部隊である。』そっくりです。


SADLSっていうのもあって、こちらは、サドルバック教会。つまり、オバマ大統領のアメリカ合衆国大統領就任式で開会の祈祷を務めたリック・ウォレン牧師の所属教会の名前が付いてますね。


サドルバック教会=南部バプテスト連盟

主な人物

ビリー・グラハム(国際的な福音主義宣教師、テレビ伝道師) =ブッシュを改心させてイラク戦争に導き異教徒を大量破壊兵器を用いて殲滅せよと演説していた

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(牧師、アフリカ系アメリカ人公民権運動指導者)

ジミー・カーター(アメリカ合衆国第39代大統領) =ソ連を倒すためにアフガニスタンのムジャヒディン(アルカイダ)に麻薬と武器を与えて育てる作戦を行った大統領。その作戦を立案したのが、オバマ大統領のブレーンだったブレジンスキー

ビル・クリントン(アメリカ合衆国第42代大統領) =妻はネオナチやテロリスト支援して内戦引き起こしたヒラリークリントン

リック・ウォレン(バプテスト派サドルバック教会牧師、2009年1月20日、バラク・オバマのアメリカ合衆国大統領就任式で開会の祈祷を務めた。)

中略


そもそも論なんですよね。

911から世界征服を始めた支持母体が、南部バプテスト連盟という話なわけで

そして、「奴隷解放に反対して分離した」と書かれてますけど。


「南部バプテスト連盟は、アングロサクソン人種の独断的優越感にもとづき、アメリカ人が世界救済のための独自な資格を与えられているという神話に同意し、是認」
と書かれてますよね。

マーティン・ルーサー・キングみたいな人も居るので、リベラルと思われがちですけど、これ、元々は、ベトナム戦争に黒人を従軍させるために公民権運動仕掛けてたようです。

公民権与えるから戦争に行けという理論。

で、マーティン・ルーサー・キング氏が、反戦になったので暗殺されたということらしい。


歴史上、アメリカという国は、突出して異常な国だといえます。
その歴史において93%戦争しているのです。
こんな国は、他には無いでしょう。


民主主義を掲げながら、不正選挙をして「お前らが選んだのが悪い」と言って、勝手な法律を作り、なおかつ不正選挙による偽民主主義を押し付けるために、テロリストや反政府勢力を育て、それを理由に他国を爆撃し、侵略してるわけですから、こういう国をなんとかしない限り、世界に平和は訪れないでしょう。というのが、最近の世界情勢を理解してきた人々の共通理解だと思います。

それを理解した人々には、アメリカに占領されたり爆撃されたりした国々の人々だけではなく、一般のアメリカ人も含まれます。
私達植民地の人間も含まれます。

よく考えていただきたいものです。


本当にファシズムや人種差別主義と闘うなら、こうした歴史を当然知る必要があります。

そして、アメリカとその仲間達による植民地主義のための戦争に反対する必要があります。

「神風特別攻撃隊」の戦果のほとんどは、米軍にとって沈んでも大勢に影響のない小艦艇だった2017/08/16 18:30

太平洋戦争の原因である真珠湾攻撃作戦を立案し、実行した指揮官 源田実が、アメリカから勲章貰い、東京大空襲や原爆投下を指揮したカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を与えるように進言
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2017/08/13/8646072

のつづき


源田実は、特攻隊による敵への自爆攻撃を進めています。(死んだ大西中将に責任を全てかぶせ、自身は涼しい顔)
この結果、日本は戦闘機や航空機の多くを失い、操縦出来るパイロットは死亡。
結果的に、アメリカの戦略爆撃機による無差別大量殺戮に対する日本側の防御をぶち壊しています。


「神風特別攻撃隊」が、どれほどの戦果を上げたのか?ゲンダイに出てました。

以下引用

「神風特別攻撃隊」の本当の戦果をご存じか?
gendai.ismedia.jp/articles/-/50088


敗戦まで、航空特攻の戦死者は海軍が2431人、陸軍が1417人で計3830人であった(人数には諸説がある)。一方で敵艦の撃沈、つまり沈めた戦果は以下の通りである(『戦史叢書』などによる)

正規空母=0/護衛空母=3/戦艦0/巡洋艦=0/駆逐艦=撃沈13/その他(輸送船、上陸艇など)撃沈=31

撃沈の合計は47隻である。1隻沈めるために81人もの兵士が死ななければならなかった、ということだ。しかも戦果のほとんどが、米軍にとって沈んでも大勢に影響のない小艦艇だった。

この中で大きな軍艦といえば護衛空母だが、商船などを改造したもので、もともと軍艦ではないため防備が甘く、初めから空母として建造された正規空母より戦力としては相当劣る。特攻が主目的とした正規空母は一隻も沈まなかったという事実を、我々は知らなければならない。

「撃沈はしなくても、米兵に恐怖を与えて戦闘不能に陥らせた」といった類いの指摘が、しばしばある。そういう戦意の低下は数値化しにくく、戦果として評価するのは難しい。それは特攻=「必ず死ぬ」という命令を受けたか、受けるかもしれないと思って日々を過ごしている大日本帝国陸海軍兵士の戦意がどれくらい下がったのかを数値化できないとの同じだ。

我々が知るべきは、特攻の戦果が、軍上層部が予想し来したものよりはるかに低かった、ということだ。むろん、特攻で死んでいった若者たちに責任は一ミリもない。

以上引用
gendai.ismedia.jp/articles/-/50088?page=3


日本国内で防御能力のある人達を皆殺しにしたみたいな感じですよね。

ちょと考えれば分かるのだが、これは、ものすごく効率の悪い闘い方である。

サッカーでいえば、ゴールを守ることをせず、皆ペナルティーエリアから出ていってファウルや怪我で退場したみたいな闘い方である。

というか、ファウルや怪我どころか死んでしまっているわけですからね、どうしようもない。

負けるのは当たり前だ。



さらに、こんな記事も出ていた。

以下引用

「空襲から絶対逃げるな」トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした

~国は「原爆が落ちても大丈夫」と喧伝
gendai.ismedia.jp/articles/-/52580

1941年11月に防空法が改正され、空襲時の避難禁止と消火義務が規定された。

つまり「逃げるな、火を消せ」という命令だ。違反者は最大で懲役6ヵ月の処罰を受ける。日本がアメリカ・イギリスに宣戦布告する1ヵ月前である。

中略

1942年8月に内務省が発表した手引き「防空待避所の作り方」は、待避所は家の中に作った方が「自家に落下する焼夷弾がよく分かり、応急消火のための出動も容易である」と述べ、床下への設置を奨励。これでは頭上の猛火に向けて床下から這い上がることは不可能である。実際に多くの人が床下で命を落とした。

中略

防空総本部が発表した原子爆弾への対策は、「軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない」、「新型爆弾もさほど怖れることはない」、さらに「破壊された建物から火を発することがあるから初期防火に注意する」という。建物が破壊される惨状でも消火活動をさせるのだ。

原爆が落ちても「防空体制変更いらぬ」、「熱線には初期防火」と各紙が報じた後、国民は8月15日に終戦を迎えた。


以上引用
gendai.ismedia.jp/articles/-/52580

なんというか、頭が悪いを遥かに通り越しているような。。

そしてそれは、現在でも変わっていないのではないだろうか。

なにしろマイケル緑が、「日本の首相は馬鹿にしかやらせない」と言ってますからね。


あと、NHKの番組でちらと見たのだが、竹槍の訓練の様子を見て米陸軍が報告書に、「日本人に非戦闘員は居ない」とレポートしているようです。


ということで竹槍の訓練ですが、あれは、日本人全員が戦闘員という事にするために仕込まれたみたいですね。

で、無差別大量爆撃に至ると

日本というのは、米国の属国ですらなく、米軍の軍政下、占領下の戦時体制のままだった2017/08/08 21:54

このインタビュー、勉強になります。

日本が「基地」も「原発」もやめられないのは「朝鮮戦争」に起源があった!? 岩上安身による『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』著者・矢部宏治氏インタビュー 2017.8.2
iwj.co.jp/wj/open/archives/394226


日本というのは、米国の属国ですらなく、実のところ米軍の軍政下に置かれたままだった

そのきっかけは、朝鮮戦争にある。
朝鮮戦争を利用した占領下の戦時体制だった。

この仕組みを作ったのは、ウォール街の弁護士出身のジョン・フォスターダレス。(兄弟はCIAの生みの親のアレン・ダレス)



第1章 日本の空は、すべて米軍に支配されている
第2章 日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある
第3章 日本に国境はない
第4章 国のトップは「米軍+官僚」である
第5章 国家は密約と裏マニュアルで運営する
第6章 政府は憲法にしばられない
第7章 重要な文書は、最初すべて英語で作成する
第8章 自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う
第9章 アメリカは「国」ではなく、「国連」である


こちらには、漫画と堤さんと矢部さんの対談が出てます。
book-sp.kodansha.co.jp/topics/japan-taboo#info

オバマ大統領の広島訪問に思うこと2016/05/28 17:57

オバマ大統領が広島訪問だそうですが、会見の全文が出ています。
3.nhk.or.jp/news/html/20160528/k10010537911000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002

全文読んでみたのですが、筆者は思います。

今後30年間で、新型核兵器の開発と配備に100兆円の予算を予定している国の掲げる『核廃絶』って何でしょうか?

しかも、アメリカは、広島・長崎以外にも原水爆を使用しています。


強欲な資本主義や新自由主義経済政策によって、世界で格差が最も開いてしまった国が掲げる『生まれながらの人間の平等』って何でしょうか?

国営の石油企業を持ち、IMFの借金も無く、最も人々が平等に暮らしていたはずのシリアやリビアに泥沼の内戦を引き起こしたのは、アメリカですよ。


米国+NATOに空爆される以前のリビアについて

以下引用

リビアには電気代の請求書が存在しない。電気は全国民、無料だ。

融資には金利がなく、リビアの銀行は国営で、全国民に対して与えられる融資は、法律で金利ゼロ・パーセント。

リビアでは住宅を所有することが人権と見なされている。

リビアでは全ての新婚夫婦が、新家族の門出を支援するため、最初のアパート購入用に、政府から60,000ディナール(50,000ドル)を受け取る。

リビアでは教育と医療は無償。カダフィ以前、識字率はわずか25パーセントだった。現在、識字率は83パーセント。

リビア人が農業の仕事につきたい場合には、農園を始めるための、農地、家、器具、種、家畜が、全て無料で与えられる。

リビア人が必要な教育あるいは医療施設を見いだせない場合、政府が外国に行くための資金を支払い、さらには実費のみならず、住宅費と自動車の経費として2,300ドル/月、支払われる。

リビア人が自動車を購入すると政府が価格の50パーセントの補助金を出す。

リビアの石油価格は、リッターあたり、0.14ドル。

リビアに対外債務は無く、資産は1500億ドルにのぼるが、現在世界的に凍結されている。

リビア人が、卒業後就職できない場合は、本人が雇用されているかのごとく、特定職業の平均給与を、職が見つかるまで国が支払う。
リビア石油のあらゆる売上の一部がリビア全国民の銀行口座に直接振り込まれていた。

子供を生んだ母親は、5,000ドル支払われる。

リビアでは、パン40斤が0.15ドル。

リビア人の25パーセントが大学の学位を持っている。

カダフィは、この砂漠国家のどこででも自由に水が得られるようにするため、大人工河川計画として知られる世界最大の灌漑プロジェクトを遂行した。

以上引用
eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/16-6517.html


で、こんな事も言ってるのですが

「アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。


とありますが、そもそも論として、アメリカに元々住んでいた先住民は、白人が上陸してから、抵抗出来なくなるまで滅ぼされる1800年代後半まで人間として認められていなかったのです。

彼らは、『悪魔』だとされていました。
人間ではなく『悪魔』だから、何をしても良いとされていたのです。


アメリカ建国までに、それまでその場所に住んでいた人々を全て虐殺するか、奴隷として売り飛ばすか、移住させた上で、フレンチインディアン戦争においてイギリス側に付いて闘った先住民に対して保証された領土を奪うために独立戦争が起こされ、手にしたのが、アメリカの独立です。

アメリカ独立戦争当時の陸軍長官が、我々の植民は、先住民の絶滅作戦だったと書いている
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/01/8035574
も参考に


1830年にインディアン強制移住法を作ったことに対して抵抗した先住民達を移住させ・虐殺するために南北戦争は行われたわけです。


法的作術を繰り返し、先住民を虐殺・奴隷化・追放し、抵抗出来なくなった上でアメリカを占領すると、その矛先をアジア太平洋や中南米、そしてアフリカ、欧州、ロシアへ向けていきました。

これがマニフェストデスティニーです。


アメリカは、その歴史上93%戦争しています。

地球上に起きている戦争のほとんどは、アメリカとその仲間達が引き起こしてきたものです。


さて、
被爆した韓国人が韓国のアメリカ大使館の前で、オバマ大統領に「原爆投下を謝罪しろ」と抗議のデモを行っているそうです。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/05/26/8096640
のつづきですが


こんなニュースがありました。


以下ハンギョレ新聞から引用

前略

すぐ横に韓国人慰霊碑があったのに、なぜ足を運ばなないのか残念がっていた」と述べた。広島で被爆した在日同胞のイ・ジョングンさん(88)も「今日のオバマ大統領の訪問式典に韓国被爆者は一人も入れなかった。今朝、あまりにも悔しいので広島市長に電話して、韓国の被爆者が来ているのに、なぜ入れてくれないのかと抗議した」と話した。

 これに先立ち、この日の午前、シム支部長ら韓国人原爆被害者1、2世の6人と、平和と統一を開く人々など平和運動団体のメンバーで構成された韓国人訪問団は、韓国人慰霊碑前で記者会見を開き、「原爆について責任を取らなければ世界の平和もない。オバマ大統領はこの碑石の前で、私たちに謝罪すべきだ」と声を高めた。

以上引用
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160528-00024259-hankyoreh-kr


やはり、会えませんというか、中に入れてもらえませんでしたね。
米国大使館前でデモして謝罪を要求するというのは、大変勇気ある行為だと筆者は思います。


マスゴミに登場する被爆者は、「謝罪を求めません」とか、「米国人捕虜の被爆者を発見して米国政府から感謝されました」などと報道されてますけどね。。

原爆投下は、国際法違反の明らかな人道的犯罪です。


で、このニュース

以下引用


大韓航空機のエンジン部分から出火 羽田空港
5月27日 19時14分


27日午後0時38分ごろ、羽田空港のC滑走路で、ソウルのキンポ(金浦)空港行きの大韓航空機が離陸滑走中に左側のエンジン部分から火が出ました。消防が消火にあたり、火は午後2時すぎに消し止められました。
この飛行機には乗客302人、乗員17人の合わせて319人が乗っていましたが、全員、シューターを使って緊急脱出し、空港が用意したバスで国際線のターミナルに向かいました。

中略

午後6時半前から運用を再開し、羽田空港のすべての滑走路が運用を再開しました。
一方で、国内の空の便はトラブルの影響で、これまでに300便以上が欠航しています。

以上引用
3.nhk.or.jp/news/html/20160527/k10010537171000.html


というわけで、サミットでの安全確保のためにテロを引き起こして、飛行機飛ばないようにさせたわけですね。

で、韓国人被爆者が、オバマに「謝罪要求」したもんで、大韓航空機が犠牲になりました。というわけですか、そうですか。

分かりやすいですね。


日本の制空権は、日本には無く、アメリカ軍にあります。


もう、死に体のG7なんてやる必要無いと思いますよ。

世界最強で世界安定のキーを握っているロシアと、世界で最も人口が多く、凄まじい勢いで経済大国になりつつある中国とインドを加えない会議なんて、どうにもならんだろ。

露+中+印で28億人ですよ、28億人

 時代は、G20やG100です。



関連

『感謝祭』の元になった最初の英国人入植者を救ったアメリカ先住民達を滅亡させた黒過ぎるアメリカの歴史
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/31/8006095

アジア人は、アメリカ先住民の歴史を知ることが必要だと思います
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/09/8014082

『アメリカ・インディアンの歴史』プロパガンダとジェノサイド
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/17/8020331

アメリカ先住民達は、どのようにして土地を奪われたのか?アメリカで起きたのは、第一次アヘン戦争?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/18/8021215

アヘンタバコによる土地収奪方法を編み出したのが、ジョージワシントンの先祖(曾祖父)だったので、アメリカ合衆国の初代大統領は、ジョージワシントンなのではないか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/21/8024745

アメリカ独立戦争当時の陸軍長官が、我々の植民は、先住民の絶滅作戦だったと書いている
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/01/8035574

アメリカ先住民は、水田稲作も行っていたようだ。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/08/8042908

東京大空襲(東京ホロコースト)の日に考えるアメリカの歴史 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/10/8044852

アメリカ先住民の民族浄化とハーバード大学 STAP細胞 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/05/22/8094248

アメリカ先住民虐殺の歴史とアジアの戦争を繋ぐものとは? ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/05/24/8095409

日本の朝鮮併合と朝鮮の独立運動を作った米陸軍・ピューリタン・FRB人脈2016/05/25 18:18

ヘイトスピーチ禁止法だそうですが、本日は、その裏側を歴史を見て勉強したいと思います。


(アメリカ先住民が大量虐殺された)南北戦争に従軍したアメリカ陸軍の士官が熊本で士官学校を作ろうとしたのが熊本洋学校で、その卒業生がアメリカンボード(ピューリタンの会衆派=ブッシュやヒラリーのイェール大学と同じ)の支援を受け、国家主義者となり、朝鮮半島を併合してキリスト教化しようとした。
しかも、神社に行くことを朝鮮半島の人に強制した。


アメリカ先住民虐殺の歴史とアジアの戦争を繋ぐものとは? ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/05/24/8095409
のつづきです。


さらに調べてみました。

以下引用

組合教会の朝鮮伝道
  
朝鮮伝道は日本の教会が自らの手で海外伝道を行なった最初の試みであった。(63)1876年に日本が朝鮮に開国を強要して以来、両国間の関係は良かったとは言えず、平和が必要であると考えたメソジスト教会宣教師の訴えが同教派による朝鮮伝道の一因となっている。1904年に日本基督教会(長老派教会)、次いで、美以教会(メソジスト教会)が朝鮮伝道を始めている。

組合教会は1904年6月に韓国京城で伝道を開始し、創持省吾を主任として派遣、翌1905年には平壌に山田兵助を派遣し、教会を設立し洗礼式を執行していた。(64)
そもそも海老名は日露戦争の頃から、朝鮮合併論を唱え、朝鮮人の偏狭な民族意識をなくし、朝鮮人を教化しなければならないと考えていた。1910年の第26回総会における信徒大会で公式に朝鮮伝道実行委員会が組織され、同年、海老名弾正の弟子であり、組合教会伝道幹事で牧師であった渡瀬常吉が朝鮮伝道を行うに至ったが、1919年1月に発表した「新時局伝道宣言書」によって組合教会はその宣言のもとで1920年に起こった呂運亨事件に関する事柄と朝鮮伝道の活動を行なったとされる。(65)呂運亨事件は当時の日本の総督府が「3・1独立運動」を行なった朝鮮人キリスト者を自国にとって都合の悪い危険な者であるとし、これを日本人に同化させ、鎮静化し排除することを組合教会に行なわせた事件で、事件の発端から収拾まで組合教会朝鮮伝道部が関わっていた。それは同年に大韓民国臨時政府外交部次長であった呂運亨らを来日させ、呂が朝鮮独立は世界平和につながると語り、その演説が日本で激しい議論を呼ぶに至り、後に呂は発言を撤回させられるに至ったものであった。(66)

当時の組合教会の朝鮮伝道論を要約すると、宗教家、日本国民として誇りを与えるキリスト者として、組合教会が朝鮮民族の精神的指導者とならなければならないということであった。その朝鮮伝道に対して、寺内正毅、大隈重信、同志社創立を支援した渋沢栄一が後援し、岩崎、三井、住友、古河らの財閥が寄付を行なった。しかし、そもそも渡瀬は、押川方義が本多庸一らキリスト教関係者と共に1894年に設立した大日本海外教育会の朝鮮京城学堂で教育活動に従事していたのである。(67)この教育会は日本の文化政策のためのもので、伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一がその賛助者であった。
 組合教会の中でも湯浅治郎を始めとして、吉野作造、柏木義円らはキリスト教信仰に根ざして朝鮮伝道を批判したが、結果として組合教会は、「3・1独立運動」を予断と偏見で捉え、自らを被害者とした。後に日本の総督府により、ソウルでの朝鮮神社の設立を始めとして、朝鮮のキリスト教会と諸学校への神社参拝、国旗掲揚、宮城遥拝の強制等の皇民化政策が進められ、迫害が行われたため、組合教会が、その植民地支配の土台作りを助けてしまったとも言える。呂運亨事件によって組合教会朝鮮伝道部に対する日本政府からの信頼と支援はなくなり、1921年、日本組合基督教会の第37回総会は朝鮮人教会を朝鮮会衆基督教会として独立させ、組合教会による朝鮮伝道を中止することを決めた。

以上引用
theologie.weblike.jp/jump2%20Theologie2009i.htm


では、三・一独立運動はどうでしょう??

以下引用

三・一運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/30 21:40 UTC 版)

背景
第一次世界大戦末期の1918年(大正7年)1月、米国大統領ウッドロウ・ウィルソンにより"十四か条の平和原則"が発表されている。これを受け、民族自決の意識が高まった李光洙ら留日朝鮮人学生たちが東京府東京市神田区のYMCA会館に集まり、「独立宣言書」を採択した(二・八宣言)ことが伏線となったとされる。これに呼応した朝鮮半島のキリスト教、仏教、天道教の指導者たち33名が、3月3日に予定された大韓帝国初代皇帝高宗(李太王)の葬儀に合わせ行動計画を定めたとされる。

三・一運動の直接的な契機は高宗の死であった。彼が高齢だったとはいえ、その死は驚きをもって人々に迎えられ、様々な風説が巷間でささやかれるようになる。その風聞とは、息子が日本の皇族と結婚することに憤慨して自ら服毒したとも、あるいは併合を自ら願ったという文書をパリ講和会議に提出するよう強いられ、それを峻拒したため毒殺されたなどといったものである。

実際のところはそのような事実はなかったが、そうした風説が流れるほど高宗が悲劇の王として民衆から悼まれ、またそれが民族の悲運と重ねられることでナショナリズム的な機運が民衆の中に高まったことが、運動の引き金となった。

民族代表33人

詳細は「民族代表33人」を参照
高宗の急死後、国葬が行われる3月3日に向けて独立運動が計画されるようになった。中心となったのは天道教やキリスト教、そして仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ねて大衆化・一元化・非暴力の三原則を取り決めた。同時に朴泳孝など高官への働きかけや学生に対する参加呼びかけも行ったが、前者への働きかけは成功しなかった。

3月1日午後、京城(現・ソウル)中心部のパゴダ公園(現・タプコル公園)に宗教指導者らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。実際には仁寺洞の泰和館(テファグァン)に変更され、そこで宣言を朗読し万歳三唱をした[1]。参加者は、以下の33名であり、しばしば民族代表33人といわれる[2]。


、以下の33名であり、しばしば民族代表33人といわれる[2]。

宗教 人名 役職

*天道教*
孫秉熙 天道教前教主
権東鎮 天道教教師
呉世昌
林礼煥
羅仁協
洪基兆
朴準承
梁漢黙
権秉悳
羅龍煥
李鍾勲 天道教長老
洪秉箕
李種一 「天道教月報」編集長
崔麟 普成高等普通学校校長
金完圭 一般信徒

*キリスト教*
李昇薫 長老派教会長老
李明龍
朴熙道 キリスト教青年会中央幹事
李甲成 セブランス病院事務員
梁甸伯 長老派教会牧師
吉善宙
劉如大
金秉祚
呉夏英 南部メソジスト牧師
申錫九
鄭春洙
崔聖模 北部メソジスト牧師
李弼柱
申洪植
金昌俊 北部メソジスト伝道師
朴東完 北部メソジスト教会補佐書記

*仏教*
韓龍雲 臨済宗僧侶
白龍城 曹渓宗僧侶

独立宣言書は崔南善(チェナムソン)によって起草され、1919年(大正8年)2月27日までに天道教直営の印刷所で2万1千枚を印刷し、その後、天道教とキリスト教の組織網を通じて朝鮮半島の13都市に配布したとされる。


中略

日本の対応
日本側は憲兵や巡査、軍隊を増強し、一層の鎮圧強化を行った。それはこの運動を短期間で終わらせることで、パリ講和会議における不安定要因を除いておこうという考えからであった。犠牲数には立場によって一定ではないが、当時上海に亡命しており伝聞の情報であると本文中に書かれている朴殷植の『韓国独立運動之血史』によれば、死者7509名、負傷者1万5849名、逮捕された者4万6303名、焼かれた家屋715戸、焼かれた教会47、焼かれた学校2に上るという[6]。他方、日本の警察は運動に関しては平和的に対処し、破壊や殺人が発生した場合に武力で鎮圧したもので、韓国側の歴史記述は日本側の鎮圧ぶりを膨張している面があるとの意見もある[7]。


運動の終息

朝鮮総督府当局による武力による鎮圧(弾圧)の結果、運動は次第に終息していった[10]。司法的には以下のように決着がつけられた。逮捕・送検された被疑者12,668名、このうち3,789名が不起訴により釈放、6,417名が起訴され、残り1,151名は調査中とある(1919年5月8日時点)。1919年(大正8年)5月20日時点で一審判決が完了した被告人は4,026名。このうち有罪判決を受けたのは3,967名。死刑・無期懲役になった者、懲役15年以上の実刑になった者はいない。3年以上の懲役は80名[11]。

きっかけを作った宗教指導者らは、孫秉熙(ソンビョンヒ、天道教の教主)ら8名が懲役3年、崔南善(チェナムソン)ら6名が懲役2年6ヶ月の刑を受け、残る者は訓戒処分または執行猶予などで釈放されている。下級審で3年以上の比較的重い刑を宣告された者でも、最終的には高等法院(最高裁判所)において内乱罪の適用が一括して棄却され、保安法及び出版法などの比較的軽い構成要件のみの適用により、刑期も大幅に短縮された。高等法院で確定した刑期も、1920年(大正9年)の大赦令によりさらに半減されている。

一方司直の手を免れた活動家たちは外国へ亡命し、彼らの国内における独立運動は挫折した[12]。その後の朝鮮半島では1945年(昭和20年)の日本敗戦に至るまで大規模な運動は起こらなかった。

wikipedia


これ、第一次大戦までは、アメリカと日本が連合国側ですから共闘していて、この事件を利用して、あらかじめ支援していた日本からの独立派を海外へ亡命させて自分たちの駒にしたわけですよね。

で、朝鮮独立のために争わさせたのでしょう。


3・1独立運動が組織されたのは、YMCA

1844年
会衆派教会のイギリスのジョージ・ウィリアムズがYMCA(キリスト教青年会)を創立する。
theologie.weblike.jp/jump2%20Theologie%20chronologie2.htm

YMCAは、日本の朝鮮併合とキリスト教化目指した勢力と同じピューリタンの会衆派ですね(ブッシュやヒラリーのイェール大学と同じ)


さらに、

「日露戦争の頃から、朝鮮合併論を唱え、朝鮮人の偏狭な民族意識をなくし、朝鮮人を教化しなければならないと考えていた海老名弾正の弟子であり、組合教会伝道幹事で牧師であった渡瀬常吉が朝鮮伝道を行う」

この海老名弾正の妻が、日本のYWCAを作った人でしたよね。


朝鮮併合しようとした人達と、朝鮮独立のために立ち上がった人達を支援していたのは、同じです。

日本の朝鮮半島併合と朝鮮半島の独立運動は、米国陸軍仕込みのプロテスタントによる自作自演の茶番劇ですよ。
アメリカ先住民の土地奪う方法と一緒です。



で、3.1独立運動を起こしたのは、かなりの部分がキリスト教徒のプロテスタントであり、長老派、南部メソジスト、北部メソジストとありますが、当時のアメリカ大頭領のウッドロウ・ウィルソンは、父親が長老派教会の牧師でした。


ウッドロウ・ウィルソンはヴァージニア州ストーントンで生まれた。父ジョゼフ(1822.2.28-1903.1.21)と母ジェシー(1826.12.20-1888.4.15)の4人の子供の3番目であった。父ジョゼフは長老派教会の牧師であった
american-presidents.info/Willsonmain.html


で、ウッドロウ・ウィルソンは、ドル詐欺の大元であるFRB(連邦準備制度)を作った時のアメリカ大頭領です。

ウッドロウ・ウィルソンに影響されて独立運動なわけで、そのまんまです


アメリカの世界支配戦略である『ウォルフォウィッツドクトリン』を作ったパパブッシュは、南部メソジストですね。

というわけで、あれこれ仕組まれてますよね。



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ハーバード大学のことを調べていたら、熊本県知事がハーバード大学出身だったことを思い出しました。

熊本地震はTPPと日米同盟のためのショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)か? ―
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不正選挙疑惑の千歳には米軍基地があり、普段使っていないが、熊本地震のために使用中だった ―
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のつづきです。



「戦争行かないやつは死刑」と言ったのは、日本が憲法違反のイラク戦争派遣していた時の防衛大臣の石破茂だが、石破茂の曾祖父が金森通倫だと知りまして
金森通倫って、前に調べていた時に出てきたなと思い、いろいろ調べていたら、様々なことが分かってきました。


以下引用

金森通倫は同志社英学校を卒業した後牧師になっているが、その子、太郎(内務官僚)の娘、和子(孫)は石破二郎(内務・建設官僚、参議院議員・自治大臣)と結婚し、石破茂(曾孫)が生まれた。
以上引用
rakuseijin.exblog.jp/19706563

では、金森通倫を調べてみよう。

以下引用

金森通倫 かなもり つうりん

1857.8.15(安政4)~ 1945.3.4(昭和20)
明治・大正・昭和期の牧師

 肥後国玉名郡小天本村出身(熊本県玉名市)。金森繁蔵の次男。別名はポール・カナモリ。

 1872(M5)熊本洋学校の第二期生として入学。ジェーンズ,L.L.の影響を受け、1876花岡山奉教結盟に参加。 同年、同志社に入学し、新島襄から受洗。
1880アメリカン・ボード宣教師の協力を得て創立された岡山教会の牧師としての按手礼を受けて初代牧師に就任。
1885『基督教三綱領』を著す。1886同期生の横井時雄に続いて同志社に教師として招かれた。 病弱な新島校長に代わって1887同志社教会牧師、1888同志社社長代理、1889同志社社長に抜擢され、新島の後継者としての地位を確かなものとした。 また、この頃から実業の才を発揮し、「一銭講」「二円講」を生み出し、新島襄の大学設立の夢に募金活動などで大いに貢献した。 1890新島が死去するや、衆目は金森が後任で一致していたが、新島が残した遺言書に金森の性格や人格に係わる事柄を言及していたため、金森ではなく、山本覚馬を臨時社長に据え、すぐさま小崎弘道(8-1-7-1)が社長に就任した。 なお、新島の遺言書を臨終の床で書き取ったのは徳富蘇峰(6-1-8-13)である。1889金森は同志社を追われ、1890東京番町教会牧師となるも、翌年辞任した。
 1892『日本現今之基督教並ニ将来之基督教』を著し、新神学の旗手となったため、日本組合基督教会を脱会。1892自由党に入党し、「自由新聞」主筆などに関係するが、1893脱党。三井鉱山、武相鉄道等の実業に従事。また、全国的に貯蓄遊説(貯金のすすめを推進)などもした。
 1912(M45)妻の小寿(旧姓西山)の没後、回帰して組合教会に復帰した。1914(T3)山室軍平(15-1-11-1)の救世軍入隊。 '27(S2)中田重治(19-1-3)の東洋宣教会日本ホーリネス教会に入会し、「神・罪・救」の三綱領を説く「金森伝道」を展開するなど積極的に活動をした。 しかし、'33救世軍もホーリネス教会からも脱会して、湘南の嶺山に隠居して洞窟生活を送り、今仙人と称された生活後、福島県郡山で没した。享年89歳。金森太郎編『回顧録』1957がある。
 次男の金森次郎(同墓)は実業家、三男の金森五郎(同墓・分骨)は(財)金森和心会 雲雀ヶ丘病院初代院長になった医師。 四男の金森九郎(同墓)は製鉄技師で原色押花の創案をした人物。 長女の三寿は、ジャパンタイムスの社長、国際ロータリーの会長、国際基督教大学初代理事長の東ヶ崎潔(1895-1992)に嫁いだ。 その長女の恵美子は経済学者で都市問題研究家の柴田徳衛に嫁いだ。五女の寿々枝は理学博士の浜健夫に嫁いだ。

以上引用
6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kanamori_t.html


アメリカン・ボードって何??

以下引用

1602年、英国での国教会の迫害から逃れ、北アメリカのプリマスに入植したピューリタン(清教徒)は、インディアンと平和交渉を結び平和に共存しようとした。そして、インディアンへの伝道を試みた。厳格なニュー・イングランド・ピューリタニズムの人々はマサチューセッツ、コネチカット、ニューヨークに伝道会社を設立して、インディアンへの伝道を行った。

筆者注(この記述は大嘘です。ピューリタンは、助けてくれたワンパノアグ族をはじめとしたアメリカ先住民を大虐殺し、追放しています。アメリカ独立の時には、そこに居たほぼ全ての先住民を追放するか、虐殺するか、奴隷にして売り飛ばしています。)

『感謝祭』の元になった最初の英国人入植者を救ったアメリカ先住民達を滅亡させた黒過ぎるアメリカの歴史
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/31/8006095

アメリカ独立戦争当時の陸軍長官が、我々の植民は、先住民の絶滅作戦だったと書いている
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/01/8035574

万能薬として売りまくったアヘン入りワインのトマス・シデナムもピューリタン
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/02/18/8021215
も参考に

以上筆者注意

以下引用つづきます

19世紀にマサチューセッツ州西北部にあるウィリアムズ大学の学生が、伝道について話しながら歩いていると、突然の雷雨に襲われて、納屋に避難して干草の上に座りながら話を続けた。納屋を出るときに自分たちが海外伝道に従事することを決意した(ヘイ・スタック運動)。 彼らは、ウィリアムズ大学を1806年に卒業、続いてアンドーヴァー神学校に入学して、宣教師になる訓練を積んでいた、1810年にマサチューセッツ会衆派教会牧師会が開催され、その時、その神学生たちはインディアン伝道だけではなく、インド伝道を志す決意を述べた。その、熱意に同意した牧師たちが、同年6月にアメリカン・ボード(American Board of Commissioners for Foreigb Mission)を設立した。

1870年頃になると、長老派、バプテスト派、オランダ改革派、ドイツ改革派教会などが離脱し、実際上は会衆派のみの外国宣教機関になった。[1]

年譜
1810年アメリカ合衆国で会衆派教会によって設立された。
1869年D・C・グリーン宣教師を神戸に派遣する。
1871年ディヴィス宣教師を派遣する。
1874年新島襄が帰国して、グリーンやディヴィスらと共に1875年に同志社を開校する。その設立の際にはアメリカン・ボードが援助をした。やがて、アメリカン・ボードの教会に同志社を卒業した伝道者が加わった。
1886年日本組合基督教会の設立に協力した。

主な所属宣教師
D・C・グリーン(1869年)
O・H・ギューリック(1871年)
J.D.デイヴィス(1871年)
M・L・ゴードン(1872年)
J・L・アッキンソン(1873年)
E・タルカット(1873年)
新島襄(1874年)
J・H・デフォレスト(1874年)
J・T・ギューリック(1875年)
J・ダッドレー(1875年)
D・W・ラーネッド(1876年)
G・M・ローランド(1880年)
E・L・コー
S・L・ギューリック(1887年)

以上引用


会衆派っていうと、ブッシュやヒラリーと同じイェール大学ですね。

イェール大学は、最初のピューリタン神学校であるハーバード大学がリベラルになりすぎたために作った神学校なのだそうです。
目的は一緒でしょうね。

詳しくは
アメリカ先住民の民族浄化とハーバード大学 STAP細胞
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/05/22/8094248



L.L.ジェーンズって誰??

L.L.ジェーンズとは 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リロイ・ランシング・ジェーンズ(Leroy Lansing Janes, 1837年 - 1909年)は米陸軍の軍人。退役後は日本で、熊本洋学校を設立して、熊本バンドの礎を築いた。
生涯
1937年アメリカオハイオ州に生まれる。米陸軍士官学校を卒業して、南北戦争で北軍少尉として従軍する。最終階級は大尉。戦後、スカッダ家の女性と結婚する。 結婚後に来日して、陸軍士官学校とイギリスのラグビー校を目指して熊本洋学校を設立する。最初の頃キリスト教については言及しなかったが、三年目に、毎週土曜日に自宅で聖書研究会を始めた。この参加者の中からキリストを信じるものが起きた。1876年1月30日に洋学校の「奉教趣意書」を朗読して、小崎弘道、海老名弾正、金森通倫、宮川経輝、横井時雄,浮田和民、不破唯次郎ら35人が署名した。この出来事が問題になりジェーンズは解任され、洋学校は閉鎖された。閉鎖後、生徒は同志社に転校して、これが熊本バンドと呼ばれるキリスト教の源流の一つになる。
以上wiki


「米陸軍士官学校を卒業して、南北戦争で北軍少尉として従軍する。最終階級は大尉」

元々米軍なんだ、しかも、陸軍士官学校を目指したと書いてありますよ、熊本洋学校。

リンカーンは、「人民による人民のための政治」を掲げていましたが、彼が掲げた『人民の定義』の中には、アメリカに元から住んでいた先住民=モンゴロイドは入っていませんでした。

このため、彼の「人民による人民のための政治」のための南北戦争によって、アメリカに元から住んでいた人々は、住む土地を奪われ、その生活の糧を奪われ、その命をも奪われ、もはや抵抗すら出来ないまでに追い込まれています。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/10/8044852


その陸軍大尉が日本にやってきたわけですか、そうですか。


さらに引用

L.L.ジェーンズ(1838~1909)

◇ 来日前
アメリカ合衆国オハイオ州生まれ。ウエストポイント出身の陸軍将校として南北戦争に従軍している。
戦後は農耕をして暮らしていたが、横井大平(横井小楠の甥)に洋学校の教師を紹介して欲しいと頼まれたフルベッキによって紹介され、34歳で来日。

◇ 熊本洋学校教師時代
明治4年9月~明治9年9月の間で教鞭を取る。授業は全て英語で行われ、数学や物理をはじめとした20以上の教科を一人で教えた。議会政治を見越して演説練習も始めさせた。
また、日本ではじめて男女共学を始めるなど平等主義の気風をもたらした。しかし、成績不優秀の者には退学を示唆するなど厳しいところもあったようだ。

ジェーンズは教育だけでなく地域社会への啓発活動にも尽力し、以下のようなものをもたらした。

キャベツやカリフラワーなどの種子を西洋から取り寄せ、栽培
国産小麦粉作りに成功し、パンの製造を行った
アメリカより西洋鋤を取り寄せる
かんきつ類栽培の技術を導入
自動化された印刷機をはじめて熊本に輸入
牛乳や牛肉を食べる文化をもたらし、壊血病を治す
ジェーンズは真摯なプロテスタントであったため、キリスト教普及にも尽力した。結果、ジェーンズに感化されキリスト教に入信した若者たちは熊本バンドを結成(北海道でクラーク博士に感化された人々は札幌バンドと呼び、区別する)。

だが、キリスト教布教は保守的な県民から反発を受け、ジェーンズは5年で熊本を去る。熊本洋学校も明治9年閉鎖された。熊本バンドの一部は同志社英学校に編入。その後、ジェーンズは大阪英語学校で明治11年まで教鞭をとり、帰国した。

なお、熊本洋学校卒業生の主な著名人は以下の通り。

徳富蘇峰(国民新聞創設者)
小崎弘道(同志社大学第2代目総長)
横井時雄(同志社大学第3代目総長、衆議院議員)
下村孝太郎(同志社大学第6代目総長、住友化学(株)設立)
原田助(同志社大学第7代目総長)
海老名弾正(同志社大学第8代目総長)
石光真澄(エビスビール支配人)
市原盛宏(朝鮮銀行総裁)

◇ アメリカ帰国後
貧しい生活を送り、住所を何度か変えるが、最後はサンフランシスコに居を構える。
72歳にてその生涯を閉じた後は、遺言により土葬ではなく日本の文化である火葬にて葬られ、ライト山に散骨された。

◇ ちなみに
ジェーンズが去った後のジェーンズ邸は西南戦争の折、有栖川宮織仁殿下の宿舎として使用された。有栖川宮は博愛社を創設し、10年後に日本赤十字社となった。ジェーンズ邸は日赤発祥のセレモニーの地であり、現在2階には日赤関係の資料が展示されている。

以上引用
siusiu.blog.shinobi.jp/Entry/88/



311の時に経団連会長だった モンサント代理店である住友化学の設立者が、居ますね。

寄付金が流れていった赤十字社も、ここが大元か

ふーん。


熊本洋学校卒業生を調べてみると、非常に興味深いことがわかる。

たとえば、以下引用

海老名弾正

日露戦争の頃には、海老名は熱心な国家主義者となっていた。彼はこの戦争を「キリスト教精神の現れ」であるとして積極的に支持した。戦後ほどなくして日本が朝鮮を併合すると、朝鮮総督府は海老名が指導者を務める組合教会に「朝鮮伝道」を命じた。これを受けて、組合教会は渡瀬常吉を朝鮮に派遣する。渡瀬は「朝鮮併合は、日本が世界の大勢に順応した結果である。東洋の平和を永遠に保証するため、日本帝国存在の必要と同時に、朝鮮一千五百万民衆の幸福を顧念した結果である」と語ったという。「伝道」とは言うが、実質的には朝鮮人を恭順させるためにキリスト教会が利用されたのだということは、容易に察しがつく。

しかし、その後の朝鮮ではキリスト教はむしろ抗日独立運動の中心勢力となり、今日の韓国に見られるキリスト教発展の下地となった。一方日本のキリスト教会は自ら神社参拝を行い、朝鮮のクリスチャンにも神社参拝を強制した。朝鮮人の中には、朱基徹牧師のように、これに抵抗して殉教する者も現れた。―――こうした事態を招いた大元こそ海老名弾正であった

以上引用
blogs.yahoo.co.jp/judahephraim/11599131.html


なんだこれ?、アメリカ陸軍仕込みの日本クリスチャンが『国家主義者』になって、自分の国ではないはずの朝鮮併合しに行ってキリスト教化しようとして、それに反発して朝鮮クリスチャンが朝鮮独立運動してるぞ。
しかも、米陸軍仕込みのクリスチャンなのに神社参拝強要って。。
日本=神社を朝鮮半島クリスチャンの敵にするために仕込んだのか。

典型的な、分断統治だな。

敵味方に米軍の細胞を送り込んで闘わせる。
徹底的に先住民を悪者にし、自分たちを有利にする。
資産や財産を奪い、奴隷にする。
移民がアメリカ上陸以来の伝統的手法というわけです。


さらに引用

海老名 みや  文久2年(1862.11.6)9月15日~昭和27年(1952)3月4日
 明治~昭和期のキリスト教伝道師。キリスト教界の婦人活動者として著名。
 牧師海老名弾正の妻。

 熊本近郊の沼山津に生まれる。父・横井小楠、母・つせ。母の姉妹に竹崎順子、矢嶋楫子、徳富久子がいる。

 明治2年(1869)、父・横井小楠が暗殺されたことにより熊本に転居する。そこで、熊本洋学校教師ジェーンズ,L.L.の妻から英語を学ぶ。同8年(1875)に徳富(湯浅)初子とともに洋学校に編入学する。このとき、熊本洋学校生徒の海老名弾正は、女子が男子といっしょに学習することに抗議し、ジェーンズ,L.L.にたしなめられた。
翌年、兄の時雄や海老名弾正ら熊本洋学校生徒がキリスト教へ入信を宣言し、花岡山で宣誓した。いわゆる熊本バンドの起こりである。これがもとで熊本洋学校は閉校となった。そのために、兄の横井時雄が上京することになった。それにあわせてみやも一緒に東京に遊学した。

 しかし、翌10年(1877)京都の同志社に入学し、女学校に在籍して男子学生のクラスで授業を受けた。同年、新島襄から受洗した。

 明治15年(1882)、20歳のみやは兄の友人である牧師・海老名弾正と結婚し、群馬県安中、東京、熊本、京都、神戸と夫の赴任先に従いともにキリスト教伝道に励む。 この間、矢嶋楫子の日本基督教婦人矯風会の設立や竹崎順子の熊本女学校設立に協力した。また、同志社女学校の舎監をつとめた。

 明治30年(1897)、夫が東京の本郷(弓町本郷)教会の牧師に赴任すると、安井てつらとともに明治42年(1909)に『新女界』を発刊して、その編集を担当する。家庭・教育・結婚問題に関して執筆した。大正6年(1917)以降は、主筆の安井てつに代わって社説を書くなどして婦人の活動に従事した。

 夫の朝鮮伝道、北米日系人啓発運動に従い、また同7年(1918)には夫とともに欧米に渡って世界キリスト教徒大会(ピッツバーグ)で日本婦人代表として講演した。

 大正9年(1920)、同志社総長に就任した夫とともに京都に移り住む。昭和12年(1937)の夫の死後、キリスト教連合会婦人会会長、日本婦人会、基督教婦人矯風会、YWCAなどの会長を歴任した。
 
 90歳の長寿を全うし、地上の生活を終えた

以上引用
5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/ebinamiya.html


基督教婦人矯風会って、憲法違反の盗聴法を押し進めている児童ポルノ法の大元作ってるところですね。


さらに引用

小崎弘道

熊本藩士小崎次郎左衛門の子。1876(M9)熊本でジャーンズより受洗、その後同志社に学ぶ。
 85東京に霊南坂教会を設立。また、植村正久(1-1-1-8)・本多庸一(4-1-35-1)らと東京基督教青年会を組織しその会長となる。 90同志社総長となり、言論界にも「六合雑誌」を通じて目覚しい活躍をみせた。 特に86「政教新論」は封建制度と結びついた儒教思想に対する最初の近代的な批判として評価された。
 正統的信仰の立場にたち、〈新神学〉とは対決。日露戦争には、海老名弾正(12-1-7-18)らと主戦論を唱え、軍隊へ慰問団を派遣するなどした。

<コンサイス日本人名事典>

以上引用
6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kozaki_h.html


日露戦争始めたのも、こいつらじゃん。

バックは、アメリカ陸軍仕込みのプロテスタントだったのか、なるほどね。

日露戦争の金出したのは、ウォール街
日本は、日露戦争で何の利益を得ることも出来ず、ただ日本とロシアの多くの人々が犠牲になり、莫大な借金を背負わされ、その借金を1983年までかかって返したのです。


この戦争が、アジアや欧州で数百万・数千万の罪無き人々を殺害する戦争を引き起こすきっかけとなっていったのです。

そのやり方は、米国建国の時から続く、先住民を敵対させ争わせて殺害して奪うという方法だったのです。


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アメリカ先住民の民族浄化とハーバード大学 STAP細胞2016/05/22 21:36

ハーバード大学が、STAP細胞の特許を奪いにきてるみたいですね。

こんな記事が出ていました。


以下引用ビジネスジャーナル

STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も

 米ハーバード大学附属ブリガムアンドウィメンズホスピタルが、STAP細胞の作成方法に関する特許出願を、日本、米国、EPO(欧州特許庁)、カナダ、オーストラリアなど世界各地で行っており、更新料、維持料が支払われている。これについて5月9日、弁理士でITコンサルタントの栗原潔氏は、同大学が日本国内でも特許出願に関して実体審査請求をしていることを明らかにした。出願審査請求は4月22日に提出されている。

 これまで理化学研究所の公式発表では、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」「STAP細胞の実験結果はES細胞の混入したものによる」として、その存在は完全に否定された。

 しかしハーバード大は日本の「STAP細胞は存在しない」という大合唱を他所に、粛々と特許の申請を進めていた。小保方晴子氏の代理人である三木秀夫弁護士は語る。

「ハーバード大は世界各国での特許申請にかかる費用や維持に、推測で1000万円程度の費用がかかっているようです」

 ハーバード大が特許を申請する研究内容の範囲は広く、細胞にストレスを与えて多能性が生じる方法のメカニズムに対する特許請求である。


以上引用 以下全文は
biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html



311の後の癌利権・医療利権に関わる問題ですよね。

万能細胞は、医療を180度変える可能性がありますからね。

その利権を奪いに来ているのでしょう。

そのための理研叩きです。


STAP細胞を巡る笹井芳樹・小保方晴子バッシングについては
m-hyodo.com/circumstance-146/
が、詳しいです。


そういえば、このところ陰謀暴露系サイトで、広島・長崎に落とされた原爆が理研製で地上で爆破された。みたいな話が出回っていました。

そんな馬鹿な話があるわけないでしょうから、ハーバード大学による理研のSTAP細胞潰しと権利奪取と関連があるのでしょう。



日中戦争漁父の利計画のジョセフ・ナイ教授や、TPPを推進しているUSTRのフロンマン、日本を破壊し続けている竹中平蔵などを生み出しているハーバード大学とは何でしょうか?


ハーバード大学というのは、アメリカに最初に移民してきたピューリタン(聖書原理主義者)によるマサチューセッツ湾植民地が作ったアメリカで初めての神学大学です。

設立: 1636年9月8日,

ものすごい古いですね。

当時何が起きたのでしょうか?調べてみると。。

ハーバード大学が誕生した翌年、アメリカ先住民と植民者との最初の戦争(先住民民族浄化)が起きています。

以下wiki


1637年に起こった「ピクォート戦争」(※英国が同じアルゴンキン語族のモヘガン族とナガランセット族を使い、ピクォート族を虐殺した戦争)より始まった、いわゆる『インディアン戦争』

ピクォート戦争(ピクォートの戦い、Pequot War)とは1636年から1637年アメリカ東部ニューイングランド地方のコネチカット州で、原住民であるピクォート族(ペコー族)インディアンの領土を奪うためにイギリス白人入植者が行った民族浄化(インディアン戦争)である。

概要
1620年、プリマス入植地を築いたピューリタン(清教徒)は1630年にピクォート族の居住するマサチューセッツ湾に入植した。当初は白人入植者とピクォート族は友好関係を保っていたが、白人側は次第にピクォート族の領土に入植地を拡大していった。

インディアンにとって土地は誰のものでもなく、誰かが占有するものではなかった。また、白人の「土地を売買する」という営利行為は、インディアンにはどうしても理解できなかった。白人の勝手な振る舞いは、インディアンたちの怒りを買う一方だった。

1636年7月20日、交易業者のジョン・オルダムという白人が殺害された事で、ピクォート族との関係悪化が決定的となった。

白人側はピクォート族が殺害したと主張し、一方的に犯人の引渡しを要求した。ピクォート族側は殺害していないと主張し、白人側の要求を拒否した。白人側の要求の詳細は不明であるが、個人間の揉め事は個人間で直談判するのがインディアン社会の決まりであったため、白人がインディアンの酋長などに部族民の引き渡しを要求したとしても、個人の意志に反して従わせる権限を持った立場の人間は、インディアンの社会には存在しない。

後にオルダムはインディアンではなく、別の白人に殺害されたとも言われたが、白人側はピクォート族の対応に納得せず、その報復策を練った。

1637年7月、ジョン・メイソン大尉の指導により、ピクォート族と敵対するモヒガン族とナラガンセット族と同盟を結んだイギリス人入植者が、ピクォート族の集落を襲撃した。集落は一方的に破壊され、400人から700人のピクォート族が虐殺された。その多くが女性や子供など非戦闘員だった。生き残ったピクォート族は2つのグループに別れて逃げた。

ピクォート族はロングアイランドへ逃げたグループと、サッサカス酋長たちのグループに二分された。サッサカス酋長たちのグループは、ニューヘブン近くやコネチカット州のフェアフィールド近くで捕まり、白人侵略者たちに殺害されたり、ニューイングランド周辺やバミューダ諸島に奴隷として売り飛ばされた。サッサカス酋長(指導者ではない)自身も逃亡したものの、モホーク族に捕えられて殺害され、彼に導かれたピクォート族グループは事実上根絶やしにされた。その後、ピクォート族の土地はモヒガン族に全て占領された

以上wikipedia


白人がアメリカインディアンに殺されたからといって戦争を仕掛けられ、滅ぼされ、土地を奪われる。

これ、アメリカお得意の『リメンバーなんとか』の始まりですよね。


この後、様々なアメリカ先住民の部族が敵対させられ滅んでいったわけですが、この戦争は
白人が殺される→ハーバード大学の誕生→敵対していた部族を利用したピクォート戦争によるアメリカ先住民の虐殺と土地の奪取

という流れで起きています。


というわけで、そもそも論として、原住民の土地と財産を奪うためにハーバード大学を作った可能性もありそうです。


そして『日中戦争漁父の利計画』のジョセイフ・ナイの方法論は、ハーバード大学作った最初からの方法論なのではないかと思えます。

というわけで、ハーバード大学には、厳重な警戒が必要と思われます。

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業界4位のパナマ文書発表だそうですが、リーク団体の背景がナチスドイツ支援企業なのはなぜなのでしょう?2016/05/10 21:48

タックスヘイブン業界4位のパナマ文書公開だそうですが、普通は上位3社が本命ですよね。

どんな世界においてもトップ3というのは、圧倒的な力を持っている。

だからこそ、4位の一部を暴いてお茶を濁そうとしているのが、パナマ革命(CIA&米国務省のカラー革命)なのでしょうけれども。。

この文書を開示する前に、米国内に移させて、なおかつそこを開示出来ないような法律作って、米国内のタックスヘイブンに囲い込みな作戦ですよね。



まあ、業界4位でも、何かしら分かると思いますが、前にも出てたように、世界の有力な企業のほとんどは、租税回避地に法人を持っていると思います。

もちろん、そこの税金取りたいのはその通りですが、CIAや米国国務省は、このパナマ文書リークを通じて何かしらやろうとしているのでしょうから、注意深く見ていきたいと思います。


筆者が、今回一番気になっているのは、これを暴くといってるICIJの背景ですね。

ロックフェラー財団
フォード財団
オープンソサエティ財団(ジョージソロス)
カーネギー財団

怪し過ぎるっていうか、なんていうか


そもそも、フォード政権が、ラムズフェルド国防長官×チェイニー国家安全保障担当特別補佐官×ブッシュCIA長官の911トリオですからね。。
どうにも怪し過ぎる


で、フォードとかロックフェラーというと、ナチスドイツ支援企業ですよね。


ナチスドイツを支援したアメリカの3大企業が、ロックフェラーのスタンダード石油→IGファルベン

それに、GM=デュポン

この2つは、アメリカが原爆を作るマンハッタン計画の大元企業でもあったわけで

ナチスドイツを支援しつつ、「ユダヤ人がガス室で大量殺戮されているから、原爆作れ」と、ユダヤ人とレッテルを貼った科学者を焚き付けて原爆作らせたわけです。
そのために、アメリカは原爆をいち早く手に入れることが出来て、覇権国家になった。


詳しくは

広島原爆投下と抗がん剤開発 その1 なぜ原爆の被爆被害の調査は、『ABCC調査』だったのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/12/7052908

広島・長崎原爆ホロコーストとABCC調査と抗がん剤開発と原爆の量産について
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/08/09/7729718

原爆作ったスタンダード石油とデュポン=マスタードガスで抗がん剤作ったゼネラルモータース(GM)とナチスの関係 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/08/10/7730649


を参考に


で、ナチスドイツ3大支援企業の一つが、フォード

ヒトラーの「我が闘争』の元ネタになったと言われているのは、ヘンリー・フォードが書いた「国際的ユダヤ人」という本と言われています。


「国際的ユダヤ人」に書かれたフォードの言葉を引用すると。

「ユダヤ人の考えは、営業とはすなわち金であるというものだ。やつらが金儲けにとりかかっている間は、理想もなにもあったものではない。ただ儲ければよいのである。ゆえに、金儲けの邪魔になるような理想家のたわごとなどには耳を貸さない。ユダヤ人以外は自発的に労働者の待遇改善に努力するが、ユダヤ人は自発的改革によって、決してびた一文たりとも支払うようなことはない」

以上引用

というわけで、『ユダヤ人の陰謀論』を書いたわけです。これに触発されてヒトラーは、『我が闘争』を書いた。
でも、ユダヤ人という人種も民族も実際には存在しません。
 
ユダヤというのは宗教であり、キリスト教をキリスト人とかキリスト民族とは言いませんし、イスラム教をイスラム人とかイスラム民族とは言わないですし、仏教徒を仏人とか仏民族とか言わないわけです。


『ユダヤ人』は、なぜ殺されたのか??(原爆ホロコーストと『ユダヤ人』大量死の関係とは??)1/2
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/08/21/6953639

『ユダヤ人』は、なぜ殺されたのか??(原爆ホロコーストと『ユダヤ人』大量死の関係とは??)2/2
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954683
も参考に



フォードは労働者の待遇改善が消費を惹き起し産業全体に牽引力を与えると考え高い給料を払ったが、組合には断固反対し、反共主義者だった。「共産主義者の75%がユダヤ人である」という記事も「国際的ユダヤ人」に掲載された。



ようするに、ユダヤ人の陰謀=共産主義の陰謀という説を作って、ヒトラーを焚き付けたわけですね。
ドイツとソ連を戦争させるきっかけを作ったということも言えそうです。

フォードは、労働組合を嫌ったわけです。
つまり、労組潰しで反共なウォール街の人工芝運動が、フォードっていうわけ

考え方としては、大量消費してくれる資本主義国家を沢山作って、売りまくる→企業利益が上がるから給料上がりまっせ理論


実際、なんで給料上がったのか?というと、戦争が起きて、車が大量に生産され、大量に失われたからですが。。

戦争によって大儲けしたのです。
しかも、自国じゃない国を戦争させて大儲け。


で、第二次大戦後に、BMWとかフォルクスワーゲンなどドイツ企業の設計図とか技術者を大量に自分たちのものにして、我が余の春を謳歌したのが、フォードとGM(デュポン)でした。

アメリカ車全盛時代というのは、第二次世界大戦の勝利でドイツ車の仕組みを洗いざらい盗んだからこそ出来たのです。


結局、アメリカの自動車メーカーは、自社で開発する能力が不足していたので、結局のところ、落ちぶれていったという事。

戦争のために車作ってちゃダメですよね。

でも、アメリカの財閥は、遺産を財団に飛ばして、そこを拠点に金儲けをしていくので、いろいろ仕掛けていくわけです。

で、今回のパナマフィーバーは何かな?と


そういえば、ナチスドイツのSSのラインが、CIAに化けていったわけで、今回のパナマ文書リークは、ナチス支援企業がバックか。


で、ロシアが、対ナチス勝利記念式典をやってる5月9日に合わせてパナマ文書リークか。ふーん。

というわけで、何が狙いなのか、じっくり見ていきたいと思います。

東京大空襲(東京ホロコースト)の日に考えるアメリカの歴史2016/03/10 20:36

本日は、東京大空襲(東京ホロコースト)の日です。
歴史的な戦争犯罪であることが明らかなこの日に考えること。

アメリカ先住民は、水田稲作も行っていたようだ。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/08/8042908
のつづきです。


歴史上、アメリカという国は、突出して異常な国だといえます。
その歴史において93%戦争しているのです。
こんな国は、他には無いでしょう。

アメリカの歴史を見ていくと、これって『連続殺人鬼』にしか見えないよね。。ってことになっていきます。


なぜこんなに好戦的でおかしいのか?その根本を知るために、筆者は、アメリカの歴史を一から勉強し直しているところです。


アメリカは、『民主主義』で『自由』の国と唄っています。

しかし、アメリカ合衆国の建国を詳細に見ていくと、その『民主主義と自由の定義』への根本的な疑問が湧いてきます。


たとえばリンカーンは、「人民による人民のための政治」を掲げていましたが、彼が掲げた『人民の定義』の中には、アメリカに元から住んでいた先住民=モンゴロイドは入っていませんでした。

このため、彼の「人民による人民のための政治」のための南北戦争によって、アメリカに元から住んでいた人々は、住む土地を奪われ、その生活の糧を奪われ、その命をも奪われ、もはや抵抗すら出来ないまでに追い込まれています。

では、リンカーンが特殊だったのか?というと、そういうことでも無いのです。

アメリカ先住民が抵抗出来なくなるまで殲滅させられた1800年代後半までの間で、明確に自分たちの権利と同じものをアメリカ先住民に対して認めていたのは、筆者が勉強した限りでは、ごく一部のクエーカー教徒達だけです。


現在、北部はリベラルと言われていますが、その北部リベラルの大元になったのは、マサチューセッツ植民地です。

そのマサチューセッツ植民地が作った法律が以下のものです。

アメリカ史を読む年表辞典
新大陸発見ー18世紀  中村甚五郎 より引用

1697年10月
聖書の冒涜者と無神論者に対する厳格な法律がマサチューセッツ湾植民地で成立

聖書の神性を否定するものはだれでも最初6ヶ月間投獄され、次にさらし台に監禁され、むちで打たれ、焼け火ばしで舌に穴をあけられ、最後は首にロープをかけられて絞首刑になることを強制されることになった。

以上引用

まさにカルトとしか言いようがない法律で、なんだか『なんちゃってイスラム国』そっくりな法律ですが、これがリベラルな北部を作った原点にあります。

これ、キリスト教の擁護かと思いきや、そうではないようで、こんな法律も出来ています。


以下引用

1700年6月17日
マサチューセッツ湾植民地、カトリック神父追放令を制定
神父追放令は3ヶ月以内にマサチューセッツを離れることを要求し、いかなる神父も追放令に従わず残留をつづけたならば、公共の平和と安全に対する妨害者であり扇動者で、真実のキリスト教に対する敵と見なすと定めた。そして残留が確定したならばその神父は生涯にわたって投獄されるか死刑が執行されると規定した。

以上引用

マサチューセッツ湾植民地は、『カトリック神父は死刑』という法律も作っています。

キリスト教原理主義=聖書主義者以外は、死刑という法律作ったのです。

自分たちの信仰以外は認めない=追放するか死ね と言ってるわけです。無茶苦茶です。
これは、『なんちゃってイスラム国』みたいなものです。
その頃から続いているのです。


新しい土地(先住民が住んでたけど)で自分たちの宗教的理想を実現するために、邪魔なものは排除しようとしたのです。

自分たちの宗教的理想に必要なもの以外は排除出来る『自由』が、アメリカ入植者達の建国の大元になっていることがわかります。

これは、完全な『非寛容』ですし、カルトそのもので危険です。


また、アメリカ合衆国独立のきっかけになったのは、以下のことだったようです。


以下引用

アメリカ大統領の歴史大百科より

 ジョージワシントンの曾祖父のジョン・ワシントンは、「タウンテイカー=町取り男」と呼ばれた。法的昨術を利用して、インディアンの土地を奪ったのである。

中略

1763年、対仏戦争が終わると、英国国王の布告によって、オハイオ準州が広大なインディアンの土地とされた。そこより西への拡大が禁止されたのである。自身、この地域に権利を持ち、アメリカの西進政策を必須と考えていたワシントンにとって、この布告は、北米の将来に対する不当な介入の象徴となった。

英国軍の上司たちに立腹したワシントンは、次いでロンドンの商人にいいようにあしらわれ、国王が最後には内陸部の土地をヴァージニアの上流層にではなく、英国人に与えるのではないかという猜疑心にかられた。

以上引用

要は、条約によってアメリカ先住民の土地とされた場所を植民者達が自由に征服するために、アメリカの独立戦争は行われたのである。

これは、植民地を作っていたイギリスと、主に毛皮交易を先住民としていたフランスとの争いになったフレンチインディアン戦争において、イギリス側について闘ったアメリカ先住民に対する領土の保証として行われた布告だったわけですが、入植者達は、自分たちが領土を広げることが出来なくなる布告であるために、それに反対したのです。

つまり、アメリカの独立というのは、イギリスとアメリカ先住民の間で交わされた領土の保証を取り去って侵略するために行われたのです。

アメリカ独立の自由というのは、そもそもこういう事なんですね。

アメリカ先住民達は、自分たちの権利を守るために戦争に狩り出され、結果として、負けた方は滅ぼされるか奴隷にされ、勝った側は、勝ち取ったはずの権利は無効にされ、結局滅ぼされています。

これがアメリカの歴史です。


こういう歴史を見ると、戦争しないで別の闘い方(合法的な)をしないと権利は守れないということが分かってきますね。
実際、日本は戦争したために植民地になったわけですし。


たとえば、東京大空襲や広島・長崎の原発投下は、国際法上の人道主義に違反する重大犯罪であることは明らかなので、提訴して徹底的に闘うべきなのです。(それらを指揮したカーチス・ルメイを、よりにもよって国家勲章を捧げたのが、この国の姿ですが。。)


アメリカの人道的犯罪を世界やアメリカ国民自身に認めさせないから、彼らは調子に乗って他国を爆撃し続けているのです。

また、大量破壊兵器があると嘘付いて他国を爆撃して沢山の無実の市民を殺害したブッシュやラムズフェルドやチェイニー達は、殺人罪で当然起訴され処罰されるべきなのです。当たり前でしょう。

その他にも違法な殺人は、山ほどあります。

裁判だけでなく、他にもやれることは沢山あるでしょう。



こんな法律も出来てます。

以下引用

1705年
マサチューセッツ湾植民地、白人と黒人の異人種間の結婚を違法と宣言
いかなる牧師もそのような結婚をとり行えば50ポンドの罰金を課せられた。この禁止は1843年まで効力を持っていた。異人種間の結婚禁止法は1843年に廃止された。

以上引用
アメリカ史を読む年表辞典
新大陸発見ー18世紀  中村甚五郎 より


以下引用

奴隷性の成立と異人種婚禁止

 アメリカにおける異人種婚禁止の歴史は、南部のヴァージニアで1691年に始まる。ヴァージニア植民地は、「ニグロやムラトーやインディアンがイギリス人やその他の白人女性との間で違法な同衾を行なうことによって、この領地内で今後増加するかもしれない忌まわしい混交と邪悪な出生を防ぐ」ことを目的として、「自由か奴隷かを問わずニグロ・ムラトー・インディアンと結婚するイギリス人やその他の白人はすべて、婚姻の三ヶ月以内に罰せられ、この領地から永遠に退去させられる」と定めた。異人種婚を禁止する掟は、ヴァージニアでは以後約300年維持された。
 
1691年の法はまた、混血児を出産した白人女性は、15ポンドの罰金を支払うか五年間の年季奉公を務めねばならないと定めた。さらに、自由身分の女性が生んだ混血児は、教会委員にひきとられ、30歳になるまで奉公に出された。混血児を生む白人女性を罰し、生まれる混血児を当時の平均寿命を考えると終身と言ってよいほどの長い期間、強制的に不自由労働に従事させることが定められたのである。1692年には、メリーランド植民地も同種の禁止法を定めた。

以上引用
kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/アメリカの人種差別2

この法律は、多くの州で、ごく最近まで実際に存在していたものです。

自分たちがそもそも住んでいた土地では無い場所へ行って入植したにも関わらず、異人種間の結婚を認めなかったので、先住民や奴隷と混血することがなく、したがって先住民との妥協点も見いだすことが出来ず、白人至上主義が続き、結局のところ、アメリカ先住民を滅ぼすというところまで行ったのです。

アメリカ先住民の抵抗が無くなると、今度はその矛先を世界征服に向けたというのが、アメリカの歴史です。

その延長線上に東京大空襲(東京ホロコースト)は、あるのだと思います。


関連

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アメリカ先住民達は、どのようにして土地を奪われたのか?アメリカで起きたのは、第一次アヘン戦争?
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アヘンタバコによる土地収奪方法を編み出したのが、ジョージワシントンの先祖(曾祖父)だったので、アメリカ合衆国の初代大統領は、ジョージワシントンなのではないか?
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アメリカ先住民は、水田稲作も行っていたようだ。
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アメリカ先住民は、水田稲作も行っていたようだ。2016/03/08 20:53

アメリカ独立戦争当時の陸軍長官が、我々の植民は、先住民の絶滅作戦だったと書いている
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/01/8035574

のつづきです。

アメリカの歴史を勉強していたら、1685年にカロライナで稲作のプランテーションを始めていることが分かったのです。

時期、早過ぎませんか?
カロライナに植民地を作ったのっていつよ?


アメリカ史を読む年表辞典
新大陸発見ー18世紀  中村甚五郎 より

引用

1660年5月29日チャールズ2世即位 王政復古

オランダを主敵とした共和国時代の重商主義を踏襲し


チャールズ2世の王政復古に功績があった8人の貴族に対してその尽力の代償として北緯31度から36度のカロライナを領地植民地として下付

8人の貴族
西インド諸島バルバドスの農園主 ジョン・コレトン
前ヴァージニア総督ウィリアム・バークレー
バークレーの兄弟 海軍高級将校ジョン・バークレー
大蔵大臣アンソニー・アシュリー・クーパー
クリストファー・モンク将軍
後の首席大臣クラレンドン伯爵 
クラベン伯爵
ジョージ・カートレット卿

1663年
航海条例
ヨーロッパから植民地へ輸出される全ての商品は、イギリス船か植民地の船で運ばなければならないと規定

以上引用


というわけで、1660年代初期に植民地作るわけでしょ。

で、1685年に、水田による稲作のプランテーション開始って早過ぎるよ、おい。

正史では、カロライナは、まっさらな更地だったはずですよね。

そして、そもそも入植者は、稲作知らないだろ。
そんなに直ぐ水田稲作出来るはずがないではないか。


ということは、先住民が水田で稲作してたのを、入植者達が、アヘンタバコでヤク中にして奪ったのでしょうね。

で、奴隷に栽培させたのでしょう。

なので、アメリカ先住民が水田稲作をやっていた歴史が隠蔽され、こういう歴史が作られる。

正史とされるもの参考urlはこちら
memoryasanimage.blogspot.jp/2015/06/blog-post_13.html

マダガスカルに寄った船に、たまたま稲の種があった。
たまたま、奴隷が作り方知っていた。
だそうです。

だからって、奴隷の言うこと聞いていきなり大規模に作るんかい。



水田稲作とかタバコ栽培も、他の食物の畑も、植民者が先住民から奪ったものだったんだろうね。

私達がアメリカ先住民に対して、草原で馬に乗って闘ってるイメージなのは、入植者たちが、農耕や稲作をやっていた先住民の土地や財産や畑や水田を全て奪ってしまったために、先住民の暮らしが見えなくなってしまったためでしょう。


北アメリカには、マコモと言われているイネ科の植物が自生しており、それを中心に食べていた人達も存在しています。

最も稲作に適した大陸東南の土地カロライナで、先住民が稲作を行っていなかったとは考え辛いのです。


そして、稲作を行っていたとなると、そこに居住していた人数は、私達が考えるよりはるかに多かったのではないかと思われます。


実際に、カロライナでは、輸出用の稲作のプランテーションが成功を収め、収入源になっていきます。


先住民達の稲作も、かなりの規模だったのでしょう。


関連

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http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/01/8035574

アメリカ先住民は、水田稲作も行っていたようだ。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/03/08/8042908