滋賀県知事選詳細分析2014/07/14 21:49

滋賀県知事選ですが

NHK
任期満了に伴う滋賀県知事選挙は13日に投票が行われ、無所属の新人で元民主党衆議院議員の三日月大造氏が初めての当選を果たしました。

滋賀県知事選挙の開票結果です。
▽三日月大造(無所属・新)、当選、25万3728票。
▽小鑓隆史(無所属・新)、24万652票。
▽坪田五久男(無所属・新)、5万3280票。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140714/t10015982091000.html



だそうで、民主党の三日月 大造が勝利したわけですが、こんな人です。


三日月 大造(みかづき たいぞう、1971年5月24日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(4期)。
国土交通副大臣(菅内閣)、国土交通大臣政務官(鳩山由紀夫内閣)を歴任。

京都府出身。滋賀県立膳所高等学校、一橋大学経済学部卒業。一橋大在学中は財政学の石弘光教授のゼミナールに参加した。1994年、JR西日本に入社する。岩国駅営業係、広島運転所運転士、本社総合企画本部グループ経営推進室勤務を経て、1999年から西日本旅客鉄道労働組合中央本部青年女性委員長及び日本鉄道労働組合連合会青年・女性委員会議長を務めた。2002年にJR西日本を退社し、松下政経塾に入塾する(第23期生)。

2003年11月、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で滋賀3区から出馬し、自由民主党公認の宇野治を破り初当選(宇野も比例復活)。2005年9月の第44回衆議院選挙では小泉旋風に乗る自民党の宇野の猛追を受け、266票の僅差で議席を死守するも、宇野に再度比例復活を許した。2009年8月の第45回衆議院選挙では、自民党の宇野に比例復活を許さず、3選。同年9月、鳩山由紀夫内閣で国土交通大臣政務官に任命される。2010年6月、菅内閣で国土交通副大臣に昇格した。同年9月、菅第1次改造内閣発足により退任。
2011年9月、民主党税制調査会長・藤井裕久の下、副会長に就任した。2012年12月の第46回衆議院選挙では、滋賀3区で自民党新人の武村展英に敗れるが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、4選。以後、後述の辞任まで、民主党滋賀県連に属する唯一の現職の衆議院議員だった。
2014年3月、同年7月の任期満了に伴う滋賀県知事選挙に、民主党を離党して無所属で出馬する意向を示していることが報じられた[1]。民主党や県連の幹部は踏みとどまるよう説得し、少なくとも現職の嘉田由紀子の去就を見定めるべきだと説いたが、三日月は説得を振り切り、首長らに「離党してでも出馬したい。その節はよろしくお願いする」述べ、出馬に向けての活動を敢行した[2]。三日月の動きを受けた嘉田は同年4月26日、三日月と同席した集会において候補者の一本化及び同年5月7日に新政治集団「チームしが」を発足させることを発表した。同月28日、嘉田は「対話でつなごう滋賀の会」幹部らに、「嘉田県政を若い人に引き継ぎたい」と述べ、知事選不出馬の意向を示した。この結果、事実上嘉田の後継候補として三日月が出馬する方向となった[3]。同年5月8日に衆議院議員の辞職願を提出し、同月9日に受理された[4]。これにともない、先の衆議院選挙で落選していた滋賀1区の川端達夫が繰り上げ当選した。また、県連の代表には三日月に代わって滋賀県選挙区選出の参議院議員・林久美子が就任した。7月13日に初当選[5]。


所属していた団体・議員連盟
日韓議員連盟
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
競馬産業研究会
航空宇宙産業推進議員連盟
自転車活用推進議連
ツーリズム推進議員連盟
発達障害支援を考える議員連盟
医療事故防止議員連盟
医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟
ドクターヘリ推進議員連盟
民主党難病対策推進議員連盟
身体障害者補助犬を推進する議員の会
臓器移植法改正推進議員連盟
チャイルドライン支援議員連盟
少子化社会対策議員連盟
子どもの未来を考える議員連盟
民主党障がい者政策推進議員連盟
海洋立国日本推進議員連盟
日本伝統文化活性化議員連盟
和装振興議員連盟
米消費拡大・純米酒推進議員連盟
食の安全研究議員連盟
新交通システム推進議員連盟(事務局長代行)
リニア中央新幹線推進議員連盟
整備新幹線を推進する議員の会

wikipedia


毎度おなじみのCSIS松下整形塾

分割民営化されたJR出身

Makoto Shibata @bonaponta · 22 時間
たぶんこれは大飯再稼働の時に同時に起きた滋賀県大津いじめ自殺事件の種明かしなのだ。 RT @JPECONOMY: 東レから多額の寄付金を受けた川端達夫元総務大臣と、嘉田知事、越直大津市長 bit.ly/1hAyi5u

Makoto Shibata @bonaponta · 19 時間
東レから滋賀県と大津市は多額の寄付を貰ってる。元ミンスの三日月は原子力政策・立地政策プロジェクトチーム(PT)役員で、がれき推進議連で 消費税増税賛成。

ak
なるほどね。


川端 達夫(かわばた たつお、1945年(昭和20年)1月24日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(9期)。
民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、総務大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)などを歴任。


滋賀県蒲生郡(現近江八幡市)生まれ。生家は薬局を営んでいた。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、東レに入社した。開発研究に携わる傍ら、労働組合運動にも取り組んだ。


初当選から民主党結党まで
1986年、第38回衆議院議員総選挙に民社党公認で滋賀県全県区から出馬し、初当選した。1994年の民社党解党では、民社党委員長経験者である塚本三郎や大内啓伍が離反したが、新進党結党に参加。
1995年、日本社会党を離党した元社会党委員長の山花貞夫や元社会党書記長の赤松広隆、日本新党を離党し当時無所属の海江田万里らによる、社会党や新党さきがけに代わるリベラル新党結成の動きに同調して新進党を離党するが、阪神大震災後の同年10月に新進党に復党。
1997年末の新進党解党に伴い、新党友愛に参加した。1998年、旧民主党・民政党・新党友愛が合流した民主党結党に参加。
野党時代[編集]
民主党では国会対策委員長や組織委員長を務める。菅直人民主党代表に不倫スキャンダルが発覚した際、党総合調整局長だった川端は仙谷由人筆頭副幹事長や熊谷弘(のちに離党)らに同調し、菅おろしに動いた。
2004年5月、岡田克也が民主党代表に就任し、岡田新執行部では国会対策委員長に就任した。国会対策委員長時代、「質問主意書の増加によって官僚の残業が増えている」と指摘し、自由民主党が質問主意書の提出制限を主張したことに対し、質問主意書の提出制限は日本国憲法で保障された国政調査権への冒涜であり、「国民の負託を受けて我々が要求することに(官僚が)徹夜してでもしっかりと対応するのは当然だ」などと反発した。2004年9月、藤井裕久幹事長の代表代行就任に伴い、川端が民主党幹事長に昇格。
2005年、第44回衆議院議員総選挙では自民党の上野賢一郎に滋賀1区で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し7選した(川端が選挙区で落選したのはこの総選挙が初めて)。選挙敗北の責任を取り岡田代表が辞任を表明し、執行部も総辞職した。「ポスト岡田」を選出する民主党代表選挙では、前原誠司に投票。
前原執行部では、党常任幹事会議長に就任した。2006年2月、堀江メール問題をめぐり野田佳彦国会対策委員長が引責辞任したため、国対委員長への就任を要請されるが、固辞した。国対委員長にはベテランの渡部恒三が就任し、渡部の下で国対委員長代理を兼任する。また、前年の総選挙で旧民社党系のベテランである米沢隆元委員長や中野寛成元書記長らが落選したため、旧民社党系の政治団体である民社協会の理事長に就任。
前原代表の辞任に伴う民主党代表選挙では、川端グループ(民社協会の通称)を挙げて小沢一郎支持を表明した。小沢新代表の下、党常任幹事会議長に再任。
2009年民主党代表選挙では岡田克也への支持を表明し、推薦人に名を連ねる。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、前回敗れた自民党の上野賢一郎を破り、8選。


鳩山・菅政権
2009年9月、鳩山由紀夫内閣で文部科学大臣に任命され、初入閣した。あわせて、国立国会図書館連絡調整委員会委員にも任命された[2]。翌17日の初登庁後の記者会見で、運転が長期停止中の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、引き続き研究開発を進める考えを示した。高校無償化法案については、文部科学省内や自治体からの要望を受け入れ、当初の家庭への給付案を取りやめ、学校側への給付にすることを了承した。
鳩山内閣において進めていた平成21年度補正予算の見直し作業においては、国対委員長時代の「官僚は徹夜して当然」という主張を曲げることなく、文部科学省の官僚に連休を返上させて作業に当たらせた[3]。
2009年12月25日、高校の新学習指導要領解説書で竹島を領土問題として例示しなかったことについて、閣議後の記者会見で、「竹島はわが国固有の領土であり、正しく認識させることに何ら変更があるわけではない」と強調し、「より簡素化するという意味で、『中学を踏まえて』という表現に集約した」と説明した[4]。
2010年1月7日、菅直人が財務大臣就任(辞任した藤井裕久の後任)に伴い内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)を離任したため、川端が文部科学大臣と兼務する形で後任となった[5]。
鳩山内閣の退陣に伴い、2010年6月に発足した菅内閣では、文部科学大臣と内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)の2つのポストで再任された。同年9月、菅第1次改造内閣発足により退任した。文部科学大臣としての後任は同じ旧民社党系の高木義明、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)としての後任は海江田万里が就いた。その後、衆議院議院運営委員長に就任。


野田政権

2012年6月6日、女王陛下御在位六十年祝賀パーティーにて日本駐箚英国特命全権大使デイヴィッド・ウォレン(英語版)(右)と
2011年9月に発足した野田内閣では、総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)に任命され、3つのポストを兼務することとなった[6]。さらに、国務大臣としての所管事項として「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[6]を担当することとなった。
同年11月16日、国賓として訪日中のブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク夫妻を歓迎するために行われた宮中晩餐会を欠席した。翌17日の参院総務委員会の自民党の片山さつきの質問に対して「極めて失礼なことをしたと深く反省している。二度とこういうことがないよう自覚を持って臨む」と陳謝した[7]。
2012年1月13日、内閣総理大臣の野田佳彦が内閣改造を行い、野田第1次改造内閣が発足した。川端は国務大臣として留任し、総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)を引き続き務めた。また、「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も引き続き兼務。
同年6月4日、野田が内閣改造を再度行い、野田第2次改造内閣が発足した。川端は国務大臣として再び留任し、総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)を引き続き務めることになった。また、「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も引き続き兼務。同年10月1日、野田第3次改造内閣の発足に伴い退任。


民主党の下野・落選と繰り上げ当選
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で、民主党はベテラン議員からも数多くの落選者を出す大敗で政権を失ったが、川端も自民党の新人大岡敏孝に敗れ、比例復活もならず落選した。民主党は滋賀県の小選挙区での4議席をすべて失い、比例復活で再選した三日月大造が民主党滋賀県連に属する唯一の現職衆議院議員となった。
2014年5月9日、三日月が滋賀県知事選挙出馬のため辞職した。これに伴い、川端を比例近畿ブロックで繰り上げ当選とすることが中央選挙管理会による選挙会において5月14日に決定し[8]、翌15日に当選の旨が告示された[1]。
政策[編集]
集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに反対[9]。
原子力規制委員会の新基準を満たした原発は再開すべきとしている[9]。
女性宮家の創設に賛成[9]。
日本のTPP参加に賛成[9]。
選択的夫婦別姓制度に賛成[10]。

民主党新時代娯楽産業健全育成プロジェクトチームにおいて顧問
wikipedia



はい、60年安保の時(安倍晋三の祖父である岸信介内閣)にCIAに援助されて作られた民社党=キッシンジャー×ピノチェトの911クーデターを絶賛=民社協会の理事で、パチンコ

もう一つの911 チリクーデターとチリ地震の深い関係
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2011/03/31/5768826


で、高速増殖炉『もんじゅ』動かした文部科学大臣

高速増殖炉『もんじゅ』稼働の1994年→松本サリン事件、117阪神淡路大震災、320地下鉄サリン事件


2010年→福島第一原発全電源停止→311地震→福島第一原発爆発


ですね。

スゲー国だな。。


経団連の榊原東レ会長とここで繋がるのか。


で、今回の滋賀県知事選

「因みに、メモに出て来る『松田さん』というのは、嘉田知事の教え子で今回嘉田を裏切って小鑓陣営についた選挙プランナーの松田馨氏。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/803d99a12bf94255201e40c054e237be


ああ、そうか。
今回は、松下政経塾ではなく、自民公明の側に付いたんだ。


で、接戦になったんだ、へえ




以下過去記事
ネット選挙を取り締まる『一般社団法人日本選挙キャンペーン協会』は、情報操作のプロだった。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/03/6886593



一般社団法人日本選挙キャンペーン協会というのが、専用サイトを公開し、デマや中傷などに関する通報の受け付けをするのだそうです。

で、調べてみました。

一般社団法人日本選挙キャンペーン協会
選挙プランナーの三浦博史,松田馨,明治学院大学の川上和久の3名が中心ですか。なるほど


三浦博史

検索したら、こんな記事が。。

さて今回の千葉知事選、
はなゆーさんもご指摘の通り、森田陣営の選挙参謀として、
石原慎太郎・東京都知事3選、丸川珠代・参議院議員当選に貢献した選挙プランナーの三浦博史が就いている。
http://yaplog.jp/ichijihinan/archive/191

311千葉県知事選のパチンコ森田健作の選挙プランナーかよ

三浦博史については、前にやりました。

こりゃ、凄い。
1988年 米国国務省個人招聘プログラムにより、米国の政治・選挙事情視察。

講演「プロパガンダ・PR・米国大統領選挙の手法は日本でどこまで通用するか」

著書「洗脳選挙」

だそうで、こんな人物が、選挙のデマを取り締まるそうですよ。


ネット選挙のデマを取り締まる『日本選挙キャンペーン協会』の三浦博史は、安倍晋太郎の元秘書だった!!

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/21/6786288


川上和久

*読売新聞の世論調査を監修している

*情報操作のプロ

*「最強の野党」として自民党再生を目指せ 川上和久

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-900.html


松田 馨(まつだ かおる、1980年 - )は、日本の選挙プランナー、PRプランナー。広島県出身。株式会社ダイアログ代表取締役。日本最年少選挙プランナー(2009年4月時点)を自称している。

経歴

明治学院東村山高等学校卒業後[1]、2000年4月に京都精華大学人文学部環境社会学科に入学(同学科一期生)。研究テーマは「環境問題とメディア」。メディアの議題設定機能や影響評価を中心に研究。その関連でパブリック・リレーションズという概念に出会い、以後独学でPRについて学ぶ。
2001年11月、環境社会学科の教授であった嘉田由紀子に誘われ、滋賀県で行われた「第9回世界湖沼会議」学生セッションに実行委員として参加。副代表を務める。
2004年3月、デザイン会社勤務と学業を両立させ、京都精華大学を卒業。同月デザイン会社を退社。
2004年4月より京都精華大学入試広報課の嘱託職員。人文学部AO入試の広報、企画、営業に従事する。2006年3月、独立のため退職。
2006年4月より個人事業として「ダイアログ(dialogue)」を設立。滋賀県知事選挙において、嘉田由紀子の選対で広報全般を担当。嘉田は3選を目指した現職(自民・民主・公明推薦)を破り当選。
2008年6月16日に選挙コンサルティングの専門会社として株式会社ダイアログを設立。代表取締役に就任。
2009年には週刊誌FLASH誌上において衆議院総選挙の当落予想を実施するなど、「日本最年少プランナー」「無党派票を読むプロ」としてマスコミにも多数取り上げられる。
2010年11月20日にネット選挙解禁にさきがけ「ライバルに差をつけるためのネット選挙セミナー」を開催。
2011年1月21日に一般社団法人日本選挙キャンペーン協会の理事・事務局長に就任[2]。

主な実績

2006年 滋賀県知事選挙における嘉田由紀子(現:滋賀県知事)の選挙プランニング
2007年 滋賀県議会議員選挙における「対話でつなごう滋賀の会」の広報を担当
2007年 大阪市長選挙における橋爪紳也(落選)の選挙プランニング
2008年 滋賀県草津市長選挙における橋川渉(現:草津市長)の選挙PR
2009年 兵庫県香美町長選挙における長瀬幸夫(元:香美町長)の選挙プランニング
2010年 滋賀県知事選挙における嘉田由紀子(現:滋賀県知事)の選挙プランニング
2012年 滋賀県大津市長選挙における越直美(現:大津市長)の選挙プランニング

wikipedia


なるほど~
原発反対+TPP反対の票を葬り去って無いことにした、日本未来の党の嘉田由紀子(現:滋賀県知事)の選挙プランニングですか、そうでですか。

橋下と一緒に、原発反対と言いながら、全く必要のない大飯原発を再稼働した嘉田由紀子の選挙プランニングですか。

なるほどね。

情報操作のセオリー通りですね。



以上引用


はい、で、やや日刊カルト新聞さんの記事置いておきます。

以下引用


滋賀県・嘉田知事が幸福の科学学園を認可=住民「知事と私学審に説明求める」

【2013年2月12日 嘉田由紀子・滋賀県知事コメント】
本日、幸福の科学学園関西中学校および高等学校について、設置を認可しました。
これらの学校の設置については、さまざまなご意見があったところですが、私立学校審議会において、厳正かつ慎重に審議いただいた結果を尊重し、国の設置基準および県の審査基準に定める要件を満たしていることから、認可の判断をしたところです。
幸福の科学学園においては、今後、教育活動その他の学校運営の状況に関する情報を積極的に地域に提供していただき、連携を推進していただきたいと考えています。

http://dailycult.blogspot.jp/2013/02/blog-post_7228.html


幸福の科学学園関西中学校および高等学校について、設置を認可してますね。




降伏の化学は、公安で内閣情報調査室でNSCだった わけですね。

NSCの中の警察側、NSCの実質NO2に当たるのが、内閣官房副長官の杉田和博だろう。杉田は、元内閣府内閣情報調査室所管の「世界政経調査会」、これの前会長だったんだが。世界政経調査会の住所は、東京都港区赤坂2-10-8。この住所には、幸福の科学がある
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/04/17/7285502

以上、カルトジャパンでした。



絶対に不正選挙出来ない選挙の投票と開票方法とは?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/23/6913930


いろいろなことが起きているが、日本が民主主義国家になれるかどうか?は、不正選挙訴訟にかかっていると思います
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/27/7078946


国民の権利である選挙権を奪って闇に葬り去った犯人が、国家安全保障局NSCの初代局長になる国 日本
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/28/7081605



12.16不正選挙衆院選で選挙管理委員会委員長を務めた、伊藤忠治元衆議院議員が食道癌で亡くなっていた!!
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/24/7022326


不正選挙関連まとめ その1 参院選までにわかっていたこと
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929630

不正選挙関連まとめ その2 2013.7.21参院選後にわかってきたこと
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929671

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