鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が、11月7日、川内原発再稼働同意だそうですが、これも総務省の選挙システムそのもの2014/11/08 20:01

鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が、11月7日、川内原発再稼働同意だそうです。


以下引用


川内原発再稼働同意:「命の問題発生せず」鹿児島知事
毎日新聞 2014年11月08日 00時21分(最終更新 11月08日 00時46分)


 原発の立地県として初めて、鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が7日、九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働に同意した。原発事故への不安が根強い中、伊藤知事は国の新たな規制基準とそれに基づく九電の対策を高く評価し、「もう命の問題なんか発生しない」と明言。しかし、再稼働に反対する県民は「安全神話の復活だ」と猛反発している。両者の主張は相いれないまま、知事判断で再稼働の地元手続きは完了した。


 「やむを得ない」。伊藤知事は7日、県議会が再稼働陳情を採択した後に記者会見を開き、自らも同意したことについてこの言葉を連発した。

 伊藤知事はこれまで、再稼働の必要性を訴えつつ「脱原発に向かって模索する」とも主張してきた。今回、再稼働に同意したことに、伊藤知事は「国民生活のレベルを守り、わが国の産業活動を維持する上で(原発は)重要な要素だ」と理解を求め、「わが国の当面の判断として原発を活用する以外に道がない。安全性がある程度約束されるのであれば、それがベターだ」として「やむを得ない」の理由を説明した。

 一方、原発事故への不安については「福島であれだけの不幸な事故が起きた。安全神話が全部崩れたのは確かだ」との認識を示しながらも、原発事故後に設けられた国の新規制基準を高く評価。原子力規制委員会の指針や九電の評価を引用し、事故が起きても原発から5.5キロの放射線量は毎時5マイクロシーベルトだとした上で「避難の必要がない。普通に生活してもいい」と述べ、「もし福島みたいなことが起きても、もう命の問題なんか発生しない」と明言した。

 福島の事故は収束せず、避難計画の実効性や火山対策にも疑問の声が上がる中での再稼働同意に、納得のいかない住民は多い。この日、県庁には全国各地から再稼働反対を訴える400人以上が集まり、県議会の傍聴席を埋めた。午前10時の開会前から「再稼働にどんなメリットがあるのか」などのヤジが飛んだ。しかし、県議会(定数51、欠員2)は自民県議団が33人を占め、再稼働を進める政府・自民党本部の方針に従えば、再稼働陳情が採択されるのは必然だった。反対討論を行った柳誠子(せいこ)県議(県民連合)も「歴史に禍根を残す一日」と無念さをにじませた。

以上引用
mainichi.jp/select/news/20141108k0000m040112000c.html


では、wikiってみましょう

伊藤 祐一郎(いとう ゆういちろう、1947年11月17日 - )は、日本の官僚、政治家。鹿児島県知事。総務省大臣官房総括審議官を歴任。

人物概要
銀行員である父親の仕事の関係により阿久根市・鹿児島市などで育つ。
ラ・サール高等学校を経て、東京大学法学部卒業。
最後の総理府地方分権推進委員会事務局次長であり、省庁再編後には初代の総務省大臣官房審議官をつとめた。後に民主党代表を務めた小沢一郎が自治大臣の際には大臣秘書官も務めている。
2004年に行われた保守分裂の激しい県知事選挙に出馬、元県議会議長、元兵庫県副知事らを破って初当選。2008年再選し、2012年3選を果たす。
2013年5月に利用が低迷する鹿児島空港の上海便の航空路線維持のため、県職員らの上海派遣研修事業を発表したが、批判が起こった。知事リコール運動が起こるも、2ヶ月で約27万5千人を集める署名で約15万人に留まり、リコールは断念となった。

略歴
1971年6月 東京大学法学部卒業
1972年4月 自治省(現・総務省)入省
1972年5月~1993年3月 福岡県、石川県、埼玉県、外務省等で勤務
1993年4月 自治省行政局公務員部給与課長
1995年5月 自治省行政局振興課長
1996年9月 自治省財政局地方債課長
1997年7月 自治省行政局行政課長
1999年8月 自治省大臣官房審議官
2000年5月 総理府地方分権推進委員会事務局次長
2001年1月 総務省大臣官房審議官
2001年7月 内閣府地方分権改革推進会議事務局長
2003年1月 自治大学校長
2004年1月 総務省大臣官房総括審議官
2004年2月 総務省退官
2004年7月11日 鹿児島県知事選挙に当選
2004年7月28日 鹿児島県知事就任
2008年7月13日 鹿児島県知事選挙に再選
2012年7月8日 鹿児島県知事選に3選

家系
鹿児島県出水市の旧家の出身であり、伝統的建造物保存地区に生家の武家屋敷が残っている。先祖は、島津家中興の祖といわれた島津忠良(日新斎)に仕え、南さつま市の竹田神社の日新公の墓の隣に祭られている井尻神力坊。
事業仕分けでの発言[編集]
民主党政権が導入した事業仕分けでは宝くじ事業の仕分け自体に対し、公開仕分けの場で「全国知事会で鳩山首相から(普天間の)基地問題でお願いがあるという状況の中で、一方的に仕分け対象にするのはおかしい」と発言、事業仕分けの仕組み自体も「人民裁判」と批判した。また、民主党議員の「役員の給料はなぜこんなに高いのか(平均2000万円以上)?」という質問に対し、「答えは簡単です。人数が少ないからです。」と発言、議員や傍聴席からはどよめきの声が聞かれ、政治評論家や視聴者からも多くの批判を浴びた[1]。
原子力事故に関する発言
九州電力川内原発の再稼動に対する判断を示した際に原子力規制委員会 (日本)の指針や九電の評価を引用し、原子力事故が起きても原発から5.5キロの放射線量は毎時5マイクロシーベルトだとした上で「避難の必要がない。普通に生活してもいい」と述べ、「もし福島みたいなこと[2]が起きても、もう命の問題なんか発生しない」と発言した[3]。

脚注
[ヘルプ]
^ 2010年5月26日読売新聞より
^ 東京電力福島第一原子力発電所事故
^ 2014年11月8日毎日新聞 mainichi.jp/select/news/20141108k0000m040112000c.html

wikipedia



11月17日生まれで、7月11日に鹿児島県知事に当選って。。
で、11月7日に、原発再稼働同意。

もう、この国、ギャグでしかない。


なんで、こんな酷いやつが県知事になれるのか?

もうお分かりですね。


略歴
1971年6月 東京大学法学部卒業
1972年4月 自治省(現・総務省)入省
1972年5月~1993年3月 福岡県、石川県、埼玉県、外務省等で勤務
1993年4月 自治省行政局公務員部給与課長
1995年5月 自治省行政局振興課長
1996年9月 自治省財政局地方債課長
1997年7月 自治省行政局行政課長
1999年8月 自治省大臣官房審議官
2000年5月 総理府地方分権推進委員会事務局次長
2001年1月 総務省大臣官房審議官
2001年7月 内閣府地方分権改革推進会議事務局長
2003年1月 自治大学校長
2004年1月 総務省大臣官房総括審議官
2004年2月 総務省退官
2004年7月11日 鹿児島県知事選挙に当選


ようするに、選挙とマスゴミそのものを牛耳っている
総務省利権そのものだからです。

1)選挙→総務省自治行政局→(株)ムサシ
2)宝くじ→総務省自治財政局→ハーデス・グループ
3)NHK→総務省情報流通行政局→NHK関連会社



福島県知事選分析その2 当選した内堀 雅雄のバックには総務省の選挙システム
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/10/30/7478391

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