『感謝祭』の元になった最初の英国人入植者を救ったアメリカ先住民達を滅亡させた黒過ぎるアメリカの歴史2016/01/31 18:58

この図の赤が落葉樹林帯です。


サッカー五輪予選勝って良かったですが、詳しくは後で書きたいと思います。


本日は、歴史について。
日本の古代食べ物の歴史まとめ ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/28/8004221
のつづきです。


まず、以下のHPを見ていただきたいと思います。


概観:北アメリカ先住民の歴史
http://www.eonet.ne.jp/~libell/1indi.html

そこに出てくる
①現在の居留地分布図は、現在のアメリカ先住民の居留区です。

ほとんどが、アメリカの西半分にあるのが分かると思います。

私達がテレビや映画を通じて植え付けられているのは、主にアメリカの西半分の先住民族のイメージです。
平原でバッファローを追っていたのは、中央から西部の先住民です。
ちなみに、北米大陸に馬は居なかったので、馬に乗るのは、植民地になった後のことです。


では、東側に人が住んでいなかったのか?

いやいや、そんなはずはありませんね。

現在でも、一番発達しているのは、アメリカの東岸なのですから。


実際、欧州から来た入植者達は、アメリカの東側に入植しているのです。東から来たわけですから当然ですが。。

参考
◆アメリカの都市人口ランキング(1790年)
◆アメリカの領土と州の変遷 (1790年)
tt.em-net.ne.jp/~taihaku/geography/population/pop1790.html

このアメリカ合衆国建国当時の入植地に、アメリカ先住民達の居留区が全く無いのです。
それはなぜなのでしょうか?


ここで、落葉広葉樹林の分布を見ていただきたいと思います。

日本の東側や朝鮮半島・中国、欧州の西側、それにアメリカの東海岸が落葉広葉樹林なのが分かります。

どの地域も、最も人口が多くて発展している地域だという事が分かります。


そこにどのような先住民が居たのか文献を調べてみますと、以下のような記述があります。


以下引用

(8)北東部 この地域の経済の中心はトウモロコシの農耕であるが、北に行くにしたがって農業はむずかしくなり、北西部ではアメリカマコモに頼っている。多くの言語がマクロ・アルゴンキン語族に属しているが、この地域でもっとも有名なのはマクロ・スー語族に属する言語を話すイロコイIroquoisである。L・H・モルガンの古典的研究で名高いこの地域の部族は、イロコイ同盟という部族連合を結んでいた。また、この同盟に加わらなかったヒューロンHuronなどの場合でも氏族の同盟関係が整備されていた。白人との接触後は毛皮取引が重要になり、押し出されるように毛皮を求めて次々と西へ移動して行った集団が多い。

(7)南東部 この地域の文化は北東部文化圏のものと共通する部分も多く、この二つを一つの文化圏にまとめる説もある。クリークCreekやナッチェスNatchezによって代表され、その特徴としては、トウモロコシを中心とした農耕と狩猟を組み合わせた生業、核となる大きな村落の存在と発達した氏族組織、1年の農業サイクルに応じた大規模な祭りがあげられる。また白人との接触に対応して大きな先住民連合が生まれた。
[木村秀雄]

以上引用

とうもろこしの栽培を中心として、アメリカマコモに頼っていると書かれています。

アメリカマコモとは何でしょうか?


アメリカマコモ
あめりかまこも
wild riceIndian rice
[学]Zizania aquatica L.

イネ科の一年草で、日本のマコモの近縁種。北アメリカの五大湖を中心に、北はカナダのウィニペグ湖から、南はルイジアナ州の湿地帯まで分布する。

子実は昔から北米先住民族の食糧とされ、現在も自然食品として需要がある。子実の収穫は群生地の中へ舟で漕(こ)ぎ出し、棒でたたいて舟の中へ子実を落とす。米と同様に炊いて食用とされる。最近アメリカから輸入されるようになったが、日本での栽培はまだ成功していない。[星川清親]

以上引用

アメリカの先住民達は、稲作(ワイルドライスの栽培)をしていたのです。

アメリカの東海岸には、サケマスも生息します。

落葉広葉樹林でサケマスも生息ということは、縄文時代の日本とほぼ同じ環境ということが分かります。


つまり、アメリカ東海岸には、落葉広葉樹林+漁労+稲作+とうもろこし栽培の文明が栄えていたはずなのです。

東海岸沿いに暮らしていたのは、以下の部族らしい

マヒカン、モホーク、ニブマック、オナイダ、マサチューセッツ、ワンパノアグ、ナラガンセット、ピークォット、モヒカン、ワビンジャー、セネカ、デラウェア、ナンティコーク、バウハタン、チカホミニー、マタボニー、トゥテロ、パムリコ、ノトウェー、タスカローラ、カトーハ

どのような人々が暮らしていたのか、検索していたら、こんな記事が見つかりました。

以下引用


【ワンパノアグ族(マサチューセッツ州)】text by:越川威夫(Takeo Koshikawa)

ワンパノアグ族は、マサチューセッツ州都、ボストンの南に居住する部族でアルゴンキン語族に属する。アルゴンキン語族は、カナダ東部及び米国北東部に分布し、東部部族のみならず、アラパホなどの平原、クリーなどの中央も含む語族であり、イロコイ族と長年敵対してきたライバルでもあった。

1620年に、英国から宗教的自由を求めて清教徒(ピュリータン)の一団(ピルグリム・ファーザーズ)102人がボストン南東約60キロにあるプリマスに、帆船メイフラワー号で漂着し入植した。摂氏零下30度以下にもなったと思われる、最初の冬の厳しさで半分近くが死亡し、清教徒のプリマス植民地の全滅は時間の問題であった。そのような時、ワンパノアグ族のスクアント(※英国教育を受けた通訳)が、同じアルゴンキン語族のアナベキ族のサモセット酋長に連れられて、プリマス植民地を訪ねた。スクアントは機転をきかせ、ワンパノアグ族のマサソイト酋長と清教徒達との仲介に尽力。ワンパノアグ族はプリマス植民地を全面的に援助し、農耕技術等も教え、清教徒達は何とか生き残ることが出来たのである。スクアントには、奴隷として英国に連れて行かれた過去があり、波瀾万丈な人生はまるで幕末期のジョン万次郎の姿を彷彿とさせる。

翌1621年、プリマス植民地はワンパノアグ族と平和条約を結び、また穀物も大豊作に恵まれた。清教徒達はワンパノアグ族を植民地に招待し、神に感謝を捧げ共に収穫を祝った。この祝宴が、米国の「感謝祭」の起源と言われている。

私は、1978年ボストン留学中に米国で初めての「感謝祭」に参加することになり、友人に誘われて、貧乏学生としてごちそうが食べられると思い浮き浮きしていた。感謝祭前夜、幸運にもワンパノアグ族の酋長の家に泊めてもらい、大変興味深い話を夜遅くまで聞き床に付いたのだが、何とそのベッドがウォーターベッドで、清教徒の様に嵐の中で溺れた夢を見てしまったのだった。それと言うのも、プリマス植民地での「感謝祭」の後日談を聞いてしまったからである。「感謝祭」から数十年を経て、ワンパノアグ族を初めとするアメリカンインディアンの悲劇が始まったと言うのだから、私は非常にショックを受けていたのだった。

マサソイト酋長の次世代になると英国からの入植者は何十倍にも増え、平和条約を勝手に解釈し、ワンパノアグ族の土地を奪い始めたのだった。トラブルとなれば、ワンパノアグ族の男を殺し、婦女子を奴隷にするなどの暴漢も出始めた。その横暴に対してワンパノアグ族はプリマス植民地に正式抗議したが、まったく相手にされなかったという。現に、マサソイト酋長の息子のワムサダ酋長は、プリマス植民地に抗議に行き殺されたと言われている。1675年、ワムサダ酋長の弟のメタコム酋長の時代になり、追いつめられたワンパノアグ族が仕方なく植民地と戦ったのが「フィリップ王戦争」である。フィリップ王とは、英国側からのメタコム酋長のニックネームであり、この戦いでは、ニューイングランド全土での戦いに発展し、数百人の入植者と数千人のインディアンが亡くなった。ワンパノアグ族側にはナガランセット族他、多くのアルゴンキン語族の部族が加勢したが、同じアルゴンキン語族のモヒカン族とピクォート族は、イロコイ族と共に植民地側に付いてしまった。結果ワンパノアグ族側は敗北し、ワンパノアグ族の人口は数百人足らずまで激減、彼らの大半が他の部族共々西インド諸島に奴隷として売られてしまった。

「フィリップ王戦争」は、1637年に起こった「ピクォート戦争」(※英国が同じアルゴンキン語族のモヘガン族とナガランセット族を使い、ピクォート族を虐殺した戦争)より始まった、いわゆる『インディアン戦争』である。インディアンに武器を渡してインディアン同士を戦わせる戦争の一つで、1890年12月の「ウーンデッド・ニーの虐殺」まで続き、伝染病の流行とともに、実に数百万人の北米インディアンが亡くなったと言われている。

以上引用
piazza.co.jp/management/turtleisland_vol2.html


このように、メイフラワー号に乗って最初にたどり着いた英国人入植者にたいしてアメリカ大陸で生きていける方法を教え助けたワンパノアグ族は、その後ほぼ絶滅させられ、奴隷として売られたのである。

それだけでは無い。他に住んでいたアメリカ東岸の先住民族のほとんどは、ほぼ絶滅しているのである。

私達が彼らについて知らないのは、両方に武器を持たせ、戦争させる分断統治によって、縄文人達と同じような文明を持っていたであろうアメリカ先住民達が、ほとんど存在していないからである。


既にワイルドライスやとうもろこしやカボチャなどの栽培もしていたアメリカ東海岸の落葉広葉樹林・漁労系アメリカ先住民達は、私達の国の稲作が始まった頃の縄文・弥生時代から考えてみても、数百万人はいたはずだ。


当時、アメリカの先住民達は1万年以上もの間、アメリカ大陸で生きるための術を身につけ暮らしていた。

一方、英国からの移民者達は、その土地で生きていく術を知らなかった。

彼らが撒いた麦からは芽が出なかったし,彼らの暮らし方では、生きていくことが出来なかった。

先住民達は、それを見かねて援助したのである。

それなのに、なんと、サンクスギビングデーの元になった、英国からの最初の移民を助けたワンパノアグ族を、移民者達は、滅ぼしているのである。

そして、ワンパノアグ族を滅ぼした側についたピクォート族も又、滅ぼされているのである。

筆者は、この出来事こそが、現在のアメリカを作り上げている根本の原因なのではないかという気がするのである。


他者の土地に乗り込んでいって、そこでの暮らしにうまく適応出来なかったにも関わらず、その場所で1万年以上暮らしていた人々の暮らし方を未開で野蛮だとして、自分たちの論理が正しいといって、その論理を一方的に押しつけ、自分たちの考え方に合わないものは、同化政策をするか、排除する。
それらを戦争させて滅ぼす。

現在まで続いているアメリカの一方的な戦争は、最初の英国人がアメリカへ入植した時から既に始まっていたのである。