光市母子殺人事件と薬害の不思議な関係2014/06/10 23:00

住友化学の愛媛工場で爆発事故。またか

劣化ウランが555本あったんでしたよね。

いろんな資料がぶっ飛んだという話もありますね。


前回のは、こんな感じ

住友化学千葉工場と大分工場で爆発と火災 劣化ウラン保管計4817本
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2012/10/23/6610426


さて
栃木小一女児殺人事件 の失踪現場は、グラクソスミスクライン今市工場の側だった。


吉田有希ちゃん殺害事件と児童ポルノ法と言論統制と原発、117そして311
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/06/03/7334678

今市市女児殺害事件 新型インフルエンザ、SSRI,子宮頸癌ワクチン、グラクソスミスクライン 311
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/06/04/7335160

栃木小一女児殺人事件 の背景を考える
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/06/06/7338048




のつづきです。


ふと思いついて、光市母子殺人事件の現場をググッてみました。

光市室積沖田


すると、近くに武田薬品工業の工場がありました。


これも同じパターンかな。。



以下引用


大津島の夕陽と夢の中の錦帯橋 - 本村洋における偶然と必然
本村洋の生まれは堺市である。そして小倉にある北九州工業高専に進学し、そこから広島大学工学部に編入、新日本製鉄に就職した。99年の事件は新婚生活を送っていた新日鉄の社宅アパートの中で起きている。堺、北九州、光。この三市はどれも新日鉄と関係が深い。周防灘に面した光市は、戦前にこの地に光海軍工廠が建設されたところから町の沿革が始まっていて、瀬戸内の喉かな半農半漁の村々が海軍工廠の設置と操業で軍都となった。町を「光」と命名したのも海軍らしい。すぐ近くに呉があり、江田島がある。戦後、海軍工廠の跡地に進出したのが八幡製鉄と武田薬品工業で、この二社を柱に光市は周南の工業都市として発展する。妻の弥生さんも実は大阪の出身だった。育った地は門司で、そこから福岡の短大まで通っていた。二人が出会って愛を育んだのは小倉である。弥生さんは決して恵まれた家庭に育っておらず、家は母子家庭で、仕事で家にいない母親にかわって六歳下の妹と家族の食事を作っていた。

以上引用
http://critic3.exblog.jp/i12/



武田薬品か。。


1999年4月に何かあったかな??


こんな記事が出てきました。



以下引用

厚生大臣および武田薬品工業に対する
アクトスの緊急中止、回収等を求める要望書」提出

2000年10月10日
医薬品・治療研究会  代表 別府宏圀
特定非営利活動法人
医薬ビジランスセンター(NPOJIP) 理事長   浜六郎


 糖尿病の治療薬剤として1999年11月から販売されている塩酸ピオグリタゾン(以下ピオグリタゾン、商品名アクトス:武田薬品)に対して10月5日、緊急安全性情報が出されました 

1,2)が、この物質(薬剤とはいえないものであるから、薬ではなく、物質と呼ぶ 3))は、浜(NPOJIP,EBMビジランス研究所)が本年4月に検討した結果、極めて心臓への影響が強く、3月に使用中止されたトログリタゾン(ノスカール)よりも「さらに危険と考えるべき」ものであり、中止のうえ、製造承認も取り消すべき、と主張していた 4)ものであり、10月6日にEBMビジランス研究所浜が要望書で厚生大臣による緊急中止および回収命令の発動を求めたものです。
 緊急安全性情報によって、心臓の悪い人への使用制限だけでは到底、危険を回避することは不可能です。完全に危険を回避するためには、製造承認を取りやめ、完全に市場から回収する以外にないと考えます。
 そこで、医薬品・治療研究会(代表別府宏圀)および特定非営利活動法人医薬ビジランスセンター(NPOJIP)(理事長浜六郎)は10月10日、厚生大臣に薬事法第69条の2に基づき、速やかに使用を一時停止すること、被害の拡大を防止するための応急処置として、医療機関で使用しないよう命ずるとともに、速やかに回収措置をとることなど緊急命令の発動、および、(ノスカールも含め)1か月以内の製造承認取り消しなど合計5項目の実施を求める「アクトスの緊急中止、回収等を求める要望書」を提出しました。
 また、製造企業(武田薬品工業)には、アクトスの使用を中止し、自主回収し、製造承認を取り下げることを、さらにはノスカール(トログリタゾン)製造企業(三共株式会社)対しては、ノスカールの製造承認を取り下げることをそれぞれ要望する要望書を提出します。

以上引用
http://www.npojip.org/oshirase/youbousyo6to10oct2000.htm


この提出した人は、薬害イレッサ訴訟で原告証人として出廷された方のようです。
http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/iressa5.html


もう一つ、引用します。

チアゾリジン誘導体とは
トログリタゾン、ピオグリタゾン、ロジクリタゾンなど。この他、幾つかの開発中の化合物もあるが、現在、我が国で販売されているのはピオグリタゾン(アクトス)だけ。組織のインスリンの作用を改善するということでインスリン抵抗性改善薬とも呼ばれる。

2 チアゾリジン誘導体をめぐる経緯(ノスカールの項も参照)

(1) イギリスおよびヨーロッパ
99.3 MCA(イギリス医薬品庁)はトログリタゾンの再申請を却下
00.3 欧州医薬品庁(EMEA) がロジグリタゾン(商品名Avandia)を承認。
00.7 EMEA、欧州武田が申請したピオグリタゾン(商品名Actos)に肯定的見解表明。
(2) 米国、カナダ
99.4 FDA、アバンディアを承認。
99.5 米国スミスクライン・ビーチャム、アバンディアの販売を開始。
FDA、トログリタゾン(レズリン、ノスカールと同じ)の単独使用の中止および使用患者の限定と肝機能検査徹底を指示。
99.7 FDA、アクトスを承認。 武田アメリカが8月にアクトスの販売開始。
00.3 米国パブリックシチズン、FDAにレウリン、アバンディア、 アクトスの医薬品情報の内容改訂を求める請願書提出。
00.3.21 トログリタゾンの販売を自主的に中止。
00.10 カナダでアバンディアの副作用報告が166例あり、うち3例死亡 (Canadian Adverse Drug Reaction Newsletter 2000;11(3))。
07.5.21 アバンディアのランダム化比較試験の総合解析結果、心筋梗塞を1.43倍、心血管死を1.64倍増すことを示す論文と、それに関連した論説が医学雑誌に掲載された。
07.7.25 米FDAがアクトスに心不全の黒枠警告を要請、諮問委員会での心毒性検討も表明。同時に、FDA担当官は、「この6年間に50以上の新たなPPAR作動薬のIND申請(治験開始申請)が受理されたが、承認販売に至ったものはひとつもない」と表明。
11.6 アクトスの膀胱癌リスクを示す疫学研究の結果を受けて、フランス及びドイツは新規患者への投与を禁止し、米国(FDA)は膀胱癌患者への使用を禁止、膀胱癌の既往症のある患者への慎重投与等を勧告し、8月には、添付文書の改訂を承認した。
(3) 日本
99.9 厚生省、アクトスを承認。 同年11月薬価収載。12月販売開始。
00.3.22 三共、米国ワーナー・ランバートに追随して、ノスカールを自主回収。
00.4 TIP誌が、ノスカール回収の遅いこと、アクトスは臨床用量相当量で動物に心毒性(心肥大、心筋壊死など)と骨毒性(骨量減少)が生じており、臨床試験例でも現に浮腫や心疾患を認めていることから、使用中止と製造承認取消をいち早く主張。
00.10.5 アクトスの使用により心疾患が悪化した5症例の発表
00.10.6 武田、厚生省の指導に基づき緊急安全性情報を出す。
00.10 薬害オンブズパースン会議「ピオグリタゾン(商品名アクトス)について 販売中止と回収の緊急命令発動等を求める要望書」を厚生省、武田薬品工業に対して提出。
TIP誌が再度アクトスの心毒性、臨床例おとび動物実験での膀胱癌多発から発癌の可能性を指摘。
05.9 ヨーロッパ糖尿病学会でアクトスの2型糖尿病に対するランダム化比較試験(PROactive)の結果発表。主目標で有意の改善なし。心不全はアクトス群に有意に多く、心不全を含む全イベントはアクトス群に多い傾向。動物実験同様、膀胱癌が臨床試験で多発していた(TIP誌2006年1月)。
11.6 膀胱癌リスクを示す疫学研究の結果を受けて、薬事食品衛生審議会医薬品等安全対策調査会での審議がなされるが、膀胱癌治療中の患者等にはアクトス等の使用を避ける(禁忌ではない)、膀胱癌のリスクについて患者に充分な説明を行う、血尿等の兆候について定期的に検査する等の添付文書の改訂は行なったものの、アクトスの使用自体については特段の規制を行なわなかった。
アクトスの後発品(ジェネリック)が薬価収載される。


以上引用



で、この訴訟に繋がるわけですか。なるほど



以下引用

「武田薬品」衝撃「懲罰賠償6100億円」はわずか45分で評決された…武田反発「全面対決する」糖尿病治療薬「がんリスク」隠し訴訟
2014.4.21 07:00 (1/4ページ)[特許・商標・著作権]

降圧剤の広告に臨床研究論文と異なるグラフが使われていた問題を受け、記者会見で謝罪する武田薬品工業の長谷川閑史社長=3月3日、東京都千代田区

 武田薬品工業が糖尿病治療薬「アクトス」の発がんリスクを隠していたとして、米連邦地裁の陪審が出した60億ドル(約6100億円)もの懲罰的賠償金の支払いを命じる評決が波紋を呼んでいる。評決は判決ではなく、賠償が決まったわけではないが、賠償金は過去最大級で、武田株が急落するなどの「騒動」に発展。武田では“稼ぎ頭”として経営を支えたアクトスの後継薬が開発中止に追い込まれており、事業環境も厳しい。6月のクリストフ・ウェバー最高執行責任者(COO)の社長就任を前に、武田は大きな壁にぶち当たっている。

以上引用
sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140418/waf14041809510011-n1.htm


「武田薬品」衝撃「懲罰賠償6100億円」はわずか45分で評決された…武田反発「全面対決する」糖尿病治療薬「がんリスク」隠し訴訟
2014.4.21 07:00 (3/4ページ)[特許・商標・著作権]

降圧剤の広告に臨床研究論文と異なるグラフが使われていた問題を受け、記者会見で謝罪する武田薬品工業の長谷川閑史社長=3月3日、東京都千代田区

 アクトスは武田が1999年に開発し、ピークの2007年度には世界で3962億円を売り上げた。11年に特許が切れるまで莫大(ばくだい)な売り上げをもたらす「ブロックバスター」として、武田の屋台骨を支えた。販売額が大きいだけに、賠償額も上がったとみる向きもある。

 とはいえ、カリフォルニア州など複数の裁判所の陪審も昨年、武田に損害賠償支払い義務があると認定したが、判事はいずれも評決を無効とした。業界では「今回も無効となる可能性が高い。少なくとも減額はされるだろう」と指摘する声が多い。

訴訟コストに“次期エース”の開発中止…、吹き荒れる「逆風」

 それでも武田が“無傷”で済むとはかぎらない。アクトスをめぐる米国での訴訟は数千件に上るといい、その対応には相応のコストが必要になる。今回の陪審が示した賠償費用が巨額だったことから、業績への影響に対する懸念も膨らみ、武田の株価は8日に5%安と急落、年初来安値を更新した。

以上引用
sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140418/waf14041809510011-n3.htm



で、もうひとつありました。

「ブロプレス」は、1999年6月に国内で発売を開始。

で、この記事


以下引用

武田薬、臨床データ改ざんや利益相反はない=ブロプレス問題で長谷川社長
2014年 03月 3日 19:17 JST

[東京 3日 ロイター] - 武田薬品工業 の長谷川閑史社長は3日の会見で、同社の高血圧治療薬「ブロプレス(一般名:カンデサルタン)」をめぐる問題について、臨床データの改ざんや利益相反はないと述べた。一方、プロモーションについては、一部で不適切な利用があったとし、改善に努める方針を示した。

「ブロプレス」をめぐっては、京都大学などのチームが実施した大規模臨床研究「CASE─J」の論文中のグラフと、武田が宣伝広告に利用したグラフが異なっているなどの指摘が出ていた。武田は、2度にわたる社内調査を実施し、事態の把握を進めてきた。

長谷川社長は、武田が研究の統計解析には「一切関与していない」と述べた。また、奨学寄附金を出していたが「利益相反上の問題もない」とした。このほか、武田は臨床データにはアクセスできないほか、社内調査でもアクセスの事実はなかったとして「データ改ざんや捏造の事実はない」と否定した。

一方では、学会情報をプロモーション活動に使うなど一部に「不適切なプロモーションがあった」とし、プロモーション全体の監査機能を強化する考えを示した。

武田では、第3者機関を設置し「可及的速やかに調査を実施し、結果を報告したい」とした。

大規模臨床研究「CASE─J」は、高血圧患者数約4700人を対象に、武田の「ブロプレス」と別の種類の高血圧症治療薬「アムロジピン」と比較したもの。2001―06年に実施された。

「ブロプレス」は、1999年6月に国内で発売を開始。2012年度の国内売上高は1340億円で、同社の主力薬のひとつとなっている。

臨床試験と製薬会社の関係については、ノバルティスファーマの「ディオバン(一般名:バルサルタン)」をめぐる問題で注目が集まった。大学の研究チームが行った臨床試験の結果、ディオバンには血圧を下げるだけでなく、脳卒中や狭心症の発症が抑えられる効果があるとの論文を発表。しかし、この研究には、ノバルティスの社員が身分を隠して関わっていたことが明らかになり、データを不正に操作したとの疑惑が出た。厚生労働省は「ディオバン」の不正な臨床研究データを用いた広告宣伝が薬事法違反の疑いがあるとして、ノバルティスなどを東京地検に刑事告発した。


以上引用
jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0M02CA20140303



武田薬品に飛び火する誇大広告疑惑
米医学誌で指摘した京大医師に直撃

製薬大手ノバルティス ファーマが販売する降圧剤に関する不正論文問題を追及した京都大学病院医師、由井芳樹氏が国内最大手である武田薬品工業の降圧剤に関する論文でも疑義を呈し、ノバルティスと同様に誇大広告の疑いが出てきた。第二のディオバン問題に発展するのか。由井氏への独占インタビューとともに、問題の全容に迫った。

以下全文は
diamond.jp/articles/-/49558


なるほど。。

繋がってますね




当時の厚生大臣


宮下 創平(みやした そうへい、1927年11月10日 - 2013年10月7日)は、日本の政治家、大蔵官僚。厚生大臣(第82代)、環境庁長官(第31代)、防衛庁長官(第51代)、衆議院議員(8期)等を歴任した。
長男は衆議院議員の宮下一郎。

概要
長野県上伊那郡伊那里村(現伊那市長谷)の農家に生まれる。伊那中学校(現伊那北高等学校)から陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、第二次世界大戦敗戦により旧制松本高等学校に入学。1953年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省する。入省同期に、津島雄二、吉野良彦、水野繁(元国税庁長官)、大場智満(元財務官)、宮本保孝(元銀行局長)らがいる。大蔵省では銚子税務署長を皮切りに大蔵省主計官、保利茂内閣官房長官秘書官、主計局総務課長、東京税関長、財務研修所長、大蔵省大臣官房審議官等を歴任し、1979年に退官。
同年、第35回衆議院議員総選挙に旧長野県第3区から無所属で出馬。苦戦が予想されたものの、下馬評を覆して約6万票を獲得し、初当選を果たした(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田あきら・亀井善之・船田元らがいる)。以後8期連続当選。初当選後、自由民主党の追加公認を受け、大蔵省出身の福田赳夫が率いる紀尾井会[1](福田派)に入会。早くから政策通で知られ、自民党では当選3回で政務次官、当選4回で部会長を務めるのが慣例であったが、宮下は当選3回で国防部会長、財政部会長を務め、政務次官を経験しないまま、後には閣僚を務めている。1989年に三塚博政務調査会長の下で政調副会長に就任し、三塚政調会長の下での仕事ぶりが評価されて、1991年に宮澤内閣で防衛庁長官に任命された。防衛庁長官在任中はPKO協力法の成立に尽力する。
1994年、村山内閣の桜井新環境庁長官が第二次世界大戦における日本による侵略を否定する主旨の発言を行い辞任に追い込まれたため、後任の環境庁長官に任命された。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い新設された長野県第5区から出馬。新進党公認で出馬した元科学技術庁長官の中島衛を破り、7選。1998年、小渕内閣で厚生大臣に任命され、小渕第1次改造内閣まで務める。
1998年、同年の自由民主党総裁選挙に端を発した三塚派内の森喜朗と自身の当選同期である亀井静香の対立においては森を支持し、森の強い推挙により三塚派事務総長に就任。亀井らは森の発言力の増大に反発し、同年9月に三塚派を離脱した(同年12月、森は三塚から派閥を継承)。2003年の第43回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退。地盤は長男の宮下一郎が引き継いだ。引退後は公益財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会の会長を務めていた[2]。
2013年10月7日、東京都内の病院で死去[3]。85歳没。

wikipedia


ブッシュ(父)時代の湾岸戦争当時、PKO協力法を成立させた防衛大臣
村山内閣の環境大臣で水俣病担当(オウムの松本智津夫は胎児性水俣病のため弱視になっていたことに留意)
小渕内閣の厚生大臣(その後様々な事件を引き起こすSSRI型抗鬱剤を認可。ちなみにアメリカで認可されたのは父ブッシュ大統領の時=それ以来、日本の自殺者は年間1万5千人も増加)
ですね。



当時の厚生大臣政務官


根本 匠(ねもと たくみ、1951年(昭和26年)3月7日 - )は、日本の政治家、建設官僚。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、復興大臣(第2代)。
第1次小泉第1次改造内閣で内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進及び食品安全委員会(仮称)等に係る施策担当)・内閣府副大臣、第1次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)を歴任した他、衆議院経済産業委員長を務めた。
曾祖父は貴族院議員を務めた根本祐太郎。父は『硫黄島~戦場の郵便配達~』のモデルになった根本正良。

来歴
福島県郡山市生まれ。福島県立安積高等学校、東京大学経済学部卒業。1974年、建設省に入省。都市局都市計画課計画調整専門官を経て、1989年より建設経済局建設業課建設市場アクセス企画官。1990年より建設経済局建設業課建設業構造改善対策官。1991年6月1日、建設省大臣官房政策企画官を最後に退官した。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に粟山明の地盤を継承し、自由民主党公認で旧福島1区(定数4)から出馬し、得票数2位で初当選した。当選後、宏池会に入会。1998年、小渕内閣で厚生政務次官に就任。2002年、第1次小泉第1次改造内閣で内閣府副大臣及び内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進及び食品安全委員会(仮称)等に係る施策担当)に任命された[1]。2003年、衆議院経済産業委員長に就任。2006年、第1次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)に任命された。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では福島2区で民主党前職の太田和美に敗れ、比例東北ブロックでの復活も叶わず落選した。2010年、東北志士の会会長に就任。2011年、郡山市防災対策アドバイザーに就任[2]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、日本未来の党から出馬した太田らを破り、福島2区で6期目の当選を果たした。選挙後に発足した第2次安倍内閣で復興大臣に任命され、初入閣した。

日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会
平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
神道政治連盟国会議員懇談会
日本会議国会議員懇談会
自民党動物愛護管理推進議員連盟

wikipedia


2002年、第1次小泉第1次改造内閣で内閣府副大臣及び内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進及び食品安全委員会(仮称)等に係る施策担当

第2次安倍内閣で復興大臣に任命され、初入閣

またしても、復興大臣になっていますね。



浜松ノロウィルス メモ 2008年と似てるな、この展開 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/01/19/7198151

浜松ノロウィルスはBC兵器?? 原発再稼働と事件 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/01/21/7200343

浜松のノロウィルステロですが、本命情報が出てきました ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/01/23/7202074

ノロウィルスワクチンと新型インフルエンザ 舛添厚生労働大臣 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/01/28/7206693

グラクソスミスクラインの「リレンザ」とグラクソ×第一三共の「イナビル」には耐性を持たない新型インフルエンザウイルスが登場
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/01/29/7207235

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