歴史を考える上で、まず最初に考えること。私達の思い込みについて考えてみる。 ― 2016/01/06 16:18
現在、筆者は、歴史についてあれこれ考えています。
考古学の世界では、実証出来るものが大切にされます。
なので、石器や土器や骨などが重要視されるわけです。
しかし、日本は、ほぼ全国的に火山であり酸性土壌なわけで、様々なものが溶けてしまっていて、遺跡からは出土されなくなっている。
そして、木や草、藁や葦やツルや麻、竹などの自然に帰る素材を使っているので、後の時代まで残らないということがあります。
残っていないから無かったということは無いでしょう。
では、その無いものを実証する方法は無いのでしょうか?
それは、あります。
実際に石器を使ってみることです。
自然界に石器を持って入り、その土地特有の植物を使うことで、当時の人々が何をしていたのかは、体験的に理解出来るはずです。
これは、当時の植生さえ分かれば、実践的に実証可能なものです。
そして、当時の植生に関しては、地層の中の花粉などの分析により、時代ごとにかなり詳細に分かってきており、これは精度の高い情報と言えますので、ほぼ正しい検証が可能なはずです。
考古学の世界では、実際に発見された『もの』や『骨』などが重要視されます。
もちろん、これは大事なことです。
大事な事ですが、この事だけにこだわり過ぎると真実が埋もれてしまう可能性があります。
たとえば、石器時代というと、石器のカタチだけが研究対象になっていったりしますよね。
でも、それって、フルーツナイフと出刃包丁と刺身包丁の違いを研究しているようなものです。
用途が違いますということです。
用途のために、カタチを変えたのです。
たとえば食料でいえば、貝塚が取りざたされていますが、貝というのは、少量食べても貝殻が大量に出る上に腐りにくいので大量に出土するだけでしょう。
もちろん出汁には使っていたと思いますが、貝は貝毒の可能性があるので、食料事情からすると中程度に重要な食料という感じでしょう。(きのこ的な位置づけ)
貝だけ食べてもお腹いっぱいになりませんし。(出汁としては非常に優秀ですが)
たとえばマタギの人達が、さも昔からの伝統的なハンターのように思われていると思いますが、筆者は、マタギというのは、落ち武者が武装訓練を兼ねて換金出来る価値の高い獲物を集団ハンティングして収入にしていたものなんじゃないかと思います。
鉄砲が前提じゃないと、あれは成り立ちません。
鉄砲が手に入るのは、種子島の鉄砲伝来より後ですし、武士なわけです。
縄文時代や旧石器時代の人達のやり方とは大きく違うはずです。
マサイ族などのアフリカのハンター達も、あれが昔からのスタイルなのか不明です。
アフリカでは、奴隷貿易が全盛だった時代に、部族間の衝突があり、負けた方が奴隷にされていました。
命からがら逃げた人達は、本来居住するには厳しい土地で象牙や毛皮などの換金可能な狩猟を行う生活形態を編み出したと考えた方が自然なのです。
そういう意味で、マタギとアフリカのハンターは、同じ構造上にあると思います。
彼らの生活から見えてくるのは、古代の人々の生活というよりは、戦国時代や奴隷制度の時代の生活です。
あと、マンモスやナウマン象の骨と石器が発見されたからといって、古代の人達がマンモスハンターだったというのも眉唾です。
元々、湖のほとりに暮らしていることが多かったマンモスが誤って湖水に落ちて、そのまま凍ったものがある時溶けて、それを削って食べたとか、その程度のことなんじゃないかと筆者は思います。
だって、現在、象を狩猟して主食として食べている人居ますか?
居ないでしょ?
そんなに美味しかったら、現在でも象を食べているはずです。
でも、そんな事はしていない。
要するに労力の割に合わないのだと思いますよ。
象牙とか毛皮とか、ものすごく高額で取引されたものであれば、労力に合いますけど。
そのような落ち武者換金ハンターを見て、考古学者達は、これが古代の狩猟生活だと感違いした可能性は高いといえそうです。
昔の人達は、今よりももっと食料の獲得に生活を依存していたわけですから、効率的に確保出来てなおかつ美味しい食材を手に入れる方法を確立していたはずです。
そしてそれらの様々な食材こそが、世界の様々な地域の民族や生活・文化・文明を作ったのです。
もちろん、『日本』の民族や生活・文化・文明をカタチ作ったのも、ある食材です。
では、その食材とは何だったのでしょうか?
次回は、その食材を通じて日本の形成について考えていきたいと思います。
考古学の世界では、実証出来るものが大切にされます。
なので、石器や土器や骨などが重要視されるわけです。
しかし、日本は、ほぼ全国的に火山であり酸性土壌なわけで、様々なものが溶けてしまっていて、遺跡からは出土されなくなっている。
そして、木や草、藁や葦やツルや麻、竹などの自然に帰る素材を使っているので、後の時代まで残らないということがあります。
残っていないから無かったということは無いでしょう。
では、その無いものを実証する方法は無いのでしょうか?
それは、あります。
実際に石器を使ってみることです。
自然界に石器を持って入り、その土地特有の植物を使うことで、当時の人々が何をしていたのかは、体験的に理解出来るはずです。
これは、当時の植生さえ分かれば、実践的に実証可能なものです。
そして、当時の植生に関しては、地層の中の花粉などの分析により、時代ごとにかなり詳細に分かってきており、これは精度の高い情報と言えますので、ほぼ正しい検証が可能なはずです。
考古学の世界では、実際に発見された『もの』や『骨』などが重要視されます。
もちろん、これは大事なことです。
大事な事ですが、この事だけにこだわり過ぎると真実が埋もれてしまう可能性があります。
たとえば、石器時代というと、石器のカタチだけが研究対象になっていったりしますよね。
でも、それって、フルーツナイフと出刃包丁と刺身包丁の違いを研究しているようなものです。
用途が違いますということです。
用途のために、カタチを変えたのです。
たとえば食料でいえば、貝塚が取りざたされていますが、貝というのは、少量食べても貝殻が大量に出る上に腐りにくいので大量に出土するだけでしょう。
もちろん出汁には使っていたと思いますが、貝は貝毒の可能性があるので、食料事情からすると中程度に重要な食料という感じでしょう。(きのこ的な位置づけ)
貝だけ食べてもお腹いっぱいになりませんし。(出汁としては非常に優秀ですが)
たとえばマタギの人達が、さも昔からの伝統的なハンターのように思われていると思いますが、筆者は、マタギというのは、落ち武者が武装訓練を兼ねて換金出来る価値の高い獲物を集団ハンティングして収入にしていたものなんじゃないかと思います。
鉄砲が前提じゃないと、あれは成り立ちません。
鉄砲が手に入るのは、種子島の鉄砲伝来より後ですし、武士なわけです。
縄文時代や旧石器時代の人達のやり方とは大きく違うはずです。
マサイ族などのアフリカのハンター達も、あれが昔からのスタイルなのか不明です。
アフリカでは、奴隷貿易が全盛だった時代に、部族間の衝突があり、負けた方が奴隷にされていました。
命からがら逃げた人達は、本来居住するには厳しい土地で象牙や毛皮などの換金可能な狩猟を行う生活形態を編み出したと考えた方が自然なのです。
そういう意味で、マタギとアフリカのハンターは、同じ構造上にあると思います。
彼らの生活から見えてくるのは、古代の人々の生活というよりは、戦国時代や奴隷制度の時代の生活です。
あと、マンモスやナウマン象の骨と石器が発見されたからといって、古代の人達がマンモスハンターだったというのも眉唾です。
元々、湖のほとりに暮らしていることが多かったマンモスが誤って湖水に落ちて、そのまま凍ったものがある時溶けて、それを削って食べたとか、その程度のことなんじゃないかと筆者は思います。
だって、現在、象を狩猟して主食として食べている人居ますか?
居ないでしょ?
そんなに美味しかったら、現在でも象を食べているはずです。
でも、そんな事はしていない。
要するに労力の割に合わないのだと思いますよ。
象牙とか毛皮とか、ものすごく高額で取引されたものであれば、労力に合いますけど。
そのような落ち武者換金ハンターを見て、考古学者達は、これが古代の狩猟生活だと感違いした可能性は高いといえそうです。
昔の人達は、今よりももっと食料の獲得に生活を依存していたわけですから、効率的に確保出来てなおかつ美味しい食材を手に入れる方法を確立していたはずです。
そしてそれらの様々な食材こそが、世界の様々な地域の民族や生活・文化・文明を作ったのです。
もちろん、『日本』の民族や生活・文化・文明をカタチ作ったのも、ある食材です。
では、その食材とは何だったのでしょうか?
次回は、その食材を通じて日本の形成について考えていきたいと思います。
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