アメリカの新聞ボストン・グローブ「アメリカが世界を支配する時代は終わった」2016/01/13 20:52

こんなニュースが出ています。

以下引用


アメリカ紙、「アメリカが世界を支配する時代は終わった」

アメリカの新聞ボストン・グローブが、「世界の超大国アメリカは衰退しつつある」と報じました。

ボストン・グローブは、「アメリカが世界を支配する時代は終焉を迎えている」という記事において、世界の超大国アメリカが衰退していることを強調し、「各国の国民は、時代の経過とともに紆余曲折に遭遇しており、この過渡期の中では中国やイランのように時代の浮き沈みに順応する国だけが生き残るだろう」と報じています。
また、「21世紀に入ってから15年が経過した現在、アメリカが新たな危機に満ちた時代に遭遇しており、そうした中でも最も新しいものは心理的な脅威であることが明らかにされている」としました。
さらに、「もはや力を失っているアメリカがこのような現状に順応できれば、世界における安定の実現の希望が出てくるだろう。だが、アメリカがこうした現実を認めず、アメリカの力が衰退しつつあることを受け入れなければ、アメリカは自滅する行動をとることになるだろう」と報じています。
ボストン・グローブはまた、「将来、アメリカが世界を導くという責務を担うことはないだろう。また、アメリカは今世界で起こっている出来事に対し自らの立場を調整する用意はできていない。それは、新たな世界では、最強とされるアメリカの軍事力の価値もさらに下がるからだ。このことは即ち、アメリカの終焉を意味する」としました。

以上引用
japanese.irib.ir/news/latest-news/item/61410

浦河沖でM6.7の地震だそうですが、二酸化炭素を地中に封じ込めるCCSの実証試験との関連は??2016/01/14 16:03

本日の正午過ぎ、北海道浦河沖で震度5弱の 地震だそうです。


以下引用気象庁

発生時刻 2016年1月14日 12時25分頃
震源地 浦河沖
最大震度 震度5弱
位置 緯度 北緯 42.0度
経度 東経 142.8度
震源 マグニチュード M6.7
深さ 約50km
http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/


以下緊急地震速報

地震発生日時 震源地 マグニチュード 最大震度
2016/01/14 12:25:33 浦河沖 M6.7 震度5強
2016/01/14 08:48:15 (取り消し)


なんだ?この取り消し
311の日にもあったな。。


地震発生日時: 2016/01/14 12:25:33
震源地: 浦河沖
震源の深さ: 50km
マグニチュード: M6.7
最大震度: 震度5強


緊急地震速報発信状況

コード番号 発信時刻 地震発生からの経過時間(秒) 北緯 東経 震源地 震源の深さ マグニチュード 最大震度
1 12:25:46 13 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
2 12:25:47 14 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
3 12:25:50 17 42 142.8 浦河沖 50km M7 震度6弱
4 12:25:53 20 42 142.8 浦河沖 50km M7 震度6弱
5 12:25:55 22 42.2 142.8 日高支庁東部 30km M6.2 震度5弱
6 12:25:56 23 42.2 142.8 日高支庁東部 30km M6.6 震度5強
7 12:25:59 26 42.1 142.8 浦河沖 40km M6.6 震度5強
8 12:25:59 26 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
9 12:26:00 27 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
10 12:26:00 27 41.9 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
11 12:26:01 28 41.9 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
12 12:26:12 39 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
13 12:26:32 59 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
14 (最終報) 12:26:43 70 42 142.8 浦河沖 50km M6.7 震度5強
http://quake.twiple.jp/quake/view/20160114122542


以下欧州emsc


Magnitude Mw 6.7
Region HOKKAIDO, JAPAN REGION
Date time 2016-01-14 03:25:34.3 UTC
Location 42.08 N ; 142.62 E
Depth 60 km
emsc-csem.org/Earthquake/earthquake.php?id=482180


では、波形を見てみましょうか

普通の地震波形に見えるものが多いですね。

おや?山が二つあるところがいくつかありますね。

この波形から考えると、最初の地震は石狩湾で、その後浦河沖の本震かな。(もちろん、この波形が事実だとすればという話ですが)


さて、この浦河沖の地震ですが、見覚えのある場所ですよね。


以下過去記事



こんな情報が入ってきました。


以下引用

経済産業省が2016年度から苫小牧沖でスタートする二酸化炭素(CO2)を地中に封じ込める技術(CCS)の実証試験は、本番前の準備が最終段階に入った。苫小牧市真砂町の基地内では、排ガスからCO2を分離・回収する装置など地上設備が完成。12月上旬から実際に排ガスを使った、CO2の分離・回収試験が始まる。

以上引用
tomamin.co.jp/20151132585
webcitation.org/6dK70bFZG


長岡の時も新潟県中越地震が発生し、柏崎刈羽原発炎上

311の後の411いわき地震M7.0も発生源は、CO2埋め込み実験施設付近


地震起きるから今直ぐ止めなさい

地元の方は、皆で電話とかファックスとかで抗議した方が良いと思いますよ。

被害起きてからじゃ遅いです。

人間が誘発する地震 411いわき地震と二酸化炭素埋め込み実験の関係とは??
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/14/6776848


人間が誘発する地震 411いわき地震と二酸化炭素埋め込み実験の関係とは??
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/04/14/6776848



以上過去記事より

というわけで、震源は、二酸化炭素埋め込み実験やってるあたりだろ

もうね、アホ過ぎて話にならん。


今回のもトリガーは人工かもしれないが、大元の原因を作っているのは、二酸化炭素埋め込み実験だろ。

もう5年も二酸化炭素埋め込み実験は、地震を引き起こす原因になると言ってるだろうが。
まだ分かんないのか。

超臨界流体っていうのがヤバいんだよ。


物質は、一般に固体、液体、気体のいずれかの状態ですが、温度と圧力を上げていき、ある時点(臨界点)を越えると、液体のように物質を容易に溶解し、気体のように大きな拡散速度を示す、液体と気体の両方の性質をもつ状態になります。この物質を超臨界流体とよびます
chorinkai.co.jp/older/chorinkai.html


要は、地下がぐちゃぐちゃになるのだと思う。

今直ぐ止めろ。

日本人はなぜこの地に住むようになったのか?最も重要な食材『魚介類とサケマス・鮎』2016/01/14 19:45

歴史を考える上で、まず最初に考えること。私達の思い込みについて考えてみる。 ―
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/06/7975083
のつづきです。

昔の人達は、今よりももっと食料の獲得に生活を依存していたわけですから、効率的に確保出来てなおかつ美味しい食材を手に入れる方法を確立していたはずです。


そしてそれらの様々な食材こそが、世界の様々な地域の民族や生活・文化・文明を作ったのです。

もちろん、『日本』の民族や生活・文化・文明をカタチ作ったのも、ある食材です。

では、日本を形成する上で最も重要な役割を担った食物とは何でしょうか??


もしあなたが15000年前の日本にタイムマシンで飛ばされてしまったら、あなたはどうやってサバイバルするだろうか?

これを真剣に考えると、日本の原型が誕生した当時を知ることが出来るようになるはずです。


筆者なら、まず川沿いに川を下って海に出ます。
そして、海岸付近から真水が出ている場所を探します。

そこには、飲み水も食料も両方が存在するからです。
つまり、人間が暮らしていける場所です。


この仕組みは、15000年前も現在も変わっていないはず。


海辺を観察する

ここ10年あまり四季を通じて海に通ってみて分かったことがある。


海辺の四季

春になると、大潮で昼間に大きく潮が引いて陸地が現れる。
ここに様々な魚介類が存在する。

現代では漁業権によって自由に採取出来ないが、昔の人にとっては、伊勢エビやアワビやサザエやエビカニ、タコ、ウニ、アサリにハマグリ、カキなど美味な高級食材穫り放題な素晴らしい時期だったに違いない。

湾の奥には、数百億単位の小魚や子イカの群れを目にすることが出来る。

数千万匹の小鮎が河川を遡り始めるのもこの時期だ。
サクラマスも、桜の時期に河川へ遡上を開始する。

初夏になると、イワシやアジ・サバといった青魚が回遊して来る。
そしてそれらを追ってブリやカンパチといった大型の回遊魚も回ってくる。(時には海岸でイワシを拾えるほどだ)

さらに、イカも段々大きくなる(イカは1年で成長する)

夏になると内陸奥地に鮎やサクラマス(ヤマメ)が存在する。

秋になると鮎は河口付近に集まってくる。

そして河川を埋め尽くすほど大量の鮭が河口から遡ってくる。

秋と冬には、夜に大きく潮が引いて陸地が現れる。
火を扱うことの出来た人類は、タイマツによる灯りによって海辺の魚介類を他の生物よりも多く獲得出来たはずである。

真冬の海岸には、昆布や若布などの海藻が漂着する。

海岸には、ほぼ一年中食べられる野草が存在している。

ということだ。


これらの魚介類を古代の人達が食べていなかったはずが無い。

伊勢エビやアワビよりも『どんぐり』が食べたいという人は、よほどの変人だろう。

人口が増えてしまった現代は、それらは高級食材で滅多に口に出来ないものになってしまったが、人口が少なかった当時は、主食級の扱いだったはずなのだ。


というわけで、旧石器時代における日本において最も重要な食材、それは魚介類だった、中でも人間の進化に過程において、特にサケ・マスそれに鮎が重要だったと思います。


これらの魚達は、ある特定の河川に、季節ごとに数千万匹という大群を伴って遡ってくる魚達です。

しかも、ものすごく美味だった。

筆者は、美味であるというのは、最も大切な食料である証だと考えています。


実際筆者は今までの釣り歴の中で、100種類以上の魚を釣りました(ほとんどの魚は食べられます=食べられない魚というのは、毒があるフグと、あとちょっとしか存在しない)が、その中で最も美味しかったのが、鮎とヤマメです。

あと石鯛も美味しいですが、獲得するのが大変です。。(ちなみに、石鯛釣りの餌は、アワビやサザエ、ウニ、伊勢エビなどです。。)


人類の進化というのは、大型動物を狩猟することで始まったこという説が主流になっている。

しかし、筆者は魚釣りをしていく中で、日本において、これは全く当てはまらないのではないか?という事に段々気付いてきたのです。

なぜなら私達の想像以上に魚は沢山居て、しかも美味しい魚が沢山居て、しかも、それらは、ある時期簡単に穫れるのだ。

たとえば、鮎は、一つの川に数千万匹単位で遡ってくる。
数千万匹ですよ。

しかも、秋に穫れる20センチ以上の鮎の塩焼きの美味しさときたら、あらゆる食べ物の美味しさを凌駕しているくらいに美味しい。


筆者も、天然の鮎を食べるまで知らなかったのだが、養殖の鮎と天然の鮎では、全く味が違うのだ。

筆者は、自分の体験したこと以外は、あまり信じられない。

美味しいというのは、信じることが出来る。


ものすごく美味しいというのは、それが重要な食料であるということの証だと考えている。


もちろん、現在において鮎を始めとした魚介類の多くは、漁業権の対象になっており、勝手に採取することは出来ないようになっているが。


鱒の陸風型であるヤマメやイワナも、これまた、とてつもなく美味しい。

鮭もまた、秋になると川を埋め尽くすほど大量に遡ってくる。
鮭は、毎日食べても飽きない味である。

私達が住んでいる日本列島において、これらが、最も重要なタンパク源だったことは、筆者には疑い無い。


そして、これら季節性の魚であるサケマスや鮎が最も重要なタンパク源だったと考えると、旧石器時代から縄文時代にかけての日本の発展の理由が解けてくることになる。


今回歴史について書く上で、様々な文献を読んでいるが、魚の重要性について書いてあるものは、極めて少ない。私達が、つい最近までほぼ肉食ではなく魚食系だったにも関わらず。
これは、極めて妙な話だ。

そしてそれは、発掘した遺跡の中で、それらの魚の骨が大量に見つかっていないからなのだそうだ。
考古学の世界では、縄文時代に本当に鮭が食べられていたのか議論があり、現在でも決着がついていないそう。

でも、本当に重要な食料であったサケマス、鮎は、骨まで食べたり利用してしまったので、遺跡には残らなかっただけのように筆者には思える。

そして、余ったものは日持ちする加工がされたため、遠くまで運搬出来るようになった。
なので、サケマス・鮎などの骨全てがその場に残ることは無かったはずである。


私達にとって、間違いなく重要な食料とは、魚介類だった。

中でも、日本人の進化にとって特に重要だったのは、サケマス、鮎 だった。
それは筆者には疑いようが無いことである。


なぜなら、現在でも、日本の様々な河川には、サケマス、鮎が大量に存在していて、私達は、極めて重要な食料としてそれらを利用しているからである。

スーパーや流通機構が発達していなかった昔は、今よりももっと重要な食料だったに決まっているのだから。

私達の祖先が、日本を定住の地に選んだのは、サケマス、鮎が大量に確保できたからである。

しかし、それだけでは、定住には不足している。

季節性の魚が穫れるだけでは、定住するには無理がある。

けれど、古代の日本人達は、そこに定住する事になった。

そこにこそ、日本誕生の秘密が隠されていると筆者は考えている。


次回は、日本誕生の秘密を探ります。

日本はいつ出来たのか?土器の誕生と日本人の誕生2016/01/16 21:10

日本人はなぜこの地に住むようになったのか?最も重要な食材『魚介類とサケマス・鮎』
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/14/7990521
のつづきです


日本という地域がいつ誕生したのか?

9000年前には、現在とほぼ同じような島になっていたと考えられるので、9000年間は日本と言ってよいと思います。

氷河期から間氷期に転換する18000年前から9000年前の間が、日本の形成期にあたります。

もちろん、島になるまでは、大陸と繋がっていたので、東アジアの1地域として日本が存在していたということですが。


その日本の形成期の中で、16000年前から16500年前に、日本を含む東アジアで土器が誕生しています。

これは、文明が誕生したと言われている西アジアの9000年から1万年前に比べて6000年以上早いものです。
なぜ東アジアでは、このように早い時期に土器が誕生したのでしょうか?


筆者は、まず土壌に注目します。

日本は、火山性なので土器作りに最適だった赤土や粘土が豊富に存在したことが、まず一つ。

もう一つは、岩塩や塩湖が無かったことがあげられます。

食料の保存に不可欠な塩の精製を海水から行わなくてはならなかったのです。

この必要性が、土器の製作に結びついたはずです。


最も原始的な塩の精製を伴った料理法とは、以下のようなものだったと筆者は考えています。


潮が引いた海岸線の陸側にある潮溜まりに採集した魚介類や植物を入れ、たき火で熱した石を放り込んで魚介鍋を作ります。

魚介や野菜を食べた後、その汁を煮詰めると塩分濃度の濃い塩水や、魚介の旨味を含んだ塩が出来ます。

この塩を使って、焼き魚を作り、焼き枯らしといって、水分をほとんどなくした状態にしたもの。

あるいは、たき火の煙で薫製にしたもの。

それから干物を作ります。
干しアワビなんかも作ったことでしょう。


この方法によって、季節性の魚でも、不漁の時でも、いつでも魚が食べられるようになったということです。


土器は、嵐などで海岸線の潮溜まりが利用出来ない日に、海岸線近くの赤土や粘土が露出している場所で、土手を作り、その中で同様のものを作っていた際に、たき火の火で赤土や粘土が焼け、土器のようなものが出来ていったのが最初なのではないかと考えられます。


それを改良を重ねて土器にしたのでしょう。


では、なぜ西アジアでは土器が発達しなかったのかというと。

まず、岩塩や塩湖が存在したので、海水から塩を作る必然性が薄かった。
海水から作るとしても、乾燥しているので日干しで作れた。


定住していなかったので、持ち運ぶには土器より革袋の方が便利だった。

水が少ないので、水を使わない料理法が発達していた。
西アジアは、基本的にグリル文化です。
その後、油も多用するようになります。


なので、西アジアでは、農業が始まり定住するようになった時期に土器が発達しているのです。

人が移動生活では無くなった時に、土器の必然性が上がったということでしょう。


ということは、逆説的に、日本は、土器という存在が定住を生んだということが言えるかもしれません。

土器の誕生は、日本の食料事情に革命的な変革をもたらしたからです。


土器が誕生した頃、日本の植生は、亜寒帯の針葉樹林から落葉の広葉樹林へと変化しています。

針葉樹林よりも落葉の広葉樹林の方が、遥かに森の生産性が高い。

この事が、多くをこの場所に定住させた要因となっているのは、ほぼ間違いありません。


そして、様々な花粉などの調査から、東アジアの温暖化は、西アジアや欧州の温暖化に比べて格段に早いスピードで温暖化したことが分かっています。

それは、どのように起きたのでしょうか?


次回は、そのあたりを書きたいと思います。

日本人が出来るまで 温暖化による海水面の上昇が、異なる民族を出逢わせ、縄文文明が誕生した。2016/01/17 20:55

日本はいつ出来たのか?土器の誕生と日本人の誕生
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/16/7993717
のつづき

様々な花粉などの調査から、東アジアの温暖化は、西アジアや欧州の温暖化に比べて格段に早いスピードで温暖化したことが分かっています。

それは、どのように起きたのでしょうか?


日本が形成され始めるのは、およそ18000年前から始まる間氷期の温暖化においてだ。

様々な調査により25000年前から18000年前は、氷河期の中でも最も寒い時代であったことが分かっている。

当時、ユーラシア大陸とアメリカ大陸には巨大な氷床があり、現在よりも水面が100メートル以上下がっており、日本列島は大陸と陸続きだった。

そして、日本海のかなりの部分は結氷していたと考えられている。

そのため、現在とは違って、日本は大陸の東岸における大陸性の気候だった。

当時の地層の花粉分析から、日本列島の大部分は、ツガやトウヒなど亜寒帯の針葉樹林で覆われていたようだ。


当然の事ながら、この大陸と陸続きの日本にも人間が居た。そして、サケマスも河川を遡っていたはずだ。

なので、秋に河川を遡ってくる鮭を獲得しようとして、ハンター達が多く日本を訪れていたはずだ。

しかし、当時の日本の森林は亜寒帯の針葉樹林であり、森林資源の食料に乏しい。
季節性の食材だけで定住するには、魅力が乏しい土地が多かっただろう。

もちろん、魚介類は豊富にあったはずなので、ある程度の人口は居たはずだが、通年に渡って居住可能な土地は、太平洋沿岸の西側だったのではないかと考えられる。


これが、間氷期の地球温暖化によって変化していくことになる。


地球がなぜ温暖化したのか?については、様々な仮説があり、完全には解明されていない。

しかし、概ね10万年の氷河期と1万年の間氷期を繰り返すリズムがあるらしいことは分かっている。

現在は、1万年の間氷期の末期付近であると考えられている。


地球が温暖化し、大陸の氷床が溶けた。
その結果としてまず何が起きたのか?というと、氷河期の時代に陸地になっていた土地の水没が始まったのだ。

特にそれは東南アジアの『スンダランド』からオセアニアにかけての『サフルランド』において顕著だった。

今まで半島だった部分の水没が始まり海峡が出来た。
するとどうなったか?

赤道付近の強烈な太陽の熱で暖められた海水が、海峡を通って急激に太平洋岸を北上し始めた。

黒潮の誕生である。

筆者は磯釣りをよくするので、海面の上昇にはとてもくわしい。

海面は毎日付きの満ち干にしたがって上下を繰り返している。

上げ潮の時、ひとたび海水が陸地に流れ込み出すと、一気に濁流が出来、それまでと違った潮の流れが出来ることを筆者は経験的に知っている。

海面が上昇して海峡が出来たことによって急激な潮の流れが誕生したのは間違いない。


黒潮の誕生によって暖かい海水が北上して接岸した結果何が起きたのか?

東アジア太平洋岸北部に存在した氷床が溶け始めた。

すると、ますます海面が上昇し、その結果として東南アジアの『スンダランド』からオセアニアにかけての『サフルランド』で複数の海峡が生まれる。


すると、さらに赤道付近からの暖かい海水の流れが大きくなり、また東アジア沿岸北部の氷床を溶かすという正のフィードバックループが誕生したのである。

この流れによって、日本列島が大陸から完全に切り離され、北海道や本州、九州、四国という現在の日本列島が出来る。

9000年前くらいには、今の日本列島とほぼ同じような構造になたと思われます。


沖縄や琉球は、最初から島ですが、同じ時期に東シナ海では、台湾、済州島、海南島などが誕生しています。


18000年前から9000年前にかけての温暖化の時期に、複数の寒の戻りの時期があるのだが、これは、東アジア北部に海峡が誕生した結果、北極海などの冷たい海水の流れが誕生したからだと考えられる。

温暖化が進んだが故に、北極海の冷たい水が太平洋に逆流することで温暖化を止めたのだろう。

こういうのを見ていると、地球環境というのは、良く出来ているなあと思わざるを得ない。


さて、25000年前から18000年前くらいの氷河期は現在より100メートルくらい水位が低かったというところがポイントです。

現在では、元々海岸線で漁労により生活していた人間の痕跡は、海の下になってしまい見えなくなっているので、考古学では無いことになっている。

しかも、海岸で行った調理の跡とかは、嵐が一回来ただけで痕跡は無くなってしまいます。
かろうじて発見出来るのは,縄文の海進期で、現在より暖かく、水位が高かった時代のものだけなのです。

一番美味しい食べ物を獲得出来る機会が多いのは、海岸線や川沿いなわけですから、人々は、当然そこで暮らしていたはずです。
そう考えると、先史時代というのは、もっと沢山の人々が海沿いに生活していたと思われます。(沈んでしまったスンダランド・サフルランド含め)


ところが、最終氷期の終わりからの温暖化で海水が上昇し、今まで人々が漁労を行っていた海岸が、どんどん水没してしまいます。

今まで巨大な陸橋や大陸になっていたスンダランドも島々になっていってしまいます。

当然のことながら、そこに住んでいた人達は、別の場所に移動を始めます。
温暖化したわけですから、当然海岸線を北上した人々が最も多かったはずです。


そして、温暖化によって、サケマスの分布域が南に下がったことが考えられます。
そうすると、亜寒帯針葉樹林の森の中でサケマスを季節狩猟していた人達が南下してきます。


さらに、温暖化によって森林や草原が変化した。

東アジアに落葉広葉樹林の拡大もありました。
これは、人間を含めた動物が移動することで広がっていきました。

その中で、内陸に居住していた人々も海岸線にやってきたのではないかと思われます。


こうして、南からの人々と北からの人々と、西からの人々がアジアの東に集まってきて、その一部の人々が、日本に渡り、現地に住んでいた人々と出逢い、大元の日本をカタチ作っていったのだと筆者は考えています。


異なる地域で別々だけど、ある部分は共通の暮らし(漁労生活・落葉広葉樹林生活・サケマス季節狩猟生活)をしていた人々が出逢ったことで、文化・文明が発展し、新しい土器時代へ突入したと考えられます。

ですから、大元の日本形成期というのは、多文化社会であり、他民族、多人種混合の社会であったはずなのです。

つまり縄文人は混血なのではないでしようか。
とはいえ、日本列島が大陸と繋がっていた際には、樺太からのルートだったわけですし、そうでは無いルートを通ったとすると、凍った海の上を渡ることになるわけですから、北方系優位だったことは疑いありませんが、縄文人が形成される際に、スンダランドから押し出されるカタチで東アジアの人口が増えていった中で、先に温暖化して緑の島になった日本を訪れたいと思った対岸の住民達は、沢山居たはずです。

そのあたり詳しいことは、後でまたやります。

次回は、どのように縄文文明が発展したのか見ていきたいと思います。

台湾総統の名前が、『英文』ですよ、それって。。2016/01/19 13:40

台湾の総裁選ですが、蔡英文が勝ったそうです。

台湾総統の名前が、『英文』ですよ。
どう考えても、植民地管理官にしか読めないよね。


また、日中戦争漁父の利計画が再燃しかねない状況になってきましたよ。

どう回避するかですね。

おそらく不正選挙なので、そこを調べる必要があるかもです。


スプートニクには、こんな記事が出ています。

日米は台湾でウクライナのシナリオを再現できるか?
jp.sputniknews.com/asia/20160118/1452296.html#ixzz3xf0Fp06g


ちなみに

中国GDP6・9%増 25年ぶり低水準
goo.ne.jp/topstories/business/159/5a25a75bf88e009e23d7937ce91ad8e6.html?fr=RSS

だそうです。

中国経済が崩壊しそうとか、ダマスゴミが相変わらず騒いでますが、GDP6・9%増 ですよ。25年ぶり低水準だけどね

伸び率がちょっと落ちただけでしょう。
それでも6・9%増


日本は、マイナス成長でも、非正規雇用が50%超えても、朝鮮半島麻薬マフィアの孫のボンボン偽首相が、アベノミクスは成功しているとか、嘘ついてます。

年金博打につぎ込んでます。

一説によると、正月明けの相場で30兆円くらい吹っ飛んでいるという話もありますね。。



さて台湾というのは、氷河期においては、中国本土と繋がっていて、間氷期には島になっている場所です。

中国そのものかどうかは微妙なところで、独自の文化も残っているわけですし、ある程度の独立心があるのは筆者も理解出来ますし、独自の文化を大事にしてほしいと思っています。
なんといっても台湾料理は美味しいですし。

ただ、あくまでも、どう考えても中華圏で漢字圏なわけで、アメリカやイギリスではありませんよね。


ということで、米国戦争屋やTPP推進マフィアの思惑で、極東をメチャクチャにするのは避けていただきたいものです。

TPPには、正式な日本語訳も中国語訳もありませんよ。

STOP TPP !!

日本の歴史を考える そもそもサケマス・鮎はなぜ秋に川を遡って卵を産むのか?2016/01/20 19:59

日本の歴史を考える そもそもサケマス・鮎はなぜ秋に川を遡って卵を産むのか?


日本人が出来るまで 温暖化による海水面の上昇が、異なる民族を出逢わせ、縄文文明が誕生した。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/17/7994381
のつづきです。


ほとんどの魚は、アマモ場と呼ばれる沿岸の海藻帯に卵を産みつけます。

ところが、鮭は、ほとんどの時間を海で過ごすのに、産卵期には川を遡って卵を産むのです。

考えてみると不思議ですよね。

どうですか、その理由、皆さん分かりますか??



その答えは、気候にあると思います。

鮭は北方系の魚です。

鮭が遡る川のほとんどは、冬場、氷や雪に閉ざされます。

鮭は、こうした川の湧き水がある場所に産卵するのです。


そうすると、湧き水は、温度が一定していますので凍りませんが、川は雪や氷で覆われていますので、外敵が卵や稚魚を食べにくいのです。

その結果として、鮭が繁殖したということが言えます。


そのために、鮭の卵は魚卵としてはとても大きく、その栄養素だけで魚がふ化してしばらく育つことが出来るように出来ているのです。

鮭は雪解け水と共に川を下ります。



鮎もまた秋に川で産卵する魚ですが、鮎は産卵後10日から14日でふ化し、直ぐに海に下ります。

鮭とは違う方法なのです。

鮎は、中緯度地方の魚です。
なので、必ず川が凍るということがありませんから、沢山の卵(数万)を生んで、その稚魚が海でプランクトンを食べ、川が春になって食料豊富になってから遡ってくるという方法を採用しているのです。



サクラマス(ヤマメ・アマゴ)は、もうちょっと複雑な方法を採用しています。

サクラマス(ヤマメ・アマゴ)が居る川は、鮭が居る川ほど北方ではなく、鮎が居る川と同じような川なのですが、産卵場所が上流域なのです。

鮎は、川を下って産卵しますが、サクラマス(ヤマメ・アマゴ)は、川を遡って産卵します。
支流の枝沢が産卵場所です。

なぜ、この場所に産卵するのか?というと、外敵に狙われにくいためです。
サクラマス(ヤマメ・アマゴ)も鮭と同じように、卵の栄養分だけで春まで生存可能ですから、湧き水があり、水温が一定していて、なおかつ水面が雪や氷で覆われる場所で産卵するわけです。


サクラマス(ヤマメ・アマゴ)も春になると、雪解けの増水に合わせて川を下りますが、川を下るのは、生後1年経ってからと言われています。

他の魚に食べられないような大きさになってから、川を下るのです。


縄文時代の人々にとって大切な食料(もちろん現在でも大事ですが)だったはずのこれらの魚達。

このうちサクラマス(ヤマメ・アマゴ)と鮎は、東アジアの中小河川にしか居ません。

それから、他にもイワナやアメマス、カラフトマス、紅鮭、イトウなどが日本を含む東北アジア地域に居ます。


これらの海に下ってから遡り産卵する魚達によって、我々人間を始めとして熊やキツネなど動物の命も育まれ、その結果として森も豊かになっていったというのが、縄文時代の姿なのです。

魚達が川を遡ってくることによって、河川流域には豊富なミネラルや栄養分が運ばれ、森はより豊かになっていくわけです。

そしてその森が、海のプランクトンを育て、豊穣な海の恵みを育むというわけです。

もちろん、それらは、最初から上手くいっていたわけではなく、様々な失敗=たとえば、魚を穫り過ぎて川に帰ってこなくなってしまったとか、効率的に魚を穫ろうとして毒を川に流して、魚が穫れなくなったとか、木を伐採し過ぎて赤土が海へ流出し、藻場が赤土で覆われてしまって魚介類が減ったとか、様々な経験を通じて、これをやってはいけないという禁忌が出来て、それが共通理解となり、1万年以上に渡る、豊穣な海と森と川を維持出来たということなのだと思います。

なので、狩猟採集をしていた当時の人々が、最も大切にしていたことは、海の幸も川の幸も森の幸も、全て美味しく食べ続けることが出来るような仕組みだったということです。


大事なのは、少なくとも、縄文時代の日本人達は、『失敗に学んだ』ということなのです。
それが、1万年以上に渡って、文化・文明を維持出来た仕組みです。

いまだに失敗から学ばない人達が日本にも世界中にも沢山居る中で、どのように生活環境を維持するのか?生存権を確保するのか?

その土地のもたらす生産性を確保するのか?
争いは、どのように鎮めるのか?
その根本の仕組みを探るべく、もう少し歴史について考えていきたいと思います。


歴史を考える上で、まず最初に考えること。私達の思い込みについて考えてみる。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/06/7975083

日本人はなぜこの地に住むようになったのか?最も重要な食材『魚介類とサケマス・鮎』
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/14/7990521

日本はいつ出来たのか?土器の誕生と日本人の誕生
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/16/7993717

日本人が出来るまで 温暖化による海水面の上昇が、異なる民族を出逢わせ、縄文文明が誕生した。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/17/7994381

TPPですが、2月4日が危ないようです。2016/01/21 16:14

TPPがヤバいようです。


以下、引用


内田聖子/Shoko Uchida
@uchidashoko
14 分
2月4日にTPP署名が正式にアナウンスされたようだ。カネ疑惑真っ只中の閣僚が代表として出席するなど、恥の極みですねぇ。
mobile.twitter.com/uchidashoko


堤未果
@TsutsumiMika
1月19日
JA女性大会で女性600人に講演。株主資本主義と対極にある「共同体」も、TPP構想では非関税障壁の一つ。次の優良市場としてWS・投資家達が触手を伸ばす「共済」や「農林中金」も、去年頃から徐々に切り崩しの流れ。森山農水相(TPP対策委員長)が講演後「農業を守ろう」と挨拶。(ーー;)

堤未果
@TsutsumiMika
22 時間
実はNZ政府の公開文書は約5万5千頁(汗)。先日もある国会職員の方が「6千枚も読めっこないから無理」と言ってましたが、今国会で「承認採決目指す」という政府の方が無理言ってるんですよ。 @yoshidakuns しかし6千頁って国会採決までに議員たち読めるんですかね? #TPP


堤未果
@TsutsumiMika
19 時間
羊羹だの録音だの明らかにアレな内容はともかくとして、リークのタイミング完璧すぎ。 これで調印間近のTPPについて、国会で中身に踏みこんだ審議は難しくなる(><) →→【衝撃告発「私は甘利大臣に賄賂を渡した!」(Yahooニュース)#TPP


堤未果
@TsutsumiMika
1 時間
RT@_yanocchi0619 野党「なぜ日本だけ翻訳を出さないのか」 甘利「仮訳は12カ国が協定に署名する時に出す」
堤未果
@TsutsumiMika
47 分
早朝Skype:シカゴの友人(投資銀行勤務)曰く、TPP調印間近でオバマ大統領はこの話題を極力避けてる。2/4前に全米各地で大規模な抗議デモ予定。条文内容についての感想は、「Facebookやウォールマート、コムキャストにモンサントなど巨大企業の書いた願い事リストかと思った」

Dawn Sunrise
@NoWarNoTPP
38 分
@TsutsumiMika 巨大企業の書いた願い事リストかと思った  不覚にもワロタ 日本の医療や農業がガタガタになることを考えると怖ろしいです 契約書は5万5千ページで英文 議論も理解もされないまま事が進むのは御免だ


堤未果
@TsutsumiMika
7 分
NZの友人は→「政府は来月調印ホスト国になる事に浮かれてる。大手マスコミは、調印後は輸出強化する国内産業調整に着手するなどと、これが貿易メインの様に報道中。主目的の非関税障壁について多くの国民は知らされてない。調印式会場が国内最大のカジノとはなんという皮肉!(怒)」#TPP

以上引用
mobile.twitter.com/TsutsumiMika



調印式会場がカジノっていうのが、いかにもな感じですが。。


いずれにしても、正式な日本語訳もなく、55000ページもあって、何書いてあるのか分からないものに署名は出来ません。

STOP TPP

いろいろ起きてるので、メモ2016/01/21 21:30

いろいろ起きているので、メモ


これ、スゴイ。

ソマリア海賊がいつの間にか壊滅? すしざんまい社長・木村清氏がとんでもない働きをしていた
世界が悩まされていたソマリア壊滅を壊滅させたのは、すしざんまいの社長だった。
matome.naver.jp/odai/2145333792424441201


甘利疑惑

衝撃告発「私は甘利大臣に賄賂を渡した!」
週刊文春 1月20日(水)16時1分配信
zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160120-00005795-sbunshun-pol

<甘利氏疑惑>政府・与党に危機感 TPP審議、影響必至
毎日新聞 1月20日(水)21時31分配信
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160120-00000099-mai-pol


収賄疑惑を告発された甘利経産相の悪評! バンダイの御曹司に絵画を1500万円で売りつけ裏金づくりの疑惑も
lite-ra.com/2016/01/post-1907.html
2016.01.21. リテラ

甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか
huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/amari_b_9037140.html


この記事もメモ

以下引用

これとんでもないことですよ。政府やGPIFが運用下手なために一昨年の秋から株に倍額突っ込んじゃったから、出さなくてもいい損失を倍出すことになっちゃってるんです。


しかも、ここだけの話、株に年金を突っ込んだのは「アベノミクス」を成功しているように見せかけるためだったらしいんです。日本の年金貯蓄は135兆円もあるのでその半分が株式市場に来るという事で市場は大歓迎して株価が上がったんです。


けど、そんな付け焼刃では当然ながら長持ちせず、日本の会社の実際の実力が上がったわけではないので、メッキがはがれて株価は猛烈に下落しているわけです(中国株の影響をモロに受けて)。


そして、そうなっても我々の年金貯蓄は株式市場からは引き上げられません。もし引き上げるようなことをすれば、一気に株価が暴落してしまうからです。


こうして、我々の年金貯蓄は「アベノミクス」の演出のために使われたのでした。

以上引用
asyura2.com/16/senkyo199/msg/845.html


こんな記事も

1月19日
日揮は米建設大手ベクテルと組み、日立製作所が計画する英国西部ウィルファでの原発2基の建設工事を請け負う見通しです。3社で2016年度中のJV設立に向け協議する覚書を結びました。事業費は100億ポンド(約1兆7000億円)規模。
nikkei.com/article/DGXLASDZ19I2U_Z10C16A1TJC000/

こんな記事も
以下引用

SMAP解散騒動の真っ只中の17日、

政府は公職選挙法を大幅に改正し、どこの投票所でも投票可にする
方針を固めたそうです。

つまり駅や商店街にも投票所を設置し、居住する自治体内のどの
投票所でも投票できるようにするということですね。

政府は選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられるのと同時に、
今年夏の参院選からの導入を目指すそうです。

以上引用
ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12119593361.html


また新手の不正選挙の方法を考えているみたいですよ。

要注意です。


以上メモでした。

縄文文明・弥生文明とは何か?日本の原型2016/01/22 19:31

縄文文明・弥生文明とは何か?日本の原型

日本の歴史を考える そもそもサケマス・鮎はなぜ秋に川を遡って卵を産むのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/20/7996762
のつづき 


縄文文明・縄文文化がなぜ出来たのか?というと、漁労と共に、落葉広葉樹林の利用が始まったからですね。

落葉広葉樹林は何かといいますと、冬になると葉っぱが落ちる広い葉っぱを持つ木のことです。

一番の特徴は、晩秋から春にかけて、地面に太陽の光が当たるということです。
そのため、新しい草木が生えてきます。


縄文時代の人達が何をしていたのか?というと、食べて美味しいものの種を地面に埋めていったのだと思います。そして、実ったものを食べた。

間氷期の温暖化によって、それまでの亜寒帯針葉樹林には無かった木々が広がっていった中で、古代日本人は食べられる食物をリサーチしていきました。

そして、その中で美味しくて危険ではないものをピックアップし、その種を身の回りに植えていったのです。

落葉広葉樹林では、冬の間に葉っぱが落ちて腐葉土になり、春になっても日光が当たるので、植物の芽が出やすく、夏になっても薄い葉から間接光が差し込むので、食べられる木の実や果実、芋などを植えると、それが成長して居住地の回りに増えていきました。

それらは、その植物が最も好む環境の中で発芽し、成長していきました。
それらの果実や葉を人間は食べていたのだと思います。

縄文時代の人々は、魚介類の採取を中心として、身の回りにそうした木の実園、果実園的なものを作って生活していたはずです。


農耕はしていないけれども農業に近い形態が、落葉広葉樹林では可能だったのだと思います。
落葉広葉樹林全体を使った食料の栽培と採集ですね。

それに伴って、魚介類も増えるという好循環が生まれました。
それが、縄文文明が1万年以上続いた秘訣でした。


漁業+落葉広葉樹林というのが、彼らの生活の仕方にあっていたのです。


ところが、こうした暮らしをしていく中で、落葉広葉樹林が1万年の間に変化していきます。

一つの原因は、およそ6500年前あたりまで温暖化が続いたことです。
縄文の海進期とよばれるこの時期、現在よりも2〜3度平均気温が高く、海水は数メートル上昇していた言われています。


そんな中、縄文時代に中心的だった落葉広葉樹林が、常緑照葉樹林へと変化していきます。
落葉広葉樹林が作り上げた豊かな土壌と森が、暖かく湿ったモンスーン気候によって常緑照葉樹林の適正に変化していったのです。

常緑樹であるシイやカシのどんぐりがアクが無くそのまま食べることが出来、落葉広葉樹林のコナラやミズナラのどんぐりが加熱水晒し処理をしないと食べられなかったという点においても、常緑照葉樹林が増える要因になっていたのではないかと思います。

常緑照葉樹林は、その名の通り、葉っぱが光っていて光を反射しますし、一年中葉っぱがついたままです。
なので、木の根元に光が届きません。

そのため、常緑照葉樹林の森では、いくら縄文人達が、自分たちの好きな食べ物の種を植えても芽が出て来ることが無かったのでしょう。

縄文中期の遺跡は、95%が関東から東北にかけてです。
西日本では、わずか5%しかありません。

これは、常緑照葉樹林に覆われた西日本では、もはや縄文式の暮らしが出来なかったことを意味しています。

このため、おそらく常緑照葉樹林帯で暮らしていた縄文人達は、ほとんどが海岸線や川沿いの魚介類と沿岸と川沿いの隙間に出来る湿地植物の利用に頼っていたため、現在では海の底や川底になっていて遺跡が発掘出来ないのだと思います。


さらに、温暖化による海水の上昇が、住む場所を後退させます。
こうした中で、縄文人達は、住んでいた場所を離れ、新たな居住地を作って関東・東北に移動していったと考えられます。

鮭の遡上する河川が北上してしまったということもあると思います。

このような移動で、三内丸山遺跡のような大型の住居地が出来るのです。

八ヶ岳などに数多くの遺跡が存在するのも、この頃です。

住む土地が狭くなり、人口が過密化する中で、食料の貯蔵が効く雪が多い場所が居住地に選ばれたこともあったのでしょう。
モンスーンの暖かく湿った風は、冬場、日本に多くの雪をもたらしたからです。


考古学の本には、縄文中期に、初期よりも人口が多いことになっていますが、食料事情から考えると、むしろ初期は、私達が考えているよりももっと多くの人々が暮らしていたのではないかと考えられます。

筆者が現在読んでいる『日本民族の誕生』には、発見された遺跡の数から推定で、縄文早期の人口が2万とありますが、当時は、ほとんど海岸線か川沿いに住居はあったはずで、ほとんどが海の底か川底に埋まっているはずで、この20倍、およそ40万人程度は居たと筆者は考えています。


さて、縄文好きな方は、稲作が発達したのは、弥生人が縄文人を追いやったと考えている人が多そうですが、筆者は、そう考えていません。

縄文人が関東・東北に行ったのは、九州の鬼界カルデラの大噴火による脱出もあると思いますが(船で脱出したと思われる=そのため、黒潮が接岸する高知や紀伊半島、伊豆や伊豆七島に流れついている)、温暖化によって森が照葉樹林になり、今までの暮らしが維持出来なくなったためです。

常緑の照葉樹林では、縄文式の暮らしは出来ませんでした。
なので、縄文人達は、落葉広葉樹林の広がる関東から東北に移住し、三内丸山遺跡などに見られるように、栗などを植えて、かなり大規模な集落を作るほどに文明を高めていました。
当時は、船が発達し、沖合でブリやカツオなども漁獲していたことが分かっています。

つまり、かなり沖合に船で出て、網を使って漁が出来たということです。

ブリやカツオなどの沿岸漁業が発達した背景には、温暖化によってベーリング海峡が大きく開け、北極海の冷たい水が親潮になって日本沿岸に流れてきて、黒潮とぶつかることで豊富な漁場が出来たためと考えられます。

漁労+落葉広葉樹林生活の縄文人が、船の発達に伴って、東北に拠点を構えたことは、理にかなっています。


ところが、このベーリング海峡が大きく開けた6500年前の縄文海進期は、やがて北極海の冷たい海水の流入により、一時的な寒冷化によって海水面の下降を招き、海沿いだった大規模集落が海から離れていったために消滅していきます。

縄文人達は、あくまでも漁労中心だったので、海辺に集落を作りたかったのでしょう。

ところが、海水面が低下したために、今まで海だったところが陸地になったので、縄文人にとって必要不可欠だった落葉広葉樹林が、海岸線に未発達だった時期が生じるわけです。


この事から、縄文人達は、自分たちの生存にとって有利な土地を求めて探し歩いたと思われます。


その時に登場していたのが、常緑照葉樹林における水田による稲作でした。

長江流域では、6500年から7000年前には水田が存在していたことが分かっています。

そして、カツオやブリなどを漁獲していた当時の日本の航海レベルからすれば、大陸から船によって稲作を伝えた人が居た可能性も、縄文人が大陸に渡り、稲作を見て、これなら導入出来ると考えて、日本に導入した可能性も、両方あることが分かります。


稲作は、日本の気象や環境に適していました。

なぜか?
それは、稲作が、スンダランドの水没から1万年に渡って東南アジア・東アジアで形成された『照葉樹林+漁労文明』の中で、様々失敗や試行錯誤を重ねた中で、最も『照葉樹林+漁労文明』に適した方法だったからです。

水田は、栄養分をその土地に溜め、栽培を可能とし、モンスーンの台風や豪雨による土砂の流出を防ぎました。
さらに、照葉樹林は、台風や豪雨に強く、土砂災害や山火事にも強かったのです。


初期の稲作は、おそらく、河川の隙間に出来た湿地を利用していたと考えられます。
それが、寒冷化による海水面の低下によって生じた沖積平野の湿地を利用する術として広まっていったと考えられます。

海の底だった土地では、塩分の残留によって種子が発芽し辛くなっていたので、川の水が流れてくる湿地において栽培することが可能になっていったのでしょう。

縄文文明では、森を切り開くことが禁忌だったため、こういう展開になったのだと思います。

さらに、副産物として、照葉樹林としては高緯度で火山灰が多い日本では、水田脇の2次林として落葉広葉樹林が出来ました。

そのため、縄文人達と同じ落葉広葉樹林の利用も可能となったのです。

ここで、縄文と弥生の融合が起こります。

日本は、水田の登場によって、稲作+田んぼの用水路のたにしやエビ・カエル・魚の利用
それにプラスして、落葉広葉樹林の果樹やナッツ類の利用も可能となりました。

そして、相変わらず、川や海では、魚介類の採取が行われました。


海底だった土地を利用する手段として、それまで落葉樹林の周縁で栽培されていた大豆やあずきといった作物が、多く栽培されていきます。
大豆の生産の増加によって、様々な大豆を使った発酵食品や豆腐などが生産されていきます。

そして、この豆類の栽培によって土地が肥沃になり、再び栽培や落葉広葉樹林の利用が可能となります。

やがて田んぼの隙間では、農耕が始まります。

里山の誕生です。

こうした暮らしは、もはや私達が知っている田舎の里山の暮らしとほぼ同じようなものです。

このような食料生産の仕組みが、この時期に出来ていたと考えられるのです。


そして、それは現在にも続いているのです。

つまり、縄文文明や弥生文明というのは、終わったものではなく、今も続いているものです。

気象条件や環境がそれほど変わっていないわけですから、根本にあるものは一緒です。

私達が生きていくにあたっての、本当の資産・資本が、そこにはあるわけです。
それは、紙切れや数字では無い、リアルな実体経済なわけですから。

人間にとって一番大事なのは、食べ物と水です。
それが無くては、生きていけません。

もちろん、氷河時代が来たら、今みたいな環境を維持するのは難しいかもしれませんが、歴史が教えるところでは、間の冷え込みはあるものの、8万年かけて冷えていくみたいなので、気候変動に比較的強い東アジアは、当分大丈夫だろうと思います。(西アジアは、気候変動の影響を受けやすいので注意しなければいけません。乾燥しているため)

あと、問題は、放射能ですよね。
それが問題。
放射能食べるバクテリア、居ると思いますけどね。。


というわけで、投資とかインフラ整備も大事ですけど、その土地の気象や環境に合った方法を選ばないとダメですよ。

TPPは、何書いてあるか分からない時点で完全にダメです。


さらに、人類の歴史について考えます。
今回、筆者は、歴史について、相当『そうだったのか!』という納得出来る仮説が出来つつあります。
乞うご期待。


歴史を考える上で、まず最初に考えること。私達の思い込みについて考えてみる。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/06/7975083

日本人はなぜこの地に住むようになったのか?最も重要な食材『魚介類とサケマス・鮎』
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/14/7990521

日本はいつ出来たのか?土器の誕生と日本人の誕生
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/16/7993717

日本人が出来るまで 温暖化による海水面の上昇が、異なる民族を出逢わせ、縄文文明が誕生した。
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/17/7994381

日本の歴史を考える そもそもサケマス・鮎はなぜ秋に川を遡って卵を産むのか?
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/01/20/7996762